スイカ
スイカ(西瓜[4]・水瓜、学名: Citrullus lanatus)は、果実を食用にするために栽培されるウリ科のつる性一年草。また、その果実のこと。 原産は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯で、紀元前4000年代には既に栽培されていたとされる。西瓜の漢字は中国語の西瓜(北京語:シーグァ xīguā)に由来する。日本語のスイカは「西瓜」の唐音である。中国の西方(中央アジア)から伝来した瓜とされるためこの名称が付いた。 夏に球形または楕円形の甘味を持つ果実を付け、緑に黒の縞模様のほか、縞がないものや深緑のものなどさまざまな品種がある。果実は園芸分野では果菜(野菜)とされる[5]が、青果市場での取り扱い[5]や、栄養学上の分類[6]では果実的野菜に分類される。 歴史原産地は熱帯アフリカで、南アフリカ中央部カラハリ砂漠と周辺サバンナともいわれている[7]。現代において世界各地で主に栽培されているスイカ(ウリ科スイカ属ラナツス種ブリガリス亜種)の原種は、アフリカ北東部コルドファン地方(スーダン)産コルドファヌス亜種である可能性が高い[8]。他にアフリカ北東部原産のCitrullus lanatus var.colocynthoides、西アフリカ原産のエグシメロンなど様々な説が存在する[9]。紀元前4000年代にはすでに栽培されていたとみられている[4][10]。リビアでは5000年前の集落の遺跡よりスイカの種が見つかっていることから、それよりも以前から品種改良が行われていたことが判明している。 古代エジプトの4000年前の壁画にスイカが描かれているが、当時は種子のほうを食べていたとみられている[11]。ツタンカーメンの墳墓等、4000年以上前の遺跡から種が発見されており、各種壁画にも原種の球形ではなく栽培種特有の楕円形をしたスイカが描かれている。 またこの頃、アフリカ南部のカラハリ砂漠で栽培されるシトロンメロンが発明された。スイカの学名(Citrullus lanatus)のlanatusはラテン語で「毛の多い」を意味しており、本来はシトロンメロンを指すものであった。このシトロンメロンがスイカの祖先であったという意見もある[9]。 紀元前500年頃には地中海を通じヨーロッパ南部へ伝来。地中海の乾燥地帯での栽培が続けられるうちに果実を食べる植物として発達した[11]。ヒポクラテスやディオスコリデスは医薬品としてスイカについて言及している。古代ローマでは大プリニウスが『博物誌』で強力な解熱効果がある食品としてスイカを紹介している。古代イスラエルでは「アヴァッティヒム(avattihim)」という名で貢税対象として扱われ、さらに200年頃に書かれた文献の中でイチジク、ブドウ、ザクロと同じ仲間に分類されていることから、既に甘味嗜好品として品種改良に成功していたことが窺える。もっとも、地中海世界で普及したスイカは黒皮または無地皮のものが一般的だった[11]。またこの頃の文献では「熟したスイカの果肉は黄色」と記述されており、425年頃のイスラエルのモザイク画にもオレンジがかったスイカの断面が描かれており、こちらもやはりオレンジがかった黄色い果肉が描かれている。スイカは糖度を決定する遺伝子と果肉を赤くする遺伝子とがペアになっているため、まだ現代品種ほど甘くはなかったことが推察される。果肉が赤いスイカが描かれた最初期の資料は14世紀のイタリア語版『健康全書』であり、楕円形で緑色の筋の入ったスイカが収穫される様子や赤い断面を晒して販売されるスイカの図が描かれている[12]。 日本に伝わった時期は定かでないが、西方から中国(唐)に伝わったスイカが、平安時代に日本に渡ったといわれている[4][10]。天正7年(1579年)、ポルトガル人が長崎にカボチャとスイカの種を持ち込んだ説や、慶安年間隠元禅師が清から種を持ち込んだ説がある[13]。『農業全書』(1697年)では「西瓜ハ昔ハ日本になし。寛永の末初て其種子来り。其後やうやく諸州にひろまる。」と記されている[11][14]。一方、『和漢三才図会』では慶安年間(1648年 - 1652年)に隠元禅師が中国大陸から持ち帰った説をとっている[11]。平安時代末期から鎌倉時代初期に成立したとされる国宝『鳥獣人物戯画』には、僧侶の装束をまとったサルのもとにウサギが縞模様をした作物を運んでいる姿が描かれた図絵があり、これが確認できる日本最古のスイカらしきものと言われている[15]。 江戸時代初期には栽培が広がりを見せ、『農業全書』(1696年)には「肉赤く味勝れたり」と記述された[15]。初期のスイカは黒皮系の品種で江戸時代にはすでに販売されていた[10]。日本全国に広まったのは江戸時代後期である[16]。明治時代になるとアメリカ・ロシア・中国(清)からの新種導入が盛んになり、アメリカから「アイスクリーム」「マウンテンスイート」「ラットルスネーク」などの品種が導入されて[15]、特に奈良県などで栽培されるようになる。「ラットルスネーク」は富山県黒部川の扇状地で「黒部西瓜」として栽培された[15]。明治時代、熊本県八代の旧城主松井氏が清から新たな品種を持ち帰り配下の3家(瀬海他2家)の農民に栽培を行わせた。しかし、果肉が赤いことからなかなか受け入れられず、栽培面積が増えるのは大正時代になってからである[11]。1926年(大正15年)に、奈良県在来の「権次」と「アイスクリーム」が自然交雑した中から、奈良県農業試験場が優良選抜育成して緑地に黒の縞模様の「大和」(やまと)という国産品種が生まれた[4][10][15]。 1927年(昭和2年)、兵庫県明石郡林崎村(現・明石市林崎町)の農家、竹中長蔵がスイカのつる割病対策として、抵抗性をもつカボチャの台木にスイカを接ぐ方法を開発した[17]。野菜での接ぎ木栽培は世界で初めて開発された技術であり、その後、ナス、トマト、ピーマン、キュウリ、メロンなど、様々な野菜の接ぎ木栽培技術が開発されることとなった。1942年(昭和17年)、京都大学教授で研究所所長だった木原均が種なしスイカを発明する[18]。1969年(昭和44年)にナント種苗が小玉スイカの品種「紅こだま」を発売し、家庭に冷蔵庫が普及したことと相まって、丸ごとスイカを冷やせることから大ヒットした[18]。 特徴原産地が砂漠などの乾燥地帯であることから、高温・乾燥・強光線の環境を好む性質があり、日本の梅雨のような環境は苦手である[7]。また耐酸性力にも優れ、pH 5.0 でも生育できる[7]。本葉には深い切れ込みがあり、もともと育った水分の少ない環境に適応するために葉から水分が逃げないように進化したものである[7]。 葉・花葉は切込みが深く、丸みを帯びている。葉身は約25センチメートル (cm) 。葉の深い切れ込みは乾燥に耐えて少しでも蒸散を減らすために進化したもので、表面積が小さくなっている[19]。つる性である。雌雄異花で花色は黄色。雌花は子房下位。水に濡れると花粉が破裂するため、受粉後約4時間以内に降雨に遭うと着果せず、自家受粉では良質な実は着果しない(これは、自家不和合性という遺伝的特性によるもの)。 実果実の外観は緑色の玉に深緑色の縦縞が入ったものが一般的であるが、薄緑色のものや黒に近い深緑色のものもある。玉形の他に楕円形の品種もあり欧米では楕円形が主に流通している。同じウリ科の果菜類であるメロンは、主として甘く熟した果皮の部分を果肉として食べるが、スイカの果皮は内側の薄い層しか甘く熟せず、主に種子をつける胎座の部分を食用とする。果皮はキュウリを僅かに甘くしたような味だが、生のまま果皮まで食べることは少ない。 日本で縦縞模様の品種が登場したのは、明治時代に黒皮系とアメリカ品種との交雑などにより、縞模様の「大和」などが登場した[4]。広まったのは昭和初期ごろといわれ、それまでは黒色の無地で「鉄かぶと」と呼ばれていた。果肉の色は赤もしくは黄色。大玉の品種で糖度 (Brix) は11 - 13度程度。果実中心及び種子周辺の果肉の糖度が最も高い。 果肉は、水分が多く90%以上。様々な品種があるが、一般に果肉は紅色、甘くて多汁である。果肉は赤色のほか、黄色、オレンジ色などがあり、サイズも大玉・中玉・小玉まで様々ある[4]。 野生スイカ21世紀現在の栽培種のルーツは、スーダンのコルドファン地方にあると考えられている[8]。野生のスイカは、ほとんど甘みがないが、水分だけは胎座部分に大量に蓄えられている。しかし、胎座部分は栽培種と異なり多くの隙間があり、現在の栽培種のようなリコピンを豊富に含んだ胎座が隙間なくある状態ではない。この野生種から現在の栽培種へと至る過程は、17世紀の画家ジョバンニ・スタンキ(Giovanni Stanchi)や、ジュゼッペ・レッコ(Giuseppe Recco)が描いたスイカの静物画に見ることが出来る。また、スイカは水分の反応に敏感で、土壌の水分量が過多になると、現在の栽培種でも果実の中に栄養や水分を送るための維管束の管が極端に広がり、内部が、原種に近いような模様のスイカになる。 スイカは元々、自生地が乾燥地帯であるため、野生動物は水分を目当てにスイカの果実を摂食することになり、胎座の水分ごと種子を飲み込んで糞とともに排泄し、種子散布が行われる。人類によるスイカの利用もこの水分を目当てに始まり、同時に脂肪と蛋白質に富んだ種子をも食用にするようになったと考えられる。 日本の改良種のスイカにはナトリウムや蛋白質はほとんど含まれないが、カラハリ砂漠に自生する野生種には1.19ミリグラムのナトリウム、8.7グラムの蛋白質が含まれる。野生のスイカは砂漠の生活において貴重なミネラルや栄養の供給源となっている[20]。 食材
みずみずしい食感と甘味を持つスイカの果実は、夏の7 - 8月が主な旬とされる[23][4]。果実は全体につやがあり、縞模様がくっきりしていて、手に持つとずっしりとした重みのあるものが良品といわれている[23]。また、カットしたときに種が黒く熟しており、果肉の赤色と果皮の白色の境目がはっきりわかるものがよいとされる[23]。収穫後は日ごとに風味が落ちるため早めに食べきるのが良く、果実を丸のまま保存する場合は風通しの良い日陰に置き、カット品は切り口をラップに密着させて全体を包み冷蔵する[23]。 果実原産地域に自生する果実は、果肉に苦味が強いため、ヒトの食用には適さない。それは原産種に近縁の種も同様である。これらの品種の果肉について、少なくとも現代のヒトは、含まれる水分を飲料水以外の生活用水に利用するのみとなっている。一方、キリンなど野生動物などは好んでこれを食べる。 食用できる果実は、いずれの文化圏であれ、両手で持ちやすい半円形や片手で持ちやすい三角形になるよう薄く切ったり、一口で食べられる小さなキューブ状(立方体)に切り分けるなどして食べるのがオーソドックスである。イスラエルの場合は、甘みを引き立たせるために現地で「ブルガリット(ブルガリアチーズ)」と呼ばれている白くて硬質な塩漬けチーズ(ブルガリアではシレネと呼ぶ)を振り掛けるのが[24]昔からの定番であった[25]。これも強い塩味で甘みを引き立たせる[24]というものであるが、この食習慣は21世紀の若者にはあまり引き継がれていない[25]。 日本には、果肉と果汁を加熱濃縮した「西瓜糖(すいかとう)」と呼ばれる加工食品が現在もあり[26]、明治時代ごろから大正時代にかけては民間療法の健康食品として特によく売れた[26]という。日本のものより古い時代の中国の文献にも「西瓜糖」の名があることから、中国ではもっと古い時代に作られていた可能性がある[26]。西瓜糖はジャム状の食品であり、砂糖が入っておらず、スイカ自体の糖分によって甘みがある[26]。ジャムや甘味料の代わりにも用いられる[26]。 世界では、ジェラート、ゼリー、缶詰などに加工されることも多い。 赤色であれ黄色であれ、スイカの果肉の瑞々しく鮮やかな色彩は、非常に見栄えがするため、料理においては色彩的演出効果が高い。この特徴を効果的・大々的に活用してきた例として、中華料理において縁起の良い文字や絵を刻んで装飾したものが宴席に供されている。 種子アジアでは種子を炒って歯で割り、中身を食べる地域が多い。中国では西瓜子と呼ばれ、酒のつまみ、料理、菓子などに用いられており、炒って味付けされたものは日本に輸入されている。普通のスイカよりも大きな種をつける、採種専用の品種も存在する。またスイカの原産地であり利用や栽培の始まったアフリカでも、種子を炒って粉末にするなどし、食材として利用する食文化が存在する。特に原産地に自生する果肉の苦味の強い近縁種は、果肉自体は人間の食用に適さないので飲料水以外の生活用水として利用し、種子のみを食用とする。また、スイカ皮や、より品質の高い果実を収穫するために摘果した小さな未熟果実の漬物・ピクルスもポピュラーである。 栄養価スイカの甘味は果糖で、冷やしすぎると舌が甘味を感じにくくなるので、食べる2 - 3時間前に冷やすのが理想とされる[23]。果肉や種子に含まれるカリウムはむくみ解消ならびに利尿作用があるため[4]、暑さで体力を消耗し水分を過剰摂取することで起こりがちな夏バテに効果があるとされている。スイカから発見されたアミノ酸の一種で、他のウリ科の作物にも含まれるシトルリンもまた、むくみ解消や利尿作用の効果があるといわれ、特にスイカの果皮に多く含まれている[23]。赤い果肉の色素は、抗酸化作用があるカロテノイドのβ-カロテン、リコピンが豊富に含まれていることでも知られる[23][27]。 品種スイカの種類は、赤肉の大玉スイカが最も一般的であるが、品種改良が進み、ラグビーボールような形の枕形大玉種や、縞模様がない黒緑色の大玉種、果肉が黄色のもの[23]、あるいは種子をコルヒチン処理し倍化させることで一代雑種(F1)の三倍体にして種を無くした種なしスイカがある。軟X線照射花粉の授粉による種なしスイカ作出[28]も行われている。アメリカでは種無しスイカが一般的であるが、種無しスイカは2021年現在、日本国内においてあまり普及しておらず、要因は2倍体スイカよりも種苗代が高額・栽培に技術が必要と2点が挙げられる。大玉スイカは約3 - 8キログラム (kg) になり、小玉スイカは1.5 - 3 kgで皮や甘味が強い[4]。富山県入善町では「ジャンボスイカ(黒部スイカ)」とよばれる長形大玉種が栽培されていて、平均重量15 kg、最大30 kg程度に成長する。 日本の主な品種
栽培春(4月ごろ)に苗を植え付けて夏(7月ごろ)に収穫する果実的野菜[33]。野菜のうちでは最も強光を好み、生育適温は昼間28 - 30度、夜間15度以上と高く、日当たりのよい場所で栽培する[32]。土質は選ばず、砂質から粘土質まで適応幅は広い[32]。しかし、連作を最も嫌う野菜として知られており、畑は他のウリ科作物を4 - 5年作っていない砂質の水はけと日当たりの良い場所にする[33][7]。湿度にも弱く、連作ができないため栽培難度は高いといわれている[10]。家庭で育てる場合は、小玉種が育てやすい[33]。 現在では病気や連作に強い苗を育てるため、カンピョウ(ユウガオ)やカボチャ台木にした接ぎ木苗を購入して栽培するのが一般的になっているが[10]、種から育てる実生栽培のほうが食味は優れている[7]。敷き藁でマルチングをして乾燥気味かつ清潔に育てるのが重要となる[10]。 苗をつくるときは、育苗箱に種をまき、発芽適温は25 - 30度で保温して発芽させる[34]。発芽後、本葉1枚になったら育苗ポットに鉢上げし、本葉5 - 6枚の苗に仕上げる[34]。圃場には植え付け1か月前から元肥を入れて良く耕しておき、幅2.5 - 3 mの畝を作り、苗を80 - 100 cm以上間隔を空けて植え付ける[33][35]。深植えしすぎないようにし[34]、植え付け後はたっぷりの水を与える[33]。植え付けから初夏まではツルが伸びていく時期で、伸びたツルの本葉5 - 8枚ほど(5 - 8節)で先端を摘んで小ヅルを3 - 6本ほど出して、各小ヅルに2個の実を成らせる[33][35]。大玉品種は1株3 - 4個、小玉品種は1株7 - 8個ほど実を成らせるのが基本とされ、実が膨らんで鶏卵大になったら摘果する[36]。生長期の孫ヅルはすべて摘み取る[33]。また、小ヅル同士が重ならないように整えたら、ツルの下には敷き藁を敷いておく[37]。 スイカは雌雄異花の虫媒花である。1番花と2番花は良い果実ができないため、小ヅルの20節前後につく3番花を結実させる[35]。黄色い花は、雄花とつけ根に丸い膨らみがある雌花があり、晴れた日の朝(6 - 9時)のうちに雄花を花茎ごと摘んで、雌花の雌しべ(花柱)に花粉(葯)をこすりつけて人工授粉させると確実に着果する[33][35]。授粉後、雌花のつけ根がタマゴ大に膨らんだら、ツルの先端に少量の追肥しておくとよく、授粉後35日 - 45日前後で収穫時期を迎える[33][35]。果実が地面に接している部分は色づきが悪くなるため、ある程度の大きさになったら実をツルごと持ち上げて置き直す「玉直し」を行うと、実が均等に熟す[33]。実の近くの巻きひげが枯れてきたころが収穫の目安で、収穫後は2 - 3日ほど追熟するとさらに実は甘くなる[33]。収穫は果実を叩いて低い音で判断することもあるが、熟度を知るには確実性欠けるため、交配日を目印にしておけば熟度は判定できる[35]。 連作障害・病害水持ちが良い土壌で栽培すると、途中でつる割病などが発生して枯れてしまう[7]。病気に対しては、雨の後と、晴天時でも10日ごとに殺菌剤を散布することにより予防につながる[35]。炭疽病は雨の多いときに発生しやすく、葉が混み合っているところを入念に薬剤散布して防除する[38]。 連作障害やつる割病に弱いため、台木としてユウガオ[39]やカボチャ[40]などの台木を用いる接ぎ木栽培がをすると、耐病性が付与され、連作も可能になる[32]。 スイカ果実汚斑細菌病(BFB)の病原細菌はウリ科雑草のアレチウリ、カラスウリに病原性を有するが、アマチャヅルには病原性がない。病斑を形成した発病苗やウリ科雑草は2次伝染源となる可能性がある。スイカ作付け圃場周辺にカラスウリ、アレチウリが自生している場合は、抜き取って処分する。わが国では1998年にスイカで発生、その後メロン、トウガンなど瓜類での発生が確認されており、瓜類の種子伝播を防ぐため種苗メーカーによる厳格な検査体制を敷いている[41]。 スイカの爆発収穫直前に大雨が降るなどして内部に腐敗を生じガスで内圧が高まることで爆発を起こすことがある[42]。 2011年、中国の村で、収穫前のスイカが自然破裂する現象が、相次いで起きた。地元当局は「スイカ爆発事故調査チーム」を結成した[43]。原因については、開花時期に使用すべき植物成長調整剤であるホルクロルフェニュロンを誤って収穫直前に使用したこと[42]や豪雨などが報道されている[44]。 生産・流通・消費世界における生産量スイカの生産において、圧倒的な地位を占めるのが中華人民共和国である[45][46]。国際連合食糧農業機関(FAO)の2012~2016年の統計によると、世界生産量147,372,341トン(t)のうち、79.2%(117,000,000トン[46])を中国一国で生産している[45]。2位以降はトルコ(4,044,184トン、4%)、イラン(3,800,000トン、4%)、ブラジル(2,079,547トン、2%)、エジプト(1,874,710トン、2%)である[45]。以下、アメリカ合衆国、アルジェリア、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタンが続く[45]。日本の生産量は380,000トン(0.36%)に過ぎない[45]。 世界のスイカの収穫量上位10か国(2016年)[45][46]
日本の収穫量は26位で380,000t、作付面積は39位で12,000haである[45]。 日本における流通・消費形態まるごと販売されるのが基本であるが、スイカはかなり大きな果実のために、日本の今日の家族形態の大半を占める小規模な核家族では冷蔵庫などで保存しにくい、食べきれないという問題がある。そのため、八百屋や果物屋、あるいはスーパー等では、1⁄2、1⁄4、1⁄6等に切断し、フィルム包装の上冷蔵したものを販売していることも多い。かつて農村の大家族では井戸で冷蔵保存し、一度に消費し切るだけの人数がおり、都会でも濃密な近所付き合いがあり、隣近所に配布(いわゆる「おすそわけ」)されてしまうため、こうした問題は存在しなかったのである。 また、指先の打診で中身の品質を判断できるような熟練した店員がいるが、同じ地域のメンバーとして消費者と信頼関係が構築されていた商店街の小規模商店が衰退、減少した今日では、切断したものの方が、消費者自身の目によって中身を確認できるという利点もある。また、鑑賞・贈答用に特製のケースに入れて栽培した四角いスイカや、異常に巨大に成長した物なども販売され好評を博している。ただし、値段は通常のスイカの5 - 10倍程度。 日本の主な産地2021年度の都道府県別の生産量は熊本県(4万9300トン)が最も多く、続いて千葉県(3万7500トン)、山形県(3万2200トン)が続き、例年この3県が収穫量が多い産地となっている[47]。各地方自治体、商工会、管轄農業協同組合(JA)のWEBサイトなどから主な産地を参照したものである。順位は2008年度、2013年度ないしは2014年度におけるスイカ収穫量を目安としているが、全国に産地が分布しているため市場占有率は最大の熊本県でも16 - 17%程度である。また順位において熊本県、千葉県、山形県の上位3県はほぼ変動していないが、以下4位から14位までは年度によって変動が大きい(生産が盛んな県は14位までであり、15位以下と大きく差が開いている)。また、2008年度と比較すると全体的に生産量は減少している。
生産が盛んな道県
文化スイカ割り→詳細は「スイカ割り」を参照
日本で行われる遊び。目隠しをした挑戦者が周囲の声を頼りにスイカを棒で割る。子供たちの夏の遊びとしてのスイカ割りは明治時代から行われているが、1960年代にスイカ生産量が増加したことや海水浴ブームとなったことから、海水浴場でのスイカ割りが流行した[18]。 季語スイカは秋の季語としても用いられる。これはスイカの旬がかつては立秋(8月7日頃)を過ぎる頃であるからで、この時期は暦の定義では秋になり、秋の季語として使われるわけである(近年の歳時記では時代に即して夏の季語とするものも多い)。スイカを秋の季語とする歳時記でも「西瓜割り」「西瓜提灯」は夏にするなど、スイカの季語は夏か秋かで揺れている。また、七夕の景物としても使われた。盂蘭盆で施餓鬼を行う地域では、餓鬼棚にスイカを添えることがある。これは、餓鬼となった亡者の喉の渇きを癒す為でもある。 縁起物としてベトナムの南部では、縁起の良い言葉で飾り立てたスイカがテト正月の祝いによく用いられ、年末になるとスイカ市が立つ。 歌謡の中のスイカ
芸能におけるスイカ
スイカをモチーフにした商品・作品→「Category:スイカを題材とした作品」も参照
スイカと黒人差別アメリカ合衆国ではスイカは黒人の大好物だというステレオタイプがある。(詳しくは「黒人とスイカのステレオタイプ」参照) パレスチナの抵抗のシンボル1967年6月の第三次中東戦争後、イスラエルはパレスチナ旗の掲揚を禁止。パレスチナ人は禁止されたパレスチナ旗の代わりに配色が同じであるスイカを抵抗のシンボルとして使うようになった[67][68]。 パチスロの役物パチスロの役物(レア役)において多くの機種で使用される。なぜスイカなのか理由ははっきりしない。 都市伝説「スイカの種を飲み込むと盲腸になる」と言われているが全くのガセである。盲腸は虫垂という臓器の細菌感染が原因になるが虫垂の入り口は1〜2mmと非常に細くスイカの種が入りこむ大きさではなく、スイカの種が原因で盲腸になった例が1回も無いという。広まった理由は推測として、盲腸は夏の時期に多く、虫垂炎の中からスイカの種の形をした老廃物の塊のような物が出ることが多いことから広まったとされている。 出典
参考文献
関連項目
外部リンク ウィキスピーシーズには、スイカに関する情報があります。 |