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カルロス・アルベルト・ザンブラーノ・マトス (Carlos Alberto Zambrano Matos, 1981年 6月1日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国 カラボボ州 プエルト・カベージョ 出身の元プロ野球選手 (投手 )。右投両打。
ニックネームは "Big Z "。
経歴
プロ入り前
自分を含めて8人兄弟という大家族に生まれ、少年時代から野球 に親しむ。当時は一塁手 で、試合中に "Soy pequeño Mark McGwire!" (俺は小さなマーク・マグワイア だ!)などと叫んでいたという[ 1] 。ただ、野球アカデミーなどに所属した経験はなく、当時は憧れのメジャーリーガーもいなかったと本人は語っている[ 2] 。
カブス時代
1997年 にカブスと契約。
2001年 8月20日、ブルワーズ とのダブルヘッダー 第2戦に先発登板 しメジャーデビュー。1か月後の9月20日、アストロズ 戦でリリーフ として2/3イニングを投げ、メジャー初勝利を挙げた。
2002年 は開幕をマイナー AAA級アイオワ で迎えたが、その後すぐにメジャー昇格。7月1日以降は先発ローテーション 入りする[ 3] 。
2003年 は開幕からローテーションに定着。ケリー・ウッド 、マット・クレメント 、マーク・プライアー 、ショーン・エステス に次ぐ5番手という立場ながら200イニングを投げ13勝を記録。
2004年 には16勝・防御率 2.75(リーグ4位)でチーム二冠となり、自身初のオールスター 選出、さらにサイ・ヤング賞 の投票では5位に。
2005年 には開幕投手になった。その開幕戦で球審の判定に腹を立て「お前には眼鏡が必要だ」と暴言を吐いたことで退場処分を受けたザンブラーノだが[ 4] 、このシーズンを通してエースとして活躍し14勝・防御率3.26・202奪三振 を記録、投球3部門でチームトップとなった。
2006年 開幕前の3月に第1回WBC のベネズエラ代表 に選出された[ 5] 。初戦・ドミニカ共和国 戦での登板を希望したが、同じ先発投手のヨハン・サンタナ もまた、その試合で投げることを望んだため、サンタナが先発しザンブラーノが救援することに。その試合ではエイドリアン・ベルトレ に3点本塁打 を浴びたが、ザンブラーノはこの試合を大会で一番の思い出に挙げ、次回大会 への出場も希望した[ 6] 。
シーズンでは、7月中に6勝を挙げ、月間防御率が4.15ながら月間最優秀投手賞 を受賞。9月4日の登板では背中を痛めたが、サイ・ヤング賞受賞の可能性があることを理由にその後も強行出場を続けた[ 7] 。この年はチームが地区最下位に沈むなか、与四球 がリーグ最多ながらシーズン通算16勝を挙げ、自身初タイトルとなる最多勝(他5投手とのタイ)を獲得。サイ・ヤング賞の投票では5位に入った。
2007年 は、シーズン開幕前に「今年はオレがサイ・ヤング賞を獲る。そして、カブスはワールドシリーズで優勝。このオレが保証する」と宣言[ 8] 。しかしこの年、ザンブラーノはトラブルに見舞われる。まず、6月1日のブレーブス 戦において、捕逸 や暴投 で失点したことに怒り、ベンチやクラブハウスで捕手 マイケル・バレット と殴り合いを起こす。この件については同月20日、最終的にバレットがパドレス へトレード で放出されることになった。また、9月3日のドジャース 戦では4.1回8失点で降板。ファンは8月以降勝ち星のなかったザンブラーノにブーイング を浴びせ、これに対しザンブラーノは罵り言葉を発しながらベンチへ。翌日に謝罪したが、評判を落としてしまった[ 9] 。結局、この年は自己最多の18勝を挙げたが、奪三振率やWHIP が前年から低下し、サイ・ヤング賞の投票では2年連続の5位。チームは前年の最下位から地区優勝しポストシーズン へ進出したが、地区シリーズ で敗退。8月17日には5年総額9,150万ドルで契約を延長するなど[ 10] 明るい話題もあったが、自身もチームも開幕前の宣言通りにはならなかった。
2008年7月9日
2008年 はザンブラーノ本人によると球速が出ず、93、94mph (約149.7 - 151.3km/h )が精一杯だったという[ 11] 。3・4月と5月の2か月連続で月間防御率が2点台前半と好調だったが、6月に肩を痛めて故障者リスト 入り[ 12] 。復帰後の7月はいい成績を残していたものの、8月・9月は月間防御率が7点台まで落ち込む不振に陥り、9月2日の登板で肩を痛め次の登板を回避している[ 11] 。シーズン投球回は6年ぶりに200を下回った。9月14日のアストロズ戦では4回にミゲル・テハダ に四球を与え、完全試合 を逃すもノーヒッター を達成。2年連続出場のポストシーズンでは再び地区シリーズ で敗退。ザンブラーノも同シリーズで敗戦投手となり、またもチームを世界一に導くことができなかった。さらに、この右肩痛が原因で、前述の通り参加を希望していた第2回WBCも出場辞退ということになった[ 13] 。
2011年8月12日のアトランタ・ブレーブス 戦で危険球退場となった後、「引退する」と言い残して、無断でロッカーを整理して帰宅・失踪する騒動を起こし、球団から30日の資格停止処分を受け、そのままシーズンを終えた。2年の契約が残っているも退団は確実とされていたが、2011年8月15日の地元テレビの取材に「またカブスで投げたい。カブスが迎え入れてくれるなら、再びチームに戻る。心の底から、永遠にカブスの一員になる」と発言した[ 14] 。
マーリンズ時代
2012年 1月5日、クリス・ボルスタッド とのトレード による、マイアミ・マーリンズ へ移籍が発表された。2012年の年俸約1,800万ドルのうち250万ドルをマーリンズが負担し、2013年分やトレード拒否条項についてはザンブラーノが放棄した。オフにFAとなった。
2013年 開幕前の3月に第3回WBC のベネズエラ代表に選出され[ 15] 、2大会振り2度目の選出を果たした。
フィリーズ傘下時代~現役引退
2013年5月17日、フィラデルフィア・フィリーズ とマイナー契約したが、7月にDFAとなる。11月から、ベネズエラのウィンターリーグ に参加した。
2014年 9月5日に引退を表明した[ 16] 。
現役復帰
2018年 7月5日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル のユカタン・ライオンズ と契約し現役復帰。しかし、8月14日に解雇となった。オフはベネズエラのウィンターリーグでプレー。
2019年 4月16日に独立リーグ・アメリカン・アソシエーション のシカゴ・ドッグス (英語版 ) と契約。2020年 1月17日に二度目の現役引退を表明した。
選手としての特徴
2008年7月10日のシンシナティ・レッズ 戦において、マイケル・ワーツ の代打として打席に向かうザンブラーノ。本拠地リグレー・フィールド のファンは拍手喝采で迎えたが、結果は投ゴロに終わった
投球
最速101mph(約162km/h)のフォーシーム・ファストボール [ 17] とツーシーム (シンカー )、スライダー 、カーブ 、SFF を持つ。ツーシームは簡単にフライを打ち上げることができないため「ヘビーシンカー」と呼ばれる[ 11] 。
2004年から3年連続で奪三振率でリーグ10位以内に入ったが、本人は「私はストライクアウト・マンではない。グラウンドボール ・マンだ」と語っている[ 2] 。
打撃
強打のスイッチヒッター としても活躍しており、今まで30回代打として起用されたことがある。2008年 にはオールスターゲーム 前日に行われるホームランダービーに出場すべきと言う声もあった[ 18] 。2005年は80打数24安打 ・打率 .300を記録。2006年は73打数11安打・打率.151ながら6本塁打 を放ち、ファーガソン・ジェンキンス が1971年 に記録した投手による本塁打の球団記録に並ぶ[ 19] とともにシルバースラッガー賞 を初受賞。同賞は83打数28安打で打率.337を記録した2008年にも受賞した。
通算成績は、打率.238、24本塁打、71打点、OPS.636。24本塁打は投手としては2014年時点で歴代9位タイ。
詳細情報
年度別投手成績
年 度
球 団
登 板
先 発
完 投
完 封
無 四 球
勝 利
敗 戦
セ 丨 ブ
ホ 丨 ル ド
勝 率
打 者
投 球 回
被 安 打
被 本 塁 打
与 四 球
敬 遠
与 死 球
奪 三 振
暴 投
ボ 丨 ク
失 点
自 責 点
防 御 率
W H I P
2001
CHC
6
1
0
0
0
1
2
0
0
.333
42
7.2
11
2
8
0
1
4
1
0
13
13
15.26
2.48
2002
32
16
0
0
0
4
8
0
0
.333
477
108.1
94
9
63
2
4
93
6
0
53
44
3.66
1.45
2003
32
32
3
1
0
13
11
0
0
.542
907
214.0
188
9
94
12
10
168
6
1
88
74
3.11
1.32
2004
31
31
1
1
0
16
8
0
0
.667
887
209.2
174
14
81
4
20
188
6
2
73
64
2.75
1.22
2005
33
33
2
0
0
14
6
0
0
.700
909
223.1
170
21
86
3
8
202
7
0
88
81
3.26
1.15
2006
33
33
0
0
0
16
7
0
0
.696
917
214.0
162
20
115
4
9
210
9
1
91
81
3.41
1.29
2007
34
34
1
0
0
18
13
0
0
.581
925
216.1
187
23
101
4
14
177
3
0
100
95
3.95
1.33
2008
30
30
1
1
0
14
6
0
0
.700
796
188.2
172
18
72
1
6
130
4
0
85
82
3.91
1.29
2009
28
28
1
1
0
9
7
0
0
.563
733
169.1
155
10
78
6
9
152
7
0
78
71
3.77
1.38
2010
36
20
0
0
0
11
6
0
4
.647
571
129.2
119
7
69
0
6
117
7
1
55
48
3.33
1.45
2011
24
24
0
0
0
9
7
0
0
.563
634
145.2
154
19
56
4
5
101
1
0
80
78
4.82
1.44
2012
MIA
35
20
1
1
0
7
10
0
2
.412
591
132.1
123
9
75
1
10
95
1
0
75
66
4.49
1.50
MLB :12年
354
302
10
5
0
132
91
0
6
.592
8389
1959.0
1709
161
898
41
102
1637
58
5
879
797
3.66
1.33
獲得タイトル・表彰・記録
諸記録
背番号
代表歴
脚注
^ Tim Keown, "Crazy Good / Carlos Zambrano is a smack-talking, bat-breaking, finger-pointing hothead. If he learns to hold back, will he still be one of baseball's best young pitchers? ," ESPN The Magazine . 2008年12月14日閲覧。
^ a b 保住紘一 「独占インタビュー/第4の男 カルロス・ザンブラーノ[カブス]」 『月刊スラッガー 』2004年8月号、日本スポーツ企画出版社 、2004年、雑誌 15509-8、67-69頁。
^ "Carlos Zambrano 2002 Pitching Gamelogs ," Baseball-Reference.com . 2008年12月14日閲覧。
^ Carrie Muskat / MLB.com, "Zambrano ejected in fifth inning / Starter pulled after 4 2/3, then tossed for choice words ," cubs.com , April 4, 2005. 2008年12月14日閲覧。
^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ ]
^ 澤田敏典 「新連載 WBC にかける思い ベネズエラ編」 『月刊スラッガー』2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-6、64-65頁。
^ 「NATIONAL LEAGUE サイ・ヤング賞 その他の候補たち File:018 カルロス・ザンブラーノ[CHC #38]」 『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、20頁。
^ 出野哲也 「MLB30チーム最新レポート シカゴ・カブス/CHC ザンブラーノがサイ・ヤング賞宣言」 『月刊スラッガー』2007年5月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-5、75頁。
^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、318頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 。
^ 1年あたり1,830万ドルという額は、複数年契約を結んだ投手としては当時のMLB史上最高となる。Associated Press , "Zambrano deal for five years, $91.5 million in Chicago ," ESPN.com , August 18, 2007. 2008年12月14日閲覧。
^ a b c ナガオ勝司 「プレーバック・ノーヒッター カルロス・ザンブラーノ [カブス]」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2008』、ベースボールマガジン 社、2008年、雑誌 20449-11/20、80 - 81頁。
^ "Cubs place right-handed pitcher Carlos Zambrano on 15-day disabled list / Recall infielder Eric Patterson from Triple-A ," cubs.com , June 21, 2008. 2008年12月14日閲覧。
^ Carrie Muskat / MLB.com, "Zambrano will pass on Classic / Cubs ace may have Lasik eye surgery, cautious with shoulder ," MLB.com , February 13, 2009. 2009年3月1日閲覧。
^ 資格停止のザンブラノ 引退撤回しカブス復帰懇願 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/08/18/kiji/K20110818001431730.html
^ 2013 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ ]
^ MLBTradeRumors.com 2014年11月18日閲覧
^ カブス3投手の比較『月刊スラッガー』2004年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、56頁。
^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、324頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5 。
^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、378頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 。
^ AP, "Cubs' Zambrano leaves with back injury ," ESPN.com . 2008年12月14日閲覧。
^ Associated Press, "Zambrano masters Astros en route to first no-hitter for Cubs in 36 years ," ESPN.com . 2008年12月14日閲覧。
関連項目
外部リンク
業績
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