内田道治
内田 道治(うちだ みちはる、1902年6月16日 - 1984年9月9日)は日本の政治家。杉並区議(1期)、東京都議(4期)、第15代都議会議長を歴任した。 経歴1902年6月16日、東京都に生まれる[1][2]。1918年に旧制目白中学校(現中央大学附属高等学校)を卒業した[1]。1947年から杉並区議会議員を1期4年務めた[1][2]。1951年の東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から立候補して、初当選した[1][2][3]。都議会では、建設委員会委員長(1954年から1955年)、都議会自民党幹事長(1957年から1958年)、東京都監査委員(1958年から1959年)を歴任した[2]。1959年5月に第15代東京都議会議長に就任した[1][2][4]。また、全国都道府県議会議長会会長も務めた[2]。1960年6月に議長を退任した[2][4]。議長退任後に都議会黒い霧事件での贈賄容疑で逮捕・起訴され、自主解散に伴う刷新都議選にも出馬せず政界を引退[1][2][3]。1984年9月9日に死去した[1][2]。 栄典脚注注釈出典 |