1970年イギリスグランプリ
1970年イギリスグランプリ (1970 British Grand Prix) は、1970年のF1世界選手権第7戦として、1970年7月18日にブランズ・ハッチで開催された。 レースは80周で行われ、ロータスのヨッヘン・リントがポール・トゥ・ウィンで優勝した。ブラバムのジャック・ブラバムが2位、マクラーレンのデニス・ハルムが3位となった。また、後にドライバーズチャンピオンとなるエマーソン・フィッティパルディのF1デビュー戦であり、ダン・ガーニーのF1最後のレースでもあった。 背景ダンロップはこの週末、本年をもってF1用タイヤの供給から撤退することを発表した[3]。1965年にグッドイヤーが参入したことによりダンロップの独占供給体制が崩れ、さらに1966年にファイアストンも参入してタイヤ競争が激化していった中[4]、この年もBRM(ペドロ・ロドリゲス)とティレル/マーチ(ジャッキー・スチュワート)によって2勝を挙げていた[5]。 エントリー本レースは25台が参加した[6]。ジョン・サーティースはこの年から自身のチーム「サーティース」でF1参戦を開始し、自製マシンの完成までの間はマクラーレン・M7Cを走らせていた。サーティース自ら設計及び制作に携わった初の自製F1マシンTS7が完成し、本レースからTS7を走らせる[7]。ウィリアムズは、オランダGPで事故死したピアス・カレッジに代わってブライアン・レッドマンを起用し、活動を再開した。フェラーリはクレイ・レガツォーニが2台目の312Bを走らせる。STPのマリオ・アンドレッティが復帰した。ロータスは3人目のドライバーとしてブラジルの新鋭エマーソン・フィッティパルディを起用し、49Cを走らせる[6]。マクラーレンはフォード・コスワース・DFVエンジンの不足[注 1]により、地元出身のピーター・ゲシンは欠場せざるを得なかった[8]。 エントリーリスト
予選ヨッヘン・リントがポールポジションを獲得し、ジャック・ブラバムとジャッキー・イクスとともにフロントローに並んだ[注 2]。ジャッキー・オリバーとデニス・ハルムが2列目、クレイ・レガツォーニ、ジョン・マイルズ、ジャッキー・スチュワートが3列目に並ぶ。ロルフ・シュトメレンはアクシデントによりマシンが大破し、以後のセッションの参加を見合わせた。ブライアン・レッドマンも後輪のハブが故障し[6]、トランスミッションの部品に不具合があると判明したため、決勝への出走を断念した[3]。 予選結果
決勝レース開始直前にアンドレア・デ・アダミッチのマクラーレン・M7Dが燃料漏れに見舞われ、決勝に出走できなくなった[3]。 スタート直後、ジャッキー・イクスは1コーナーのパドック・ヒル・ベントでジャック・ブラバムに並び、2コーナーのドルイド・ベントでブラバムを抜いて首位に立った。イクスは6周目まで首位を走行したが、7周目の1コーナーでトランスミッションが壊れてリタイアした。同時にヨッヘン・リントがブラバムを抜いて首位に浮上する。ブラバムも応戦し、レースのほとんどの時間でリントとブラバムの接近戦が続いた。ジャッキー・オリバーはレースのほとんどで3位を走行していたが、58周目にエンジンが壊れてリタイアした。これにより、デニス・ハルムが3位に浮上した。69周目にリントがギアチェンジを誤り、ブラバムが首位に立つ。このままブラバムがレースを制するかに見えたが、最終ラップの最終コーナーでガス欠に見舞われスローダウンしてしまい、既に13秒の差が付いていたリントがブラバムを抜き、首位でフィニッシュした。ブラバムはスローダウンしながらなんとか2位でチェッカーを受けた。ハルムはブラバムを抜くにはあまりにも差が付きすぎていたため、3位のままレースを終えた[6]。クレイ・レガツォーニはF1デビュー戦のオランダGPに続いて4位に入賞した[13]。 レース後の車検でリントのリアウィングの高さが違反と判断されて失格となったが、再検査によって3時間後に失格処分が取り消され、リントの3連勝が確定した[2]。 レース結果
第7戦終了時点のランキング
脚注注釈出典
参照文献
外部リンク
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