奥田民生(RAMEN CURRY MUSIC RECORDS) |
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YouTube |
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チャンネル |
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活動期間 |
2015年 - |
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ジャンル |
音楽 |
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登録者数 |
19.2万人 |
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総再生回数 |
7758.0万回 |
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チャンネル登録者数・総再生回数は 000000002024-02-21-00002024年2月21日時点。 |
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奥田 民生(おくだ たみお、1965年〈昭和40年〉5月12日 - )は、日本のミュージシャン、歌手、シンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー。ロックバンド・ユニコーンのメンバー。身長171cm。広島県広島市東区尾長出身[3]。血液型はB型。既婚。
1987年、ロックバンド「UNICORN」のボーカリストとしてデビュー。「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など、数々のヒット曲を世に送り出し[4]、バンドブームの寵児ともいわれ、その中心的な役割を果たした[4]。バンドは1993年に解散(2009年に再結成)。その後、約1年間の充電期間を経て、1994年からソロ活動を開始。
以降、ソロ活動の傍ら、「PUFFY」のプロデュースや「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、バンド、ソロ、プロデュースあらゆる音楽活動において大きな成功を収めている[4]。
ソロ活動においての代表曲は、『愛のために』、『イージュー★ライダー』、『さすらい』など[4]。
経歴
広島市立尾長小学校、広島市立二葉中学校、広島皆実高校卒業[4][5]。
1979年、中学生の頃に、初めてバンドを結成[3]。
「当初は端でベースを弾いていたが、女の子がキャーキャー言い始めたため、引っぱり出されてフロントマンになった」とされる『INLIFE 男の履歴書』[6]の記述は誤りで、「最初からギターです」と宝島社『smart』2018年8月号にて語っている。子供の頃からビートルズファンで、ハモリは早い時期からやってはいた[7]。歌に専念という形になったのは高校に入ってからで、当時のバンドのボーカルが受験勉強で抜けたため、自然に歌うようになったという[3][7]。「最初は恥ずかしくて、今でもギターに専念した方が良かったかなと思う」と話している[3][7]。
高校時代には、アーチェリー部に所属、県の新人戦で優勝した経験がある。広島電子専門学校に進学後も、音楽活動を継続(後に専門学校は中退)[7]。『夕やけニャンニャン』の息っ子クラブメンバーオーディションに参加するも、落選。
ユニコーン時代
1986年、ユニコーンにボーカルとして加入。同年7月にソニーミュージックのオーディションに合格。1987年、ユニコーンは広島から上京、アルバム『BOOM』でデビュー[3]。
1989年に発表したファーストシングル『大迷惑』の大ヒットをきっかけにブレイク。以降、「働く男」「ヒゲとボイン」「雪が降る町」「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出す。
1993年9月21日、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)内で、ユニコーンは解散を発表、7年間の活動に終止符を打つ。
ソロ・プロデュース活動
およそ半年間の充電期間の後、1994年にシングル「愛のために」でソロ活動を開始[3]。同曲は、ソロデビューシングルにして、自身初のミリオンセラーを達成。
1996年、音楽プロデューサーとして、女性デュオ「PUFFY」をデビューさせる。彼女たちの特異な脱力感、無気力感、気だるそうな立ち居振る舞いが話題になり、大ヒット。プロデューサーとしても注目を集める。
1997年、井上陽水とのコラボレーションユニット「井上陽水奥田民生」を結成。アルバム『ショッピング』を発表し、年末まで活動。浜田雅功のソロシングル「春はまだか」のプロデュースも行い、浜田の番組『人気者でいこう!』にも出演した。
1998年、ギター一本の弾き語りライブ「ひとり股旅」ツアーを行う。
2000年代
2000年、北海道のローカル番組『鈴井の巣』(HTB)に出演、大泉洋率いる「大泉バンド」のデビュー曲「負け戦」を作曲。
2001年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2001」に出演。
2002年、東京スカパラダイスオーケストラのシングル「美しく燃える森」に、ゲストボーカルとして参加。Charと山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」を結成し、北海道のフェスに参加。
2003年、真心ブラザーズのYO-KINGらと4人組バンド「O.P.KING」を結成し、ミニアルバム『O.P.KING』を発表。「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2003」に2回目の出演。
2004年、ソロ10周年を記念して、広島市民球場にてコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を敢行、唯一、広島市民球場でのコンサートを実現させた歌手となった。また、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組『OH! MY RADIO』(J-WAVE、奥田は月曜日担当)も12月に復帰(3月で卒業)。
2005年、広島球場でのドキュメンタリーにドラマを加えた映画『カスタムメイド10.30』が公開。「THE BAND HAS NO NAME」を15年ぶりに再開、アルバム『II』をリリースし、フェスにも参加。同年10月7日、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2005」3回目の出演。
2006年、「三人の侍」の全国ツアーを、4月から神戸を皮切りに行う。9月には、阿部義晴の40歳記念ツアーにジェット機らとともに参加。また、9年振りに井上陽水奥田民生を再結成し、12月にシングル「パラレル・ラブ」をリリース。2007年にかけてユニットとしては初のツアーを行う。アメリカのバンド「The Verbs」にサポート参加し「The Verbs + 奥田民生」としてフェスなどに出演。
2007年、デビュー20周年を迎える。井上陽水奥田民生名義のセカンドアルバム「ダブルドライブ」を発表。10月24日にトリビュートアルバム『ユニコーン・トリビュート』、『奥田民生・カバーズ』が発売。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007」に4回目の出演。12月14日に過去のアルバム(ユニコーン時代のコンピレーションは除く)を紙ジャケ仕様で再発。
2008年、自身最高傑作と豪語するアルバム『Fantastic OT9』を発表、1年で2度の全国ツアーに出る。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2008」に5回目の出演。
2009年、ユニコーン活動再開[3]。ユニコーンの活動と並行して、夏フェスでは「ひとり股旅(北海道ではひとりポックル)」として参加し、また同年11月公開の映画『僕らのワンダフルデイズ』の音楽アドバイザーおよび劇中歌の楽曲提供、主題歌を担当するなどソロ活動も精力的に行っている。7月1日に所属事務所のソニー・ミュージックアーティスツ(Sony Music Artists、略称SMA)顧問に就任する。また、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2009」に6回目の出演。
2010年代
2010年、東京スカパラダイスオーケストラのシングル「流星とバラード」に、8年ぶり2度目のゲストボーカルとして参加。3月よりレコーディングソロツアー『ひとりカンタビレ』開催。通常のライブとは違い、各会場で新曲の制作を行うレコーディング・ライヴであり、観客の前ですべての楽器を自身でプレイ、レコーディングし、できた楽曲を配信リリースするという企画である。追加公演を含む全10公演、10曲のレコーディングを完了させた。これらの楽曲は後にスタジオでリミックスされ、8月4日に10thアルバム『OTRL』としてリリースされた。
プロデュース業も並行して行い、髭(HiGE)のシングルおよびアルバム「サンシャイン」の収録曲の数曲をプロデュース。
The Verbsへの正式加入が発表され、来日公演に参加。基本、奥田は国内での活動となっているが、2015年に米ツアーに参加することが発表された。
2011年、2004年以来となる「ひとり股旅スペシャル」を広島・厳島神社にて開催。
映画『マイ・バック・ページ』の主題歌として、真心ブラザーズとのユニット「真心ブラザーズ+奥田民生」名義でシングル「My Back Pages」リリース。
2012年、上記の延長として3人による新ユニット「地球三兄弟」の結成、リリースとツアーを発表。
2013年、地元、広島にある企業・マツダとのタイアップにより、「風は西から」リリース。同曲はマツダの企業CM・「Be a driver.」のCMソングとして書き下ろされた。
2013年、5月、岸田繁(くるり)伊藤大地とともに、「サンフジンズ」[8]として『JAPAN JAM』[9]に登場した。
2015年、5月に生誕50年記念ライブ「OT50祭"もみじまんごじゅう"」公演を開催。
長年在籍したソニー系レーベルを離れ自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」設立を発表。[10]
同年11月28日にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて「奥田民生ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム」公演を開催。ライブ中盤にてサプライズ的に広島東洋カープの前田健太、大瀬良大地が登場し、打者に奥田、捕手に大瀬良、投手に前田と言う形式で「始球式」が行われた。
2016年、スキマスイッチの「全力少年」をプロデュース(リアレンジ)した楽曲が「全力少年 produced by 奥田民生」のタイトルでリリースされる[11]。
2020年代
2020年、日本テレビ系テレビアニメ『ハクション大魔王2020』の主題歌を担当。「サテスハクション」を書き下ろした。
同年12月、マキシマム ザ ホルモン主催の企画「ホルモンの新曲俺ならこう歌う選手権!!」に参加[12]。
人物
性格
- 若い頃はテレビから音楽の情報を仕入れており[3][7]、『ザ・ベストテン』の広島からの中継は、ほぼ見に行ったという(二葉中学からの西城秀樹[3][7]、広島三越前(賀茂鶴オアシス)からの沢田研二、広島駅新幹線口からの田原俊彦他)[13]。
- さとう珠緒がグラビアを中心に活動していた頃、大ファンで「どんな人かは知らないけど笑顔がいい。頑張ろうという気持ちになる」とのことから自身のライブ用の機材にグラビアの切抜きを片っ端から貼り付けていた時期があった[14]。
- 小泉今日子の大ファンであり、『HEY!HEY!HEY!』で共に出演した際にはまともに彼女を見ることも出来ず、司会のダウンタウンの2人に冷やかされるほどガチガチに緊張してしまった[14]。
- 井上陽水は普段の奥田の性格を非常に寡黙であると語っている[15]。同放送では、井上、奥田、トータス松本が飲んでいた際、松本が音楽に対するモチベーションの低下からミュージシャンを辞めて俳優転向を考えていると洩らしたところ、奥田は非常に厳しい言葉で松本を引き止めたというエピソードが井上から語られた。井上は、普段寡黙である奥田からは考えられないようなキツい物言いをすることに驚き、松本に謝罪するよう諭したとも語った。
音楽性
- ギターコレクターであり、かなりの数のギターを所有している。中でも、ギブソン社製のギターが多く、名器・1959年製レスポール・スタンダードを長年に渡りメインで使用してきた。なお、40歳の誕生日に、ギブソン社からカスタムショップ製作のレスポール・スタンダード(キャンディレッド)を贈呈され、2008年8月には、近年メインで使用しているレスポール・スペシャル(P-90ピックアップ、ビグスビー、TVホワイト・フィニッシュ)を忠実に再現した、カスタムショップ製作の「Gibson Custom Shop The INSPIRED BY Series Okuda Tamio Les Paul OT Special」が100本限定で製造・販売された(2008年8月1日現在。奥田民生公式ホームページにて発表)。2013年の「SPICE BOYS」ツアーでは、前述の1959年製レスポール・スタンダードを忠実に再現したギブソン・カスタムショップ製のレプリカモデルを(パイロットランとして)使用し、2015年に同モデルが限定生産という形で市販された[21]。
- 歌詞に関しては、数々のインタビューにおいて、あまり重要視していないと語っているが、意味がないようでさまざまに解釈できるため、曲の魅力を引き立てるものとなっている。また、「それはなにかとたずねたら」という曲において、「なべつかみ」という単語を入れたことを自慢していたらしい(スタッフ談)。その他にも、ユニークでナンセンスな歌詞が多い。楽曲自体にも多数見受けられるが、楽曲のタイトルもまた、有名な書籍や楽曲などのタイトルのパロディとなっているものが多数ある。例:「ワインのばか」(元ネタはロシアの民話『イワンのばか』)、「AND I LOVE CAR」(ビートルズの「AND I LOVE HER」)、「怒りの別件」(ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』)等。
- PUFFYプロデュースの動機は、90年代半ば、小室哲哉や小林武史らがアーティストとして活動する傍ら、プロデューサー業に乗り出して目覚ましい活躍を納めていたことが大きい。同様のことが自分に出来るかどうか挑戦してみたかった、と著書で述べている。これによりプロデューサーとして評価され、浜田雅功や木村カエラ、HiGEのプロデュースも手がけたことがある。
趣味
- オン・オフ問わずサングラスを着用していることが多い(もともと視力は良い)が、本人曰くサングラスを着用するのは「照れ隠し」とのこと。近年はフォーナインズのフレームを愛用している。[23]
出身地にまつわるエピソード
- 父は元広島市議会議員(日本共産党)[25][注 3](引退後は飲食店経営)だったため、子供時代は『赤旗(現『しんぶん赤旗』)』配達などを手伝っていた。「民生(たみお)」の名も音読みが同じ「民青(みんせい)」から来ている。父親の選挙の応援時にミニライブを行ったことがある。
- 広島のプロスポーツチームである広島東洋カープ・サンフレッチェ広島の大ファンである[3][27]。
- 2000年3月にはタワーレコードのポスターで、当時カープの監督だった達川光男(達川晃豊)と共演(2種類有り、うち1枚は「奥田のカープ入団会見」風のポーズ[28])。また、山本浩二の息子がユニコーン時代からのファンであったこともあって奥田本人が結婚式に参加して自身の曲「息子」などを歌った。
- カープのマスコット「カープ坊や」の顔を奥田のイラストに変えた「民生坊や」をカープが公式グッズとして販売している(選手応援セットとして入場券とセットで販売[29])。また、マツダスタジアムで試合開始前・7回裏に放映される「それ行けカープ」のカープファンリレー映像にも2015年版で名を連ねている[30]。
- 2004年10月30日には、初代の広島市民球場において、同球場史上初のコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を行った。なお、本ライブの開会宣言を行ったのは、当時広島東洋カープ監督であった山本浩二であった。
- 2015年にマツダスタジアムにおいて、同球場開場以来初のコンサート「ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム」を行い、ライブ発表当日(2015年シーズンの開幕戦)の始球式では松井一實広島市長の投じた球を受ける捕手役を務めた[31]。
- 2012年元旦の中国新聞朝刊の「カープV逸20年 私の提言」にて『負けたとき,もっと怒ろう』と題し、ファンを過激に叱咤激励する内容の寄稿を行っている。また、2015年に黒田博樹がメジャーリーグから復帰した際には、所属事務所を通じて「私は泣いています」というメッセージを寄せている(ちなみに3月29日の復帰後公式戦初登板はマツダスタジアムにて現地観戦している)。
- 2003年、アルビレックス新潟の応援チャントとして使われているユニコーン時代の曲「I'M A LOSER」の替え歌「アイシテルニイガタ」をサポーターズCDに収録するために許諾を奥田に求めたところ、奥田は「サンフレッチェ広島の敵に曲を提供することはできない」と許諾を拒否したという(当時新潟と広島は共にJ2に所属しており、昇格争いのライバルだった)。現在も「アイシテルニイガタ」は新潟のサポーターズCDに収録されていない。
- お好み焼きは実家近くの「まるめん」を薦める[32]。
- 吉川晃司(寺田堂(前述)で「モニカ」と「Y.M.C.A.」のパロディーを披露)、元T-BOLANの森友嵐士は同級生。吉川は奥田が高校生のときにデビューしてすぐに大スターになり[3]、当時は広島出身のスターが多かったため、「ついに同い年のヤツまで!」と尻を叩かれる思いだったという[3]。広島皆実高校の先輩には吉田拓郎(ひとり股旅スペシャル@広島市民球場で「唇をかみしめて」をカバー)[3][5]、後輩に磯部正文(元HUSKING BEE)、MEG、為末大、森重真人、久保田智子、石川みなみらがいる[3][5]。
エピソード
影響
ライブ
ライブ・バンド
GOZ 第1期 1995年 - 2002年、2004年、2015年
- 奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス/ハーモニカ
- 長田進(Dr.StrangeLove):ギター/コーラス
- 斎藤有太:キーボード/コーラス
- 根岸孝旨(Dr.StrangeLove):ベース/コーラス
- 古田たかし(Dr.StrangeLove):ドラム/コーラス
- TOUR "29-30"〜TOUR 0102「奥田STANDARD民生CUSTOM」、TOUR OT10
、『となりのベートーベン』
GOZ 第2期 2002年 - 2003年
- 奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス
- 長田進:ギター/コーラス
- 斎藤有太:キーボード/コーラス
- 根岸孝旨:ベース/コーラス
- 古田たかし:ドラム/コーラス/フルート
- 西岡英朗:パーカッション/トランペット/コーラス
- ワンツー佐藤(佐藤一二):ドラム(古田がフルートを演奏している時)
- Live E 0203
MTR&Y 2005年 - 現在
- 奥田民生:ヴォーカル/ギター/ハーモニカ
- 斎藤有太:キーボード/コーラス
- 小原礼:ベース/ コーラス
- 湊雅史:ドラム
- TOUR "MTR&Y 05" - 2015ツアー“秋コレ”
ひとり股旅
奥田のライブ形態の一種。作務衣(松本人志から「一人ごっつ」用のものを譲り受けた)にタオルを頭に巻いた出で立ちで、バックバンドは一切設けずアコースティックギター1本で事務用の椅子に座って演奏する。MCでは酒を挟み、演奏曲もその時の気分で決められる。通常のライブでは披露することの無いカバー(ブラックビスケッツ「タイミング」、エキセントリック少年ボウイオールスターズ「ああエキセントリック少年ボウイ」等)が披露されるのも特徴のひとつ。1998年の「ひとり股旅ツアー」終了後も単独ライブやロックフェスティバルで時折開催されるようになり、2004年の広島市民球場ライブは、当初は球場の周辺に住宅地が多く存在するため騒音問題を懸念した球場側が難色を示していたが、ひとり股旅形式で行う事を条件に開催が実現した。
ワンマンライブ・主催イベント
- 1995年 - tamio okuda TOUR "29-30"
- 1996年 - okuda tamio tour '96 イージュー☆ライダー
- 1996年 - 奥田民生 LIVE WORKS SPECIAL "WEEKEND NIGHT FEVER with his friends"
- 1997年 - okuda tamio tour '97 股旅
- 1998年 - okuda tamio tour '98 股旅ふたたび
- 1999年 - okuda tamio tour '99 CANNONBALL
- 2000年 - okuda tamio TOUR 2000 GOLDBLEND
- 2001年 - okuda tamio tour 0102 奥田STANDARD民生CUSTOM
- 2002年 - OKUDA 3 NIGHTS
- 2002年 - okuda tamio live E 0203
- 2003年 - okuda tamio live Ez
- 2004年 - okuda tamio TOUR OT10
- 2004年 - ひとり股旅スペシャル@広島市民球場
- 2005年 - okuda tamio tour"MTR&Y 05"
- 2006年 - okuda tamio Cheap Trip 2006
- 2006年 - 三人の侍〜旅情編〜
- 2006年 - The Verbs + 奥田民生 #1st Tour 2006
- 2007年 - DOUBLEHEADER @ZEPP LEAGUE
- w/木村カエラ/Theピーズ/TRICERATOPS/斉藤和義/PUFFY/サンボマスター/GRAPEVINE
- 2008年 - okuda tamio FANTASTIC TOUR 08
- 2008年 - okuda tamio FANTASTIC TOUR "AGAIN" 08
- 2010年 - 奥田民生ひとりカンタビレ
- 2010年 - The Verbs JAPAN TRIP 2010
- 2010年 - OKUDA TAMIO JAPAN TOUR MTR&Y 2010
- 2011年 - okuda tamio tour 2011-2012 〜おとしのレイら〜
- 2011年 - ひとり股旅スペシャル@嚴島神社
- 2013年 - 奥田民生 2013ツアー"SPICE BOYS"
- 2013年 - ひとりギロッポン
- 2015年 - 秋コレ 〜MTR&Y Tour 2015〜
- 2015年 - ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム
出演イベント
ディスコグラフィ
シングル
- 1.「休日/健康」から8.「さすらい」までの8cmシングルは2005年3月24日に12cmシングルで再発された。
- 以下の3作品は当初、LGCD2(コピーコントロールCD)で発売されたが、SMEのLGCD廃止に伴い、店頭回収、新品番にてCD-DA盤がリリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。
- 『サウンド・オブ・ミュージック』旧品番:SECL-73 → 新品番:SECL-318
- 『スカイウォーカー』旧品番:SECL-83 → 新品番:SECL-321
- 『何と言う』旧品番:SECL-99 → 新品番:SECL-327
オリジナルアルバム
- 1st〜8thが2007年12月に紙ジャケット仕様で再発売された。
- 1st〜11thのリマスタリングしたものをまとめた『OT REMASTERS』というBOXが2014年10月22日に発売された。
企画盤
配信限定
シングル
枚 |
配信日 |
タイトル |
収録曲 |
備考
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1st
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2007年7月9日
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明日はどうだ
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イナビカリ(football mix) / 明日はどうだ
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1. NHK「サッカーAFCアジアカップ2007」テーマ曲
2. ニッカウヰスキー「ブラックニッカ クリアブレンド」CMソング
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2nd
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2011年4月13日
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タビザル★ライダー
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タビザル★ライダー
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日本テレビ「東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…」のために、
1996年発表の「イージュー★ライダー」の歌詞を一部変えセルフカバーしたもの
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3rd
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2011年8月8日
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EBm
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EBm
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「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2011」の「奥田民生の数人カンタビレ」で録音した曲
2012年にシングル「拳を天につきあげろ」のカップリングとして収録
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4th
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2022年4月13日
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さすらい - From THE FIRST TAKE
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さすらい - From THE FIRST TAKE
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「さすらい」のTHE FIRST TAKEのバージョン
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5th
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2022年4月13日
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太陽が見ている - From THE FIRST TAKE
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太陽が見ている - From THE FIRST TAKE
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「太陽が見ている」のTHE FIRST TAKEのバージョン
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6th
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2022年8月3日
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はんなりドライブ
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はんなりドライブ
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奥田民生 with 屋敷豪太名義
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7th
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2023年8月9日
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ハナウタ
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ハナウタ
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「ドコモビジネス」CMソング
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8th
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2023年12月27日
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旅をゆけ
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旅をゆけ
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奥田民生はっとり名義
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ひとりカンタビレ
- 2010年に行われたレコーディングツアー「ひとりカンタビレ」にて制作された楽曲。これらはライブ終了の3〜4時間後には配信が開始された。
映像作品
LIVE
- tamio okuda TOUR "29-30"(1995年)
- tamio okuda TOURDUST "0-30"(1995年)
- TOUR 1997 股旅(1998年)
- ひとり股旅(1999年)
- TOUR 2000 GOLDBLEND(2000年)
- OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / DVD(2003年)
- ひとり股旅スペシャル@広島市民球場(2005年)
- okuda tamio Cheap Trip 2006(2006年)
- okuda tamio FANTASTIC TOUR 08(2008年)
- OKUDA TAMIO JAPAN TOUR MTR&Y 2010 C.C.Lemon Hall(2011年)
- ひとり股旅スペシャル@厳島神社(2012年)
- 奥田民生2013ツアー SPICE BOYS at 中野サンプラザ(2014年)
- 奥田民生ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム(2016年)
- 奥田民生 生誕50周年伝説“となりのベートーベン”(2016年)
PV集
- OT clips of the years(2001年)
- 『29』から『GOLDBLEND』までのPVを収録。
- OT clips of the years Vol.2(2004年)
- 『E』、『LION』のPVを収録。
その他
- ドーロムービー“トツゲキ!オートモビレ”(2023年1月25日)BD+CD
その他参加作品
受賞歴
使用機材
- ギター
- AriaPro Les Paul Type
- AriaPro Stratocaster Type
- Danelectro 3011 1960s
- Epiphone Casino Dbl E-230TD 1961
- Epiphone Coronet 1964
- Fender Custom Shop '67 Relic Telecaster 2011
- Fender Jazzmaster 1962
- Fender Mustang 1965
- Fender Telecaster 1952
- Fender Telecaster 1969
- Fernandes Flying V
- Gibson B-25 1965
- Gibson CF-100E 1951
- Gibson Custom Shop Explorer 2019
- Gibson Custom Shop Flying V 2012
- Gibson Custom Shop Les Paul Special Single Cut w/Bigsby 2003
- Gibson ES-295 1954
- Gibson ES-330 TAMIO OKUDA Model
- Gibson Firebird II 2003
- Gibson Flying V 1975
- Gibson J-45 1945
- Gibson J-45 1958
- Gibson J-45 1969
- Gibson J160-E 1967
- Gibson Les Paul Standard Collectors Choice Gold Top 2014
- Gibson Les Paul Standard w/Bigsby 1956 - ビグスビー搭載。元々はP-90搭載のゴールドトップを様々な改造を施して現在の姿に生まれ変わった。
- Gibson Les Paul Standard 1959 - 今現在プレミア化しているギター。UNICORN時代から愛用してきた一本。
- Gibson Les Paul Special 1957
- Gibson Memphis ES-330 2013
- Gibson Memphis ES-335
- Gibson SG Melody Maker 1967
- Gibson SG Special 2003
- Gibson Tamio Okuda CF-100E FC 2015
- Gretsch Tennessean 1966
- Hefner Model 191
- Hefner 500/1
- Ibanez Duke
- Kay Truetone Acoustic Guitar 1960s
- Martin D-28 1967
- Rickenbacker 325 1981
- Rickenbacker 360-12FG 1966
- アンプ
- Ampeg B-15n 1965
- Fender Tremolux 1955
- Marshall PA 20 1960~1970s
楽曲提供
書籍
- スコアブック
アニメ映画
テレビ出演
ゲーム
脚注
注釈
- ^ 実際にはソニーからカーDATが発売されていた。奥田も後に購入。
- ^ SMEが全リリース作品レーベルゲートCD化の発表をして以降最初のシングル、「サウンド・オブ・ミュージック」発売直前、公式掲示板にスタッフから「レーベルゲートCDでのリリースとなります」との書き込みがあり、掲示板には多くの批判や通常のCD(以下CD-DA)でのリリースを望む意見が書き込まれた。これを受け奥田自身が公式サイト上で異例のコメントを発表、CCCD導入に至った経緯を説明した[18]。奥田は対策としてCCCDだけでなく、アナログ盤や実験的に「DVD-Music」(専用の再生機器が必要なDVD-Audioと違い、一般的なDVDプレイヤーで再生可能でCD-DAよりも高音質)盤を発売したり、ジャケットに大きくフォーマット名が書かれているデザインを採用(通常CCCDロゴは帯やステッカーに表記されている為、これらが無ければ通常CDとの区別が困難)。雑誌のインタビューでも「もめている」、「レコード会社の中で(自分が)目立ってしまっている」、「なぜ他の人は(CCCDの問題について)言わないのか」などと発言[19]。こうしてシングル3枚を3フォーマットで発売、アルバム『LION』はさらにSACD盤も加え4フォーマットでの発売となった。しかし『LION』発売直前、公式サイト上でスタッフからCD-DAでのリリースがアナウンスされ、ほぼ同時期にSMEがレーベルゲートCDの撤廃を発表した。当初、既にレーベルゲートCDで発売されている商品に関してはそのまま販売を継続するとされていたが、後にレーベルゲートCDでリリースされたシングル3作品も店頭回収、新品番にてCD-DA盤が再リリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。当時のシングルのアナログ盤のB面曲がCDと同じ(それまでは未アナログ化の過去のシングルのA面曲などを収録していた)なのは「当時はCCCD問題でそれどころではなかった」と後に当時のチーフマネージャー原田公一が回想している。
- ^ 奥田幹二(おくだ かんじ、1941年6月20日 -)。民生は「父ちゃんは…政治家といえば政治家ですよね。市の市会議員ですね。でも給料少ないんですよ。何と言ってもね、共産党ですからね……こんなこと言っていいんですかね?党にね、給料持って行かれるんですよ(笑)。給料というか、ボーナスとかは結構持って行かれるのかな?でもなんで父ちゃんは共産党にいるんだろう?とは思ってましたね。周りはみんな自民党なのに、一番人気のない共産党にいるんだろう、親戚や母ちゃんとかも『なんでこういう苦労をわざわざするのか』みたいな話になるじゃないですか」などと述べている。
出典
参考文献
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ABEDON(阿部義晴) (Keyboard&Vocal&Guitar) - EBI(堀内一史) (Bass&Vocal) - 奥田民生 (Vocal&Guitar) - 川西幸一 (Drums&Vocal) - 手島いさむ (Guitar&Vocal) 向井美音里 (Keyboard) |
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NARGO - 北原雅彦 - GAMO - 谷中敦 - 沖祐市 - 川上つよし - 加藤隆志 - 大森はじめ - 茂木欣一 元メンバー:武内雄平 - 林昌幸 - ASA-CHANG - クリーンヘッド・ギムラ - 寺師徹 - 杉村ルイ - 青木達之 - 冷牟田竜之 サポートメンバー:會田茂一 - 中村達也 ゲスト: 高橋幸宏 - 竹中直人 - 石川さゆり - 小沢健二 - 田島貴男 - チバユウスケ - 奥田民生 - ハナレグミ - CHARA - 甲本ヒロト - PUFFY |
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