鈴井 貴之(すずい たかゆき、1962年〈昭和37年〉5月6日 - )は、日本の俳優、タレント、映画監督、放送作家、脚本家、演出家、プロモーター、DJ、ラジオパーソナリティ。
また、実業家として、自身も所属する芸能事務所・株式会社CREATIVE OFFICE CUEの創業者で、現在は取締役会長を務める。
この他に、株式会社キュー・プロダクツの取締役会長、有限会社マンホールフィルムの取締役会長、株式会社コンサドーレの社外取締役(非常勤)[2][3]も務める。愛称は「ミスター」、「ミスターどうでしょう」[4][5]、「会長」[注釈 1]。
北海道赤平市出身・在住で[6]、北海道を中心に活動している。
血液型はO型[7]。CREATIVE OFFICE CUE社長の伊藤亜由美は元妻[8]。
以前はアミューズと業務提携をしていた[9]。
経歴
北海道赤平市で生まれる。父親は中学校の教師だった。
幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。
小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きであった。
北海道長沼高等学校を経て、北海学園大学法学部に入学。演劇と出会い、6年在籍した後に大学を中退。
その後「ノーティーキッズ」、「劇団487パラシュート」など、いくつかの劇団を立ち上げた後に「劇団OOPARTS(オーパーツ)(1990年旗揚げ、1998年完全消滅)」を主宰し、作(脚本)・演出・出演を手掛ける(後に安田顕も所属する)[10]。
当時は、300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中で、700人収容の道新ホールなどの大ホールで公演。
北海道では「1000人の客を集める男」として演劇界に、その名を知られた。
1991年秋に、札幌本多小劇場で開催した初の一人芝居「LUNA-CY」では、ガラスを割ったり高所からの落下、エキストラに殴られるなどの過激なシーンが乱発。
自らの体に保険をかけたほどの意欲作で、楽日にはガラスで手を負傷。
終演後は血の滲む包帯姿で観客を見送り、その後に病院へ直行した。
この頃から、劇団と並行してすすきのでバーを経営していたが、劇団の公演で発生する赤字も含めた借金が膨れ上がり、極貧生活を送っていたという[11]。
1992年、北海道の舞台役者が専業で活動できる環境がなく、テレビ・ラジオの出演をマネージメントする事務所の必要を感じ、OOPARTSの劇団員であった伊藤亜由美と共にCREATIVE OFFICE CUEを設立し、代表取締役社長に就任する。
当初は鈴井だけであった所属タレントも年を経るごとに増え、現在ではTEAM NACS(森崎博之・安田顕・戸次重幸・大泉洋・音尾琢真)など、自らを含めた15人のタレントと4人のアーティストが所属する事務所となった。
また、1993年8月には、伊藤亜由美と結婚した[12]。1994年7月に長女が産まれる[12]。
演劇活動と芸能事務所経営を並行して、在札局のテレビ・ラジオ番組の出演・企画・構成を手掛け、AIR-G'では、夕方の帯番組『GO・I・S』を9年余り担当。
後に彼を北海道内で有名にしたのは、自ら企画し、所属俳優の大泉洋、当時HTBアナウンサーであった森田政仁などと共に出演した北海道テレビ放送(HTB)制作の深夜番組『モザイクな夜』である。
そして、全国的人気を獲得するきっかけとなったのが、大泉らと共に出演し、企画・構成もしたHTBの『水曜どうでしょう』である。
北海道以外でもその内容が話題になり、道内での本放送が終了した後も、テレビ朝日系列を中心とした地方局や関東・関西のUHF局で放送され、DVDによる販売では記録的な大ヒットとなっている。
かねてから映画を撮る夢を持っており、2001年には初映画監督作品『man-hole』を公開。
第10回あきた十文字映画祭で北の十文字賞、第15回福岡アジア国際映画祭2001で審査員特別賞を受賞。
また、ベルリン国際映画祭正式出品作品、金鶏百花映画祭2002公式招待上映作品と海外でも上映された。
その後も『river』、『銀のエンゼル』を製作、国内外の映画祭に次々と出品している。
2004年12月、大手芸能事務所・アミューズと業務提携し、アミューズが全国展開のマネージメントやプロモーションを行うようになった[9]。
2005年、アミューズの大里洋吉会長の勧めで韓国への映画留学をする[13]。
これに伴い、芸能活動を中断し、『GO・I・S』の後継番組であった『KING GO・I・S』は終了。
『ぽっぷこ〜んシネマ』は音尾琢真に譲る形で降板。1年間、タレント活動を休止した。
韓国ではカク・キョンテク監督の映画『タイフーン』に参加。
10か月間プロデューサー待遇でロケ現場や編集など、製作現場のほぼ全てに参加し映画制作に携わった。
帰国後の第一作「リーディングドラマ第一章“DIARY〜失ったガラスの靴を探して…”」の作・演出として約10年振りに本格的に舞台演出家としての活動を開始。
舞台役者としては、98年のOOPARTS消滅を以って引退したが「CUE DREAM JAM-BOREE 2006」では、プロデューサーたる大泉の策略によって同イベント限定で8年ぶりに舞台復帰した。
また、AIR-G'の『HOME&AWAY』でレギュラー番組が復活し、本格的に芸能活動を再開。
アルバイト北海道のCMをプロデュースしたり、JTB北海道のイメージキャラクターに起用されるなど留学前とは、また違った活躍をしている。
北海道以外からタレントとしてのオファーがあり、2006年3月にはエフエム青森の特別番組のメインパーソナリティーとして出演。
同年10月より、Date FM(FM仙台)をキー局とした、東北6県ブロックネットで『北風小僧』が放送されていた。
2008年、監督第四作『銀色の雨』を制作。
本作は鈴井にとって初の原作物(浅田次郎の同名短編小説)であり、これまで地元での撮影にこだわってきた鈴井が、初めて道外(鳥取県米子市)を舞台とする映画を制作した。
2009年、演劇プロジェクトとしてのOOPARTSの再復活を宣言した。
2010年10月には、プロジェクト第一弾として舞台公演『CUT』の上演を行った。
2012年8月1日より、CREATIVE OFFICE CUEの社長を退任し、会長に就任することが「CUE DREAM JAM-BOREE 2012」にて発表された。
社長の後任には、妻・伊藤亜由美が就任。
2015年6月、北海道新幹線の開業PRイメージキャラクターに任命され[14]、同年10月、北海道新幹線特任車掌に任命される[15]。
2017年2月1日、伊藤亜由美と離婚。3月にはCREATIVE OFFICE CUEのファンクラブ会報において離婚を発表した。
マスメディア向けにも連名でコメントを発表し、離婚の理由として「夫婦という枠やしがらみにとらわれない関係に戻ろうということで籍を戻した」としており、今後も共同で会社運営に当たりつつ、プレイヤーとプロデューサーとして協力しあいながら活動するとしている[8][16]。
人物
- 愛称の「ミスター」は、『水曜どうでしょう』での「212市町村カントリーサインの旅」で訪れた雨竜町において、大泉が言ったのが始まりである。由来は、「ミスタージャイアンツ」と呼ばれる長嶋茂雄のように、『水曜どうでしょう』の「象徴」として、鈴井を「ミスターどうでしょう」としたため。これは、『水曜どうでしょう』の「象徴」である「不運・不幸」は全て「『ミスターどうでしょう』鈴井貴之に起因する」という意味を含んでいる[17]。
- 愛車はジャガー・XJ、ボルボ・XC90、ランドローバー・レンジローバー (L405)。バイクはBMWのR1200C。この他、複数の重機や建設機械・作業機械なども所有している。
- 1994年生まれの娘[18] がいる。
- 鉄道ファンであり、鉄道模型を所有している事を事務所ホームページでの日記や、水曜どうでしょうDVD全集(副音声)にて公言しており、前述の北海道新幹線特任車掌に選ばれるきっかけともなった。
- 餅系、あんこ系の和菓子類を大の苦手としており、『水曜どうでしょう』の企画では赤福やずんだ餅といった和菓子を強制的に食わされる場面が数多く見られる。その一方、アイスクリームなどの氷菓子は好きで、前述のJTB北海道の連載ではソフトクリームの食べ歩きコラムを持っていた。また梅干しや柑橘類などの酸味のある食材も好みで、『水曜どうでしょう』の「対決列島」では甘い物好きの藤村忠寿Dをそれらで返り討ちにするシーンも多かった[19]。
- 『水曜どうでしょう』の番組内に於ける運の無さに定評がある。くじ引きやサイコロなどで出た場所を訪れる企画(サイコロの旅など)では数々の僻地や過酷な移動手段を引き当て、大泉洋に『ダメ人間』という渾名を付けられた。前述の和菓子を食わされるのは、酷な行き先を引いた鈴井に対する制裁でもある。
- Macintoshのヘビーユーザー。その影響で、大泉をはじめ事務所の関係者に多くの愛用者がいる[20]。
- ロックバンド、カーネーションのファンであり、監督映画『man-hole』では音楽を依頼している。
- 『水曜どうでしょう』の企画『原付日本列島制覇』内で「俺の祖先は(奈良県の)十津川村出身なんだ。だから十津川村に行きたいんだよ」と発言(同村では1889年の災害で約2500人が現在の北海道新十津川町へ移住した記録がある)。しかし、そこに行くためには酷道と言われる程の酷い国道をカブで走らなくてはならないため断念している。こうした理由からプロ野球は、自身と縁ある地域を拠点とする阪神タイガース(十津川村の在る関西)と北海道日本ハムファイターズ(地元北海道)のファンの掛け持ちをしている[21]。
- 北海道コンサドーレ札幌のファンである。中学・高校とサッカー部だったためサッカーに精通しており、AIR-G'のレギュラー番組「GO.I.S.」では、関係者とフットサルチーム「GO.I.S FC(ゴイス エフシー)」を結成し、積極的に活動した。『水曜どうでしょう』の企画「喜界島一周」の時は、コンサドーレ札幌のレプリカユニフォームを着て登場した。2021年には、コンサドーレ札幌オフィシャルサポーターに就任[22]。2022年4月17日には、株式会社コンサドーレの社外取締役(非常勤)に就任した[2][3]。好きな選手は三浦知良。
- 元妻でCREATIVE OFFICE CUEの現社長である伊藤亜由美(当時は副社長)によれば、若い頃は「お金が手元にあれば、あるだけ使ってしまう」傾向があったとのことで、事務所の所属タレントの給料を勝手に使い込みすすきので豪遊したことが何度もあったという[11]。ただし元々贅沢品には興味が無く「お酒が毎晩飲めればいい」ため「(お金が)なければないで、どうにでもなる」タイプでもあるとのこと[11]。
- 以前は事務所の社長であったが「経営」や「人材育成」に興味がなく、当時は妻で副社長であった伊藤亜由美に任せていた[23]。
- 1人のアーティストとして、事務所の所属タレントをライバル視している[23]。なお、CREATIVE OFFICE CUE所属前で北海学園大学在学中のTEAM NACSのメンバーが出演し、森崎博之が手掛けた、北海学園大学演劇研究会の舞台を鈴井が雑誌で批評し、森崎と論争になった事がある[24]。OOPARTSの再復活を決めたのは、TEAM NACSの全国区での活躍に感化されたためである[25]。
- 事務所の所属タレントに対しては厳しい。安田顕曰く、OOPARTSの稽古場では常に怒声と罵声の嵐で、灰皿が飛ぶことも日常茶飯事であったという。大泉洋は、ジャックナイフのように光る目は、ヤクザか殺し屋でしかなかったと話している[26]。戸次重幸も、事務所のイベントで遅刻し鈴井に叱られるのが怖く、鼻血を出したというエピソードがある[27]。
- 大泉洋が全国進出をするきっかけとなった『パパパパパフィー』だが、当初は鈴井貴之と2人の出演オファーであった。この際、自身の出演は断った上で大泉の単独出演を推薦している[28]。
- 現在は出身地でもある赤平市に在住しており、市内に1万坪の敷地を購入し自宅兼アトリエを構えている[29]。前述の通りサッカー好きが高じて、自宅にフットサルコートを作っている[6]。
- 小橋亜樹の『酒メンタリー 生き恥上々』にゲスト出演した際、自分の人生は「9」の年に人生のカギとなることが起こると語る。「19歳は大学に入学し札幌へ」、「29歳はCREATIVE OFFICE CUEを創設」、「39歳は映画を始め」、「49歳は赤平市に移住」。そして59歳からは執筆に力を入れているという[信頼性要検証]。
受賞歴
監督・演出・脚本作品
映画
テレビドラマ
舞台
- リーディングドラマ - 作・演出
- OOPARTS - 作・演出・出演
- CUT(2010年10月、主演:宇梶剛士)
- SHIP IN A BOTTLE(2014年11月、主演:大内厚雄)
- HAUNTED HOUSE(2016年2月 - 3月、主演:渡辺いっけい)
- STAIRWAY TO HEAVEN 天国への階段(2017年7月 - 8月、主演:永野宗典)
- リ・リ・リストラ~任義ある戦い・ハンバーガー代理戦争(2019年7月 - 9月、主演:八木将康)
- D-river(2022年2月、主演:渡辺いっけい)[36]
- 樹海 -SEA of THE TREE-(2012年、主演:岡田達也) - 作・演出・出演
- 天国への階段 北海道re-mix 〜ありがとう道新ホール〜(2024年6月、主演:森崎博之) - 作・演出・出演[37]
ミュージックビデオ
出演・企画・構成作品
テレビ番組
テレビドラマ
ラジオ番組
映画
テレビアニメ
舞台
MV
CM
音楽
著書
連載
その他
脚注
注釈
- ^ 会長を務めるCREATIVE OFFICE CUEの所属タレントから呼ばれる。
また、かつては「社長」とよばれていた。
- ^ レギュラー放送。レギュラー放送終了後も不定期で新作を放送。
出典
関連項目
CREATIVE OFFICE CUE所属タレント
CREATIVE OFFICE CUE#所属者一覧を参照。
水曜どうでしょう関係者
- 藤村忠寿(北海道テレビ放送所属。チーフ・ディレクター)
- 嬉野雅道(北海道テレビ放送所属。カメラ担当ディレクター)
- 樋口了一(シンガーソングライター。主題歌である「1/6の夢旅人」作詞・作曲)
その他関わりのある人物
- 坂本サトル(シンガーソングライター。1999年に「天使達の歌」でソロデビューした際には鈴井が「GO・I・S」を通じて宣伝する等交流があった)
外部リンク
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監督・脚本・演出作品 |
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企画・構成・出演作品 |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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代表取締役社長:伊藤亜由美 / 取締役会長:鈴井貴之 |
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旧所属タレント・アーティスト | |
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関連団体 | |
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メンバー 森崎博之(リーダー) | 安田顕(初代・3代目サブリーダー) | 戸次重幸(2代目サブリーダー) | 大泉洋 | 音尾琢真 |
本公演 | |
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出演 |
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シングル | |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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