1973年ベルギーグランプリ
1973年ベルギーグランプリ(英: 1973 Belgian Grand Prix)は、1973年のF1世界選手権第5戦として、1973年5月20日にゾルダー・サーキットで開催された。 30回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[1][注 1]レースは、ティレル・006を駆るジャッキー・スチュワートが優勝した。 レース前ベルギーGPは前年のニヴェル・ボレールからゾルダー・サーキットに移った[2]。しかし、本レースの開催1週間前にジャッキー・スチュワート、エマーソン・フィッティパルディ、フランソワ・セベールといった数人のドライバーがコースを視察した後、過去のレースによる影響で路面が荒れたことを指摘し、ゾルダー・サーキットの所有者は本レースのわずか1週間前にコースの再舗装を行うことを即座に決めた。 エントリー本レースからカーナンバーが年間を通じて固定された[3]。翌1974年は前年度(1973年)のコンストラクターズランキング順に割り当てられ、以後1995年まではドライバーズチャンピオンにならない限り(または前年度チャンピオンとの契約がない限り)、カーナンバーを変更することはなかった[4][注 2]。 フェラーリはアルトゥーロ・メルツァリオ用の312B3が完成せず、前戦スペインGP同様ジャッキー・イクスのみ参加する。エンサインもマシンが完成せず欠場した[5]。テクノは細身のシャシーに前年型のサスペンションを合体させた[6]新車PA123/6[5][注 3]で復帰したが、スポンサーのマルティーニ・エ・ロッシとチームの間の混乱から、並行して別のマシンが制作されていく。ドライバーは前年をもってF1から撤退したマトラからクリス・エイモンが移籍してきた[6]。 エントリーリスト
予選先述の通り路面を再舗装したものの、金曜日の練習走行中にマシンが通過するにつれて路面が2箇所で剥がれ落ち、ジョージ・フォルマー(シャドウ)とジャン=ピエール・ジャリエ(マーチ)が事故に見舞われた[5]。フランソワ・セベール、エマーソン・フィッティパルディ、ジャッキー・スチュワートはコースの安全性を理由に走行を拒否し、セベールはFIAに対し、サーキットがコースの再舗装を行わければレースをキャンセルすると迫った。これに伴い、同日の夜に改めて再舗装が行われ、翌土曜日の練習走行及び予選は無事行われた[5]。 ロニー・ピーターソン(ロータス)がポールポジションを獲得し、マクラーレン・M23を駆るデニス・ハルムが2番手に付けてフロントローを分け合った。2列目はジャッキー・イクス(フェラーリ)とセベール(ティレル)、3列目はジャン=ピエール・ベルトワーズ(BRM)とスチュワート(ティレル)が並び、E.フィッティパルディ(ロータス)は9番手からスタートする[2]。ジャリエはアクシデントによりマーチ・731が破損したため、古い721Gに乗り換えた[5]。 予選結果
決勝ポールポジションからスタートするロニー・ピーターソンがウォームアップ中にクラッシュし、メカニックは決勝を前にロータス・72Eを修理することを余儀なくされた[5]。 スタートでピーターソンが先行し、その後ろをフランソワ・セベールが追いかけ、ジャッキー・イクス、デニス・ハルム、カルロス・ロイテマンが続いた。セベールは2周目にピーターソンを抜いて首位に立ち、2位以下を引き離し始める[2]。イクスは6周目にオイルポンプの故障によってオイルが漏れてリタイアし、ハルムはイクスのオイルに乗ってしまい大きく順位を落とした[5]。これでロイテマンは3位に浮上したが、14周目にエンジントラブルでリタイアした。4周後に3位のエマーソン・フィッティパルディと4位のジャッキー・スチュワートがピーターソンを抜き去り、20周目にはセベールがスピンしてE.フィッティパルディが首位に立った。その5周後にはスチュワートが首位に浮上して後続を引き離し始めた。E.フィッティパルディは燃料圧力に問題を抱え始め、48周目にセベールの後ろまで後退し、スチュワートとセベールによるティレルの1-2体制が出来上がった[2]。 スチュワートはファン・マヌエル・ファンジオに並ぶ通算24勝目を挙げ、ティレルは今季初の1-2フィニッシュを達成した。E.フィッティパルディは2戦続けてマシンに問題を抱えながらの走りだったが、ティレル勢に続く3位でフィニッシュした。旧型ブラバム・BT37を駆るアンドレア・デ・アダミッチが4位入賞を果たし、後にドライバーズチャンピオンとなるBRMのニキ・ラウダが5位でフィニッシュして初のポイントを獲得した。6位はテクノのクリス・エイモンで、同チームも初のポイントを獲得した[5]。 ドライバーズチャンピオン争いは首位のE.フィッティパルディと2位のスチュワートの差が7点に縮まり、コンストラクターズチャンピオン争いはティレルがロータスを1点上回って首位に立った[5]。 レース結果
第5戦終了時点のランキング
脚注注釈出典
参照文献
外部リンク
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