川田 龍平(かわだ りゅうへい、1976年〈昭和51年〉1月12日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。岩手医科大学客員教授。東京都出身。
参議院行政監視委員長、結いの党選挙対策委員長、維新の党国会議員団総務会長、同党規委員長、立憲民主党参議院政策審議会長等を歴任。東京HIV訴訟(薬害エイズ事件)原告、川田龍平と人権アクティビストの会代表。龍平学校-PEEK主宰。
人物・略歴
1976年、東京都小平市生まれ(名前は平和、平等の「平」に辰年生まれなので「龍」をつけて母が「龍平」とした)。血液型はB型。小平市立小川東小学校、小平市立小平第二中学校、東京都立小平高等学校、東京経済大学経済学部卒業。
生後6ヶ月、遺伝性疾患である血友病との診断を受ける。同病の治療に用いられた非加熱輸入血液製剤によりHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染、その事実は10歳当時に母親から知らされた。1993年、東京HIV訴訟の原告(薬害エイズ事件を参照)のひとりとなる。1995年、19歳の時に実名を公表し、その裁判の実態が数多くのメディアで取り上げられ、多くの支援により、日本の薬害裁判史上初の刑事裁判となった。1996年、訴訟は日本初の和解で終決した。その後も人権アクティビストの会などを立ち上げ薬害と人権問題に取り組み、国と大企業の癒着体質を追及し続けている。
大学在籍中にドイツへ語学留学。2003年4月から松本大学非常勤講師を務めた(担当科目は「生命倫理」「社会活動」「ユニバーサルデザインと地域」)。
- 2007年、参議院選挙にて東京都選挙区から完全無所属で出馬し当選。環境委員会に所属。
- 2008年、世界経済フォーラムが選ぶ「Young Global Leaders」に選ばれる。
- 2011年、列国議員連盟の顧問機関である IPU (International Politician Union) のアドバイザーに就任。
血友病の治療経過中にC型肝炎ウイルスにも感染したが治療を経て治癒。2007年11月現在、HIV感染に伴うHIVウイルスは最低検出値未満。(20ピコ以下)
家族
年譜
政治活動
参議院議員
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に東京都選挙区より無所属で立候補。その際、公示日の7月12日には約1000人のボランティアが都内約14,000箇所の掲示板のポスター貼りを手伝ったほか、7月22日の新宿での集会では支援団体やボランティア支援者を中心に約800人以上を、7月28日(選挙戦最終日)の渋谷での集会には約1000人以上を集め、著名人らも応援に駆けつけた[4]。683,629票を得て初当選。参議院環境委員会に所属した。その後無所属からみんなの党に入党し、2013年の二期目の選挙(第23回参議院議員通常選挙)では比例区でトップ当選。
議会では長らく厚生労働委員会に所属し、薬害、医療、環境分野に力を注ぎ、医療の専門家を呼んだ公開勉強会などを行っている。また、無所属時代から言論統制および警察権限拡大のリスクを含む児童ポルノ法改正案に対して慎重な立場を示しており、創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志の紹介議員としても名を連ねている[5]。
- 2008年6月 - 参議院本会議において有害サイト対策法案に対し、反対票を投じる。
- 2008年12月 - 参議院本会議において国籍法改正案に対し、反対票を投じる。
- 2009年7月 -「臓器移植法改正」について、子供や精神障害者の権利を含めた野党側からの対案E案を本会議で発表する。
- 2009年12月 - 江田憲司の誘いをうけ、みんなの党に入党。
- 2013年1月 - 「子ども・被災者支援法議連」を設立。事務局長に就任。
- 2013年12月 - 「特定秘密保護法案」に反対し造反。本会議で反対票を投じみんなの党を離党。
- 2013年12月 - 江田憲司らと共にみんなの党を離党した議員達で「結いの党」を結党。
- 2013年12月 - 「結いの党」で政調会長代理・選挙対策委員長・政治制度改革委員長・都連会長を務める。
- 2014年3月 - 「薬害再発防止を目指す超党派議員連盟」を設立、事務局長に就任。
- 2014年9月 - 結いの党が日本維新の会と合流し「維新の党」を結党。党国会議員団総務会長・都連代表に就任。
- 2016年3月30日 - 民進党待機児童緊急対策本部副本部長に就任[6]。
- 2016年4月5日 - 民進党次の内閣ネクスト厚生労働大臣・年金改革担当・ネクスト内閣府特命大臣(少子化対策)に就任[7]。
- 2016年5月10日 - 超党派議員立法のがん対策基本法一部改正案の最終文案策定に参与[8]。
- 2016年8月2日 - 相模原障害者施設殺傷事件の発生を受け、「短絡的に精神医療のあり方の見直しと警備の強化のみに再発防止策を求めるべきではない。」という内容の談話を民進党「次の内閣」ネクスト厚生労働大臣として発表した[9]。
- 2016年8月2日 - 民進党代表選挙に参加[10]。
- 2016年9月29日 - 参議院国民生活・経済に関する調査会会長に就任[11]。
- 2024年1月ー参議院行政監視委員長に就任。
政策
- 子どもと妊婦を放射能から守る「子ども・被災者支援法」発議者。同法は2012年に成立。「子ども・被災者支援法議員連盟」事務局長に就任。
- 「薬害再発防止を目指す超党派議員連盟」を設立、事務局長に就任。
- 薬のデータ改竄を防止する「臨床研究法案」を提出し、2017年に成立。[12]
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[13][14]。
- 在来種を公共資産とし循環型食システムを作る「ローカルフード法案」発議者。同法は2024年6月に提出された。[15]
所属団体・議員連盟
- 食の安全・安心を創る議員連盟(事務局長)
- 薬害再発防止の制度実現に取り組む国会議員連盟(事務局長)
- 子ども被災者支援法議員連盟(幹事長/発議者)
- 成育基本法推進議員連盟(代表代行)
- 自殺対策を推進する議員の会(副会長)
- 脳卒中・循環器病対策フォローアップ議員連盟(副会長)
- 有機農業推進議員連盟総会(幹事)[16]
- 獣医師・獣医療「ワンヘルス」政策議員連盟(幹事)
- 東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟(幹事)[17]
- 日本アイスランド友好議員連盟
- 米消費拡大・純米酒推進議員連盟
- 和装振興議員連盟
- 政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟[18]
- 子どもへのワクチン接種とワクチン後遺症を考える超党派議員連盟(会長)[19]
著書
- 『龍平の現在(いま)』(三省堂、1996年)
- 『Ryuhei 龍平―僕は生きたい』(桐原書店、1996年)
- 『龍平への手紙―そして龍平から』 編著, 薬害エイズとたたかう龍平君を支える会 編集協力(草土文化、1997年)
- 『エイズ教育のこれから 龍平から子どもたちに伝えたいこと』(日本標準、2006年、ISBN 4-8208-0275-5)
- 『川田龍平いのちを語る』(写真・志葉玲、明石書店、2007年)
- 『日本に生きるということ〜薬害エイズ被害者が光を見つけるまで〜』(講談社、2007年)
- 『誰も書かなかった国会議員の話』(PHP新書、2009年)
- 『医療格差』(角川SSC新書、2011年)
- 『この国は何故被害者を守らないのか」(PHP新書,2013年)
共著
- 『川田龍平いま輝いて』かもがわブックレット 山本直英共著. かもがわ出版, 1996.8
- 『ぼくらが語りあった7日間』(TOSHIとの共著 七賢出版、1996年
- 『川田龍平と「この国の人権」を考える』(かもがわブックレット 川田龍平と人権アクティビストの会 編. かもがわ出版, 1998.1
- 『現在生きる 川田龍平・悦子の親子対談』新日本出版社, 1998.4
脚注
注釈
- ^ 「クリオ」とは、クリオプレシピテートつまり血漿寒冷沈殿の略。
出典
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
川田龍平に関連するメディアがあります。
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第1回 (定数8) |
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↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 |
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↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし |