菊池民一
菊池 民一(きくち たみいち、1887年7月13日 - 1974年9月7日)は日本の政治家。牛込区議(2期)、東京市議(3期)、東京府議(1期)、東京都議(7期)、第7代都議会議長を歴任した。 経歴1887年7月13日、東京都に生まれる[1]。1926年から牛込区会議員を2期7年務めた[1]。1933年3月16日から東京市会議員を務める[1]。1940年6月10日からは東京府会議員も務める[1]。1943年6月30日、東京市議、東京府議共に退任した[1]。(東京市議は3期、東京府議は1期務めた[1])同年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の牛込区選挙区から立候補して、初当選した[1][2][3]。その後、東京都選挙管理委員会委員長(1946年から1947年)、東京都議会自由党幹事長(1950年から1951年)を歴任した[1]。1951年5月に第7代東京都議会議長に就任する[1][4]。また、全国都道府県議会議長会会長にも就任した[1]。1952年5月に議長を退任した[1][4]。議長退任後は、地方制度調査特別委員会委員長(1953年から1954年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1957年から1958年)、オリンピック大会準備実行委員会委員長(1959年から1960年)、皇孫殿下誕生賀表, 賀牋起草特別委員会委員長(1960年)を歴任した[1]。1969年の任期満了をもって都議を退任した[1][2]。1974年9月7日に死去した[1]。 栄典脚注出典 |