競艇競艇(きょうてい)は、モーターボート競走法をはじめとする法令・ルールの下[1]、プロフェッショナルスポーツ選手(競艇選手)によって行われるモーターボート競技。また、その競技の勝敗を予想するギャンブルを示す用語としても使われる。 公営競技の一つであり、競輪・競馬・オートレースと並び「三競オート」と称される。 概要勝舟投票券モーターボート競走法により、総務大臣による指定自治体が地方自治法に基づく一部事務組合となり、パリミュチュエル方式により勝舟投票券(舟券)を販売している。 舟券の売り上げのうち75%は払戻金に充てられる[2]。残り25%のうち7%は収益金として自治体が受け取り、18%は賞金や従業員の賃金、公益財団法人日本財団(旧・財団法人日本船舶振興会)への交付金、モーターボート競走会への委託料などに充てられる[2]。 所轄官庁所轄官庁は国土交通省海事局(中央省庁再編前は運輸省)で、造船関係の産業を振興すること等を目的として、1952年(昭和27年)から実施された。長らく日本独自のものであったが、2002年(平成14年)より韓国の美沙里(ミサリ)競艇場でも行われるようになった。 呼称かつては「競艇」以外に「ボート」「ボートレース」「モーターボート競走」の呼称も使われ統一性はなかったが、1997年(平成9年)度から2009年度まで「競艇 (kyotei)」に統一[3]。2010年(平成22年)度からはブランド名「BOAT RACE」(ボートレース)を導入した[4][5]。公式の広告では競艇のことをレジャーと称している場合も有り「現代のレジャースポーツ」と言う案内や、競艇専門のチャンネルをレジャーチャンネルと称している。 ちなみに「競艇」の名称の考案者は、津競艇場開設当時の津市長だった志田勝であるとされる[6]。 競走競走を構成する要素競走水面競艇の競走が行われる水面を競走水面という[1]。競走水面の規格は33000m2以上[7] [8](縦75m以上×横440m以上[7][8])、水深1.5m以上[8]。競走水面は湖や河川、海などを利用して設置され、淡水レース場と海水レース場に大別される[7]。レース開催時の波高は45cm未満でなければならず[8]、レースの進行を妨げる波浪、潮流があってはならない[8]。このため、住之江・尼崎などの一部を除き、スポーツ紙・専門紙の競艇予想欄には開催時間帯の満潮・干潮の時間が掲載されている。 スタートラインから150m離れた競走水面上には、赤と白の蛍光塗料が塗られた[9]2つのブイ(ターンマーク)が浮かんでいる。スタンドから見て右側に浮かぶターンマークを第1ターンマーク、左側に浮かぶターンマークを第2ターンマークという[10]。第2ターンマークから20mセンターポール寄りの競走水面上にはオレンジ色のブイ(小回り防止ブイ[11])が浮かび[10]、さらに第2ターンマークとセンターポールとの間の4箇所(スタートラインから5m、45m、80m、100mの位置)にポール(標識ポール)が浮かんでいる[12]。標識ポールはスタート時に選手が通過時間を確認するために設置されているもので、標識ポールに対応する形でスタンド寄りの競走水面上にスタートラインまでの距離を表示する標示板が設置され[13]、さらにスタートラインから5m、45m、80-85mを示す空中線が張られている[13]。 競走の際はスタートラインを通過後、第1ターンマークと第2ターンマークを旋回する形で競走水面上を反時計回り(左回り)に3周する[13](荒天の場合は2周に短縮される場合もある)。これは水上交通に関する世界的なルール(船舶はすべて右側通行)に従っているためで[13][14]、競技規定にも「モーターボートは、競走水面を時計の針の回転方向と反対の方向で回り……」と明記されている[14]。ターンマーク間の距離は300mで[15][16]、それぞれスタートラインから150m離れた位置にあり[11]、これを3周、すなわち約1,800mを航走する[16]。ターンマークを破損・沈没させることはルールによって禁止されているが接触することは禁止されておらず、各選手は可能な限りターンマークの中心に近い位置を旋回しようとする[16][† 1]。なお、ボートと選手が着用するカポック(防具)には艇番と枠番別の色が、ボートの舳先には枠番色別の旗がつけられて区別している。 スタンド側中央の水面には「発走信号用時計[17]」(通称:大時計)と呼ばれる時計が設置されており、これはスタート時に使用される[7]。この大時計は競艇の心臓部と言ってもよく、これが故障してしまうと開催不能に陥ってしまう[18]。水上で艇を同じ位置にとどめたり[19]、決められた位置から一斉にスタートする[20]ことは困難であるため、競艇では「大時計が0秒を指してから1秒以内にスタートラインを通過すればよい」とされ(フライングスタート法)[19]、大時計が0秒を指すよりも早くスタートラインを通過するとフライング、1秒を過ぎてから通過すると出遅れとなり、欠場扱いされ出走資格を失う[21][22]。大時計の針は1分で1回転する「1分針(白色)」と、12秒で1回転する「12秒針(黄色)」の2つがある[23]。通常、1分針は真上(一般的な時計では「12時」の位置)、12秒針は左向き(一般的な時計では「9時」の位置)にセットされており、スタートの約1分前から1分針が回転を始め(各選手はこの間に待機行動を行い、進入位置を確定させる)、12秒針と1分針が重なる“スタート15秒前”で12秒針が回転を開始し、これに合わせて各選手がスタート体制に入る(船は水に浮いているので静止出来ない)。大時計にある10と5は、それぞれスタート10秒前と5秒前である。 競走水面中央部にある白色のポール(センターポール)と、大時計のスタンドから見て左側の端とを結ぶ見透し線上がスタートおよびゴールラインとなる[24]。ラインを通過に関する判定は、電子スリットと呼ばれる仕組みによって行われる[7]。電子スリットはシャッター装置がないカメラ(スリットカメラ)によって撮影される。スリットカメラにはスタートラインに合わせる形で100分の3mmの細い隙間(スリット)が設定され、スリット部分のみが撮影されるように設定されている[25]。スリットカメラの動きは大時計と連動しており、大時計が1秒前を指すと撮影が開始される[26]。大時計が0秒と1秒を指した際にはスリットカメラに電気信号が送られ、それにより電子スリットに白線が写りこむ。艇首が最初の白線(正確には白線の右端[27])より前に出る形で写っていればフライング、2本目の白線(正確には白線の右端[27])より後ろに写っていれば出遅れていることになる[28]。また、より速くスタートラインを通過した艇はスリットに短時間、遅く通過した艇は長時間スリットに写りこむため、電子スリット上に前者はより短く、後者はより長く写ることになる[28]。なお、スタートは艇首の通過を持って判断するが、ゴールについては、選手が落水しない限り艇首以外の部分も含めて判断する[29]。 艇ボートはハイドロプレーンと呼ばれる、船底にステップと呼ばれる段差のあるタイプで、浮き上がるように走るため接水面積が少なく、スピードが出る反面、旋回が大きくなりがちである[30]。FRP製のカウリングとスロットルレバー・ハンドル等の艤装品以外は全て木製で[31]、全長約3m・横約2m・総重量約68kgから成る[32]。ボートの両サイドには、番号によるボートの識別を可能とするよう、番号札がつけられている[33]。ボートに付けられる艇旗の色は枠番に基づき勝負服の色に合わせて決められており[34]、競艇場によってはボートのカウリングの色も合わせられる場合がある[33]。ボートは各競艇場ごとにデザインが異なり、年1回の入れ替えと同時にデザインも毎年変更されている[35]。 かつては入れ替えで不要になった艇については、一般に払い下げが行われていたが事故が多発。1978年には払い下げられたボートの暴走による死傷事故が発生[36]したため、以降、払い下げは行われなくなった。 競艇の初期においては「ランナバウト」と呼ばれる、ステップのないタイプのボートも使われていた。ハイドロプレーンと比べてスピードが出ない反面、小回りがきく点に特徴があった[30]。ランナバウトを用いた競走は「ランナ戦」と呼ばれ、体重の有利不利が出にくいため、比較的体重の重い選手が得意としていた。SGでは1963年の下関モーターボート記念まで使用されていた。そして1993年3月の芦屋ランナ王座決定戦競走を最後に全競艇場でランナバウト戦は廃止された[37]。これ以降はすべての競艇場でハイドロプレーンが使用されているためボート区分の必要はないが、当時の名残のため現在でも出走表などにはH1800(ハイドロプレーン3周回1800メートルの意味)の表記がみられる。 モーター→「モーター (競艇)」も参照
2014年以降、競艇で使用されているモーター[† 2]は、ヤマト発動機製のヤマト331型出力低減モーター、約400ccの直列2気筒2サイクルレシプロエンジンで最大出力は毎分6600回転・31馬力、重さは41-42kgである[38]。モーターの回転運動はギアケースを経てプロペラ[† 3]へと伝えられる[39]。 ボートとモーターはすべて同一規格のもので(ワンメイクレース)、各競艇場に用意されており、開催初日の前日(「前検日」と呼ばれる)に抽選で各選手に割り当てられる[40]。各競艇場は60ないし70機のモーターを保有しており、1つのエンジンは最大で1年間使用される[41]。規格が同一のため、追い込み(終盤で全力を出して前の選手を一気に追い抜いてゴール)が決まることはほとんどない[42]。 船内の操縦席にはハンドルとレバーが設置されている。ハンドルは舵ではなく、プロペラの向きをモーターごと変えるためのもので[43]、右に切ることでつないであるワイヤーが引っ張られ、モーターの向きが変わる[31]。レバーはスロットル[44]。握ると出力が上がる[45]。旋回は右手でハンドルを回してモーターの向きを、左手でレバーを操作してプロペラの回転を変えることで行う[43]。レバーは手を放すと元の位置に戻る(キャブレター全閉)が、ハンドルは手を放しても元の位置には戻らない[44]。走行時、選手は船内に正座してボートを操作する[44]。 モーターは船外機として船外に取り付けられる[31]。取り付けにはチルトアジャスターと呼ばれる装置が用いられ、取り付け角度(チルト角度)は7段階(-0.5度、0度、0.5度、1度、1.5度、2度、3度)に調節することができる[46]。チルト角度が1度のときプロペラは水面に対して直角となり、1度より小さいとプロペラは下向きに、1度より大きいとプロペラは上向きになる[47]。チルト角度が小さくプロペラが下向きの状態で走らせると、水を深くかくことになるため出だしのスピードが速く、逆にチルト角度が大きくプロペラが上向きの状態で走らせると、出だしのスピードは遅いが加速がつきやすくなる[48]。 かつては競艇場によってライナーと呼ばれる板の使用が許されており、これを使うとモーターの取り付け位置(高さ)やハネ上げ角度を調節することができた[49]。モーターの高さを上げたりハネ上げ角度を大きくすると、加速しやすくなる代わりに小回りがききにくくなる[50]。ただし最後までライナー調整が可能だった住之江が2019年3月でライナー調整を禁止したことで、ライナー調整が可能な競艇場は消滅した。 開催期間中、選手はモーターの整備とプロペラのマッチング調整に多くの時間を費やす(ボートの整備はできない[51])[† 4]。モーターの整備も整備士に相談することはできるが、作業はすべて選手自身で行わなければならない。モーターは同じロットの量産品であるが、選手がどのような整備を行ったかによって発揮される性能に多少の差が生じる。特にSGやG1といった格の高いレースでは選手の整備力が勝敗を左右する[41]。転覆などでモーターが水を被るとその後の調整しだいでモーターの性格が大きく変化することがある。こうしてある程度モーターが「育った」状態になると、選手がくじ引きでどのモーターを引くかが勝敗の分かれ目になる。このため、各紙の着順予想ではモーターの状態を表すマークが記載されている。なお、モーターとボートは登録から1年を超えて競走に使用できないことから、年に1度一斉に取り替えられる。モーターやプロペラの整備後、選手は次の競走までの間に水面を利用して試運転を行う。走行回数に制限はなく、整備をしてはこまめに試運転を繰り返す選手もいれば、あまり試運転を行わない選手もいる。この試運転も舟券の予想の参考になる。 競走中、ボートの速度は時速80キロ強に達する[52]。最高速度で走行している時、選手は「デコボコ道をダンプで猛スピードで走った」ような衝撃と、「大雨の日にアスファルト道路を全速力で走った」ようなハンドル操作の感覚を覚えるという[44]。強風や波浪などで波高が高くなるなどの要因で水面が荒れている場合は、ボートが水面でバウンドした時に転覆しやすくなり危険なため、各ボートに「安定板」と呼ばれるフィンを主催者判断で装着することがある[53]。装着位置はモーターのキャビテーション・プレートの上。安定板を装着すると船体は安定するが、ダッシュ力が落ち伸びが悪くなるといわれ、着順予想にも影響を与えるため、事前に主催者より「安定板装着」であることが告知される。また、冬季にはキャブレターの凍結を防止する為、長さの異なる2本のゴムホースから成る「温水パイプ」の装着が一定期間義務付けられている(装着期間は11月1日~翌年4月30日、主催者からも装着が告知される)。 ボートがエンストした場合、ボート内に備え付けのオール(パドル)を使ってボートを漕ぐことが認められている[29]。
プロペラ2012年4月よりモーター1基につきヤマト発動機製・ナカシマプロペラ製のプロペラを各1枚ずつ配備し、選手はこれらのプロペラを整備しながら使用してきた[54]が、ナカシマプロペラがボートレース用プロペラ事業からの撤退を表明したため、2013年11月1日を初日とする開催からヤマト発動機製のプロペラ1枚のみでの運用に順次変更されることとなった[55]。 2012年3月以前は「選手持ちプロペラ」制度が採用されており、各選手が定められた枚数の私物プロペラを競艇場内に持ち込み、レースに使用していた。この制度では選手は競艇場外でプロペラの加工ができるため、私的に関係のある複数人の選手でプロペラ加工を研究する「ペラグループ」というものが各地で結成されていた。技術に優れたグループの先輩が加工したプロペラを使って若手が優秀な成績を収めることもあった。そうしたペラグループの人脈が雑誌で紹介されたりしたため、それを予想の一要素にするファンもいた。 選手→詳細は「競艇選手」を参照
→「ボートレーサー養成所」も参照
選手は、ボートレーサー養成所での1年間の訓練を経て、選手登録試験に合格した者である[56]。選手を1人育成するにはおよそ1000万円を要すると言われており[57]、入所者は121期まではそのうちの120万円を負担していたが[57](23期以前は、自費負担による研修が行われていた[58])、122期からは全額無償となった[59]。ボートレーサー養成所への入校は年に2回、4月と10月に行われる。2001年4月、88期より現在のボートレーサー養成所で訓練が行われるようになった。 87期以前は山梨県本栖湖の本栖研修所にて訓練が行われていた。本栖湖の厳冬期の気温は氷点下を下回る非常に寒い場所であるが、風が強いため湖面が凍結せず、その状態で訓練が行われる過酷な環境であった。このため本栖訓練所出身者からは「地獄の本栖」と形容されるほど厳しい訓練であった。訓練期間も現行より長い約1年6ヶ月であり、9月入校組(奇数期)は厳寒期が2回重なり、3月入校組(偶数期)よりも厳しい条件で訓練されることになるが、偶数期よりも圧倒的に多くのスターを輩出している[60]。ボートレーサー養成所に移転してからはこの傾向は薄まりつつあり、偶数期のSG常連組も増えつつある。 登録試験に合格した選手には登録番号が割り振られる(引退した選手の番号が再び使われることはない)[58]。ボートレーサー養成所入学者のうち、競艇選手としてデビューできるのは約半分といわれている[61]。 競艇選手には定年がなく[62]、他の公営競技と比べ、現役選手として活動する期間が長く、経験が豊富で駆け引きの巧みな年長者と新人選手の競走も見所である。先輩・後輩の力関係、日本各地の競艇場を転戦するため選手の出身地も舟券予想の重要なポイントのひとつとされる。選手に要求される能力はスタート勘の良さとターンマークを旋回するテクニック[63]、さらにモーターを整備する手腕である[64]。 選手の体重については制限があり、男子は51kg(2020年11月1日より52kg)、女子は47kgを下限とし、体重が下限を下回る場合には重量調整が行われる[65]。これは過酷な減量を行い体調を崩す選手が多発したことを受けてのものである[66]。 選手は成績をもとにA1、A2、B1、B2の4つの級にランク分けされる[67]。基準となる成績は具体的に、2連率・勝率・事故率・出走回数である[68]。以下、それぞれについて解説する。
である。成績の集計期間は5-10月(前期)と11-4月(後期)の年2回である[71][72][73]。 選手は日本モーターボート競走会から競艇場への斡旋によりレースに出場するが、1か月における斡旋日数はA級で約15日、B1級が約12日、B2級が約8日と、ランクによって異なる[74]。なお、フライングを行った選手はすでに出場が決まっているレースに出場後、30日以上の間レースを欠場し、愛知県碧南市にある訓練所でスタート訓練を受けなければならない[75]。ただし、1回目のフライングをしてからの70レースでフライングをしなければ、訓練納付金6万円を納めるだけで訓練を免れることができる[76]。 競走に出場する選手には、以下の防護具の着用が義務づけられている[77][78][79]。
選手によっては、むち打ち防止用のパッドを頚部に装着する。重量調整が必要な選手は、1着あたり500gの重さがあるオレンジ色の重量調整ベストをカポックの上に着用し、重量調整ベストのポケットに1枚500gの重りを最大6枚入れて最大3.5kgまで増やす。それ以上の調整が必要な場合は、ボートに1kg~5kgの重量調整マットを1枚敷いた状態で出走する[80]。 勝負服の色は、艇番によって以下の通り決められている[34][† 7]。 (古くは以下、7桃・8白赤・9白青・10白黒・11赤青・12黄黒・13白黄・14桃緑まで設定されていたが[81][82]、2000年の競走競技規程改正で8までに減らされ、何十年も7艇立て以上のレースは無いが、競馬やオートレース同様の7橙・8桃へと色変更された[83][84]) カポックの襟[85]、ボートに付けられる艇旗[34]もこの各6色に合わせられ、さらにボートのカウリングも同様となる場合がある[33]。勝負服の背中の部分には番号によるボートの識別を可能とするよう、番号札がつけられている[33]。 選手が競走場へ持ち込み、使用することが認められている私物は以下の通り[86]。
上記以外は競走場で定められたものを必要に応じて購入する。特にモーターの整備や私物の持込には細かな規定があり、違反した場合には厳重な罰則が規定されている[† 8]。その他、選手宿舎で長期間生活する為、パジャマ・タオル類やお風呂セット・洗剤(競艇場に洗濯場がある為[87]、そこで洗濯を頼む者もいるが、宿舎内の洗濯機で自分で洗濯する者もいる)・雑誌類といった、持ち込み禁止の携帯電話・パソコン以外の生活必需品を持ち込むのが一般的である。 競艇選手の福祉共済の充実(引退選手に対する退職金および年金の給付、負傷した選手に対する休業補償)および技能の向上を図る団体として、日本モーターボート選手会がある[88]。もともと地区ごとに存在した選手会を統合する形で、1960年10月に発足した。その名残として、現在も各地区に支部が存在する[89]。選手会の運営費は、選手が納付する会費によってまかなわれている[90]。 競走の進行レース前の展示航走レース前に行われる「展示航走」は「スタート展示」と「周回展示」の2つがある。主にモーターや選手の調子を見るのが目的[91]。第1競走のみ開始予定時刻が事前に告知され、以降は前レース終了後に以下の展示航走が行われる。 スタート展示スタート展示では出場選手がピットアウトからスタートまで一連の所作を行う。各選手のピット離れやコース取り、スタートタイミングなどを見るのが目的。「スタ展」と略されることもある。 スタート展示の詳細は、以下の情報が場内モニターなどで公開される。
以前は「スタート練習」と呼ばれ、公式の展示航走とはされていなかったが、参考にするファンも多かった。しかし、練習と本番で進入コースが異なるなどで苦情も多く一度は廃止されたが、一方でスタート練習の復活を望む声も根強くあり、予想の参考のひとつとして名称も「スタート展示」と改められて復活した。 進入についての規程変更
周回展示スタート展示後は、そのまま周回展示に移行する。 出場選手が単独で1艇ずつ2周回する(荒天の場合には1周回に短縮される場合がある)。ターンの攻め具合や出足(加速力)、伸びを見るのが目的。 なお、審判委員長が全力で航走していないと判断した艇や、展示航走中にエンストやプロペラ破損など何かしらのトラブルが発生した艇は、再度周回展示航走を指示される(後者の場合はトラブル解決後に再展示)。 周回展示の情報は、以下の情報が競艇場内のモニターで発表される。
認められている部品交換は、以下の通り9種類[93]。特にピストン・ピストンリング・シリンダーケースを一式まとめて交換することを「セット交換」と呼ぶ[94]。交換する部品は新品とは限らず中古品もあり、部品によっては前年度に使用したものを交換用部品として保管・使用する[95]。
これらの情報や出走表に記載されているデータを参考にして舟券を購入する(有料の予想屋や予想紙を参考にするファンもいる)。 レース本番ピットアウト、待機行動ピットでの発走合図で全6艇がピットを離れ、スタートに備える。ピットを離れてからスタートするまでの間に各選手がとる行動を「待機行動」と呼び、選手が走行するコースを選ぶために行う「待機航走」と、コースを選んでからスタートするまでの「進入航走」に分けられる[96]。待機行動には全国統一のルールがあり、ルールに反したコース取りを行うと罰則が科される[97]。待機行動に充てられる時間は、競艇場によって異なる[52]。 第2ターンマークのスタンド側を通り、小回り防止ブイを回ってバックストレッチ(バック水面)に出ると選手は艇の速度を落とす。速度を落とした際に各選手のおおよそのコース取りが決定する[98]。第2ターンマークを回り、艇首がスタートラインに正対するまでが待機航走、正対した後が進入航走となる[98]。スタートラインから第2ターンマーク寄りの水域を「待機行動水面」と呼ぶ。 全艇がスタートラインに正対すると各艇のコースが決定する。内側から順番に1コース、2コース、3コース…6コースと呼び、1・2コースをイン、3・4コースをセンター、5・6コースをアウトという(競艇では、枠番通りのコースからスタートするとは限らない[20])[99]。競艇の競走では第1ターンマークを最も早く回り、他の艇が作り出す波(とりわけ、モーターが引き起こす曳き波[100])の影響を受けずに走行することが重要となるが、各艇が同じスピードで第1ターンマークにさしかかった場合、第1ターンマークを最も早く回るのは通常、第1ターンマークまでの距離が最も近い1コースの選手である[101]。 一旦進入した後でコースを取り直す場合は一番外のコースに入らなければならないことが規則で定められているほか、新人選手は最アウトコースに入ることが不文律になっている(新人は技術が拙いため、内側に入ると他の艇に迷惑をかけることが理由とされている)。 上記の理由から最アウトコースに入る新人選手や、アウトコースからのダッシュ戦を得意とする選手(いわゆる「アウト屋」)はピットを出てから位置取りを争う内側の艇を横目に大きく艇を回してスタートラインから離れ、ダッシュ距離を稼ごうとしている場合もある。 待機行動はスタート前に行われることから、厳密には競走ではない[102]。競馬における輪乗りと似ているが、輪乗りの時点ですでに枠順が決定している競馬と違い、競艇では通常待機行動中に走行するコースが決まる[102](ただし進入固定競走では枠番=コースとなる)。待機行動中の選手にアクシデントが生じた場合は欠場扱いとなり、その選手に関係する舟券は全て返還される[102]。 待機行動についての規定変更ピットアウト後の待機行動に関する規定が一部変更され、2009年5月1日を初日とする開催から順次適用された。概要は以下の通り。
ファンファーレピットアウトの際には、出走合図のファンファーレが演奏される。1974年までは各競艇場ごとに異なっていたが、翌年の1975年から全競艇場で統一された。 1991年には「モーターボート競走法40年記念」事業として、さだまさし/城賀イサム/佐伯亮作曲、竜崎孝路編曲によるファンファーレを導入した。このファンファーレは2010年まで使用され、SG用、グレードレース(GI-GIII)用と一般競走用、さらにそれぞれを優勝戦とそれ以外の予選・一般戦で分け、6曲を使い分けていた[103]。 2010年5月からは新鋭リーグ・女子リーグオリジナルファンファーレが導入され、延近輝之が作曲。またその他のファンファーレも同年6月より一新され、SGは高橋千佳子、その他はマツオカヒロタカ作曲のものが採用され、合わせて全10曲が使われている[104]。 スタート前述のように競艇のスタートではフライングスタート法が採用されている。待機行動に入った後、概ねスタート12秒前から全艇がスタートラインへ加速をつけて進入し、大時計が0秒-1秒を指すまでの間にスタートラインを通過して第1ターンマークへと向かう(艇の先端がスタートラインを通過したタイミングを「スタートタイミング」という)。これは他の公営競技と異なり、水面上で横一列に整列して静止することが難しいこと[20]に加え、水の抵抗でトップスピードに達するまで時間がかかるため。
スタートタイミングが0秒より0.01秒でも速い場合は「フライング(F)」、0秒から1秒以内にスタートラインへ到達できなかった場合(スタートラインの直前・直後[† 9]で転覆した場合を含む)は「出遅れ(L)」と判定される(微妙な場合はスリット写真[† 10]が用いられる)。競艇においてスタートの重要性は高く[105]、選手は開催日の朝になると第1レースの展示航走が行われるまでの間[65]、特別練習を行ってスタート勘を磨く[105][65]。 「フライング」「出遅れ」「直前の出走取消」対象艇が含まれた舟券は全額返還されるほか、同一レースにおいて5艇以上がフライングまたは出遅れ(混合の場合を含む)となった場合は「レース不成立」となり、当該レースの舟券は全て返還となる(5艇がフライングまたは出遅れた場合、正常にスタートした残り1艇は選手責任外の欠場として扱われる)。
スタート事故に対する罰則規定選手責任と認められる「フライング」や「出遅れ」(これらを総称して「スタート事故」という)をしたレーサーには、開催節1回目の場合は準優勝戦・優勝戦や特別選抜戦などの賞典レースへの出走ができなくなり(賞典除外)、2回目の場合は即日帰郷を命ぜられる。このほか、一定期間の斡旋停止(1本目:30日、2本目:60日、3本目:90日、4本:180日となるが「選手出場あっせん保留基準第8号」と選手会による「競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程」によりフライング4本持ち以上は事実上の引退)や訓練施設での再訓練などのペナルティも科される。なお、集団でのフライングを防止する観点から2013年11月1日を初日とする開催より0.05秒以上のフライングを「非常識なフライング」と定義し、該当するレーサーには原則として「即日帰郷」の処分とすることが発表された(ただし、グランプリ・クイーンズクライマックスでは適用しない)[106]。 2022年5月1日以降の「非常識なフライング」については、原則として「即日帰郷」の処分ではなく、従前のスタート事故による出場辞退期間に、5日間の出場辞退日数を加算することなった[107]。 SGなどのように全国規模で発売されるレースの優勝戦や準優勝戦で選手責任によるフライングや出遅れが発生した場合は、下記のように厳しい罰則が課せられる[† 11]。ただし、選手責任外による出遅れ(強風による転覆・エンジン故障などによる場合)や怪我・急病などによる出場取消の場合はこの限りでない。 以下の規定はG2が2010年4月から、新鋭戦・女子戦が2011年から適用された。2023年4月からSG・G1・G2の罰則が2倍に拡大された。
グランプリおよびクイーンズクライマックスの2競走に限り、斡旋停止期間中であっても選出基準を満たしていた場合は同競走に出場できる特例がある。 フライングスタート判定結果や失格(後述)のアナウンスは全てのボートレース場が場内実況アナウンサーにより観客へ告知している[† 12]。 1周目第1ターンマークの攻防前述のように競艇の競走では、第1ターンマークを最も早く回り、他の艇が作り出す波の影響(とりわけ、モーターが引き起こす曳き波[100])を受けずに走行することが重要となるが、各艇が同じスピードで第1ターンマークにさしかかった場合、第1ターンマークを最も早く回るのは通常、第1ターンマークまでの距離が最も近い1コースの選手である[101]。 ただし、これはあくまでも「同じスピードで」という前提があっての話で、この前提が崩れれば成立しなくなる。たとえば、他の艇の割り込みを防ぎつつ1コースを取ろうとすると第2ターンマークとの距離を詰める形でスタートラインに正対する必要があるが、この時エンジンを停止させることは禁止されているため、ゆっくりとスタートラインへ近づいていくことになるが、助走距離が短くなるとスタートライン通過時点での速度が他の艇より遅くなってしまう可能性がある[108]。 1980年代まではターンマークを回るときはスピードを落として小回りに回る「落としマイ」が定石だったが、1990年代に今村豊が「全速ターン」を開発した。その後、それまでの正座の姿勢でひざで立って両ひざで艇を押しながら身体を安定させて回る旋回に代わる方法として、両足を伸ばした状態で腰を浮かせ足で艇を蹴るように旋回する「モンキーターン」を飯田加一が開発しそれが各選手に普及したことで旋回スピードが増し、外側の艇が内側の艇より先に回ることが多くなった。今ではほとんどの選手がモンキーターンを行っている。 競艇の勝敗の7割はスタートから第1ターンマークまでの間に決まり[109]、第1ターンマークを回った時点でそのレースの大まかな着順が決まるともいわれ[110]、ここでの攻防がレースの最大の見所となる[111]。 決まり手決まり手とは、1着艇の勝因のことをいう[112]。決まり手のほとんどは、1着艇が第1ターンマークでどういった動きをして1着を確定させたかによって決まる[112]。
道中(ゴールまで)の攻防1周目1マークで後手を踏んだ艇は1つでも着順を上げるべく、「抜き」を試みることになる。1周目1マークで2番手以下だった艇が、その後逆転して1着になった場合、決まり手は「抜き」となる。なお、イン(1コース)の選手が「逃げ」に失敗したのち、追い上げて逆転した場合も「抜き」となる。スポーツ新聞等には「抜き」は「道中競り」(○周○マーク)と記述される場合もある。 道中2、3番手の艇が「抜き」で1着になる例はままあるが、6番手(最下位)の艇が追い上げて1着となることは極めて稀である。これは、水上では艇の後ろに「引き波」が生じ、後ろの艇の推進力を大きく損なうためである。なお、前述のフライング等があったときの決まり手は「恵まれ」となる。1位の選手は1周目でほぼ固まってしまう場合が多いが、2着以下については前に行く艇の引き波がターンマーク近くに残ることで最後まで順位争いがもつれる要因となる。 その他の競技規程についてモーターボート競走競技規程により、以下の状態になった場合は失格となる。失格艇にかかわる舟券は返還されないが、全艇が失格した場合はレース不成立となり、当該競走の投票券は全額返還となる。
転覆については、転覆そのものよりも、後続のボートと衝突したりプロペラに巻き込まれることで起こる事故による危険が大きい。そのため、後続の中で先頭を走るボートが落水した選手の内側を走れば他のボートも内側を、外側を走れば外側を走らなければならないとされており、さらに落水した選手自身についても、後続のボートがすべて通過するまで自艇の下で水中にとどまっていなければならないとされている[120]。転覆が多く起こるのはターンマーク付近、とりわけ全選手が先頭に立とうとして激しく争うスタート直後の第1ターンマークである[120]。 転覆事故が起きた場合、救出活動が最優先となる。そのため、最寄りのコーナー等で他艇を抜きにかかることはルールで禁じられている。 もっとも実際には選手間の約束として、転覆事故が起きた場合、その後のアタック自体を一切控えるのが慣例となっている。 生命に関わる救出活動を阻害しないためである。 なお、一部の競艇場では最終周回に入る際、競輪と同様に鐘(ジャン)を鳴らすところもある。 また、次の違反などを犯した場合は、競走開催期間中であっても、そのレースが行われた当日のレース終了時点で退場処分となる「即刻・即日帰郷」という罰則がある。
レース終了
参考事項進入固定競走各艇の進入コースを1コースを1号艇 - 6コース6号艇と決めておく「進入固定競走」が全競艇場で行なわれていた時期があった(ある競艇場では全開催レースを進入固定にしたこともあった)。当然1コースつまり1号艇が断然有利になるため、レースの紛れが少なくなって、あまりファンからの支持を得られず、一時期は開催される競艇場が少なくなっていたが、その後再び実施する競艇場が増え、現在では浜名湖、蒲郡、児島、丸亀、宮島、徳山、下関、若松、芦屋、福岡、大村の11競艇場で行われている他、平和島では2015年(平成27年)10月29日から11月3日までの開催を「ビキナーズ推しレース」として、全レース進入固定競走を実施した。また進入固定競走を実施していない競艇場でも企画レースとして実施する場合がある。 2着の決まり手2着に関しては前述の通り道中で逆転する場合が多いため、競走成績では「決まり手」を公示しない。しかし、道中での逆転がない場合、もしくは1周1マーク終了時点では次のような状態になることが多い。
鉄板番組別名として「企画レース」とも呼ばれる。その節中に、好調子の選手と不調子の選手とをわざと同じカードに組むこと。またはB級選手の中で1号艇のみがA1級選手など、明らかな格上の選手を有利な枠に組み込むこと[121]。 これによって観客は本命一本の頭流しなどでの安易な予想がしやすくなり、初めて舟券を買う人などの競艇初心者にわかりやすいレース展開となることがほとんどで、大抵は低配当になる。これらのレースには特別なタイトルが付けられる事により、主催者が「意図的に組んでいる」ことを意思表示している(下表参照)。しかし、展開によっては波乱が起きて高配当になる場合もある。 競艇場ごとの企画レース一覧原則としてGII以下の競走が対象。江戸川と常滑はこれが行われていない。[122]
出目競艇では他の公営競技に比べ当日の出目が参考になることも多い。これは各艇の進入コースが、インから出走表の通りになることが多いことが関係している。顕著なのは当然1号艇であり、1着を連発することも多い反面、1着が1-2回に終わることもある。これは当日の風や水面のコンディション、心理的なものなどに起因すると思われるが、詳細は不明である。 開催モーターボート競走法、モーターボート競走法施行令、モーターボート競走法施行規則などにより、競走場・施行者あたりの開催回数および開催日数、1開催あたりの開催日数、1日の競走回数が定められている。1回の開催では最大18日開催可能。開催は主に4日から6日の間で設定される「節(シリーズとも呼ぶ)」で構成され、これを複数回組み込んでいることが多い。 競艇の開催日程は、競馬・競輪など他の公営競技と日程を見つつ決められる。スペシャルグレード(SG)競走は前年の8月頃に、グレード・ワン(GI)・グレード・ツー(GII)・グレード・スリー(GIII)は前年の12月までに決まり、一般競走は3か月ごとに決められる[124]。 競艇の番組は、まず日本モーターボート競走会の斡旋課によって競艇場に選手が斡旋され、競艇場の番組編成委員が選手を割り振ることで決定する[125]。斡旋に際し、選手や主催者は斡旋を拒否することもできる[126]。多くの主催者から斡旋を拒否された選手には、引退勧告が出されることもある[127]。 斡旋については、SG競走は各大会の選考基準に基づいて決定、GI・GIIは主催者側からの希望と、それ以外の中から斡旋課が各主催者に提示した選手を斡旋する。一般競走は、それぞれの条件に合致する選手を斡旋する形となる。また一般競走では、同じ開催に、同姓選手は3組までとし、同県同姓(同じ都道府県出身者の同じ姓)の者の斡旋は不可。姻戚関係(親子兄弟)にある選手が出場することも、SGレースや正月・お盆などの例外を除き出来ない[128][129]。 斡旋された選手は前検日の指定された時間までに競艇場へ集合し、手荷物検査・身体検査等、各種の検査を受けた後でモーターとボートの抽選を行う[130](後述)。その後は他の公営競技と同様に、開催終了(あるいは斡旋解除)まで競艇場敷地内もしくは競艇場から離れた場所にある選手宿舎に宿泊し、家族を含め外部との連絡は一切認められず、携帯電話等の各種通信機器も没収される[131]。アルコールの摂取[131][132]やギャンブル[132]も禁止されている。通常の昼間開催の場合、起床時間は午前7時(冬は7時30分)、消灯時間は午後10時である[132]。また宿舎が競艇場から離れた場所にある場合は、徒歩または競艇場が用意したマイクロバスで移動する。 宿舎は概ね、競馬場の調整ルームと基本的なシステムは同じだが、居室は2-3人1部屋の相部屋で、居間と個人の寝室で構成された半個室型である。原則として出身地が同じ、または同支部の者が同室となる[132]。宿舎内の簡易売店には菓子・インスタント食品・飲み物の他、持ち込み・摂取禁止のアルコール類の代わりにノンアルコール飲料も販売されている(購入時に伝票に記入し、代金は最終日の帰宅前に一括して精算)。図書娯楽室には漫画や競艇雑誌等が用意されている。大浴場は選手が減量する為のサウナも完備されている[133]。 一節間の進行レース番組は初日が前検日(前検終了後)、2日目以降は前日のレース終了後に主催者から発表される。各競艇場の番組編成委員は、裁量により自由に番組を編成することができる[134][135]。 出走回数は3日開催で4回、4日開催で6回、6日開催で8回とほぼ決まっており、1日の出走回数は1回または2回である [136][† 15]。節間の出走回数は抽選によって決められる。 競艇は3 - 7日間(通常は4 - 6日間)を一節として開催される[128]。開催における各選手の目標は、優勝戦に勝ち優勝者となることにある[128]。優勝戦の出場者を決めるための方式には以下のようなものがある。
3 - 4日間の短い節では準優勝戦を行わず、優勝戦は前日までの成績上位6選手で争う形態が多い。また賞金王決定戦のように、予選の番組を毎回抽選で決める節もある[† 20]。 選手の途中帰郷は、負傷などの場合を除きほとんどみられない。 一般的な番組編成(準優勝戦方式)
ナイター開催時の番組編成準優勝戦・および優勝戦は番組編成員の手が入らず、着順(あるいは予選着順点)によって自動的に決定される。このためナイター開催時は準優勝戦・優勝戦メンバーの確定を速やかに行うため、次の措置が取られる(ただし年末の「グランプリ(=賞金王決定戦)」に関しては例外がある)。
歴史モーターボートレースの歴史についてはモーターボートの歴史を参照すること。戦前からあった公営競技の競馬が戦後の1946年に復活すると、地方自治体の戦後復興のための財源のひとつとして、1948年に競輪、1950年にオートレースが新たに公営競技として始まり、1951年に競艇も認められた[145]。レース開始は翌1952年の大村競艇場。 昭和20年・30年代
昭和40年代以降
平成時代(20世紀)
平成時代(21世紀)
令和時代
東日本大震災による被害・影響→「東日本大震災によるスポーツへの影響」も参照
2011年3月11日に発生した東日本大震災により、日本の競艇開催も多大な影響を受けた。 最も大きな被害を受けた桐生競艇場では施設が損傷したほか、場外発売施設「ボートピア」も東北や東日本を中心に各地で大きな被害が出た。 地震の発生を受け、各主催者は3月11日に行われていた開催を打ち切り。13日には全国すべての競艇場が3月14日から3月末まで開催を中止することを発表[165]した。この中には戸田競艇場で開催予定だったSG「総理大臣杯競走」も含まれていた。 日本モーターボート競走会は3月28日に義援金として10億円を拠出する[166]こと、4月1日以降を初日とする開催から「東日本大震災被災地支援競走」として順次開催を再開することを発表。ナイター競走も当面行わず、昼間開催に変更した。 なお、電力事情に配慮して休止していたナイター競走は4月25日を初日とする開催から順次再開したほか、桐生競艇場での開催も5月11日からナイターで再開した[167]。 また、中止となった総理大臣杯競走に代わるSG級競走として「SG東日本復興支援競走」を2011年8月5日-10日まで戸田競艇場で開催した[168]。出場選手は原則として、総理大臣杯に出場予定だった52人の選手。ただし開催期間がフライング休みにあたる選手は除外され、総理大臣杯の予備選手が順次繰り上がった。優勝賞金は3000万円で、実施規則などは他のSG競走と同様に扱われたが、優勝者への次回開催SGに対する出場シード権は付与されなかった。 新型コロナウイルス感染症による影響2020年2月、日本国内にて新型コロナウイルス(COVID-19)が流行。これにより、2月28日より全場が閉鎖され、無観客にて開催された。外向発売所、場外発売場も閉鎖され、投票は電話・インターネット投票のみとなった。 当初、3月15日までの予定だったが、感染規模が縮小しなかった為、無期限に延長。4月には改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が政府より発令された為、無観客開催が続いた(舟券は電話投票・インターネット販売のみ購入、レースはJLCや各競艇場の公式YouTubeチャンネルやニコニコ生放送等でライブストリーミング配信)。当初の無観客期間に、SG・プレミアムGI競走は当てはまっていなかったが、期間延長により、平和島競艇場で行われたSGボートレースクラシックから、鳴門競艇場で行われたSGオーシャンカップまでのSG4大会、プレミアムGI1大会が無観客で開催された[169][170]。 その後、感染拡大が抑えられ、緊急事態宣言も解除された事を受け、全国に先駆けて大村競艇場で5月22日の開催から観客の入場を、入場時の検温で体温が37度未満であることやマスク着用義務化などの各種条件付きで再開(当初は長崎県内在住者限定)[171][172]。その後も各競艇場及び外向・場外発売所で以下の通り無観客措置の解除を順次進めている[173]。但し、多数の来場(=クラスター(集団感染))が予想されるGII以上のグレード競走開催節は無観客開催措置または事前抽選入場措置を取る。 7月頃から第2波の影響で再び感染拡大。7月21日には、ボートレーサーで初となる新型コロナウイルス感染者が確認された。7月22日から27日まで宮島競艇場で開催されていた「ルーキーシリーズ第13戦」に出場した複数の選手で新型コロナウイルス感染を確認。広島県がクラスターと発表された。この影響で次節になっていた8月3日から8日まで開催予定だった「第3回東京スポーツグループ杯」が開催中止となった。また、住之江競艇場にて7月30日から8月4日まで開催されていた「ボートの時間!ご視聴ありがとう競走」に出場した選手にも新型コロナウイルス感染が確認された為、次節であった「大阪ダービー 第37回摂河泉競走」(8月11日から8月16日)の開催を中止した。
2021年4月の第4波では、3回目の緊急事態宣言が発令された東京都及び関西3府県に立地する5場(多摩川・江戸川・平和島・住之江・尼崎)について閉鎖・無観客開催措置が取られている[175]。 女性選手の歴史1952年5月に初の女子選手である則次千恵子(引退)が選手登録されて以降、1954年には初の女子限定のレースも行われたりしたが、徐々に選手数は減少。その後、1974年に田中弓子(のち鈴木弓子。引退)が9年ぶりに本栖研修所へ入所しデビューすると一躍人気となり、1980年以降は女子選手養成の動きが活発化した。2021年(令和3年)12月28日時点で、全選手1593人のうち女子選手は241人であり、全体の15%を占めている[176]。
競走格付け→詳細は「競艇の競走格付け」を参照
競走格付けにはグレード制が採用されており、上位のグレードから以下のように分類される[193][194]。
SGとGI(2014年より新設のプレミアムGIを含む)をあわせて特別競走、GIIを準特別競走ということもある[196]。SGとGIの競走については、原則的にA1級であることが出場資格となる[197]。B2級の選手は、実質的に一般レースにしか出場できない[198]。賞金額も、グレードによって大きく異なる[193]。 競艇場→詳細は「競艇場」を参照
投票券(勝舟投票券)舟券の発売種類投票券(勝舟投票券、通称「舟券」)の発売種類は、以下の7種類である[199]。
現在は売り上げの大半が三連単となっている。これはレースが6艇で行われることから、他の賭式がいずれも的中確率が高い[† 25]ため、高配当の可能性が低いことが理由としてあげられる。単勝式は売り上げ額が低く、発売窓口が限られる競走場もあるため、人気の指標となりえない[201]。 的中した舟券の払い戻し期間は60日である(払い戻しを全く行わなかった日は算入されない)[202]。但し、無観客開催措置に伴い時効までに払戻が出来なくなった場合、当該競艇場及び当該場外発売場にて購入した投票券については、営業再開後60日間まで延長される(新型コロナウイルス感染拡大による事例)[203]。 2007年の法改正で、複数レースに渡る投票方式である重勝式(中央競馬の「WIN5」、競輪の「チャリロト」や「Kドリームス」、オートレースの「モトロト」など)の発売が可能となっているが、システム更新にかかる開発費の問題から、2021年1月現在では重勝式を導入している競艇場はない[204]。 電話投票→「電話投票」も参照
場外発売場主催者の中には、ボートレース場以外の場所に「ボートレースチケットショップ」などの愛称で場外発売場を設置して、舟券の発売を行っている。 →詳細は「競艇場外発売場」を参照
売上金の内訳出典:日本財団サイトの「活動資金」ページより
各メディアでの展開
テレビ
テレビ中継の主な解説者テレビ中継の主な出演者概ね下記の各出演者が担当する。
ラジオ
ラジオ中継の主な出演者
ネット配信インターネットを利用したストリーミング配信としては、日本レジャーチャンネル(JLC)の「JLCスマート」「レジャチャンオンデマンド」等がある。その他に各競艇場単位で、YouTubeやニコニコ動画に独自チャンネルを開設しレース中継を行っている例も多く、中にはJLCとは別個に芸能人や元選手を呼んで中継番組を制作するところもある(住之江競艇場「アクアライブステーション」など)。 AbemaTVでは、2019年6月に「BOATRACEチャンネル」を開設しており、主に金曜・土曜に独自の中継番組を配信している。 雑誌競艇を専門に扱う雑誌としては「マクール」(三栄書房)、「BOATBoy」(日本レジャーチャンネル)などがある。 新聞「スポーツボートレース6」と題し、全国紙系列4紙と地方紙系列3紙で、ホリプロ(スピードワゴンとクワバタオハラはホリプロコム、磯山さやかはホリ・エージェンシー)に所属する競艇愛好家の各界著名人によるコラムを2010年度までは月曜日(各紙隔週。新聞休刊日の場合は翌火曜日。掲載日は新聞社によるが、5週ある場合は第5週休載)、2011年度以後はSG/GI<主要全国発売レース>開催の直近に広告として掲載している。これらはボートレース公式サイトから見ることができる。 担当者
コマーシャルメッセージ (CM)コマーシャルメッセージ (CM) CMソング・イメージソング
CM出演競艇ではイメージキャラクターを採用しており、主にPR活動のほか、表彰式や開会式での司会を担当する。ラジオCMに関しては映像媒体と違うCMを作成し放送している。
CM素材については2009年4月以降、レースそのものや・CMソング・イメージソングを強調するCMとは別に、収益金からなる日本財団や納付した自治体の事業や社会貢献活動をアピールしたCM(アザラシの「ていちゃん」が登場するCM[221])も放送されている。 スポンサークレジットは当初は「全国モーターボート競走施行者協議会」であった(その時期には、大泉滉がファン心理を題材にしたもの、当時の日本船舶振興会のCMと同じ要領で、競艇の収益が社会貢献に使われている説明的なものなども放送されていた)が、その後は「水上の格闘技 KYOTEI(競艇)」や「BOAT RACE」など競艇の呼称そのものをクレジットとして表記していた。2012年以後は「BOAT RACE振興会」[† 57]で統一されている。 男女が同じ条件で戦う競艇競艇の特色の一つは「男女が同じ条件で戦う」(下記体重制限を除いて)ことである。 競艇の産みの親の一人である笹川良一は、終戦後「これからは男女が同じ立場になる時代が来る」と痛感。当初から女子にも選手への道を開くことを構想し、実践した。第1回全日本選手権には早くも4人の女子選手が出場し、1950年代には周年記念で3人が優勝している。 1960年代には女子の選手数が激減し一時は4人にまで落ち込んだが、1980年(昭和55年)にデビューした田中弓子の活躍を機に再び増加に転じ、現在は約1600人いる選手のうち約250人が女子選手である[176]。 女子選手限定のレース[† 58]も行われているが、多くは男女混合のレースであり、男女で体重制限(最低体重)が異なる以外はすべて同じ条件で争う。この体重制限の差がレース展開に大きな影響を及ぼすこともあり、1周1マークでは前を許したものの、バックストレッチで驚異的な伸びを見せて追いつき、2マークで女子選手が逆転するなどといったケースも多く見られる。 かつて男女差は4kg(男子は51kg以上、女子は47kg以上)であったものが規定が変更され、男子は52kg以上(女子は変更なし)となったことで5kgの差が付いたことは大きく、5kg差=1艇身と言われている世界で軽量の女子が男子と渡り合う貴重な武器になった[158]。そのため、男女混合のレースで女子選手が勝つことは日常茶飯事で、一般戦では女子選手がシリーズ優勝することもそれほど珍しくなく、中堅以下の男子選手がトップクラスの女子選手に勝つことは容易ではなくなったほか、上記の通り女子選手がSGをも制覇するようになった[158]。 女子選手とSG・GIの主な記録2022年3月、女子選手によるSG優勝が記録された。
競艇をテーマにした作品映画
小説
漫画
ゲーム
韓国の競艇1991年12月31日に競輪競艇法が成立。エンジン開発や選手養成等の準備期間を経て2002年10月18日、渼沙里漕艇競技場において初開催。通称:KBOAT。実施主体はソウルオリンピック記念国民体育振興公団競艇運営本部。 当初は毎週火曜日・水曜日に1日8R、単勝・複勝・2連単・2連複の各賭け式の舟券が発売された。翌年から水・木曜日に変更、2004年に3連複が導入され、2024年現在は1日17R行われている。競技形式はおおむね日本のものを取り入れているが、スタートタイミングが日本の倍の2秒以上で出遅れとなる、1日に数レースオンラインスタート(待機行動なしでピットから直接スタートする)の競走があるなど若干の違いがある。 大村競艇場では、2008年4月6日に韓国競艇のトップ選手6名(男子4、女子2)を招いて模擬競走を行った。 関連項目
脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク |