ドントレル・ウィリス
ドントレル・ウェイン・ウィリス(Dontrelle Wayne Willis, 1982年1月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元プロ野球選手(投手)。 愛称はDトレイン(D-Train)。右足を極端に高く蹴り上げ、上体を大きくひねって投球する独特のハイキック投法で知られた。 経歴プロ入り前1981年1月12日にカリフォルニア州オークランドで生まれ、母子家庭で育った[1]。母は溶接工で休日はソフトボールの捕手を務め、地元球団オークランド・アスレチックスのエースヴァイダ・ブルーのファンで、ウィリスにブルーのハイキック投法を投げるように教えた[1]。そしてウィリスはブルーそっくりな投手になった[1]。2000年にドラフト8巡目(全体223位)指名でシカゴ・カブスに入団した。 マーリンズ時代![]() (2007年6月5日) 2002年3月27日にフロリダ・マーリンズへトレードで移籍。 2003年、マイナーリーグAA級カロライナで6試合に先発して4勝0敗・防御率1.49の好成績を挙げると、5月9日にジョシュ・ベケットが故障者リスト入りし、AAA級を飛び越してにメジャーに昇格し、同日の対コロラド・ロッキーズ戦でにデビュー[2]。デビュー戦から3回目の登板まで1勝1敗、防御率7.07だったが、その後7月13日までの10回の登板で8連勝をマークし、防御率は1.05[2]。6月にはナリーグ新人選手としては野茂英雄(1995年6月)以来となるピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した[2]。7月12日に行われたMLBオールスターゲームにも選出され、ナリーグの投手として1985年のドワイト・グッデン以来の若さでの選出となった[2]。ウィリスの登場は、ブラッド・ペニーやカール・パバーノら伸び悩んでいた他の投手にも刺激をもたらし[3]、その結果マーリンズはワールドシリーズを制覇。シーズン終了後、ウィリスは球団史上初[4]の新人王を受賞した。 2004年は開幕から3試合連続で自責点0で3連勝。4月25日のブレーブス戦の初回で自責点を記録し、昨年の9月23日からの連続無自責点が27.1回で途切れた[5]。しかし、その後は低迷し、負け越した上に防御率を0.7近く悪化させるなど2年目のジンクスにはまったが、カール・パバーノに次ぐチーム2番目の勝数(10)、奪三振(139)を記録した[5]。 2005年は開幕から2戦連続で完封勝利。その後は連勝を伸ばして7戦7勝を記録し、球団史上リバン・ヘルナンデスの開幕から9戦9勝に次ぐ好調なスタートを切った[6]。最終的に22勝で最多勝のタイトルを獲得し、球団史上初の20勝投手となった[7]。サイ・ヤング賞投票ではクリス・カーペンターに次ぐ票を集めた[8]。 2006年は、3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にアメリカ合衆国代表として出場し、ロジャー・クレメンスやジェイク・ピービーと先発ローテーションを形成。前年の2005年に行われたWBC開催発表記者会見に出席するなど意欲的だったが、調整不足からコントロールを乱し[9]、カナダ戦、韓国戦と2試合に登板して2敗・防御率12.71[10]と散々な成績だった。その後のMLBレギュラーシーズンでも安定せず[11]、12勝12敗・防御率3.87と前年から成績を落とした。 2007年は成績がさらに悪化した。選手層が薄いマーリンズにおいてローテーション落ちこそなかったが、敗戦数・防御率・失点・自責点・WHIPで自己最悪の数字を記録、特に失点・自責点はリーグワーストだった。2003年からの5年間マーリンズ在籍中に勝数(68)、奪三振(757)、先発登板数(162)を記録し、球団記録を更新した[12]。 タイガース時代![]() (2009年5月29日) シーズン終了後の12月4日に、年俸総額の削減を進めていたマーリンズは、主砲のミゲル・カブレラとともにウィリスをデトロイト・タイガースにトレードし、その後2010年まで3年総額2,900万ドルで契約を結んだ[13]。 2008年は前年の不調を引きずったのか、ストライクがほとんど入らないまでに制球が悪化し、故障もあったためシーズンの大半をマイナーで過ごすなどチームの期待を大きく裏切った。 2009年は開幕から不安障害で故障者リスト入りし、7先発後に同じ病気で離脱しシーズンを終えた。 タイガース退団後(2010年6月18日) 2010年6月1日にトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[14]。7月6日に放出された。7月14日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。11月6日にFAとなった。11月23日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。 2011年10月30日にFAとなった。12月15日にフィラデルフィア・フィリーズとノン・ギャランティーで単年契約を結んだ[15]。 2012年、契約が確定する前日の3月15日に違約金を支払われて契約を解消された。3月20日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。同年7月2日に現役引退を表明し[16]、10月16日に契約を解除された。 2013年1月3日に引退を撤回し、シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、3月30日に放出された。4月5日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。8月4日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結んだ。11月5日にFAとなった。 2014年1月10日にジャイアンツと再びマイナー契約を結んだ[17]。4月に解雇され、7月5日にアトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約。 2015年1月21日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだが、スプリングトレーニングでも登板することなく3月13日に二度目の現役引退を表明した。 引退後FOXスポーツのキャスターに就任した。 プレースタイル・人物投球時に右足を極端に高く蹴り上げ、体を大きくひねってサイドスロー気味にリリースする独特のハイキック投法から投げる。バランス向上のため、年々右足の上げ幅を小さくしている他、カウントと打者の左右に合わせてスリークォーターからサイドスローまで腕の角度を変えることによって、打者にリリースポイントを判断させづらくしている[18]。 手元で小さくスライドするツーシーム、大きなスラーブ、右打者から鋭く遠ざかるチェンジアップを主な武器とし、コントロール(ストライクを取る能力)にやや課題を残すものの、コマンド(狙ったスポットに投げる能力)に優れていた[18]。しかし2006年からは制球に苦しむようになり、2008年はストライクがほとんど入らないまでに制球が悪化し、シーズンの大半をマイナーで過ごした。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
タイトル
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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