5筋位取り
5筋位取り(ごすじくらいどり)とは、将棋における戦法の一つである。まれに中央位取り(ちゅうおうくらいどり)とも呼ばれる。 現在では単に「5筋位取り」という時には以下に記すように、居飛車が振り飛車対抗策の一つとして5筋に位を取る戦法のことを指す。中飛車の変化で振り飛車側が5筋の位を取ることは5筋位取り中飛車と称することもある。 対振り飛車「天王山」ともいわれる5五の位を取り、敵陣を圧迫していく対振り飛車戦法の一つ。昭和後期には代表的な対振り飛車対策の一つであった。特に持久戦型を大山康晴が愛用していたことでも名高い[1]。しかし、振り飛車側の対策の進歩もあり、現在のプロ棋戦での採用率はかなり下がっている。 トッププロの一人藤井猛が『イメージと読みの将棋観2』(2010年)で「有力な戦法であり、更に研究すれば勝率五割を越えることも可能」と分析しているように、戦法自体は優秀なのであるが、定跡の研究が余り進んでいないこと、同書で他のトッププロ居飛車党5名がこの戦法は難しくまた勝つイメージがないとしてそもそも指さないとしていることもあまり指されない要因の一つとみられるという。 5六に右銀を展開するタイプと左銀を展開するタイプに大別される。 左銀型
左銀型は急戦策で、▲5七銀左型の急戦からこの形になる。引き角から▲4五歩(又は▲4五歩から引き角)と仕掛けていくのが攻め筋の一つである。
左銀型の一例aは有名な形で、これは図面の1手前に振り飛車側としては先手が急戦の構えを見せたので、左金を5二ではなく△3二金と左の方に上がったもの。このため先手も急戦を回避し▲5五歩と位取りにきた局面。振り飛車側は左銀型の一例bのように△4五歩と位をとってから反撃する手法もあるが、すぐに△5四歩~△5二飛と反撃して△5四銀~△4五銀と左の銀を活用するのもある(第1-1図)。先手居飛車側はここで▲同銀△同歩▲4一銀とすると△5五飛があり、▲同銀△同歩▲2四歩も△4四角▲2三歩成△4三金または△5五飛。△5五飛を放置すると△5八飛成▲同金△8八角成▲同玉△5五角の筋がある。このため先手は△4五銀には▲5七銀とし、以下△5四銀であると▲同銀、△3六銀であると▲2六飛△3五歩▲4六銀と運ぶことができる。したがって振り飛車側は先に△4三金と構えておいてから△3六銀~△2二飛、または△4三金に換えて△1四歩~△1三桂または△1四歩~△1五角~△3七銀を狙う(第1-2図)。△1四歩~△1五角は、△1四歩としておくことで先手の▲2四歩~▲2五飛の角取りを防いでいるもの。 右銀型右銀型にも準急戦策があるが、持久戦になることが多い。4筋からの開戦や、6筋の歩交換などが狙いとなる。ただし6筋の歩交換は図のように組むのが理想であるが、振り飛車側も△6二飛や△5二飛などとしてスムーズに組ませないように反発し開戦する指し方があり、『イメージと読みの将棋観2』で谷川浩司がこの逆襲策で、玉形の差が響くとしてやる気がしないとしている。
『イメージと読みの将棋観2』によると、平成以降から2010年までに右銀型(6八銀型)が26局指されて先手が10勝16敗と苦戦しているが、左銀型は18局指されて先手が11勝7敗となっているとしている。勝率の上では五分であるが振り飛車党の藤井以外の棋士にとっては実際に指したことがなくても勝ちにくいというイメージから指されない戦法となっているという。 藤井システム対策藤井システム対策として、端歩を突きこさせた形から第2-1図のように引き角にくみ上げてから居飛車穴熊に発展する指し方が『B級戦法の達人』(毎日コミュニケーションズ刊)などで示されている。これは左銀型の例で、このとき先手は右銀を5七→6八→7九(又は7七)と移動させている。 今泉健司がアマチュア時代にひどい目に遭った戦法として挙げており、穴熊に組まれてものすごい作戦負けになったとし、瀬川晶司も一時期やっていたことがあったという。図のように組まれると振り飛車側から動けなく5筋の位も大きい。 居飛車▲5六銀-4六角(後手なら5四銀・6四角)の形もすごい好形で、藤井システムに悩まされてる人にはおすすめであるという。そしてこの戦型の最大の長所は、先後関係なくできることであるとしている。
また、第2-3図のように、左美濃に組んでから振り飛車側の△4五歩に▲5五歩を決めて指す手段も一時期登場した。ただし左美濃であると通常の5筋位取り戦法に比べて居飛車側は5筋が弱くなっているので、振り飛車側は早めに△4三銀~△6三金~△5四歩の応戦、居飛車側は4五の歩をかすめとってから▲7九角~▲2四歩などや米長玉銀冠への組み換えを狙いとする。左美濃#対振り飛車の攻めのバリエーションも参照。
相居飛車△羽生 持ち駒 歩
1980年代末に田丸昇がゴキゲン中飛車の出だしを利用して5筋の位を取って相居飛車に持ち込む居飛車戦法を、多く指している[2]。かつては相掛かり#新旧対抗型相掛かりでも、後手旧型側が中央の位を取る戦術が多く指されていた[3][4]。 関連項目脚注
外部リンク
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