ロンドン
London
ロンドン地域 (大ロンドン ) London Region(Greater London)
北緯51度30分28秒 西経0度07分41秒 / 北緯51.50778度 西経0.12806度 / 51.50778; -0.12806 国
イギリス 構成国家
イングランド 地域
ロンドン地域 地区
シティ と32の特別区 ローマ人 による建設
西暦 50年 政府
• 地方政府
大ロンドン庁 • 地方議会
ロンドン市議会 • 市長
サディク・カーン (労働党 ) • イギリス議会 - ロンドン議会 - ヨーロッパ議会
74選挙区 14選挙区 ロンドン選挙区 面積
• グレーター・ロンドン
1,569 km2 (606 mi2 ) 標高
24 m (79 ft) 人口(2020年)
• グレーター・ロンドン
9,425,622 [ 2] 人 • 密度
5,354人/km2 (13,466人/mi2 ) • 都市部
9,787,426人 • 都市圏
15,010,295人 等時帯
UTC+0 (グリニッジ標準時 ) • 夏時間
UTC+1 (英国夏時間 ) 郵便番号
E, EC, N, NW, SE, SW, W, WC, BR, CM, CR, DA, EN, HA, IG, KT, RM, SM, TN, TW, UB, WD
住人の呼称
ロンドンっ子 (Londoner ) 民族構成(2005年推計 )[ 3]
ウェブサイト
www.london.gov.uk
ロンドン (London )は、イギリス およびこれを構成するイングランド の首都 。イングランドの9つの地域(リージョン) のひとつ。
イギリス やヨーロッパ 域内で最大の都市圏 を形成している。ロンドンはテムズ川 河畔に位置し、2000年前のローマ帝国 によるロンディニウム 創建が都市の起源である[ 4] 。ロンディニウム当時の街の中心部は、現在のシティ・オブ・ロンドン (シティ)に相当する地域にあった。シティの市街壁 内の面積は約1平方マイル (2.6km2 )あり、中世以来その範囲はほぼ変わっていない。少なくとも19世紀 以降、「ロンドン」の名称はシティの市街壁を越えて開発が進んだシティ周辺地域をも含めて用いられている[ 5] 。ロンドンでは市街地の大部分がコナベーション により形成されている[ 6] 。
グレーター・ロンドン では選挙で選出されたロンドン市長 とロンドン議会 により統治が行われ[ 7] [ 8] 、域内はシティ・オブ・ロンドン と32のロンドン特別区 から成る。
概説
テート・モダン から見た都心 のシティ・オブ・ロンドン にあるセント・ポール大聖堂
ロンドンは最高水準の世界都市 として、芸術、商業、教育、娯楽、ファッション、金融、ヘルスケア、メディア、専門サービス、調査開発、観光、交通といった広範囲にわたる分野において強い影響力があり[ 9] 「世界一革新的な都市」と呼ばれることもある[ 10] 。また、ニューヨーク と並び世界をリードする金融センター でもあり[ 11] [ 12] [ 13] 、2014年時点の域内総生産 は世界第5位で、欧州 域内では最大である[ 14] 。世界的な文化の中心でもある[ 15] [ 16] [ 17] [ 18] 。ロンドンは世界でもっとも来訪者の多い都市であり[ 19] 、単一の都市圏としては世界でもっとも航空旅客数 が多い[ 20] 。欧州ではもっとも高等教育機関が集積する都市であり、ロンドンには大学が43校ある[ 21] 。2012年 のオリンピック 開催にともない、1908年 、1948年 に次ぐ3度目のオリンピック 開催となり、同一都市としては史上最多となった[ 22] 。なお、中止された1944年大会 もロンドンで開催される予定であった。
ロンドンは文化的な多様性があり、300以上の言語が使われている[ 23] 。2011年3月時点のロンドンの公式の人口は817万4,100人であり、欧州の市域人口では最大で[ 24] [ 25] 、イギリス国内の全人口の12.7パーセントを占めている[ 26] 。グレーター・ロンドンの都市的地域 は、パリ の都市的地域に次いで欧州域内で第2位となる827万8,251人の人口を有し[ 27] 、ロンドンの都市圏の人口は1,200万人[ 28] から1,400万人[ 29] に達し、欧州域内では最大である。ロンドンは1831年 から1925年 にかけて、世界最大の人口を擁する都市であった[ 30] 。2012年 にマスターカード が公表した統計によると、ロンドンは世界でもっとも外国人旅行者が訪れる都市である[ 31] 。
イギリスの首都とされているが、他国の多くの首都と同様、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない[ 32] 。
地名
「ロンドン」の語源ははっきりとしていない[ 33] 。古代の名称はその典拠が2世紀からのものに見られる。121年にロンディニウム の記録があり、ローマ・ブリトン文化 が起源である[ 33] 。最初期の説は今日では軽視されているジェフリー・オブ・モンマス のブリタニア列王史 である[ 33] 。名称の説の一つにルッド から仮定されるもので、主張によればこの王が街を占領しKaerlud と名付けたとしている[ 34] 。
1898年以降は「Londinos と呼ばれる男の所有する土地」を意味するケルト語に語源を求めるのが一般的であったが、この説は否定されている[ 33] 。1998年、言語学者のリチャード・コーツ (英語版 ) は古ケルト語の(p)lowonida を語源とする説を提示した。(p)lowonida とは、「渡るには幅が広すぎる川」を意味し、ロンドンを東西に貫通するテムズ川を指すものとして提案されている。ケルト語の形でLowonidonjon となり、これが集落名になったとした[ 35] 。しかしながら、この説は大きな修正を必要とした。可能性としてウェールズ語 の名称が英語から借用されたものに戻り、基礎から元の名称を再構築して使用することが困難であるという可能性も排除できない。
1889年まで"London" の名称は公式にはシティ・オブ・ロンドン にのみ適用されていたが、カウンティ・オブ・ロンドン (英語版 ) を表すものとなり、現在ではグレーター・ロンドン を表すものとなっている[ 5] 。
漢字表記は「倫敦 」が用いられるが、明治期前後には「龍動」と記載した例もある[ 36] 。現代中国語をピンイン式でアルファベット表記すると、倫敦は「lundun 」で、龍動は「longdong 」となる。龍動と表記したのは、清国から伝わった外来表記であった可能性がある。
歴史
先史時代・古代
ロンディニウムの範囲
ロンドン周辺にはケルト系のブリトン の集落跡が点在した形跡が確認される。最初の大きな開拓地はローマ帝国 によって43年 に創建された[ 37] 。この開拓は17年間続いたが、61年 ころブーディカ が率いるイケニ族 により強襲され焼き討ちされた[ 38] 。また一説には紀元前1103年ごろ、トロイ王族の孫ブルートゥスがトロイヤ人の一団を率いてイタリアから移住、「ニュー・トロイ」としてロンドンが建設されたという[ 39] 。紀元前1200年前後のトロイ崩壊後、トロイ王族のアイネイアースはトロイの移民を率いてイタリアに移住、ラテンの王ラティヌスの娘と結婚。ブルートゥスはアイネイアースの孫である。
その次の都市は繁栄し、紀元100年にそれまでブリタニアの首都であったコルチェスター から取って代わった。2世紀のローマ支配のロンドンは6万人の人口があった。
最近の2つの発見により、ロンドンは考えられていたよりも古くから人が住んでいたことが分かった。1999年に青銅器時代 の橋がヴォクスホール・ブリッジ の北側の砂浜で発見されている[ 40] 。この橋はテムズ川を渡っていたか、今はない川の中に浮かぶ島を渡っていた。樹木学 では紀元前1500年にさかのぼる木材が使われている。2010年には紀元前4500年にさかのぼる大きな木材で築かれた建物がヴォクスホール・ブリッジ南側の砂浜で発見された[ 41] 。中石器時代のもので機能は分かっていないが、50メートル×10メートルの範囲で30センチの干潮時に見ることができる。この2つの構造物は南岸のテムズ川とエッフラ川が自然に合流する地点にあり、ローマ時代のシティ・オブ・ロンドンの上流4キロの場所にある。これらの構造体を構築するのに必要な労働力、貿易、安定性などから少なくとも数百人規模のコミュニティがあったことを示している。
中世
1300年頃、シティ の範囲は市街壁内に収まっていた。
世界遺産のウエストミンスター寺院 の絵画 (Canaletto, 1749 A.D.)
5世紀初期にはローマは事実上、ロンドンを放棄している。6世紀からアングロ・サクソン人 がルンデンヴィック (英語版 ) で知られる開拓地がローマ人の古い街のわずかに西に築かれ、これは現在のコヴェント・ガーデン やロンドン で、人口は1万人から1万2,000人程度に達した。ただし、宗教的な中心地はカンタベリー であり、この側面でだけはロンドンは後塵を拝することになる。フリート川 の河口には漁業や交易で栄えた港があったと思われるが、ヴァイキング からの防衛上の見地から、かつてのローマ人の市街壁を用いるため、東のロンディニウムへの移動を強いられた[ 42] 。ヴァイキング の襲撃は増加の一途をたどり、886年 にアルフレッド大王 がデーン人 の指導者であるガスラム とウェドモーアの和議 を締結するまで続いた[ 43] 。アングロ・サクソン人のルンデンヴィックLundenwic は「旧市街」を意味するエアルドヴィックEaldwic と改称され、現在のシティ・オブ・ウェストミンスター のオールドウィッチ にその名を残している[ 44] 。10世紀 、すでに国内最大の都市となり、貿易面でももっとも重要な都市となっていたロンドンは、イングランド統一によりさらに政治面での重要性も高めた。さらにこのころ、ウェセックス の伝統的な中心地であるウィンチェスター との競合にも直面した。
11世紀 、エドワード懺悔王 はウェストミンスター寺院 を建設し、シティより少し上流の地であるウェストミンスターに居住した。この見地に立てば、ウェストミンスターはシティの政府機能を担う立場を着実に奪っていったといえる[ 45] 。1066年 、ヘイスティングズの戦い で勝利し、イングランドを征服したノルマンディ公 ギヨーム2世 は同年のクリスマス の日に、ウェストミンスター寺院 でイングランド王 ウィリアム1世 として即位した[ 46] 。ウィリアム1世はホワイト・タワー(のちのロンドン塔 )をシティの南東に建設し、市民を威圧した[ 47] 。1097年 、ウィリアム2世 はウェストミンスター寺院にほど近い場所に、ウェストミンスター宮殿 の基礎となるウェストミンスター・ホールを建設した[ 48] [ 49] 。12世紀 、それまで国中を移動していた宮廷に同伴していた中央政府の各機関は次第に一箇所に固定化し、規模を増大させ、洗練されていった。多くの場合、政府機関はウェストミンスターに集中したが、国庫の機能はロンドン塔に置かれた。ウェストミンスターが首都として政府機能を果たす一方、シティは自治機能を有するイングランド最大の商業都市に発展していた。シティはその経済力を背景として、12 -13世紀 に市長を選出する権利や独自の法廷を持つ権利を獲得し、14世紀 半ばからは市参事会を選出し、王権から独立した高度な自治都市としての独立を保持した。人口は1100年 に1万8,000人、1300年 までには10万人ほどにまで成長していた[ 50] 。
14世紀半ばにはペスト が発生し、人口は3分の1程度減少した。1381年 、ワット・タイラーの乱 が発生した[ 51] 。
近世
ロンドン大火
テューダー朝 の時代、宗教改革 にともなうプロテスタント への移行が次第に進むにつれ、教会の私有化が進んだ[ 52] 。ネーデルラント 周辺地域へは未加工のウール 生地が海上輸出された。生地の主たる用途は、大陸ヨーロッパ の富裕層向けの衣服であった。しかし、当時のイギリスの海運会社は北西ヨーロッパ以外の海にはほとんど進出しなかった。イタリア や地中海 への商業ルートは、通常アントウェルペン またはアルプス山脈 経由であった。海上輸送ではイタリアやドゥブロヴニク の貿易商と同様、ジブラルタル海峡 を経由した。1565年 のオランダ とイギリス間の貿易再開は、瞬く間に活発な商取引をもたらした[ 53] 。1566年 、王立取引所 が設立された。重商主義 は進展し、イギリス東インド会社 をはじめとする勅許会社 が設立され、貿易は新世界 へと拡大した。ロンドン港は北海 において重要性を増し、国内外から移住者が来航した。1530年 の人口は推計で5万人、1605年 には22万5,000人に上昇した。
16世紀 、ウィリアム・シェイクスピア や同時代に生きたロンドンの劇作家は、イギリス・ルネサンス演劇 をはじめとして劇場の発展にしのぎを削った。テューダー朝が終わりを告げる1603年 まで、ロンドンはまだ非常に小規模な都市であった。1605年 、ジェームズ1世 の暗殺計画を企てた火薬陰謀事件 が発生した[ 54] 。17世紀 初頭や1665 - 1666年 にはペストが流行し[ 55] 、10万人または人口の5分の1が死亡した[ 56] 。1666年 、シティのプディング・レーンにてロンドン大火 が発生し、市内の家屋の約85パーセントが焼失した[ 57] 。建築家ロバート・フック 指揮のもと[ 58] [ 59] [ 60] 、ロンドン再建に10年の歳月を要した。1708年 、クリストファー・レン の最高傑作であるセント・ポール大聖堂 が完成した。ハノーヴァー朝 の時代には、メイフェア をはじめとする新市街が西部に形成され、テムズ川には新たな橋が架橋され、南岸の開発が促進された。東部では、ロンドン港がテムズ川下流のドックランズ に向かって拡張された。
1762年 、ジョージ3世 はバッキンガム・ハウス を手中に収め、以後75年間にわたって同邸宅は拡張を続けた。18世紀 、ロンドンの犯罪率は高く、1750年 にはロンドン最初の専業の警察としてバウストリートランナーズ (英語版 ) [ 61] が設立された。総計で200件以上の犯罪に死刑 判決が下され[ 62] 、小規模な窃盗罪でも女性や子どもが絞首刑 に処された[ 63] 。ロンドンで生まれた子どもの74パーセント以上は5歳未満で死亡していた[ 64] 。コーヒー・ハウス が意見を交わす社交場として流行したのにともない、リテラシー の向上やニュースを世間一般に広める印刷技術が向上し、フリート・ストリート は報道機関の中心地となっていた。
1777年 のサミュエル・ジョンソン による言葉を記す。「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるものすべてがあるから」[ 65]
近現代
第二次世界大戦時、ドイツによる空襲を受けたロンドン
1831 年から1925年 ごろ、ロンドンは世界最大の都市であった[ 66] 。著しく高い人口密度 によりコレラ が大流行し[ 67] 、1848年 に1万4,000人が死亡、1866年 には6,000人が死亡した。特に、1854年 8月の大流行は『ブロード街の12日間』というノンフィクションにまとめられている。1855年 に、首都建設委員会 が設立される。渋滞が増加し、首都建設委員会はインフラ整備を監督した。世界初の公共鉄道ネットワークであるロンドン地下鉄 が開通している。首都建設委員会は1889年 にロンドン郡議会 (英語版 ) になり、ロンドン最初の市全域を管轄する行政機構として機能した。第二次世界大戦 時、ザ・ブリッツ をはじめとするドイツ空軍 による空爆により、3万人のロンドン市民が死亡し、市内の多くの建築物が破壊された。終戦直後の1948年 、ロンドンオリンピック が初代ウェンブリー・スタジアム にて開催され、同時に戦後復興をわずかに果たした。
1951年 、フェスティバル・オブ・ブリテン (英語版 ) がサウス・バンク にて開催された。1952年 に発生したロンドンスモッグ の対応策として、1956年 に大気浄化法 (1956) (英語版 ) が制定され、「霧の都」と揶揄されたロンドンは過去のものとなったが、大気汚染の問題はいまだに残されている[ 68] 。1940年代 以降、ロンドンには大量の移住者が流入した。多くはイギリス連邦 加盟国の出身者である。内訳としてはジャマイカ 、インド 、バングラデシュ およびパキスタン 出身者で、ロンドンに欧州屈指の多様性をもたらす要因となっている。
主として1960年代 半ば以降、ロンドンは世界的なユースカルチャー の中心地となっていった。キングス・ロード 、チェルシー 、カーナービーストリート (英語版 ) といった地域ではスウィングロンドン (英語版 ) といったスタイルが流行した。流行の発信拠点としての役割はパンク・ロック の時代に復活し、1965年 、ロンドンの都市的地域 の拡大にともない、管轄範囲を拡大したグレーター・ロンドン・カウンシル が設立された。北アイルランド問題 に関連し、ロンドンではIRA暫定派 による爆破事件が発生した。1981年 のブリクストン暴動 (英語版 ) では、人種差別 問題が注目を集めた。第二次世界大戦以後、グレーター・ロンドン の人口は次第に減少していった。ピーク時の1939年 の推計人口が861万5,245人だったのに対し、1980年代 では約680万人に減少していた。ドックランズ のカナリー・ワーフ 再開発事業にともない、ロンドンの主要港は下流に位置するフェリクストウ港 (英語版 ) やティンバリー港 (英語版 ) に移転した。また、カナリー・ワーフ再開発事業により、ロンドンの国際的な金融センター としての役割は増加の一途をたどった。
1980年代 、高潮による北海 からの海水の流入をせき止め、洪水を防止するテムズバリア (英語版 ) が完成した。1986年 、グレーター・ロンドン・カウンシルが廃止され、ロンドンは世界で唯一、中央行政機関が存在しない大都市となった。2000年 、グレーター・ロンドンを管轄するグレーター・ロンドン・オーソリティー が設立された。ミレニアム記念事業の一環として、ミレニアム・ドーム 、ロンドン・アイ 、ミレニアム・ブリッジ が建設された。2005年 、ロンドン同時爆破事件 が発生し地下鉄車両とバスが爆破された[ 69] 。2012年 、第30回夏季オリンピック ・第14回夏季パラリンピック が開催された。1908年大会 や1948年大会 に次ぐ3度目のオリンピック 開催であり、同一都市としては史上最多となる。
アメリカのシンクタンク が2017年 に発表した総合的な世界都市 ランキングにおいて、世界1位の都市と評価された[ 70] 。
2020年 、フランス のエマニュエル・マクロン 大統領より、レジオンドヌール勲章 を授与される[ 71] 。
行政
シティ・ホール
グレーター・ロンドン は、シティ・オブ・ウェストミンスター を含む32の特別区とシティ・オブ・ロンドン により構成されている[ 72] 。グレーター・ロンドンは選挙で選出されたロンドン市長 とロンドン議会 により構成されている。ロンドン市長は行政上の力を有し、ロンドン議会は市長が提案する年度毎の予算の可否や裁定に関して精細に調査する。グレーター・ロンドンの本庁はサザーク のシティーホール にあり、現在の市長はサディク・カーン である。市長の法定戦略計画はロンドンプラン (英語版 ) として公開され、最新のものは2011年に改訂されている[ 73] 。
グレーター・ロンドンのうち、シティ、都心部の13区はインナー・ロンドン、その外縁部の19区はアウター・ロンドンと呼ぶ。1965年 、グレーター・ロンドン全体を管轄する広域自治体としてグレーター・ロンドン・カウンシル が発足したが、1986年 にサッチャー 政権の地方行政改革により廃止された。グレーター・ロンドン・カウンシル廃止以後、各区は「ユニタリー」と呼ばれる状態にあり、カウンティレベルの行政組織として機能していた。ところがブレア 政権下の住民投票により、2000年 にグレーター・ロンドンを管轄するグレーター・ロンドン・オーソリティー が設立され、グレーター・ロンドンの市長は直接選挙で選出されるようになった。初代市長ケン・リヴィングストン はロンドンの主要な政策課題である公共の安全性の確保と交通問題に努めたが、2008年 にボリス・ジョンソン との選挙に敗れ、ジョンソンが2代目市長となった。シティは中世から自治組織を有し、ロード・メイヤーと呼ばれるロンドン市長 を選出してきたが、現在ではシティの「市長」は名誉職になっている。また、英国では伝統的に大聖堂 (大寺院)がある町(Town )を都市(City )と呼称し、シティ・オブ・ロンドンにはセント・ポール大聖堂 、シティ・オブ・ウェストミンスターにはウェストミンスター寺院 がそれぞれ存在する。一方、サザーク は大聖堂を有するが、16世紀 からシティではなく特別区を名乗る。
特別区は一番身近な行政サービスである地区計画や学校、社会福祉援助 、地域道路の整備、ゴミ収集に関して責任がある。ゴミ収集のような行政サービスはロンドン清掃事務当局 (英語版 ) 等の機関を通じていくつかの特別区ごとにそれぞれ共同で行っている。2009 - 2010年のロンドン議会とグレーター・ロンドンを合わせた歳入歳出規模は220億ポンドで、そのうち147億ポンドは特別区、74億ポンドはグレーター・ロンドンであった[ 74] 。
グレーター・ロンドンの治安はロンドン市長公安室 (英語版 ) 下のロンドン警視庁 により担われている。シティ・オブ・ロンドンは自らの警察機構であるロンドン市警察 を有している[ 75] 。イギリス鉄道警察 はロンドンのナショナル・レール やロンドン地下鉄 に関してその責任を有している[ 76] 。
ロンドン消防庁 はイギリスの消防に関する法律により、ロンドン消防・緊急事態計画局 (英語版 ) のもと、グレーター・ロンドンを管轄する、世界で5番目に大きな消防組織である[ 77] 。救急はロンドン救急サービス (英語版 ) (LAS)により担われ、無料の救急車サービスでは世界で最大規模である[ 78] 。ロンドン航空救急 (英語版 ) はLASと連携して慈善で運営されている。イギリス沿岸警備隊 と王立救命艇協会 はテムズ川で運用されている[ 79] [ 80] 。
政府機関
ロンドンはイギリス政府 の首都としてウェストミンスター宮殿 周辺に官庁 が多く集まっている。特にホワイトホール 沿い界隈に集中しており、首相官邸のダウニング街10番地 も含まれる[ 81] 。イギリス議会は「議会の母(Mother of Parliaments )」 と呼ばれ、この愛称は最初にイングランド自体にジョン・ブライト が用いた[ 82] 。議院内閣制 のモデルである。
地理
範囲
ロンドンの範囲。濃い緑がグレーター・ロンドン、薄い緑がセントラル・ロンドン、赤い地点がシティ・オブ・ロンドン。M25がグレーター・ロンドンを囲む。
グレーター・ロンドン は一番上の行政機構で、特別区がそれぞれロンドンをカバーしている。小さい範囲のシティ・オブ・ロンドン はかつてすべての範囲の街区が含まれていたが、都市地域の成長によりシティ・オブ・ロンドン自治体 (英語版 ) により郊外との合体が試みられた。それぞれ異なった目的により「ロンドン」が定義され、かつて法的に議論された[ 83] 。グレーター・ロンドンの40パーセントはロンドン郵便カウンティ (英語版 ) によりカバーされ、郵便の住所では 'LONDON' の範囲を構成している[ 84] [ 85] 。
ロンドンの衛星写真
セントラル・ロンドンの地図
ロンドンの市外局番は(020)でグレーター・ロンドンと同じように広範囲をカバーし、外側の地区のいくつかは外れるがグレーター・ロンドンの外の地区のいくつかは含まれている。M25モーターウェイの内側が通常、ロンドンとみなされ[ 86] 、グレーター・ロンドンの範囲は変化している (en ) [ 87] 。市街地の拡張は現在、メトロポリタン・グリーンベルト (英語版 ) により防がれているが[ 88] 境界を越えて市街地は広がっており、グレーター・ロンドン都市的地域 と定義が分かれる。超えた範囲は広大なロンドンコミューターベルト (英語版 ) になっている。
グレーター・ロンドンはいくつかの目的によってインナー・ロンドン とアウター・ロンドン に分かれている[ 89] 。シティはテムズ川によりノース・ロンドンとサウス・ロンドンに分けられ、形式的にセントラル・ロンドンはその内側にある。ロンドンの中心はもともとチャリングクロス のエレノア・クロス (英語版 ) でウィンチェスター とトラファルガー広場 の結合する部分の近くに位置し、北緯51度30分26秒 西経00度07分39秒 / 北緯51.50722度 西経0.12750度 / 51.50722; -0.12750 である[ 90] 。
都市の地位
シティ・オブ・ロンドン とシティ・オブ・ウェストミンスター はシティステータス を有し、シティ・オブ・ロンドンはグレーター・ロンドン とは別個の典礼カウンティ として残っている[ 91] 。現在のグレーター・ロンドンには、かつてのミドルセックス州 、ケント 、サリー 、エセックス 、ハートフォードシャー が編入されている。
ロンドンの、イングランドやのちのイギリスの首都としての地位は法律や書物には認められない[ 注釈 1] 。しかしその地位は、憲法会議を通してイギリスの憲法 で実質的な首都として制定されている。12世紀と13世紀にかけて、イングランドの首都は、ウェストミンスター宮殿 の開発の進展によりウィンチェスター からロンドンへ王宮が恒久的に移されてから、国家の政治の中心たる首都となった[ 94] 。
地勢
プリムロズヒル
グレーター・ロンドンは1,583平方キロメートル (611 sq mi) の面積があり、人口は2001年現在7,172,036人で人口密度は4542人/km2 。より広い範囲はロンドン都市圏 またはロンドン大都市圏密集体と呼ばれ面積は 8,382平方キロメートル (3,236 sq mi) で人口は12,653,500人に達し人口密度は1510人/km2 である[ 95] 。現代のロンドンはテムズ川 河畔に位置する。テムズ川の特徴として、航行可能で、ロンドン市域を南西部から東部にかけ横切っている。テムズ低地 (英語版 ) は氾濫原 で周辺部はなだらかな丘陵地である。その中にはパーラメント・ヒル (英語版 ) やアディントン・ヒル (英語版 ) 、プリムロズ・ヒル が含まれる。テムズ川はかつてはより川幅が広く、水深も浅くて沼地が広がり、満潮時には河岸は通常の5倍にも達していた[ 96] 。南西部のヒースロー空港 近辺のテムズ川本流付近の貯水池 群と砂利 採取場跡はオカヨシガモ とハシビロガモ の生息地で、2000年にラムサール条約 登録地となった[ 97] 。
ヴィクトリア朝 以来、テムズ川は広い堤防が築かれ多くのロンドンの支流は現在地下を流れている。テムズ川は潮の流れの影響を受ける川で洪水による被害を受けやすい[ 98] 。この脅威は時間と共にゆっくりと継続的に高い潮汐レベルで増す。これは緩やかに傾いたイギリスの後氷期地殻均衡復元 (英語版 ) による[ 99] 。1974年に脅威を防ぐため10年計画でウーリッジ でテムズ川を横切るテムズバリア (英語版 ) の建設が始まった。バリアは2070年まで機能するように設計され、さらなる拡張や再設計の話し合いがすでに行われている[ 100] 。
気候
典型的な西岸海洋性気候 で、イギリス南部の多くの地域と同様である。日本と比べると暖候期である春から夏の気温が低いため、相対的に秋から冬にかけての季節が長く感じられるが、年間を通してみると温和な気候である。冬は比較的寒いが、1月の気温を平均すると約6℃で日本の東京や大阪とほぼ同じで緯度の割に寒くない。しかし、日々の変動が大きく、最低気温が8~9℃となる日もあれば最高気温が1~2℃となることも珍しくない。また冬の日照時間は短く曇りの日が続く。霜が郊外で11月から3月にかけ平均2週間発生する。降雪は通常、4-5回12月から2月にかけ発生し、大雪となっても10cm程度である。3月や4月に雪が降ることは希であるが、2-3年毎に見られる。冬の気温は−4 °C (24.8 °F) 以下や14 °C (57.2 °F) 以上を超えることは滅多に起こらない。比較的近い北極や北欧方面からの寒波の影響を受けることがあり2010年の冬には郊外のノーソルトで−14 °C (6.8 °F)の最低気温を記録し、20年に一度の大雪も見られロンドンの交通機関は大きく混乱した。
夏は日本の夏より気温が低く、盛夏でも夜には15℃を下回りコートが必要になることがある。時折暑くなることもあるが、30℃以上となることは少ない。ヒートアイランド によりロンドンの中心部では気温が郊外に比べ5 °C (9 °F) も高い。ロンドンの夏の平均気温は 24 °C (75.2 °F) で、年に7日は 30 °C (86.0 °F) を超え2日は32 °C (89.6 °F) を超える。気温が26℃(80 °F)を超えることは6月半ばから8月後半にかけて見られる。大陸からの熱波の影響を受けることがあり、2003年の欧州の猛暑 では14日間連続で気温が 30 °C (86.0 °F) を超え、2日連続で 38 °C (100.4 °F) を超えた。数百人が猛暑に関連し死亡している。雨は夏の期間、2日から10日の範囲で見られる。春や秋は季節が混在するため、5-6月や9-10月にも防寒対策が必要となることもある。2011年10月1日に気温が 30 °C (86.0 °F) に達し、2011年4月には28 °C (82.4 °F) に達した。しかしながら、近年ではこの最高気温を記録した月に雪が降ることもある。ロンドンの気温の幅は-11.0℃から37.9℃である。
雨が多い都市という評判がロンドンにあるが、実際にはロンドンの降水量はローマ の 834 mm (32.8 in) やボルドー の923 mm (36.3 in) より少ない[ 101] 。降水量自体は少なくとも、降水日数が多いため雨が多いと感じるのである。
また、「霧の都」と呼ばれるように [要出典 ] 年間の霧発生日数が多い。
ロンドン(1991~2020)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
15.4 (59.7)
20.1 (68.2)
22.8 (73)
28.5 (83.3)
31.7 (89.1)
34.0 (93.2)
37.9 (100.2)
37.9 (100.2)
32.8 (91)
28.8 (83.8)
18.5 (65.3)
16.4 (61.5)
37.9 (100.2)
平均最高気温 °C (°F )
8.4 (47.1)
9.1 (48.4)
12.1 (53.8)
15.5 (59.9)
18.8 (65.8)
22.1 (71.8)
24.4 (75.9)
24.0 (75.2)
20.6 (69.1)
16.1 (61)
11.5 (52.7)
8.7 (47.7)
15.9 (60.6)
日平均気温 °C (°F )
5.7 (42.3)
5.9 (42.6)
8.0 (46.4)
10.5 (50.9)
13.7 (56.7)
16.8 (62.2)
19.0 (66.2)
18.7 (65.7)
15.9 (60.6)
12.4 (54.3)
8.5 (47.3)
6.1 (43)
11.8 (53.2)
平均最低気温 °C (°F )
3.2 (37.8)
3.2 (37.8)
4.7 (40.5)
6.5 (43.7)
9.4 (48.9)
12.4 (54.3)
14.5 (58.1)
14.5 (58.1)
12.0 (53.6)
9.3 (48.7)
5.8 (42.4)
3.6 (38.5)
8.3 (46.9)
最低気温記録 °C (°F )
−10.0 (14)
−9.0 (15.8)
−5.1 (22.8)
−2.0 (28.4)
−1.0 (30.2)
4.0 (39.2)
5.6 (42.1)
5.9 (42.6)
1.7 (35.1)
−3.3 (26.1)
−7.0 (19.4)
−11.0 (12.2)
−11 (12.2)
降水量 mm (inch)
57.8 (2.276)
43.4 (1.709)
38.3 (1.508)
42.0 (1.654)
45.5 (1.791)
43.4 (1.709)
45.3 (1.783)
52.1 (2.051)
48.3 (1.902)
61.5 (2.421)
64.4 (2.535)
54.7 (2.154)
596.7 (23.493)
[要出典 ]
地区(2市31区)
シティ・オブ・ロンドン †
シティ・オブ・ウェストミンスター
ケンジントン・アンド・チェルシー 王立区
ハマースミス・アンド・フラム
ワンズワース
ランベス
サザーク
タワーハムレッツ
ハックニー
イズリントン
カムデン
ブレント
イーリング
ハウンズロー
リッチモンド・アポン・テムズ
キングストン・アポン・テムズ 王立区
マートン
サットン
クロイドン
ブロムリー
ルイシャム
グリニッジ 王立区
ベクスリー
ヘイヴァリング
バーキング・アンド・ダゲナム
レッドブリッジ
ニューアム
ウォルサム・フォレスト
ハーリンゲイ
インフィールド
バーネット
ハーロウ
ヒリンドン
ロンドンは広大な市街地が広がっていることから、よくブルームズベリー やメイフェア 、ホワイトチャペル のように地区 名が使われている。これらはいずれも、非公式な名称で都市の広がりによって吸収された村を映したものや教区 、グレーター・ロンドン以前の旧区を表したものである。これらの名称は今でも残って使われており、それぞれの地域を表したり自らの地区を特徴付けているが現在は公式には使われていない。1965年以来、ロンドンは32の自治区 に分けられ、これに古くからのシティ・オブ・ロンドン が加わる[ 102] [ 103] 。シティ・オブ・ロンドンはロンドンの金融の中心で[ 104] 、カナリー・ワーフ は近年では再開発が進み新たな金融や商業の中枢になっている。東側はドックランズ である。ウェスト・エンド はロンドンのエンターテイメントやショッピングの中心地区で観光客を惹き付けている[ 105] 。ウェスト・ロンドン (英語版 ) は高級住宅地を含む地区で不動産価格は1000万ポンドにもなる[ 106] 。ケンジントン・アンド・チェルシー の不動産の平均価格は89万4,000ポンドでセントラル・ロンドンのほとんどは同様である[ 107] 。
イーストエンド・オブ・ロンドン は元のロンドン港 (英語版 ) に近く、高い移民人口で知られロンドンでも最も貧しい地区の一つである[ 108] 。北東部 (英語版 ) はロンドンでは初期に工業開発が行われた地域で現在ではブラウンフィールド (汚染地区)の一部として再開発が行われているテムズゲートウェイ (英語版 ) にはロンドンリバーサイド (英語版 ) やローワーリーバレー (英語版 ) も含まれ、これは2012年のオリンピックとパラリンピックのためのオリンピックパーク を含んでいる[ 108] 。
街並み
シティ・オブ・ロンドンとカナリー・ワーフのそれぞれの高層ビル群とザ・シャードなどロンドン中心部のパノラマ。2012年6月
建物
30セント・メリー・アクス
ロンドンの建築物は様々な年代のものがあり多様である。多くの大きな建物やナショナル・ギャラリー のような公共の建物はポートランド石 という白い大理石 で造られている。市街地の一部とくに西部や中心部では化粧しっくい (スタッコ)や水しっくいで特徴付けられた建物を見ることが出来る。セントラル・ロンドンでは1666年に起こったロンドン大火 以前の建物が若干見られ、古代ローマの跡も僅かに残されている。ロンドン塔 やシティに点在したわずかなチューダー様式 の建物が残っている。さらにチューダー期 (英語版 ) のイングランドで残っている一番古いチューダー宮殿、ハンプトン・コート宮殿 はトマス・ウルジー 枢機卿 により1515年に建てられた[ 109] 。
クリストファー・レン の17世紀後半の教会や金融機関の建物、18世紀や19世紀の王立取引所 やイングランド銀行 、20世紀初期のオールド・ベイリー (英語版 ) 、1960年代のバービカンエステート (英語版 ) は建築遺産の一部を形成している。1939年に建設されたバタシー発電所 はテムズ川の南西側に位置し今では使われていないが、地元のランドマークになり再開発も計画されている。鉄道のターミナル駅ではヴィクトリア建築 (ネオ・ゴシック様式)の代表例としてセント・パンクラス駅 とパディントン駅 が上げられる[ 110] 。ロンドンは地域により建物の密集状態が異なり、セントラル・ロンドンは高い就業人口集積がありインナー・ロンドンは高い住宅密度である。アウター・ロンドンは低い密度になっている。
シティにあるロンドン大火記念塔 はロンドン大火を記念し現場の近くに建てられている。マーブル・アーチ とウェリントンアーチ (英語版 ) はシティ・オブ・ウエストミンスターのパーク・レーン (英語版 ) の北側と南側にそれぞれある。また、アルバート記念碑 とサウス・ケンジントン (英語版 ) のロイヤル・アルバート・ホール は王室とのつながりがある。ネルソン記念柱 はホレーショ・ネルソン 提督の業績を記念し、トラファルガー広場 に据えられロンドン中心の焦点なる場所の一つである。古い建物は主に煉瓦で建てられ、ほとんどは黄色っぽいロンドンストック煉瓦 (英語版 ) か明るいオレンジや赤系統のもので、彫刻やプラスターの繰形 が施される[ 111] 。
バッキンガム宮殿
密集地帯のほとんどでは中層や高層のビルが建てられる。ロンドンの高層ビルには30セント・メリー・アクス 、タワー42 、ブロードゲートタワー (英語版 ) 、ワン・カナダ・スクウェア があるがこれらはシティ・オブ・ロンドン やカナリーワーフ の二つの金融街などで見ることが出来る。高層ビルの建築はセント・ポール大聖堂 や他の歴史的な建築物など歴史的な建物の景観を保護するため、特定の場所に制限されている。それでもやはり、多くの超高層ビルがロンドン中心部では見ることができ、イギリスでは一番高い高層ビルであるザ・シャード (310m) も含まれる。他にロンドンを特徴付ける建物には大英図書館 や2002年に完成したサザークのシティ・ホール で楕円形の建物は目に付く[ 112] 。以前のミレニアム・ドーム は現在は改名され複合娯楽施設The O2 として使われている。
公園・庭園
ハイドパーク俯瞰
中心部で一番大きな公園はロンドンの王立公園 (英語版 ) のうちの一つであるハイドパーク で、近隣にはセントラル・ロンドンの西側にケンジントン・ガーデンズ が、北側にリージェンツ・パーク がある[ 113] 。リージェント・パークには、世界で一番古い科学的な動物園であるロンドン動物園 があり、近くには観光名所である蝋人形 館のマダム・タッソー館 がある[ 114] [ 115] 。ロンドン中心近くには小さな王立公園であるグリーンパーク (英語版 ) とセント・ジェームズ・パーク がある[ 116] 。ハイド・パークは特にロンドンのスポーツのスポットとして有名で、しばしば野外コンサートが行われる。中心部の外へ出ると多くの大きな公園があり、その中には南東部の王立公園のグリニッジパーク [ 117] や、南西部のブッシーパーク (英語版 ) やリッチモンドパーク [ 118] [ 119] 、東側のヴィクトリア・パーク (英語版 ) がある。プリムローズヒル は市街地の北側にあり、リージェントパークからのロンドン中心部のスカイライン の眺めはポピュラーである。いくつかの非公式な、自然なオープンスペースに準じた空間があり、ノース・ロンドンのハムステッド・ヒース (320ヘクタール)も含まれる[ 120] 。ハムステッド・ヒースにあるケンウッド・ハウス は元は邸宅で、夏の期間はクラシック音楽のコンサートが行われるポピュラーな場所で、週末には数多くの人が音楽や景色、花火を楽しんでいる[ 121] 。
人口統計
ロンドンの人口は、19世紀 から20世紀 初期にかけて産業革命 を契機として急速に増加し、19世紀後半から20世紀初期にかけては世界一人口の多い都市であり、1925年 までニューヨーク の人口を上回っていた。人口のピークは第二次世界大戦 が勃発する直前の1939年 であり、861万5,245人に達していた。2011年 時点のグレーター・ロンドン の公式の人口は817万4,100人であった[ 122] 。
しかし、ロンドンの市街地はグレーター・ロンドン の境界を越えて広がっており、2011年時点の都市的地域 の人口は827万8,251人、都市圏 の人口は1370万9,000人に達している。ユーロスタット によれば、ロンドンは欧州域内の都市圏で最も人口が多い。1991-2001年にかけての流入人口は、72万6,000人であった[ 123] 。グレーター・ロンドンの範囲は1,579平方キロメートルであり、人口密度は5,206人/km2である。これは、他のイギリスの地域の人口密度(NUTS 内で)の10倍以上である[ 124] 。
世界の諸都市のうち人口は25番目に多く、都市圏では18番目に多い。世界で4番目に米ドルベースで億万長者が多い地域である。[ 125] ロンドンは東京やモスクワと並んで物価が高い都市という調査結果もある[ 126] 。
民族
国家統計局 によれば、2011年ベースの統計でロンドンの人口 817万4,100人のうち、59.7%が白人で、白人の英国人は44.9%、白人のアイルランド人は2.2%、他の白人の人々は12.6%であった。南アジア系の人々は18.4%で、インド系はロンドンの人口のうち6.6%、続いてパキスタン系が2.7%、バングラデシュ系が2.7%であった。4.9%は他のアジア系に分類されている。ロンドンの人口のうち10.1%は黒人であり、5.3%は黒人英国人、7.0%はアフリカ系、4.3%はカリビアン系、2.1%は他のグループに分けられている。5%は混血、1.5%は中国系、1.3%がアラブ系、3.4%はその他の民族グループに属している[ 127] 。2011年の人口国勢調査によれば、2001年から2011年の間に、62万人の白人英国人がロンドンから去り、人口の45%に減少し少数派となった[ 128] [ 129] 。
ロンドンの一部では、アジア系や黒人の子どもたちが白人の英国人の子どもの数を上回る地域もあり、4-6校の公立学校では数で上回っている。[ 130] だが、依然として白人の子どもの数は62%で過半数を占め、2009年の統計局による調査では0-15歳の層における白人人口は149万8,700人であった。そのうち、55.7%は英国系、5.6%は他のEU加盟国出身である[ 131] 。2005年1月の調査では、ロンドンでは300以上の言語話者がおり、50以上の非先住のコミュニティには10,000人以上の人々が暮らし、宗教や民族の多様性が見られる[ 132] 。統計局の調査では、ロンドンにおけるイギリス国外の出生者数は2010年現在で265万人と人口の33%を占め、1997年の1,63万人より増加している。
2001年の国勢調査では、グレーター・ロンドンの人口の27.1%はイギリス国外の出生者であった[ 133] 。統計によると20の共通する国の出身者がロンドンに居住している。ドイツ出身者は、親がドイツに駐在したイギリス軍 に就いていたものである[ 134] 。公式の統計では、2009年7月から2010年6月にロンドンに居住する国外出身者は、主にインド、ポーランド、アイルランド、バングラデシュ、ナイジェリア出身者であった[ 135] 。
宗教
ロンドン市民の信仰する宗教は、主にキリスト教で58.2%を占めている[ 136] 。これに続き、無宗教が15.8%、イスラム教が8.5%、ヒンドゥー教が4.1%、ユダヤ教が2.1%、シク教が1.5%、仏教が0.8%、その他が0.2%であった。8.7%は2001年の国勢調査で無回答であった[ 136] 。ロンドンでは伝統的にキリスト教が信仰されており、シティ・オブ・ロンドン には多くの教会が所在する。シティのセント・ポール大聖堂 やサザーク大聖堂 、聖公会 は有名であり[ 137] 、カンタベリー大主教 はイギリス国教会 の大主教 である。大主教のランベスパレスがランベス・ロンドン特別区 にある[ 138] 。
王室の重要行事は、セント・ポール大聖堂とウェストミンスター寺院に分けて行われる[ 139] 。ウェストミンスター大聖堂 はイングランドおよびウェールズ では最大のカトリック教会の大聖堂である[ 140] 。
イギリス国教会の統計では、教会への参加者は次第に減少している[ 141] 。
ロンドンには、相当数のイスラム教やヒンドゥー教、シク教、ユダヤ教のコミュニティがある。多くのイスラム教徒はタワーハムレッツ・ロンドン特別区 やニューアム・ロンドン特別区 に居住している。 ロンドン居住のイスラム教徒にとってリージェンツ・パーク のロンドン・セントラルモスク (英語版 ) は最も重要な存在である[ 142] 。オイルマネーによって増加した中東の富裕層は、メイフェア やナイツブリッジ を拠点としている[ 143] [ 144] 。ロンドンは西ヨーロッパ最大のモスクが所在する都市であり、Baitul Futuh のモスクはアフマディーヤムスリムコミュニティのものである。
ヒンドゥー教徒のコミュニティはロンドンの北西部ハーロウ・ロンドン特別区 やブレント・ロンドン特別区 に存在し、ヨーロッパ最大のヒンドゥー寺院であるネアスデン寺院がある[ 145] 。シク教徒はロンドン東部や西部におり、インド国外では世界最大のシク教の寺院がある[ 146] 。
イギリスのユダヤ教徒の大半がロンドンに居住し、ユダヤ教徒のコミュニティはスタンフォード・ヒル (英語版 ) やスタンモア (英語版 ) 、ゴルダーズ・グリーン (英語版 ) 、エッジウェア 、ヘンドン (英語版 ) 、ノース・ロンドン に存在する。スタンモア・カンノンパークシナゴーグ (英語版 ) は単一ではヨーロッパ最大のシナゴーグである[ 147] 。
経済
再開発後、シティ とともに金融センター として機能するカナリー・ワーフ
金融・サービス業
イギリス経済の中心であり、世界有数の経済都市でもある。2014年 のロンドン都市圏の総生産は7944億ドルであり、東京都市圏 、ニューヨーク都市圏 、ロサンゼルス 都市圏、ソウル 都市圏に次ぐ世界5位の経済規模を有する[ 148] 。日本 の民間研究所 が2017年 に発表した「世界の都市総合力ランキング 」では、世界1位の都市と評価された[ 149] 。
世界最大級の金融市場 の重要拠点として機能しており、2022年 の調査によると、ニューヨーク に次ぐ世界2位の金融センター である[ 150] 。世界レベルの大企業本社も集積しており、2011年 のフォーチュン・グローバル500 において、世界で5番目に大企業の本社が集積している都市との評価を受けている[ 151] 。
資本主義経済の中心がイギリスからアメリカ合衆国 に移ったことに伴うイギリス経済の相対的低下にもかかわらず、ロンドンは依然としてイギリス連邦 や欧州連合 を始め、世界経済の中心としての地位を保持する。特に貿易および金融面での影響力は強い。シティ では1694年 設立のイングランド銀行 を頂点として、相互に密接な連携を保って展開するロンバード・ストリート 一帯の市中銀行など各種金融業が発達している。この市場がロンドン金融市場 で世界三大金融市場の一角を成し、ロンドン証券取引所 は世界屈指の証券取引所 の1つに挙げられる。シティのほか、ホルボーン 、フィンズベリー にも金融関連会社が多数存在する。
ロンドンはイギリスの国内総生産 (GDP) の約20%(4460億米ドル、2005年現在)を生み出し[ 152] 、ロンドン・コミューター・ベルト (英語版 ) 域内は欧州最大でイギリスの国内総生産の30%(6690億米ドル、2005年現在)を生み出している[ 153] 。ロンドンは群を抜いた金融センターで、ニューヨークと競う国際的に重要な都市である[ 154] [ 155] 。
ビジネス地区
オフィス面積 (m2 )
業務集積
シティ
7,740,000
金融、仲介、保険、法律
ウエストミンスター
5,780,000
企業の本社、不動産、プライベート・バンキング、ヘッジファンド、政府機関
カムデン & イズリントン
2,294,000
クリエイティブ産業、金融、デザイン、アート、ファッション、建築
カナリー・ワーフ
2,120,000
銀行・メディア・法律関連
ランベンス & サザーク
1,780,000
会計、コンサルティング、地方自治体
ロンドンにはシティ、ウエストミンスター、カナリー・ワーフ、カムデン & イズリントン、ランベンス & サザークの5つの主要なビジネス地区がある。その重要性はオフィス面積で知ることができる。グレーター・ロンドンのオフィススペースは2700万平方メートルで、シティの800万平方メートルも含む。ロンドンは世界的にも高い賃料のオフィススペースとなっている[ 156] [ 157] 。
メイフェア や セント・ジェームズ (英語版 ) の賃料は現在、一番高く1平方フィートあたり年間93ポンドである[ 158] 。ロンドンの最大の産業として金融は残り、イギリスの国際収支統計 に大きく貢献している[ 159] 。シティには銀行、仲介業、保険、法律事務所、会計事務所などがある。ロンドンの第2の金融街はシティの東側に開発されたカナリー・ワーフ で、HSBCホールディングス やバークレイズ の2つ世界的な大銀行の本社やシティグループ の欧州・中東・アフリカ本部、世界的な通信社ロイター がある。ロンドンは2009年現在国際通貨 取引の36.7%が扱われ、1日平均1兆8500億米ドルが取引される。米ドルはニューヨーク以上に取引され、ユーロは他のヨーロッパの都市とともに取引されている[ 160] [ 161] [ 162] 。
約32万5,000人がロンドンでは2007年半ばまで金融サービス部門で雇用されていた。ロンドンは世界のどの都市よりも多い480の海外の銀行がある。現在、85%以上(320万人)の就業人口は第三次産業に雇用されている。その世界的な役割から2000年代後半以降の世界金融危機 の影響を大きく受けている。シティでは1年以内で約7万人の雇用が失われることが予想されている[ 163] 。シティにはイングランド銀行 やロンドン証券取引所 、ロイズ 保険市場がある。
FTSE100種総合株価指数 にリストされる企業の半数以上、欧州の上位500の企業のうちの100社以上がセントラル・ロンドンに本社を置いている。70%を超えるFTSE100の企業がロンドン大都市圏に拠点を置いており、フォーチュン500 の企業の75%はロンドンに事務所を置いている[ 164] 。
メディア産業はロンドンでは2番目に競争力がある産業である[ 165] 。BBC は重要な雇用主で、それ以外にもシティ周辺には放送局の本社が集まっている。多くのイギリスの新聞社の新聞がロンドンで編集されている。
ロンドンは主要な小売り部門の中心で、非飲食部門では世界のいずれの都市よりも高い売り上げがあり、合わせて642億ポンドの収益を上げた[ 166] 。ロンドン港はイギリスでは2番目に荷物取扱量が多い港で年間4500万トンを扱っている[ 167] 。
イングランド銀行 本店
シティ中心部は、イングランド銀行 やマンションハウス と呼ばれる市長公邸、商品・金融取引所のロイヤル・エクスチェンジが面する八叉路である。そこから南東には銀行や商社が立ち並ぶロンバード・ストリート が伸びる。コーンヒル(穀物丘)やポールトリ(家禽)、ミルク、ブレッド、チープサイド(安売り街)などの古くからの街路名や町名が現在も残っている。シティは女王の承認を得ていない唯一の自治体であり、独自の警察を有する。シティ西部のフリート・ストリート には新聞・通信社が集積し、通りの南側にあるテンプルはイギリスの法律家の最大の拠点である。元来テンプル騎士団 のイングランド本部であったが、イギリスで最初の法学院が設置され、次世代の公判弁護士を育成する場所となった。付近には他に最高裁判所 や公文書館もある。
ウェスト・エンドはシティの西側の地域であり、シティ・オブ・ウェストミンスター を中心とする。ウェストミンスターは国内最高級の住宅群を擁し、一見寂れた地区であっても資産価値は非常に高い。ウェストミンスター寺院 やウェストミンスター大聖堂 、国会議事堂 、バッキンガム宮殿 、政府庁舎、国内最大級の商業地区、スコットランドヤード (ロンドン警視庁)、ロンドンの大半の高級ホテル、美術館、博物館がある。
イースト・エンドは、シティの東端ロンドン塔から東方のリー川 までの地域である。アイル・オブ・ドッグズ、ポプラー、マイル・エンドなど古くからの地名が今も残るが、公式には全てタワーハムレッツ区 に含まれる。ドック地帯を有し、港としてのロンドンの機能を担う。歴史的には港湾労働者を中心とするスラム街でもあったため、トインビー・ホール のようなスラム改良運動のセルツメント も認められる。かつてはロンドンの最貧地区として知られ、現在はドックランズ 、カナリー・ワーフ の大規模な再開発地区として注目されている。
また、ロンドン自体が巨大な消費市場であるため、商業活動も活発である。ロンドンでは地域ごとに各業種が集中している。例えば、シティ の金融業、スミスフィールド の食肉市場、スピタルフィールズおよびコヴェント・ガーデン から移設したナイン・エムルズの両青物市場、ウェスト・エンド のリージェント・ストリート 、ボンド・ストリート (英語版 ) 、オックスフォード・ストリート の高級ショッピング街、ハーリーストリートの一流医院、紳士服のオーダーメイド はサヴィル・ロウ (日本語の「背広 」の語源の一つとも言われる[ 168] )、ウェストミンスター の行政機関、ブルームズベリー の教育機関といった具合である。
工業
19世紀から20世紀にかけてロンドンは主要な製造業の中心地で、1960年には150万人を超える工場労働者がいた。製造業は1960年代から劇的に傾き始めた[ 169] 。造船や家電、航空機製造、自動車製造など全ての産業が失われている。この傾向は続いており、ポンダーズの Aesica (以前のメルク・アンド・カンパニー )の製薬は2011年に終了し[ 170] [ 171] 、ダゲナムのサノフィ・アベンティス (元のMay & Baker )の製薬も2013年に終了予定である[ 172] 。
今日残っている最後の産業プラントは フォード・ダゲハム (英語版 ) で、車体パネルの主要な生産地で世界最大のディーゼルエンジンの工場である[ 173] 。食品や飲料の製造もブリムスダウン工業団地 (英語版 ) にあるパン製造のWarburtons 、チズウィック にあるビール醸造のフラーズビール醸造所 、ヘイズ (英語版 ) にあるコーヒーやチョコレート製造のネスレ 、シルバータウン (英語版 ) にある砂糖、シロップ製造のTate & Lyle がある。ロンドンの製造業の就業人口は全就業人口の2.8%を占めるのみである。
農業
ロンドンの農業はグレーター・ロンドン 地域の8.6%を占めるのみで商業的農業に利用され、かなり小規模な事業形態でありほとんどはグレーター・ロンドンの外縁部に近い所で行われている。市街地近くには僅かな都市農園とおよそ3万ヶ所のコミュニティ・ガーデン がある[ 174] 。グレーター・ロンドン地域には135.66平方キロメートル (135,660,000 m2 ) の農地が占めている。ロンドン地域のほぼ全ての農地は成長する文化のための礎である[ 175] 。
Wormwood Scrubs の共有地の一部
現在、グレーター・ロンドンを構成する多くのエリアは以前は農村か郊外の農地であったが、今でもイーリング・コモン (英語版 ) やリンカーンズ・イン・フィールズ 、シェパーズ・ブッシュ 、ワームウッド・スクラブ (英語版 ) など昔の地名を保っている。
1938年、グレーター・ロンドンはイギリスでグリーンベルト (en ) の政策が用いられる最初の地域となり、スプロール現象 を防止するためメトロポリタン・グリーンベルト (英語版 ) が導入された[ 176] 。2005年にADASにより行われた農業統計調査によれば 423の借地がロンドンのメトロポリタン・グリーンベルトの一部分を占めており、イギリスの総数の0.25%を占めている。管理されている土地の総計は1万3,608ヘクタールで、半分は貸借されている。
10%未満の土地では有機農法の作物栽培に利用され、農業の経済への寄与は多様化した活動を除くと800万ポンド未満である。一方で、ロンドンの農産業は多角化に関わる活動にずっと依存していることが示されており、農業収入の3分の1はそれらに起因し国の平均を超えている。報告書では農業はロンドンの経済にとって重要ではないが、不可欠な役割があると述べている[ 177] 。
報告書では農業は主にロンドン北東部に集中しているが、数値は耕作適地だけが含まれている(周辺のイースト・オブ・イングランド やサウス・イースト・イングランド は穀物栽培が一般的である)[ 178] 。また、畜産業 は近年ではインフラの不足(食肉処理場や市場への乏しいアクセス)や都市外縁部への近さなどから減少していると述べられている。
園芸 農業は主にテムズ川 南部のロンドン東部の限られた場所で行われている[ 177] 。ADASの調査だけでなく、2004年の Farmer's Voice で実施された調査では農業従事者の多数はより広く厳格に押し付けられたグリーンベルトの規制は多角化の大きな障害と考え (47%)、続いて高いのは資金の不足で (35%)、両方の調査で明らかになったのは欧州連合 の共通農業政策 は多角化を進めるにあたって、ほとんど障害はないと認識されていることである。ロンドンのグリーンベルトでの農業収益は増加を示しており、1999年には僅か4%のロンドンの農場だけが利益が増加したか維持しただけだが、2008年には27%に増えている。1999年の調査では48%が事業の存続を恐れていたが、2008年には23%であった[ 177] 。グレーター・ロンドン地域での都市農業を後押しする取り組みも推進されている[ 179] 。
観光
ロンドンには、ロンドン塔 、キューガーデン 、ウェストミンスター宮殿 (聖マーガレット教会 を含む)、グリニッジ (グリニッジ天文台 跡をグリニッジ子午線 が通る)の4つの世界文化遺産 が存在する[ 180] 。他の有名なランドマークとしては、バッキンガム宮殿 、ロンドン・アイ 、ピカデリーサーカス 、セント・ポール大聖堂 、タワーブリッジ 、トラファルガー広場 、ウェンブリー・スタジアム がある。多数の博物館、美術館、図書館といった文化施設や、スポーツイベント、文化機関も存在する。大英博物館 、ナショナル・ギャラリー 、テート・モダン 、大英図書館 、ウィンブルドン選手権 、40軒の劇場が軒を連ねるウェスト・エンド・シアター は代表的なものである[ 181] 。
ロンドン自然史博物館
ロンドンは著名な観光地の一つであり、主要な産業の一つであり2003年に観光関連の産業に雇用されるフルタイムの労働者は350,000人であった[ 182] 。ロンドンを訪れる観光客が1年間に使う費用は全体で150億ポンドで[ 183] 、海外からの観光客は年間1400万人にも上りヨーロッパでは最も人が訪れる都市である[ 184] 。ロンドンでの観光客の延べ宿泊日数は年間2700万泊である[ 185] 。2015年にロンドンで最も観光客が訪れた場所は以下の通り[ 186] 。
大英博物館
ナショナル・ギャラリー
ロンドン自然史博物館
サウスバンク・センター
テート・モダン
ヴィクトリア&アルバート博物館
サイエンス・ミュージアム
サマセット・ハウス
ロンドン塔
ナショナル・ポートレート・ギャラリー
交通
交通の分野はロンドン市長が掲げる主要な4つの管理政策のうちの一つであるが[ 187] 、ロンドンに乗り入れる長距離鉄道に関しては財政的に関知していない。2007年以降、市長はロンドン地下鉄 および路線バスに加えて、ロンドン・オーバーグラウンド を構成する複数のローカル路線の管理権限を有する。公共交通機関はロンドン交通局 (TfL) が運営しており、世界屈指の高密度な交通網を形成する。自転車はロンドン周辺でも次第に普及し始めている。ロンドン・サイクリング・キャンペーンは、自転車の利用環境整備のためロビー 活動を行っている[ 188] 。
1933年 、ロンドン地下鉄 や路面電車、路線バスといった交通機関の運営組織が統合され、ロンドン旅客輸送局 とロンドン交通 (英語版 ) が設立された。ロンドン交通局 (Tfl) は制定法により設立された機関であり、グレーター・ロンドン内の大部分の公共交通機関に対して管理権限を有し、委員会や理事はロンドン市長 により任命されている[ 189] 。
道路
ロンドンタクシー
セントラル・ロンドン では高密度な公共交通網が機能しているが、郊外では車が一般的である。ロンドンの高速道路には、放射線 や環状線 が存在する。ロンドン中心部の環状線としては、ロンドン環状線 (英語版 ) がある。近郊の高速道路としては、北環状線のA406道路 (英語版 ) および南環状線のA205道路 (英語版 ) があり、郊外の環状線としてはM25モーターウェイ がある。環状線は交通量の著しい数多くの放射線と接続し、またインナー・ロンドン を貫通する高速道路も存在する。M25は世界最長の環状道路であり、195.5 km (121.5 mi) の長さを有する[ 190] 。A1 やM1モーターウェイ は、エジンバラ 、リーズ 、ニューカッスル・アポン・タイン と各々接続している。
1960年代、ロンドン全域を網羅する高速道路の建設計画としてロンドン・リングウェイズ (英語版 ) が存在したが、大部分は1970年代に中断された。2003年 、コンジェスチョン・チャージ がロンドン中心部の交通量を減らすため導入された。ロンドン中心部において交通量が著しく多いと指定を受けた区画に流入する場合、僅かな例外を除き、自家用車の場合で1日当たり10ポンドの課金が請求される[ 191] [ 192] 。コンジェスチョン・チャージの指定区画に居住する運転ドライバーは、指定区画用のシーズンパスを購入し、月ごとに更新している。シーズンパスの購入代金は、区画内を運行する路線バスの運賃より安価に設定されている[ 193] 。ロンドンの交通渋滞は有名であり、特にM25の混雑度は顕著である。ラッシュ時の車の平均速度は 10.6 mph (17.1 km/h) である[ 194] 。当局による当初の予測では、コンジェスチョン・チャージの導入により、1日当たりのピーク時におけるバスや地下鉄といった公共交通機関の利用者数は2万人増加し、交通量は10-15%減少し、道路網の交通の流れを10-15%高め、渋滞は20-30%減少するとしていた[ 195] 。コンジェスチョン・チャージ導入後、歳月を経て、当局自身による発表によれば、平日にロンドン中心部に流入する車の台数は19万5,000台から12万5,000台に減少し、率にして35%減少したとしている[ 196] 。
世界的にも有名なブラックキャブ (black cab ) と呼ばれるロンドンタクシー が市民の足として親しまれている。運転手となるには難関の試験を突破しなければならない[ 197] 。市内道路の半分以上は一方通行であり、時に遠回りせざるを得ない。そのため一見高めに映るロンドンタクシーの運賃は、一方通行と進行方向が同じ場合は日本のタクシー料金と大差なく、一方通行と進行方向が異なる場合は運賃が比較的高くなる。また、営業免許を持たない合法の個人タクシーはミニキャブ (mini cab ) と呼ばれ、市民の間ではブラックキャブより運賃が割安という理由でより一般的である[ 198] 。
バス・トラム
ニュールートマスター
ロンドンバスは世界最大規模の路線バス網を形成し、毎日24時間、8,000台のバス車両を用いて700路線の運行を行い、平日1日当たり600万人が利用している。2003年の路線網全体のトリップ数[ 199] は15億回であり、地下鉄の乗車回数を上回る身近な交通手段として利用されている[ 200] 。収益としては毎年8億5000万ポンド計上している。ロンドンは車椅子で移動可能な範囲が世界最大とされ[ 201] 、2007年からは音声や映像案内といった視覚障害者に対応した設備導入により、利便性がより向上している。ロンドン市内を縦横に運行する赤い2階建てバス (ダブルデッカー )が世界的に有名であり、安価な市民の足として親しまれている[ 202] [ 203] 。
旧型の赤い2階建てバスであるルートマスター は2005年12月をもって一般路線から廃止された。この理由として、車掌 が同乗する旧型よりもワンマンバス の方が効率が良いのに加え、開け放した乗降口は危険であり、身体障害者 にとっても不便だったことが挙げられる。旧型車両はロンドン中心部の観光名所を巡る15番(トラファルガー・スクエア/タワー・ヒル)で一般車両に混じり、夏季土休日の日中に運行されている。現在、後部プラットフォームの使用とアクセシビリティ確保のために3つのドアと2つの乗降階段を備えたニュールートマスター がロンドン中心部で運行されている。
トラムリンク は、サウス・ロンドン のクロイドン を基点に路線を展開している。3路線・39駅を有し、2008年における年間利用者数は2650万人であった。2008年6月、ロンドン交通局はトラムリンクの管理運営権を完全に所有し、2015年までに5400万ポンドの設備投資を行う予定である。2009年にはトラムの全車両を刷新している[ 204] 。
鉄道
セント・パンクラス駅
ロンドンにはイギリス各地や大陸ヨーロッパ を結ぶ長距離路線のターミナル駅 が方面別に複数存在し、南東部の通勤路線と共に鉄道網の一大拠点となっている。
国が関与する公的企業のネットワーク・レール 社は利用者数の多い18の主要駅については直接管理運営しており、この内ロンドンにある駅は次の通りである。北部地方への列車が発着するユーストン駅 やセント・パンクラス駅 、キングス・クロス駅 、東部へのリバプール・ストリート駅 やキャノン・ストリート駅 、フェンチャーチ・ストリート駅 、ロンドン・ブリッジ駅 、チャリング・クロス駅 、南部へのロンドン・ブリッジ駅やウォータールー駅 、ロンドン・ヴィクトリア駅 、西部へのパディントン駅 である。なお、セント・パンクラス駅はヨーロッパ大陸へ通じる特急列車ユーロスター の発着駅で、パディントン駅はヒースロー空港 へ通じるヒースロー・エクスプレス およびヒースロー・コネクト の発着駅でもある。
ロンドンにある特定のナショナル・レール の駅はロンドン・ステーション・グループと総称される。グループ外の駅で発券された切符において便宜的に同一箇所として扱われ、券面に「ロンドン・ターミナル」と表記される18駅が対象である[ 205] 。全ての駅がトラベラルカード・ゾーン1に位置し、この内大部分の駅がロンドン市内を取り囲むように置かれ、各駅間は地下鉄で結ばれる。現在、ロンドン・ステーション・グループとして扱われている駅は次の通りである。
かつての国鉄は解体され、官民協力体制 (Public Private Partnership) の下で委託経営が行われている。線路や駅の保有・維持管理はネットワーク・レール社が行い(民営化から2001年まではレールトラック 社、この会社は破綻しネットワーク・レールに引き継がれた)、各路線の列車運行は複数の民間会社が運営する上下分離方式 が採用されている。これらの民間会社はナショナル・レールの共通ブランドを用い、国鉄時代から使われている標章を使用しており、民営化以後も乗車券の販売などにおいて一体化された事業が提供されている。
1999年にはパディントン駅 付近で列車衝突事故 が発生し、さらにその直後にも再び重大事故 が度重なるなど、イギリス、特にロンドンの鉄道は大きな政治課題になっている。事故が続発した大きな要因としては株主への利益還元を重視し過ぎたレールトラック社が列車運行に責任を持たず、整備を疎かにしたためとされている。
2007年、ユーロスターはロンドンの発着駅を開業以来ウォータールー駅としていたがセント・パンクラス駅に変更した。発着駅変更以前は途中区間で在来線を走行するため、イギリス国内で速度を上げられないという課題があった。そこで専用の高速新線 (CTRL ) を建設したことで最高時速約300キロメートルでの運行が可能になり、遅延が常態化していたユーロスターの定時性も向上した[ 206] 。2009年6月からは395形電車 を使用したロンドン-ケント州 間を運行するイギリス国内の高速鉄道サービスが開始された[ 207] 。
地下鉄
ロンドン地下鉄
ロンドン地下鉄 は現在ではチューブ "the Tube" と呼ばれ、この名称が表す区間は地下深い路線に限られ浅い深さに造られた古い路線とは異なっている[ 208] 。営業距離は上海地下鉄に次いで世界で2番目に長い[ 209] 。1863年に遡る地下鉄システムで270の駅があり[ 210] 、設立当初はいくつかの私営の企業に分かれておりその中には最初の地下電化路線を運営したシティ・サウスロンドン鉄道 も含まれる[ 211] 。2013年1月10日には運行開始から150周年を迎えた[ 212] [ 209] 。
毎日300万人を超える旅客数があり、路線全体で年間10億人の旅客数がある[ 213] 。2012年の夏のオリンピックに向け70億ポンドを信頼性の向上や混雑の緩和に投資する[ 214] 。ロンドンの公共交通機関は良い状態にあるとされている[ 215] 。世界で最初に開通した地下鉄であるロンドン地下鉄 は、世界有数規模である12の路線網を有する。ただし、遅延の常態化が課題として存在する。乗り場への出入りには大型エレベータを設置していることが多いが、一部施設はエスカレーター が木製であるなど老朽化が見られ様々な刷新の計画がある[ 216] 。1987年11月にキングス・クロス駅で発生した火災 では31人の犠牲者を出した[ 217] 。2005年7月にはロンドン同時爆破事件 が発生し地下鉄乗客に被害が出た。地下鉄に類似した輸送機関としては、新交通システム であるドックランズ・ライト・レイルウェイ 、ロンドン都心の地下を南北に貫通する英国鉄道のテムズリンク が存在する。2007年10月にはロンドンを東西に貫通するクロスレール の建設が決定され、2017年の開通が計画されている。なお、普通運賃で乗ると初乗り料金が4ポンドと非常に高いため、トラベルカードと呼ばれる一日乗車券などの各種割引制度や割引運賃が適用されるオイスターカード を利用する人が多いが、オイスターカードを利用した乗車についても徐々に値上げされている[ 218] [ 219] 。2012年のオリンピック開催中、地下鉄の1日の旅客数は過去最高の440万人を記録した。通常1日当たりの旅客数は380万人程度である[ 220] 。
空港
ヒースロー空港 T5
ロンドンは世界最大の都市空域における国際航空輸送の中枢である。8つの空港が単語に London の名称が使われているが、
の6つの空港が最も交通量が多く一つの都市圏では最大の国際線の旅客数を誇っている。ロンドン・ヒースロー空港はイギリスのフラッグキャリア、ブリティッシュエアウェイズ (BA) の一大拠点空港である[ 221] 。2008年3月に第5ターミナルがヒースロー空港に開業した[ 222] 。計画にあった第3滑走路や第6ターミナルは2010年5月12日に政権により取り消されている[ 223] 。2011年9月に個人用高速輸送システム (新交通システム )が開業し、近くの駐車場と結んでいる[ 224] 。
同程度の交通量の近距離便や格安航空会社 (LCC) をロンドン南部のウェスト・サセックス にあるロンドン・ガトウィック空港 が扱っている[ 225] 。
ロンドン・スタンステッド空港 はロンドン北東部のエセックス にありライアンエアー がハブ空港としている。ロンドン北部のベッドフォードシャー にはロンドン・ルートン空港 がありLCCの近距離便のほとんどが拠点とする[ 226] [ 227] 。ロンドン・シティ空港 はロンドンの主要な空港の中では一番規模が小さく、ビジネストラベラーを対象としフルサービスの短距離定期便とかなりの交通量のビジネスジェット を扱っている[ 228] 。
ロンドン・サウスエンド空港 はロンドン東部のエセックスにあり、小規模な地域空港でLCCの近距離便を扱っている。最近では大規模な改良工事計画が行われ新しいターミナルや滑走路の延長、新たな鉄道駅の整備などが行われロンドン都心部との連絡が高速化される。イージージェットが現在拠点としている。
日本 との間には、日本航空 や全日本空輸 が東京国際空港 から、ブリティッシュ・エアウェイズ が東京国際空港や関西国際空港 からそれぞれヒースロー空港へ就航している。
ロープウェイ
テムズケーブルカー
ロンドンでは最初のそして唯一のロープウェイ は2012年6月に開業したエミレーツ・エア・ライン (Emirates Air Line ) またはテムズケーブルカーの名称で知られるものである。ロープウェイはテムズ川 を横断し、グリニッジ・ペニンシュラ (英語版 ) とシティの東側のロイヤル・ドックス (英語版 ) を結び、ロンドンのオイスターカード のシステムに含まれカードの利用が可能である。
自転車
サザーク・ストリートのバークレイズ・サイクルハイアーの駐輪ステーション。2017年6月現在は、サンタンデールの協賛による「サンタンデール・サイクルハイアー」となっている。
ロンドンでサイクリングを楽しむことは21世紀に変わってから復活している。サイクリストは公共交通機関や車などを利用するより安価でより速く楽しむことが出来、2010年7月にバークレイズ・サイクルハイアーと呼ばれるレンタサイクル の制度が導入されて成功し、一般に受け入れられた。2017年6月現在は、スポンサーがサンタンデールに代わり、「サンタンデール・サイクルズ (en ) 」という名称で同様のサービスが実施されている。
港湾・水上交通
テムズ・クリッパーズ
かつては世界最大の港であったロンドン港 (英語版 ) は、現在ではイギリスで2位を占めるのみであり、毎年4500万トンの貨物を取り扱う[ 167] 。実際には、ロンドンの貨物の大部分はグレーター・ロンドン域外のティルバリー港 (英語版 ) が担っている。ロンドンではまた、テムズ川を利用した水上バスの運航も頻繁にされておりテムズ・クリッパーズ (英語版 ) として知られている。20分毎にエンバンクメント・ピア (英語版 ) とノーズグリニッジ・ピア (英語版 ) を結んでいる。ウーリッジ・フェリー (英語版 ) は毎年250万人の旅客を運航し[ 229] 、ノース・サーキュラーロード (英語版 ) とサウス・サーキュラーロード (英語版 ) を頻繁に結んでいる。他の運航事業者も通勤客向けや観光客向けの両方でロンドンで運航を行っている。
教育
高等教育
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
ロンドンは高等教育や研究機関の中心で43の大学が集中するヨーロッパ最大の高等教育の一大中心地である[ 21] 。2008-2009年には高等教育を受ける学生数は41万2,000人でこの数はイギリス全体の17%を占め、内訳は学士レベル28万7,000人、大学院レベル11万8,000人である[ 230] 。2008-2009年にロンドンで学んだ留学生は9万7,150人に上りこれはイギリス全体の25%を占める[ 230] 。
多くの世界をリードする教育機関がロンドンを拠点にしている。2011年のQS World University Rankings (en ) では世界でインペリアル・カレッジ・ロンドン は6位、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン は7位、キングス・カレッジ・ロンドン は27位に付けている[ 231] 。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス は教育と調査で世界をリードする社会科学機関と見なされている[ 232] 。ロンドン・ビジネス・スクール は世界で一流のビジネススクールの一つとして考えられ、2010年にMBAの教育課程でフィナンシャル・タイムズ から世界最高の評価を得ている[ 233] 。
ロンドン大学 で学ぶ学生は12万5,000人おり、これは通信過程以外の大学ではヨーロッパ最大である[ 234] 。ロンドン大学は単独の大学として存在するものではなく、カレッジ制でそれぞれ別の大学となっており4つの大きな大学であるキングス・カレッジ・ロンドン 、クイーン・メアリー・カレッジ 、ロイヤル・ホロウェイ 、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン と多くのより専門的な機関であるバークベック・カレッジ 、コートールド・ギャラリー 、ゴールドスミス・カレッジ 、ギルドホール音楽演劇学校 、インスティチュート・オブ・エデュケーション 、ロンドン・ビジネス・スクール 、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院 、王立音楽アカデミー 、セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ 、王立獣医学校 、東洋アフリカ研究学院 が含まれる[ 235] 。ロンドン大学を構成するカレッジにはそれぞれ独自の入学試験制度があり、そのいくつかは独自の学位を授与している。
ロンドン大学以外にも多くの大学がロンドンにはあり、 ブルネル大学 (英語版 ) 、シティ大学ロンドン 、インペリアル・カレッジ・ロンドン ,キングストン大学、ロンドン・メトロポリタン大学 (学生数3万4,000人でロンドン最大の単科大学)[ 236] 、ロンドンサウスバンク大学 (英語版 ) 、ミドルセックス大学 、ロンドン芸術大学 [ 237] 、イースト・ロンドン大学 、ウェスト・ロンドン大学 、ウエストミンスター大学 がある。これに加えてセビリア大学 やRegent's College 、リッチモンド大学など海外の大学がロンドンにある。
王立音楽大学
ロンドンには5つの有名な医学部がある。クイーン・メリーカレッジに付属するバーツ医科歯科ロンドン校 (英語版 ) 、欧州最大の医学部であるキングスカレッジ医科ロンドン校 (英語版 ) 、インペリアルカレッジ医学部 (英語版 ) 、UCLメディカルスクール (英語版 ) で、他にも多くの医療や病院に関連した教育機関がある。また、生物医学研究に関連したイギリスに5つある研究機関のうち3つがロンドンにある[ 238] 。多くのビジネススクールもまたロンドンにはある。
公立学校・その他
ロンドンの大半の小学校から中等教育の学校は国立か自治区 により管理運営されているが、多くのインデペンデント・スクール (私立学校)や非営利法人のパブリック・スクール があり、その中にはシティ・オブ・ロンドン・スクール (英語版 ) 、ハーロー校 、セントポール校 、ユニバーシティ・カレッジ・スクール (英語版 ) 、ウェストミンスター校 など歴史ある学校やエリート 校が含まれる。
英国の教育では将来進む道を早い段階で決めるため、世界唯一のアート&デザイン専科寄宿制(ボーディングスクール )インターナショナルスクールロンドン国際芸術高校 (ISCA)など特定分野に特科した学校も多く存在する。
文化
アクセント
ロンドンのアクセントはずっと以前からコックニー と呼ばれるもので、サウス・イースト・イングランド の方言と多くの点で似通っている。21世紀のロンドナーのアクセントは多くが異なったものとなり、30代以下を含めより共通になっている。一方、コックニーと容認発音 、すべての民族アクセントの配列、特にカリビアン系が融合し多文化的なロンドン英語 (英語版 ) を形作っている[ 239] 。
レジャー・エンターテイメント
ピカデリーサーカス
シティ・オブ・ウエストミンスター のウエスト・エンド 地区にあるレスター・スクウェア 周辺は劇場や初演が行われる映画館が集中しピカデリーサーカスや巨大な電照広告がある[ 240] 。ロンドンの劇場が集中する地区であり、多くの映画館やバーやナイトクラブ、レストラン、ソーホー の中華街、東側にはロイヤル・オペラ・ハウス がある他、様々な専門店がある。ロイヤル・バレエ団 、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団 、イングリッシュ・ナショナル・オペラ はロンドンを拠点とし、ロイヤル・オペラ・ハウスやコロシアム劇場 、ロイヤル・アルバート・ホール で公演を行い同様に地方公演も行っている[ 241] 。
ナイツブリッジのハロッズ
イズリントン は1マイル (1.6 km) のアッパーストリートでエンジェル (英語版 ) から北方向に延びている。イギリスのいずれの通りよりもより多くのバーやレストランが林立する[ 242] 。ヨーロッパで最も賑やかなショッピングエリアであるオックスフォード・ストリート は 1マイル (1.6 km) の長さでイギリスでは最長のショッピングストリートである。オックスフォードストリートには数多くの店舗やデパートがあり、世界的に有名なセルフリッジズ の旗艦店がある[ 243] 。ナイツブリッジ には同様に有名なハロッズ がある。
ロンドンはヴィヴィアン・ウエストウッド やジョン・ガリアーノ 、ステラ・マッカートニー 、マノロ・ブラニク など多くのデザイナーが拠点を置いている。ファッションスクールの国際的な中心としてパリやミラノ、ニューヨークなどと並び評判が高い。
ロンドンは多くの民族的な多様性から料理の幅がかなり広い。バングラデシュレストランはブリックレーン (英語版 ) に集まっており、中華料理店はソーホーのチャイナタウンに集まっている。これ以外にもインド料理などが知られている[ 244] 。
ロンドンでは多くのイベントも年間を通し行われ、ニューイヤーズデイパレード (英語版 ) が行われ、花火大会がロンドン・アイ で行われる。この祭典は世界で2番目に大規模なストリートパーティーである。ノッティングヒルカーニバル (英語版 ) が毎年8月のバンクホリデー に開催される。11月に開催されるロード・メイヤーズ・ショー (英語版 ) では、パレードも含まれ、数世紀にわたる伝統的な行事で、毎年選ばれる新しいロンドン市長 が参加し、シティ周辺の通りでは行列が見られる。6月には女王の誕生日を祝うために、イギリスと英連邦の軍によりトゥルーピングザカラー (英語版 ) が行われる[ 245] 。
文学・映画・テレビ
ロンドンは多くの文学の舞台になってきた。ロンドンの文学の中心は古くから丘がちなハムプテッド やブルームズベリー (20世紀初期から)である。街に密接に関連した作家には詳細な日記を付けていたサミュエル・ピープス でロンドン大火 など目撃したことを詳述している。チャールズ・ディケンズ は霧や雪、ロンドンの通りの掃除人やスリなどの汚れを表現しヴィクトリア朝 初期のロンドンの人々の視覚に影響を与えた。ヴァージニア・ウルフ は20世紀のモダニズム文学 で最も重要な人物の一人と見なされている[ 246] 。
ジェフリー・チョーサー は14世紀後半の『カンタベリー物語 』で、ロンドンのサザークからカンタベリー大聖堂までの巡礼の道程を描いている。ウィリアム・シェイクスピア は人生や創作の大部分をロンドンで過ごしている。詩人のベン・ジョンソン もロンドンを拠点にし、『錬金術師』 (en ) はロンドンで作られた[ 246] 。1722年にダニエル・デフォー の『ペスト 』は1665年のロンドンの大疫病 を小説化したものである。[ 246] 後にロンドンを表現した重要なものは19世紀から20世紀初期にかけてのチャールズ・ディケンズ の小説やアーサー・コナン・ドイル の『シャーロック・ホームズ 』シリーズである[ 246] 。
ロンドンを舞台にした映画には『オリヴァ・ツイスト 』(1948年)、『ピーター・パン 』(1953年)、『マダムと泥棒 』(1955年)、『101匹わんちゃん 』(1961年)、『メリー・ポピンズ 』(1964年)、『欲望 』(1966年)、『ロング・グッド・フライデー (英語版 ) 』(1980年)、『秘密と嘘 』(1996年)、『ノッティングヒルの恋人 』(1999年)、『マッチポイント 』(2005年)、『Vフォー・ヴェンデッタ 』(2005年)、『スウィーニー・トッド 』(2008年)、『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密 』(2014年)がある。連続テレビドラマには『イーストエンダーズ 』などがあり、最初にBBCで放送されたのは1985年のことである。ロンドンは特に映画撮影において重要な役割を果たし、有名なスタジオであるイーリング・スタジオ があり、ソーホーはSFX やポストプロダクション のコミュニティセンターである。ワーキング・タイトル・フィルムズ はロンドンに拠点を置いている[ 247] 。
博物館・美術館
大英博物館
ロンドンには数多くの博物館や美術館を含め様々な施設があり、その多くが入場料が無料でメジャーな観光地となっており調査でも役割を果たしている。最初に設立されたのは1753年にブルームズベリー にある大英博物館 である。元からある収蔵品には古代の遺物や自然史の見本で国立図書館もあった。現在、博物館は700万点を収蔵している。1824年にナショナルギャラリー が設立されイギリスの西洋絵画のコレクションが収蔵されトラファルガー広場 に位置している。19世紀後半、サウスケンジントン (英語版 ) に文化施設が集まったアルバートポリス (英語版 ) が開発され、文化や科学の地区となった。ロンドンにはヴィクトリア&アルバート博物館 、ロンドン自然史博物館 、サイエンス・ミュージアム の3つの主要な国立博物館がある。国立美術館のテート・ブリテン は元はナショナルギャラリーの別館として1897年に設立された。2000年にバンクサイド発電所 の跡地にテート・モダン が開館している。
音楽
ロイヤル・アルバート・ホール
ロンドンはクラシック音楽 やポピュラー音楽 の中心であり、世界的な大手であるEMI などのレコード会社や無数のバンド、ミュージシャン、音楽産業のプロが居る。ロンドンには多くのオーケストラやコンサートホールがあり、バービカン・センター (ロンドン交響楽団 の拠点)、カドガンホール (英語版 ) (ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 )、ロイヤル・アルバート・ホール (BBCプロムス )は良く知られている[ 241] 。ロンドンにはロイヤル・オペラ・ハウス とコロシアム劇場 の二つのオペラハウスがある[ 241] 。ロイヤル・アルバート・ホールではイギリスで最大のパイプオルガンを見つけることができる。他に重要な楽器は大聖堂や大きな教会で見つけることができる。王立音楽アカデミー や王立音楽大学 、ギルドホール音楽演劇学校 、トリニティ音楽カレッジ などの音楽学校も立地する。
O2アリーナ
ロンドンにはロックやポップ音楽のコンサート会場が多くあり大規模ものではアールズ・コート・エキシビション・センター 、ウェンブリー・アリーナ 、O2アリーナ があり、中規模な会場も同様に多くありブリクストン・アカデミー 、ハマースミス・アポロ 、シェパーズ・ブッシュ・エンパイア などがある。[ 241] いくつかの音楽祭も開催され、その中にはワイヤレス・フェスティバル はロンドンで行われている。ロンドンには最初のオリジナルのハードロックカフェ や、ビートルズ がレコーディングし多くのヒット曲を出したアビー・ロード・スタジオ がある。1960年代から1980年代にかけてのミュージシャンやグループには、エルトン・ジョン 、デヴィッド・ボウイ 、クイーン 、エルヴィス・コステロ 、キャット・スティーヴンス 、イアン・デューリー 、キンクス 、ローリング・ストーンズ 、ザ・フー 、エレクトリック・ライト・オーケストラ 、マッドネス 、ザ・ジャム 、スモール・フェイセス 、レッド・ツェッペリン 、アイアン・メイデン 、フリートウッド・マック 、ポリス 、ザ・キュアー 、スクイーズ 、シャーデー などがおり、これらが世界的な流れとなって、ロンドンの通りや振動するリズムからサウンドを得ている[ 248] 。
ロンドンはパンク・ロック 発展の地となり[ 249] 、セックス・ピストルズ やザ・クラッシュ [ 248] 、ヴィヴィアン・ウエストウッド らがロンドンを拠点としていた。1980年代以降のロンドン出身のミュージシャンには、バナナラマ やワム! 、エスケイプ・クラブ 、ブッシュ 、イースト17 、スージー・アンド・ザ・バンシーズ 、スパイス・ガールズ 、ジャミロクワイ 、ザ・リバティーンズ 、ベイビーシャンブルズ 、ブロック・パーティ 、エイミー・ワインハウス 、アデル 、コールドプレイ 、ジョージ・マイケル が含まれている[ 250] 。
ロンドンはまたアーバン・ミュージックの中心である。とりわけUKガラージ 、ドラムンベース 、ダブステップ 、グライム といったジャンルについては、地元のドラムンベースに加えて、海外のヒップホップ やレゲエ といったジャンルから、この街で進化したものである。BBC 1Xtra (英語版 ) はブラック・ミュージックの放送局で、イギリスでのアバーン・ミュージックの発展をサポートしている。
スポーツ
国際大会
2010年ウィンブルドン選手権 のセンターコート
ロンドンでは、夏季オリンピック が1908年大会 、1948年大会 、2012年大会 の3度開催されている[ 251] [ 252] 。2005年7月に、2012年の夏季オリンピック・パラリンピック の開催都市に選出され、「一つの都市では史上初」となる3度目の夏季オリンピック開催都市となった[ 22] 。
また、1934年のコモンウェルスゲームズ の開催都市でもあった[ 253] 。さらに2017年には世界陸上 が開催されている[ 254] 。
サッカー
サッカーの聖地であるウェンブリー・スタジアム
ロンドンで圧倒的にポピュラーなスポーツ はサッカー であり、40チーム以上のフットボールリーグ のクラブチームがあり、アーセナルFC 、チェルシーFC 、トッテナム・ホットスパーFC 、ウェストハム・ユナイテッドFC 、クリスタル・パレスFC 、フラムFC など6つのプレミアリーグ のクラブが含まれる。さらに著名なダービーマッチ も複数存在しており、ビッグロンドン・ダービー を筆頭に、ノース・ロンドン・ダービー やウェスト・ロンドン・ダービー 等が挙げられる。
1924年 から元のウェンブリー・スタジアム はサッカーイングランド代表 の本拠地 であり、FAカップ の決勝や他競技ではラグビーリーグ のチャレンジカップ などが行われてきた[ 255] 。
21世紀 に入って建てられた新しいウェンブリー・スタジアム は、前にあったスタジアム 同様の目的で収容人員は9万人である[ 256] 。
クリケット
クリケットの聖地であるローズ・クリケット・グラウンド
クリケット はロンドンで非常に人気が高いスポーツである。テスト・クリケット で使用されるスタジアムはシティ・オブ・ウェストミンスター のローズ・クリケット・グラウンド とランベス区 のジ・オーバル がある。ローズ・クリケット・グラウンドはミドルセックス・カウンティ・クリケット・クラブ (英語版 ) の本拠地であり、その歴史的重要性から「クリケットの聖地」と言われる[ 257] 。このスタジアムではクリケット・ワールドカップ の決勝戦が史上最多の5度開催されている他、名門パブリックスクール 同士のイートン・カレッジ とハロウスクール の伝統の試合も200年以上行われている[ 258] 。ジ・オーバルはサリー・カウンティ・クリケット・クラブ (英語版 ) の本拠地であり、1880年に初めて国際試合のテスト・クリケットが行われた[ 259] 。このスタジアムはサッカーにとっても重要な場所であり、イングランド初の国際試合のスコットランド戦やFAカップ決勝戦も行われていた。2003年 に従来のクリケットとは異なり2、3時間程度で試合が終了するトゥエンティ20 (T20)形式が導入された。この試合形式のT20ワールドカップ が2009年にイングランドで開催され、決勝戦はローズ・クリケット・グラウンドで行われた[ 260] 。
その他の競技
ロンドンには4つのラグビーユニオン のトップリーグであるプレミアシップ のクラブチームロンドン・アイリッシュ 、サラセンズ 、ロンドン・ワスプス 、ハーレクインズ があるが実際に現在ロンドンでプレーしているのはハーレクインズ のみで、残りの3チームはグレーター・ロンドンの域外でプレーしている。サラセンズ はM25の域内で今もプレーしている[ 261] 。他に2部RFUチャンピオンシップ のクラブチームであるロンドン・スコティッシュFC がありホームマッチを行っている。他のロンドンのラグビーユニオンの伝統的なクラブチームにはリッチモンドFC 、ロズリンパークFC 、ウエストコンブパークRFC (英語版 ) 、ブラックヒースFC 、ロンドン・ウェルシュRFC がある。ロンドンには現在、3つのプロのラグビーリーグ のクラブチームがある。ロンドン・ブロンコズ は2020年シーズンはRFLチャンピオンシップ でプレーし、ロンドン北部のハーリンゲイ・ロンドン特別区 を拠点とするロンドン・スコーラーズ (英語版 ) は現在リーグ1 (英語版 ) でプレーする。トゥイッケナム・スタジアム はロンドン南西部にあり、ラグビー専用競技場で収容人員は8万4,000人を擁し現在新しいサウススタンドが完成している[ 262] 。
ロンドンでもっとも世界的に知られたスポーツイベントにはロンドン南西部のマートン のウィンブルドン にあるオールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ で毎年行われるウィンブルドン選手権 である[ 263] 。他の大きなイベントには春にロンドンマラソン があり、3万5,000人のランナーがシティ周辺の26.2マイル(42.2km)のコースを走る[ 264] 。陸上競技では夏にIAAFダイヤモンドリーグ ・ロンドングランプリ が開催される。またザ・ボート・レース がテムズ川 のパットニー (英語版 ) とモルトレーク (英語版 ) の間で行われる[ 265] 。
対外関係
姉妹都市・提携都市
6大陸、46の場所にロンドンに因んだ名称の場所がある[ 266] 。ロンドンの特別区は独自に世界の地域と姉妹都市の関係を結んでいる。グレーター・ロンドン・オーソリティー が結んでいる姉妹都市は以下の通り。
以下の都市はロンドンと友好都市の関係を結んでいる。
脚注
注釈
^ According to the Collins English Dictionary definition of 'the seat of government',[ 32] London is not the capital of England, as England does not have its own government. According to the Oxford English Reference Dictionary definition of 'the most important town'[ 92] and many other authorities.[ 93]
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