1966年フランスグランプリ
1966年フランスグランプリ (1966 French Grand Prix) は、1966年のF1世界選手権第3戦として、1966年7月3日にランス・サーキットで開催された。 1906年に開催された初のグランプリレースである第1回フランスグランプリから60周年を記念するレースであり、26回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[注 1]。ランスでのフランスグランプリの開催は3年ぶり16回目で、かつ最後となった。レースは全長8.35 km (5.19 mi)のコースを48周する400 km (250 mi)の距離で行われた。 本レースは1959年と1960年のチャンピオンであるジャック・ブラバムが、ブラバム・BT19で優勝した。それは1960年ポルトガルグランプリ以来となる6年ぶり8回目の勝利であり、かつ彼がブラバムチームを設立して以来の最初の勝利でもあり、そして彼の母国オーストラリアで開発されたレプコV8エンジンにとってのF1初勝利であった。ブラバムは、自分の名前を冠したマシンでF1世界選手権レースで勝った最初のドライバーとなった。フェラーリ・312をドライブしたマイク・パークスが9.5秒差で2位、ブラバムのチームメイトのデニス・ハルムが2周遅れの3位となった。 優勝したブラバムは9点を上乗せして12点とし、フェラーリのロレンツォ・バンディーニに2点、BRMのジャッキー・スチュワートとクーパーのジョン・サーティースに3点の差を付け、ドライバーズランキングの首位に立った。ブラバムはここから4連勝を挙げることになり、3度目のチャンピオン獲得へ向けての快進撃が始まった。 レース概要フェラーリのエースであったジョン・サーティースは、ル・マン24時間レースでのドライバー起用を巡り、エウジェニオ・ドラゴーニ監督と衝突してチームを去り[2][3]、クーパーへ移籍した[4]。これにより、ロレンツォ・バンディーニがエースに昇格し、新人マイク・パークスが急遽サーティースに代わって起用された[5]。 ジム・クラークは予選走行中、顔面に鳥が激突する事故に遭ってしまう。クラークは事なきを得たが、決勝はペドロ・ロドリゲスに交代した[6]。予選はフェラーリの新エースとなったバンディーニが312/66で2分07秒8(平均時速146.112 mph (235.144 km/h))を出し、ポールポジションを獲得した。クーパーへ移籍したサーティースが2番手、バンディーニの新たなチームメイトとなったパークスが3番手と、フェラーリ勢が元フェラーリのサーティースを挟む形でフロントローを占めた[7][注 2]。 決勝はスタートでサーティースが首位に立ったが、半周もしないうちにメカニカルトラブルに見舞われて戦列を去り[7]、レース前半はバンディーニが首位を快走する[5]。しかし、38周目にスロットルケーブルが破損してしまったため、バンディーニは一旦マシンを止めて応急措置を施した後にピットへ戻ったが、コースに復帰した時には既に優勝争いからは完全に脱落していた[8]。代わってジャック・ブラバムが首位に浮上してラッキーな勝利を得た[9]。ブラバムは1960年ポルトガルGP以来の勝利で、かつ彼自身のチームでF1世界選手権レースを制した最初のドライバーとなった。それはまた、フランスGPのF1世界選手権における最初の開催地であるランスでの最後のレースであった。F1デビュー戦となったパークスはグラハム・ヒルと3位を争い、ヒルのカムシャフトが壊れた時に2位に浮上した。デニス・ハルムは本レースからレプコV8エンジンを搭載したブラバム・BT20を使用して3位に入り、パークスとともに初の表彰台に立った。5位のダン・ガーニーはイーグルで初の入賞を、6位のジョン・テイラーはF1キャリアで初の入賞をそれぞれ果たした。 1950年のチャンピオンであるジュゼッペ・ファリーナは本レースを観戦に行く途中、自動車事故で亡くなった[10]。 エントリーリスト
結果予選
決勝
第3戦終了時点のランキング
注釈脚注
参照文献
外部リンク
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