戸崎 圭太(とさき けいた、1980年7月8日 - )は、 栃木県下都賀郡壬生町出身の騎手。日本中央競馬会所属。剣道場「神奈川県 川崎真道館道場」総代表。
常用外漢字の登録が認められていないJRAの規則に伴い、姓は「戸崎」表記ではあるが、戸籍上の正式な表記は常用外漢字が含まれた「戸﨑圭太」である(大井競馬所属時はこの表記が用いられていた)。[3]
勝負服は青地に胴赤散らし。青は大井の先輩である内田博幸の勝負服が、胴赤星散らしは同様に的場文男の勝負服の星(★)が由来となっている[4]。
来歴
1980年、栃木県出身。壬生中学時代は野球部に所属。今でも野球が特技である。中学3年の時に生徒会長を務め、将来は学校の先生になろうというイメージがあったという[5]。趣味はゴルフとあるが、本人曰く15年以上やっていないと言う。
騎手志望当時、中央競馬の存在を知らず、栃木県那須塩原市にあった地方競馬教養センターを受験。1998年、地方競馬教養センター騎手課程を卒業し騎手免許を取得する[6]。大井競馬場・香取和孝厩舎に所属して同年4月12日の大井競馬第3競走をミヤサンヤシマで勝利、初騎乗初勝利を挙げる[7]。
2005年6月26日に福島競馬場で行われた3歳未勝利戦で、13番人気スプリングラゴスに騎乗し中央競馬初騎乗、10着となる。同年9月14日大井競馬第10競走トゥインクルレディー賞を8番人気コウエイソフィアで勝利し、重賞初制覇[8]。
2007年、初のJRA重賞となったマーチステークスでは、11番人気だったシーチャリオットに騎乗し14着。7月8日、阪神競馬場で行われた3歳以上500万円以下のレースをヤマカツティガーで制し中央初勝利[9]。12月13日に地方通算600勝を達成した。
2007年には全国リーディング3位と活躍。南関東内では内田博幸に次ぐリーディング2位であり、的場文男を上回る勝ち鞍を挙げる活躍であった。
2008年のダイオライト記念でフリオーソに騎乗して、ダートグレード競走初勝利[10]。同年の東京ダービーでは前年のアンパサンドに続き、ドリームスカイ(10番人気)で勝利し東京ダービー連覇を果たした[11]。さらに6月25日の中央との交流重賞帝王賞(JpnI)をフリオーソで逃げ切り、統一GI(Jpn1)初勝利をあげた[12]。9月17日大井競馬第6競走で落馬、全治1ヶ月の鎖骨骨折を負い、同日第11競走トゥインクルレディー賞でトーセンジョウオーに騎乗できなかった。このようなアクシデントはあったが、ネフェルメモリーを12月31日の東京2歳優駿牝馬で勝利に導いている。この年は306勝で初の全国リーディング獲得。NARグランプリ2008最優秀騎手に選出された[13]。
2009年は船橋記念をスパロービートで勝利、3月11日のダイオライト記念および3月20日の桜花賞をいずれも前年に続き連覇。3月25日に京浜盃を制し、地方競馬通算1000勝を達成[13]。この年は前年を上回る387勝を挙げ、2年連続で全国リーディングジョッキー。NARグランプリ最優秀勝利回数騎手及び同最優秀賞金収得騎手賞を受賞した[14]。中央競馬では前年まで通算5勝の成績から一転して年間20勝を挙げ、安田記念ではコンゴウリキシオーに、天皇賞(秋)ではエイシンデピュティに騎乗し中央GIにも参戦。クイーンカップでは大井所属のエイブルインレースで、勝ち馬のディアジーナから0.1秒差の3着に食い込む活躍をした。
2010年は中央への参戦も積極的に行う。日本ダービーでトゥザグローリーに騎乗。東京ダービーをマカニビスティーで制し、東京ダービー3勝目をあげた[15]。6月30日に行われた帝王賞(JpnI)では、フリオーソに騎乗。中央競馬の有力馬カネヒキリ・ヴァーミリアン・サクセスブロッケン・ボンネビルレコードなどを破り快勝。フリオーソでヴァーミリアンにも初めて勝利した[16]。7月14日のジャパンダートダービー(JpnI)ではマグニフィカに騎乗。始終先頭をキープ。直線でも一度も前を譲らず逃げ切り、帝王賞に続き川島正行調教師とのタッグでGIを獲得した。11月3日に船橋競馬場で行われたJBCクラシックは地方最強馬フリオーソとタッグを組むも武豊騎乗のスマートファルコンに逃げられ2着。11月14日の東京競馬場第11競走第15回東京中日スポーツ杯武蔵野ステークスでは6番人気のグロリアスノアで優勝、中央競馬重賞を初制覇した[17]。この年は勝利数が伸びず地方競馬単独の勝利数は294勝した山口勲に続く288勝だったが、中央競馬の勝利数も含める規定により前年に続き最優秀勝利回数騎手賞を獲得した[18]。
2011年も中央競馬へ参戦。6月5日の安田記念では、リアルインパクトに騎乗し、中央競馬GI競走で初優勝を飾った[19]。
2012年3月14日、船橋競馬場で行われたベストビット特別を1番人気のグレコで優勝し、地方競馬通算2000勝を達成[20]。7月13日、大井競馬で行われた第6競走において落馬負傷したが、2週間後の7月29日に復帰した[21]。
2013年、3度目の中央競馬の騎手免許試験挑戦で無事合格、3月1日付で中央競馬へ移籍[22]。2013年6月16日、東京競馬場で行われたユニコーンステークスを3番人気のベストウォーリアで勝利、JRA移籍後初の重賞勝利を決める[23]。12月12日に園田競馬場で行われたゴールデンジョッキーカップで優勝[24]。
2014年12月28日、第59回有馬記念をジェンティルドンナで勝利。八大競走初制覇を果たし、年間146勝(中央のみ)でこの年のリーディングジョッキーとなった。
2015年12月9日、香港のハッピーバレー競馬場で行われた国際騎手招待競走「ロンジン・インターナショナル・ジョッキーズ・チャンピオンシップ」に出場し、第2戦で同着も1着となり海外初勝利を挙げる[25]。総合順位は計4戦で13ポイントを獲得し、12人中3位[26]。
2016年12月25日、クリストフ・ルメール騎手との接戦を制して、年間187勝(中央のみ)で3年連続のリーディングジョッキーとなった。制裁点ゼロ(特別模範騎手賞の対象)でのリーディングは史上初である[27]。
2017年4月よりスポーツニッポンの土曜日紙面でコラム「KEI TA~LK」がスタート。
2019年6月29日、福島競馬場第7競走でエクリリストワールに騎乗し勝利。史上35人目、現役18人目のJRA通算1000勝を達成。地方出身では史上4人目[28]。
2019年11月4日、浦和競馬場で行われたJBCレディスクラシック(G1)で落馬し、右肘開放骨折の重傷を負う。
2020年、2度の手術とリハビリを経て5月23日のレースより復帰。8月16日、新潟競馬場で行われた関屋記念でサトノアーサーに騎乗し勝利。復帰後初の重賞制覇となった。[29]12月6日、チャンピオンズカップをチュウワウィザードで勝利し、復帰後初G1制覇および自身初のJRAダートG1制覇となった[30]。
2020年12月12日、中山競馬場第10競走をサンライズカラマで勝利し、JRA通算1100勝を達成。史上33人目[31]。
2021年初頭にはドバイ、サウジアラビアに遠征。2月20日(現地時間)に行われたサウジカップデーでは当初ジョエル・ロサリオが騎乗予定だったピンクカメハメハに代打騎乗[32]しサウジダービーに勝利。マテラスカイとのコンビで挑んだリヤドダートスプリントでは2着に入り、コパノキッキングとの日本馬ワンツーフィニッシュを決めた。しかしチュウワウィザードとのコンビで臨んだメインのサウジカップでは9着に敗れた[33]。3月27日(現地時間)に行われたドバイワールドカップデーではサウジアラビアから転戦してきたマテラスカイ、チュウワウィザードに騎乗。マテラスカイと臨んだドバイゴールデンシャヒーンは12着に敗れたが、チュウワウィザードと臨んだメインのドバイワールドカップでは2着となり、2011年以来10年ぶり(ダートで行われたレースとしては20年ぶり)となる同レース日本馬連対を果たした[34][35]。
2023年5月14日、ヴィクトリアマイルで、ソングラインに騎乗し優勝[36]。6月4日の安田記念でもソングラインに騎乗し優勝[37]。
2024年1月20日、中山5Rでリヤンドゥミラクルに騎乗し、史上52人目、現役33人目、地方競馬出身騎手では5人目のJRA通算1万回騎乗を達成した[38]。6月16日、東京10R相模湖特別でオメガウイングに騎乗し勝利、1万330走目で、史上21人目(現役9人目)のJRA通算1500勝を達成[39]。7月7日、七夕賞をレッドラディエンスで勝利し、岡部幸雄と並んで歴代最多タイの同レース4勝目とする[40]。8月4日、レパードステークスをミッキーファイトで勝利し、2014年アジアエクスプレス、2016年グレンツェントに続き、同レース歴代最多を更新する3勝目を挙げる[41]。
エピソード
2005年に初めて中央競馬 (JRA) の新規騎手免許試験に挑み[42]、一次試験で不合格となる[43]。2010年の時点ではJRAへの移籍について「今は特別考えていませんね。そういう時期になったら、改めて考えようと思っています。今は1頭でも多く、1日でも多くガムシャラに乗りたいんですよ」[44]と述べていた。翌2011年、安田記念の勝利を契機として2度目の試験に挑んだ[42][43]が、またも一次試験で不合格[45]。2012年9月、3度目の試験に挑むため、願書を提出し、10月、一次試験に合格。1月に受験した二次試験にも合格し2013年3月1日付でJRAの騎手となった[22]。なお、移籍後は美浦の田島俊明厩舎に所属している[46]。
表彰
年度別成績表
年度 |
騎乗数 |
勝利 |
勝率 |
連対率 |
獲得賞金
|
勝数 |
順位
|
1998年 |
70 |
4 |
位 |
.057 |
.143 |
18,356,000円
|
1999年 |
307 |
12 |
位 |
.039 |
.121 |
62,908,000円
|
2000年 |
404 |
25 |
位 |
.062 |
.126 |
113,735,000円
|
2001年 |
546 |
31 |
位 |
.057 |
.125 |
186,837,500円
|
2002年 |
533 |
36 |
位 |
.068 |
.158 |
166,044,000円
|
2003年 |
615 |
39 |
位 |
.063 |
.135 |
156,293,000円
|
2004年 |
731 |
53 |
位 |
.073 |
.156 |
181,840,000円
|
2005年 |
860 |
74 |
62位 |
.086 |
.169 |
235,136,000円
|
2006年 |
1145 |
139 |
22位 |
.107 |
.229 |
391,532,000円
|
2007年 |
1584 |
212 |
3位 |
.134 |
.242 |
593,054,000円
|
2008年 |
1737 |
306 |
1位 |
.176 |
.305 |
1,055,680,000円
|
2009年 |
1762 |
387 |
1位 |
.220 |
.355 |
1,196,562,000円
|
2010年 |
1665 |
288 |
2位 |
.173 |
.297 |
1,185,754,000円
|
2011年 |
1492 |
327 |
1位 |
.219 |
.357 |
1,101,127,000円
|
2012年 |
1539 |
367 |
1位 |
.238 |
.366 |
1,093,442,000円
|
2013年 |
167 |
45 |
110位 |
.269 |
.437 |
133,347,000円
|
通算 |
15166 |
2332 |
- |
.143 |
.265 |
7,871,647,500円
|
年度 |
騎乗数 |
勝利 |
勝率 |
連対率 |
獲得賞金
|
勝数 |
順位
|
2005年 |
3 |
0 |
176位 |
.000 |
.000 |
0円
|
2006年 |
18 |
0 |
181位 |
.000 |
.000 |
750,000円
|
2007年 |
44 |
2 |
133位 |
.045 |
.091 |
45,263,000円
|
2008年 |
152 |
3 |
110位 |
.020 |
.092 |
110,736,000円
|
2009年 |
199 |
21 |
50位 |
.106 |
.191 |
311,105,000円
|
2010年 |
293 |
22 |
45位 |
.075 |
.184 |
496,676,000円
|
2011年 |
103 |
9 |
74位 |
.087 |
.146 |
220,263,000円
|
2012年 |
171 |
22 |
51位 |
.129 |
.234 |
358,742,000円
|
2013年 |
866 |
113 |
5位 |
.130 |
.239 |
1,965,428,000円
|
2014年 |
972 |
146 |
1位 |
.150 |
.249 |
2,659,341,000円
|
2015年 |
940 |
130 |
1位 |
.138 |
.267 |
2,724,352,000円
|
2016年 |
969 |
187 |
1位 |
.193 |
.331 |
3,380,395,000円
|
2017年 |
925 |
171 |
2位 |
.185 |
.321 |
2,765,556,000円
|
2018年 |
883 |
115 |
3位 |
.130 |
.267 |
2,501,200,000円
|
2019年 |
752 |
104 |
5位 |
.138 |
.285 |
2,350,410,000円
|
2020年 |
428 |
56 |
19位 |
.131 |
.255 |
1,248,826,000円
|
2021年 |
661 |
88 |
7位 |
.133 |
.230 |
1,909,614,000円
|
2022年 |
813 |
136 |
2位 |
.167 |
.304 |
2,315,671,000円
|
2023年 |
779 |
112 |
6位 |
.144 |
.250 |
2,498,372,000円
|
通算 |
9971 |
1437 |
- |
.144 |
.264 |
27,862,699,000円
|
|
|
日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
地 方 |
初騎乗・初勝利[7] |
1998年4月12日 |
1回大井1日3R |
C3八組九組 |
ミヤサンヤシマ |
9頭 |
1 |
1着
|
重賞初勝利[8] |
2005年9月14日 |
11回大井4日10R |
トゥインクルレディー賞 |
コウエイソフィア |
16頭 |
8 |
1着
|
GI初勝利[12] |
2008年6月25日 |
5回大井4日11R |
帝王賞 |
フリオーソ |
13頭 |
1 |
1着
|
中 央 |
初騎乗 |
2005年6月26日 |
2回福島4日3R |
3歳未勝利 |
スプリングラゴス |
15頭 |
13 |
10着
|
初勝利[9] |
2007年7月8日 |
3回阪神8日8R |
3歳上500万下 |
ヤマカツティガー |
13頭 |
5 |
1着
|
重賞初騎乗 |
2007年3月25日 |
3回中山2日11R |
マーチステークス |
シーチャリオット |
15頭 |
11 |
13着
|
重賞初勝利[17] |
2010年11月14日 |
5回東京4日11R |
武蔵野ステークス |
グロリアスノア |
16頭 |
6 |
1着
|
GI初騎乗 |
2008年2月24日 |
1回東京8日11R |
フェブラリーステークス |
アンパサンド |
16頭 |
13 |
10着
|
GI初勝利[19] |
2011年6月5日 |
3回東京6日11R |
安田記念 |
リアルインパクト |
18頭 |
9 |
1着
|
主な騎乗馬
GI級競走優勝
グレード制重賞優勝
地方重賞優勝
その他
脚注
- ^ a b c “戸崎圭太のプロフィール|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2019年11月3日閲覧。
- ^ “平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
- ^ JRA騎手免許試験合格時のプロフィールより(PDF)。https://www.jra.go.jp/news/201302/pdf/020703_06.pdf
- ^ 競馬最強の法則2010年9月号 ターザン炎上!競馬デスマッチ 戸崎圭太騎手
- ^ 『優駿』2010年9月号、80-81頁。
- ^ 同期デビューの騎手には森泰斗(現船橋)らがいる。
- ^ a b “戸崎圭太騎手特集”. 東京シティ競馬 : TOKYO CITY KEIBA. 2015年9月15日閲覧。
- ^ a b c “9月14日(水)「トゥインクルレディー賞(大井)はコウエイソフィア」他”. ラジオNIKKEI. (2005年9月14日). http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-146056.html 2015年9月15日閲覧。
- ^ a b “戸崎圭太騎手 JRA初勝利!”. ラジオNIKKEI. (2007年7月8日). https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-141683.html 2015年9月15日閲覧。
- ^ 斎藤修. “web Furlong【レースハイライト】第53回 ダイオライト記念 JpnII”. 地方競馬全国協会. 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b c 斎藤修. “第54回東京ダービー”. 地方競馬全国協会. 2015年9月16日閲覧。
- ^ a b c “フリオーソ「超一級品」逃走V/帝王賞”. 日刊スポーツ. (2008年6月26日). https://web.archive.org/web/20080626133135/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080626-376239.html 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b “戸崎圭太騎手(大井)地方通算1000勝達成”. 地方競馬全国協会 (2009年3月25日). 2015年9月15日閲覧。
- ^ “『NARグランプリ2009』表彰馬・表彰者決定!”. 地方競馬全国協会 (2010年1月7日). 2015年9月16日閲覧。
- ^ a b 斎藤修. “web Furlong 2010【ダービーウイーク特集】第56回東京ダービー”. 地方競馬全国協会. 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b 斎藤修. “web Furlong 2010【レースハイライト】第33回帝王賞JpnI”. 地方競馬全国協会. 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b “戸崎がノアでJRA初重賞制覇/武蔵野S”. 日刊スポーツ. (2010年11月15日). https://web.archive.org/web/20101117030713/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20101115-702305.html 2015年9月19日閲覧。
- ^ 矢野吉彦 (2011年2月5日). “NARグランプリ2010 競馬最前線”. netkeiba.com. 2015年9月19日閲覧。
- ^ a b c “戸崎圭太騎手 JRA安田記念(GⅠ)制覇!”. 東京シティ競馬 : TOKYO CITY KEIBA. (2011年6月6日). http://www.tokyocitykeiba.com/news/1839 2015年9月19日閲覧。
- ^ “戸崎圭太騎手(大井)地方通算2000勝達成”. 地方競馬情報サイト (2012年3月14日). 2012年10月7日閲覧。
- ^ “戸崎圭太騎手の復帰について”. TCK NEWS (2012年7月27日). 2012年10月7日閲覧。※結果は復帰初戦の勝利を含む5戦3勝2着1回
- ^ a b “2013年度 調教師・騎手免許試験合格者”. JRA 日本中央競馬会 (2013年2月7日). 2013年2月7日閲覧。
- ^ 【ユニコーンS】ウォーリアでJRA戸崎重賞初V(2013年6月16日)
- ^ “第22回ゴールデンジョッキーカップ”. そのだけいば・ひめじけいば公式ホームページ. 2014年1月24日閲覧。
- ^ “戸崎圭太騎手、香港で海外初勝利|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. ラジオNIKKEI. 2024年7月13日閲覧。
- ^ “【香港・国際騎手招待競走】日本の戸崎、初の海外勝利も3位 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年7月13日閲覧。
- ^ “戸崎3年連続リーディング!制裁点ゼロは史上初の快挙”. サンケイスポーツ (2016年12月26日). 2016年12月26日閲覧。
- ^ “戸崎、JRA通算1000勝を達成”. サンケイスポーツ (2019年6月30日). 2019年6月30日閲覧。
- ^ “怪我からの復帰後初となる重賞制覇&古巣・大井でも騎乗!矢野貴之騎手にもエール”. 競馬ラボ (2020年8月21日). 2020年10月1日閲覧。
- ^ “【チャンピオンズC・豆知識】戸崎圭太騎手JRAダートGI初制覇 1番人気のGI連勝は7、ルメール騎手連勝は4で止まる | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2020年12月7日閲覧。
- ^ “開催競馬場・今日の出来事、明日の取消・変更等(12月12日(土曜)) JRA”. www.jra.go.jp. 2020年12月12日閲覧。
- ^ “【サウジCデー】2騎手が入国不可になり騎乗変更、サウジダービーのピンクカメハメハは戸崎圭太騎手に | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年3月30日閲覧。
- ^ “2021サウジカップデーの結果 JRA”. www.jra.go.jp. 2021年3月30日閲覧。
- ^ “2021ドバイワールドカップデーの結果 JRA”. jra.jp. 2021年3月30日閲覧。
- ^ “ドバイWCデーで日本馬が激走! 馬券発売4レース全てで2着する健闘!”. スポーツナビ. 2021年3月30日閲覧。
- ^ “【ヴィクトリアマイル結果】ソングラインが復活のGI・2勝目 前年覇者ソダシをゴール寸前で差し切る | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2024年1月20日閲覧。
- '^ “【安田記念】ソングライン連覇 ウオッカ以来、史上3頭目”. UMATOKU | 馬トク - スポーツ報知 (2023-06-04JST15:53:00+0900). 2024年1月20日閲覧。
- ^ 松田直樹. “戸崎騎手が地方競馬出身5人目のJRA1万回騎乗「生き方そのもの」1日3勝の活躍/中山5R - 共通 | 競馬 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年1月20日閲覧。
- ^ “MSN”. www.msn.com. 2024年6月16日閲覧。
- '^ “【七夕賞】重賞初挑戦のレッドラディエンスがV あす44歳誕生日の戸崎圭太騎手が最多タイ4勝目”. UMATOKU | 馬トク - スポーツ報知 (2024-07-07JST15:53:00+0900). 2024年7月7日閲覧。
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関連項目
外部リンク
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※中央競馬発足以降の記録。1987年までJRA賞としての表彰は行われていない。 |
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