大久保重直
大久保 重直(おおくぼ しげなお、1896年7月25日 - 1966年7月14日)は、日本の政治家。下谷区議(1期)、浅草区議(3期)、東京市議(2期)、東京府議(1期)、東京都議(6期)、第19代都議会議長を歴任した。 経歴1896年7月25日、山梨県に生まれる[1]。関西大学中退[2]。1927年から下谷区会議員を1期2年務めた[1]。また、1934年から浅草区会議員を3期8年務めた[1]。さらに、1937年3月16日からは東京市会議員を2期、1940年6月10日からは東京府会議員を1期務め、どちらも1943年6月30日まで在職した[1]。同年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の浅草区選挙区から立候補して、初当選する[1][3][4]。1947年4月24日に、公職追放の対象となり都議を失職した[1][3][注釈 1]。1951年の都議会議員選挙で返り咲いた[1][3]。返り咲き後は、都議会公正クラブ幹事長(1952年から1953年)、東京都監査委員(1953年から1954年・1957年から1958年)を歴任した[1]。1963年12月に第19代東京都議会議長に就任した[1][5]。また、全国都道府県議会議長会会長も務めた[1]。1964年は渇水対策実行委員会委員長も務めた[1]。1965年3月に議長を退任した[1][5]。1966年7月14日、議員在職中のまま死去した[1][3]。 このほか光製作所取締役会長を務めた[2]。 栄典脚注注釈
出典
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