小柳ゆき
小柳 ゆき(こやなぎ ゆき、1982年1月26日 - )は、日本の歌手。本名、小柳 由紀(読み同じ)。 埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。元所属芸能事務所はバーニングプロダクション。所属レコード会社はユニバーサルミュージック・Prime Music。姉は歌手・ミュージシャンの小柳裕美(美裕リュウ)。身長154cm 体重40kg。血液型B型。 略歴・人物5歳上の姉が音楽好きだったことで影響を受け、歌うことに興味を持ち始める。10歳の頃に姉の持つCDの中から永井真理子などをこっそり取り出して、それを聞いたりそれにあわせて歌ったりしていた。そして、姉の勧めで自分の歌をラジカセに録音して練習するようになった[1]。最初は歌謡曲ばかり歌っていたが、その後、ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーなどの洋楽を好んで歌うようになっていった[2]。 埼玉県大宮市立日進中学校(現:さいたま市立日進中学校)では剣道部に所属し、ソウルフルな発声の基礎はここで鍛えられたという。 1994年、12歳の時に「コロムビア歌謡曲新人歌手オーディション」に出場。尊敬する大黒摩季の『永遠の夢に向かって』を歌い[1]、全国決勝大会にまで勝ち進んだ。全国大会まで残った実績が評価されて音楽事務所からデビューの誘いを受けるが、当時、学校の部活動に没頭していた事もあって一度はデビューの誘いを断った。しかし1997年に再びデビューの誘いを受けると、今度はその誘いを受け入れ歌手デビューに向けて一歩踏み出した。高校に通いながら、約1年間に渡ってボーカルレッスンとデモテープ作りを積み重ねる[1][2]。 オーディションを経て、1999年にシングル「あなたのキスを数えましょう 〜You were mine〜」でワーナーミュージック・ジャパンからデビュー。45週連続チャートインするというロングヒットを記録した。 2000年、3月に埼玉県立上尾高等学校の全日制を卒業するとすぐに東京都内に転居。同年、シングル「愛情/can't hold me back」、「be alive」が大ヒット。2ndオリジナルアルバム『EXPANSION』はミリオンセラーとなった。また、海外の曲をカバーしたアルバム『KOYANAGI the COVERS PRODUCT 1』も好セールスを記録。同年、日本有線大賞受賞。「あなたのキスを数えましょう 〜You were mine〜」でNHK紅白歌合戦初出場を果たした。 2001年、第52回紅白歌合戦に「remain〜心の鍵」で2年連続出場。 2002年、第53回紅白歌合戦には「Lovin' you」で3年連続の出場を果たす(世界的アコーディオン奏者フランク・マロッコ (Frank Marocco) と競演)。 2005年1月に渡英し、ロンドンで4ヶ月間過ごす。4月、シングル『最後に記憶を消して』をリリースするが、オリコンチャートの最高位は100位であった。10月7日に「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2005」に出演。11月に発売予定の新曲が二転三転し、無期延期となった。なお、この曲が翌年発売された「Fair Wind」ではないかと言われている[誰によって?]。 2006年5月10日、シングル「Fair Wind」をリリース。9月にはZEPP TOKYO、なんばHatchで3年ぶりとなる単独ライブツアーを開催。10月11日にリリースされたシングル「誓い」では、ジャケットでセミヌードを披露した。 2007年3月24日、日本テレビの「ミリオンヒットライブ2007」に出演し、久々にゴールデンタイムに顔を見せた。この時、左の二の腕に十字架のタトゥーを入れていた事が確認出来ている。 2008年2月20日発売のYuki-K名義の「Rehab - 女神たちの休息 - / Listen」(エイミー・ワインハウスとビヨンセを日本語カバーした企画シングル)より、NAYUTAWAVE RECORDS(ユニバーサルミュージック内)へ移籍。同年10月21日、移籍第1弾となるシングル「we can go anywhere」のプロモーションで「笑っていいとも!」(フジテレビ)に出演した[注 1]。その2週間後の11月5日、「稲垣潤一&小柳ゆき」名義でデュエットで参加した稲垣の47枚目のシングル「悲しみがとまらない」(杏里のカバー[注 2])がリリースされる。 2010年、7月24日に赤坂BLITZで、8月8日はなんばHatchにおいてライブが行われた(単独ライブとしては4年ぶり)。また、7月21日には浜離宮朝日ホールにおいてアコースティックライブ「プレミアム・ミーツ・プレミアム2010」が行われた[3]。10月10日に放送された音楽特番「グッとくる歌謡祭」(ABC)で久々にテレビ出演をした。 2012年1月26日、自身の誕生日にカーネギー・ホールでライブを行った[4][5][6]。 2018年12月、年内でデビュー以来所属してきた事務所を辞めて独立することを発表[7]。デビュー20年目の区切りとなる2018年末をもって所属事務所バーニングプロダクションを退社し独立、翌2019年1月25日に自身のSNSを通じて報告した[8][9]。 作品シングル配信限定シングル
その他のシングル
アルバムオリジナル・アルバム
ミニ・アルバム
ベスト・アルバムバラード・ベスト・アルバム
カバー・アルバム
ライブ・アルバム
コラボレーション・アルバム
映像作品ビデオクリップ集
ライブ
その他
出演テレビ
NHK紅白歌合戦出場歴
舞台
CM
ラジオ
脚注注釈
出典
外部リンク
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