1968年オランダグランプリ
1968年オランダグランプリ (1968 Dutch Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第5戦として、1968年6月23日にザントフォールト・サーキットで開催された。 90周で行われたレースは、マトラ・インターナショナルのジャッキー・スチュワートが5番手スタートから優勝、マトラ・スポールのジャン=ピエール・ベルトワーズが2位、BRMのペドロ・ロドリゲスが3位となった。 エントリーF1サーカスがザントフォールトに集まったとき、フィールドは前戦ベルギーGPとほぼ同じであった。ダン・ガーニーは自身のイーグルに使用できるウェスレイクエンジンを持っておらず、ブラバムは彼のために新しいレプコV8エンジンを用意し、3台目として走らせた。クーパーは2週間前にルドビコ・スカルフィオッティがロスフェルドで行われたヒルクライムの事故で亡くなり、ブライアン・レッドマンも前戦ベルギーGPで負傷したため、ルシアン・ビアンキ1台のみ参加した[1]。 エントリーリスト
予選フェラーリのクリス・エイモンがポールポジションを獲得し、ブラバムのヨッヘン・リントとロータスのグラハム・ヒルがフロントローを占めた[注 1]。ジャック・ブラバムはジャッキー・スチュワート(マトラ-フォード)とともに2列目、3列目はジャッキー・イクス(フェラーリ)とデニス・ハルム(マクラーレン)、そして前戦ベルギーGPでチーム初勝利を挙げたブルース・マクラーレンが占めた[1]。ホンダのジョン・サーティースは、練習走行からZF製デフロックの不具合によって、時にオーバーステア、時にアンダーステアとなる「奇妙なステアリング」に振り回され、マクラーレン勢より後方の9番手と振るわなかった[3]。 結果
決勝週末は天候が悪く、スタート時は小雨が降っていた。ヨッヘン・リントがリードしたが、1周目が終わるまでにグラハム・ヒルとジャッキー・スチュワートに抜かれて3位に後退した。雨が激しくなった4周目にスチュワートがリードを奪い、すぐに大きなリードを築いた。ヒルは中団グループから抜け出したジャン=ピエール・ベルトワーズからプレッシャーを受けた。23周目にベルトワーズはスロットルの砂を除去するためにピットインしなければならず、7位に後退した。彼がコースに復帰すると、ダン・ガーニー、ジャッキー・イクス、クリス・エイモン、ペドロ・ロドリゲスを次々とパスして3位に浮上し、50周目にはヒルも抜いて2位に浮上した。ヒルは61周目にスピンを喫してロドリゲスの後方の4位に後退し、82周目に再びスピンを喫し、今度はリタイアしなければならなかった[1]。 スチュワートはベルトワーズを従え、マトラのマシンが1-2フィニッシュを達成した[1]。フランスのコンストラクターがF1世界選手権レースを制したのは初めてのことであった[6]。4月末にハラマ・サーキットで行われたF2レースで右腕を骨折したスチュワートは、2戦を欠場したのち復帰してからもギブスを付けながらの参戦を強いられ[6]、レース後の表彰式もギブスを付けたまま登場した[7]。ロドリゲス(BRM)が3位表彰台を獲得し、イクス(フェラーリ)が4位、シャルル・ホーゲルからブラバムを走らせたシルビオ・モーザーは5位に入賞して初ポイントを獲得したが、優勝したスチュワートからは3周遅れであった[1]。 ホンダ陣営は天候を読み違え、ジョン・サーティースを晴天用タイヤでスタートさせてしまい、降雨により2回のタイヤ交換によって勝機を失った。さらに練習走行で発生した「奇妙なハンドリング」の症状が再び発生し、最後は発電機ローターの脱落によりリタイアした。レース中の「奇妙なハンドリング」の原因はデフロックではなく、コニ製ガス入りダンパーのガスシールが破れ、左フロントのダンパーがスカスカになったためであった[3]。 結果
第5戦終了時点のランキング
脚注注釈
出典
参照文献
外部リンク
|