4六金戦法4六金戦法(よんろくきんせんぽう)[1]は将棋の戦法の一つ。居飛車舟囲い急戦の一種で平手では中飛車に対して用いられる。5七金戦法[2]とも呼ばれ、金立ち戦法[3]の一つ。先手番でも後手番でも採用できる。 平手のほかに、角落ち戦での△6二飛-△5三銀型右四間飛車戦法と並んで、上手に用いられている。 △ なし
概要舟囲いから右金を5七に立ち、さらに4六まで繰り出して、中飛車の捌きを封じ込めて押さえ込むのが基本的な狙いになる。ツノ銀中飛車は角交換に強いので、4六に繰り出す駒が銀だと△4五歩の反発が厳しくなるが、金ならば▲4六金と引けるため△4五歩が甘くなる[4]。ただし端歩の付き合いがあると端で一歩を持たれて△4五歩▲同金△3三桂▲4六金△4五歩で金が殺される手筋があるため、特に1筋(先手の場合)の端歩の状態には注意が必要である。 基本図から先手の狙いは4六銀左戦法などと同様に、3筋の角頭攻めからの2筋突破であるのと、後手が飛車を3~2筋方面に展開した際の中央制圧という両面の攻撃パターンを備える。基本図から後手が仮に△7二銀とすれば、▲3五歩からの攻めがあり、以下△同歩なら▲同金~▲2四歩、△3二飛ならば▲5五歩~▲5五金~▲4四金といった攻撃パターンが生じる[注 1]。 後手は対策として以前は△7四歩から角をのぞく手や袖飛車の筋もあったが、主流は△3二飛や△3二金などで、▲3五歩からの攻めに備える。△3二飛の場合先手は▲5五歩~▲5六金、△3二金の場合は先手は▲6八銀~▲5七銀右から▲6六銀~▲5五歩又は▲6六歩~▲6七銀などと進めることが多い。 変化によっては位をとったり飛車先交換あるいは突破などの狙いがある。金が攻めに参加するため、他の振り飛車に対する急戦よりもさらに玉が薄いことなどが欠点である。 この戦法を初めて用いたのは、対向い飛車であるが、昭和10年(1935年)の四段時代の加藤治郎であると、加藤が自著に書いている[5]。
1957年の第8期九段戦第2局で、大山康晴の中飛車に対して升田幸三が採用し、升田独特の自陣飛車の手筋が奏功し升田が勝利した将棋が有名であり(第1図~第2図)、『現代に生きる大山振り飛車』41頁で、藤井猛は「はっきりはわからないが、中飛車に対する4六金戦法の礎は升田将棋にあるのではないかと思う」と推測する。その将棋は第1図から△7四歩▲3五金△同飛▲同歩△7三角と進んだが、▲3八飛打と進んで先手が優勢を確定させている。
1972年に中原誠が大山から名人戦を奪った一局もこの戦型である(中原が中飛車を採用)(『消えた戦法の謎』74頁。『序盤戦!!囲いと攻めの形』126頁。)。このときは先手番の大山が△3二飛に5筋の歩を切って、▲5六金と好形に構え第3図のようにしてから△6四歩▲4六歩△7四歩▲4五歩△4二飛▲2四歩△同歩▲3五歩△同歩▲4六銀(第4図)と進めた。最後の▲4六銀では従来▲4四歩とする指手が多かった。 中飛車側△3二飛の場合に中央に金を展開するのは、あらかじめ△3二飛としているので▲3五歩には△同歩とすなおに取られ、以下▲3五同金に△4二角~△6四角、あるいは△4五歩のカウンターを狙われて居飛車が不利な展開となるからである。例えば、第5図は1982年に行われた小学生名人戦決勝、山下雄 vs.羽生善治の一戦で、特に先手が▲5七銀型なので、右辺がやや弱くなっている。以下▲3三角成△同飛▲3四歩△3四銀▲4四金△3二飛▲2四歩△4三銀▲4三同金△同金▲2三歩成△3九飛成▲2四飛△5二金▲7九金△3五角以下66手で後手が快勝している。 △羽生 歩
以後長い間袖飛車と並んで中飛車対策の主要な指し方の一つとして認識されていた。しかし指しこなすには独特の感覚が要求され、加藤一二三は「一般向けではない」としている[3]。 1981年12月から1982年11月末日までの統計で居飛車対振飛車対抗系のうち、中飛車のは総計144局あった [6]が、このレポート時点で4六金戦法は7局しかなく、既に斜陽戦法であった。金が前線に出るというのが気になる風潮があるように思われている。その後玉が堅い居飛車穴熊がツノ銀中飛車への新たな対策として注目されるようになったため廃れた。 藤井猛によると、藤井が奨励会で初段になった頃には廃れるようになったという。また、平成3年頃までは年間6、7局指されていたという[7]。ツノ銀中飛車そのものの衰退とあいまって[8]、4六金戦法は現在ではプロ棋戦ではほぼ見られない戦法となっている[9]。 しかし中川大輔が2011年に谷川浩司戦で採用するなど(中川が後手番)ツノ銀中飛車に来られた際には稀に指されている。なおその一戦は第6図以下△8六歩▲同歩△7五歩と進んで、中川が75手で快勝する[10]。 この戦法の特徴として、後手番でも指すことができることである。第7図や第8図は『羽生の頭脳』3巻に所収されている局面であり、著書の羽生は居飛車が先手の場合でもはっきりしない面があるので後手番ではとても用いる気がしないというが、中飛車側が直接とがめるのも難しいとしている。第7図では以降もほぼ互角、第8図はプロ棋戦からの実践からで、この局面から優劣不明の戦いが続く。 第9図は1978年9月の王座戦決勝、先手大内延介vs.後手中原誠戦。図のように先手陣は▲7八金型に構え、これに対し後手陣は角道を止めて△7五歩から△7二飛の態勢を築く。図以下、△7六歩▲同金△7五金▲同金△同飛▲5九飛△9四歩▲7六歩△7二飛▲5五歩△5二飛▲5四歩△5四同銀▲6二金△同飛▲5四飛△5四金以下と延々と熱戦が続く。
脚注注釈
出典
参考文献
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