1973年カナダグランプリ
1973年カナダグランプリ (英: 1973 Canadian Grand Prix) は、1973年のF1世界選手権第14戦として、1973年9月23日にモスポート・パークで開催された[W 2]。 概要レースは80周で行われ、2番グリッドからスタートしたマクラーレン・M23を駆るピーター・レブソンが優勝した。アメリカ合衆国で生まれたドライバーがF1世界選手権で優勝した最後のレースである(2023年終了時点)[W 3][注 1]。2位はロータスのエマーソン・フィッティパルディ、3位となったシャドウのジャッキー・オリバーは5年ぶりでかつ最後の表彰台を獲得した。 本GPは3度のドライバーズチャンピオンを獲得したジャッキー・スチュワートにとって、99回目でかつ最後の出走となった。また、セーフティカーが初めて出動したレースでもあるが[W 4][注 2]、雨と事故とセーフティカーの出動によりラップチャートが大混乱してしまった[2]。 エントリー前戦イタリアGPでジャッキー・スチュワートのドライバーズチャンピオンが決定し、最大の関心はティレルとロータスのコンストラクターズチャンピオン争いとなった[W 5]。 ティレルは本GPで3台をエントリーすることを決めたが、パトリック・デパイユがバイク事故によって出場できなくなったため、テクノを去ったクリス・エイモンを起用する[W 5]。BRMは従来の3台に1年ぶりのF1復帰となるピーター・ゲシンを加えた4台で参加する予定であったが、クレイ・レガツォーニが契約上のトラブルによって欠場したため、結果的にレガツォーニからゲシンに交代する形の3台体制となった[3]。フェラーリはジャッキー・イクスがチームを去ったため、アルトゥーロ・メルツァリオのみ参加する[W 5]。ウィリアムズ(イソ・マールボロ)は2台目のドライバーとしてティム・シェンケンを起用する[W 5]。マクラーレンはイギリスGPで多重事故を引き起こして以来出番がなかったジョディー・シェクターを3台目のドライバーに起用する[W 5]。LECのデビッド・パーレイは北米ラウンドには参加せずジーズンを終えることになった[W 6]。 なお、シェクターはF1史上始めてカーナンバー「0」を使用する[W 7][W 8][注 3]。 エントリーリスト予選金曜、土曜の午前、午後と計4回のセッションが行われ、ロータス勢とマクラーレン勢が好調な走りを見せた。土曜午前は濃い霧に包まれたため、全ドライバーが走行しなかった[3]。 ロータスのロニー・ピーターソンがポールポジションを獲得し、マクラーレンのピーター・レブソンとジョディー・シェクターが2-3番手に続く[3]。ドライバーズランキング2位を争うエマーソン・フィッティパルディ(ロータス)とフランソワ・セベール(ティレル)は3列目に並び、既にドライバーズチャンピオンを決めていたジャッキー・スチュワートは9番手で5列目からのスタートとなる[3]。 予選結果
決勝(特記のない出典: [3]、正しいラップチャートの出典: [W 13]) レースの開始時間になっても雨が止まず、開始を1時間遅らせた。1時間後に雨は止んだが、コース上のところどころに水たまりがあり、雨雲も残っていたため各車レインタイヤでスタートする。 スタートでロニー・ピーターソンが首位に立ち、ジョディー・シェクターと好スタートを切ったニキ・ラウダが続き[W 5]、ジャッキー・スチュワートとエマーソン・フィッティパルディが第2グループを形成する。 ラウダは3周目にシェクターとピーターソンを抜いて首位に浮上し、後続との差を広げていく[W 5]。徐々にコースが乾き出し、雨の心配がなくなったことで各車ともレインタイヤでの走行が厳しくなり、スチュワートは順位を落とし、ピーターソンを抜いて2位を走行していたシェクターもピーターソンに抜き返された。ラウダは15周目までにピーターソンとの差を23秒まで広げていたが、周回遅れを抜く16周目からペースを落としていく。ピーターソンは17周目の1コーナーで左リアタイヤがパンクしてガードレールにクラッシュし、そのままリタイアとなった。 ラウダは20周目にタイヤ交換のためピットインして8位に後退し、他車も22周目からタイヤ交換により続々とピットインしたことでラップチャートは混乱し、ドライバー自身もどの順位にいるのかがわからない状況となった。 多くのマシンのタイヤ交換が終わり、レースの流れが落ち着き出した33周目に第2コーナーでフランソワ・セベールとシェクターが接触してしまう。2人は無事だったが、マシンは2台ともガードレールに突き刺さってしまった。セベールはシェクターの荒いドライビングに対し一触即発の状態となったが、マーシャルになだめられた。マーシャルがクラッシュした2台のマシンを安全な場所へ撤去しようとしたが、コース上を走るマシンに阻まれて思うように作業が進まないため、セーフティカー(ペースカー)の出動を要請する。セーフティカーの黄色いポルシェ・914を出動させる準備はできていたものの、どの位置に入るべきかがわからず、コントロールタワーの指示によりハウデン・ガンレイの前に入った。しかし、この時点の本当の首位はジャン=ピエール・ベルトワーズであり[W 13]、正しく首位のドライバーをセーフティカーが抑えられなかった[2][4]ことや、セーフティカーの走行中にタイヤ交換やマシンチェックでピットインしたドライバーがいたことで、さらにラップチャートが混乱してしまった。 セーフティカーが退き、グリーンフラッグが振られてレースは再開され、ガンレイはE.フィッティパルディとスチュワートを従えて「首位」の座を死守しようとしたが、数周後にE.フィッティパルディがガンレイを抜いて「首位」に浮上したと思われたが、実際にはE.フィッティパルディの前を走行していたジャッキー・オリバーが首位となっていた(セーフティカー出動時点で本来の首位であったベルトワーズは、セーフティカー走行中の40周目にピットインしてオリバーとピーター・レブソンに抜かれて3位に順位を下げていた)。オリバーはスロットルが引っかかるのを修理するため47周目にピットインし、E.フィッティパルディがコントロールラインを通過する直前にコースへ復帰した(この時点でオリバーは首位をキープしたままコースへ復帰したと見られていたが、実際にはレブソンとベルトワーズに抜かれて3位に順位を落としていた)。こうして、本当の順位が誰にもわからないままレースは進行していく。 E.フィッティパルディはオリバーへ徐々に迫り、残り2周となったところでオリバーをオーバーテイクする。E.フィッティパルディがフィニッシュし、勝利を確信したロータスのコーリン・チャップマンは帽子を高々と投げる恒例のポーズを見せたがチェッカーフラッグは振られず、40秒後に[W 6]スチュワート、ガンレイ、マイク・ヘイルウッド、レブソン、ジェームス・ハントの5人が通過した時にチェッカーフラッグが振られた。その数秒後に「もう1周」してきたE.フィッティパルディとオリバーにもチェッカーフラッグが振られ、混乱したレースは終了した。 E.フィッティパルディはファンから勝利を祝福されて表彰台へ向かったが、そこにはレブソンとオリバーがいて、オフィシャルが優勝トロフィーを渡したのはレブソンだった。その後各チームからクレームが出され[2][注 4]、レブソンの勝利をはじめとした正しい公式結果が出されたのはレース終了から3時間経ってからであった。 ロータスとティレルの激しいコンストラクターズチャンピオン争いはロータスが1点差でティレルを逆転して首位に立ち、決着は最終戦のアメリカGPまで持ち越しとなった[W 6]。 レース結果
第14戦終了時点のランキング
脚注注釈出典
参照文献
外部リンク
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