|
この項目では、鹿児島県に属する島について説明しています。
- 銃器については「火縄銃」をご覧ください。
- 姓については「種子島氏」をご覧ください。
- かつて種子島と名乗っていた大相撲力士については「玉正鳳萬平」をご覧ください。
|
種子島(たねがしま)は、九州の鹿児島県に属し、大隅諸島を構成する島の一つ。
鹿児島県にある有人離島の中で最も東に位置する。人口(29,282人)は県内では奄美大島に次いで多く、また、面積(444.30km2)は日本では10番目[1]、県内では奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。最高地点の標高は回峯(まわりのみね)の282.4 mで、海側から見るとほとんど平らにしか見えず、1,936 mある隣の屋久島と比べると対照的である。中心都市は西之表市。
歴史
種子島でもっとも古い遺跡は、南種子町横峯遺跡(鹿児島県指定史跡)、中種子町立切遺跡・大津保畑遺跡で、約3万5千年前(較正年代)の遺跡である。これらの遺跡は、鹿児島県内で最も古い遺跡である。また、旧石器時代に人類が生活をした数少ない離島の一つでもある。種子島では細石器文化も確認されていて、南種子町銭亀遺跡は、細石器文化が確認された日本列島最南端の遺跡である。
縄文時代の種子島では、九州島南部の縄文文化とほぼ同一の土器様式が確認されている。一方、弥生時代後期から7世紀にかけての種子島では、独自の貝文化が展開した。その種子島独自の貝文化を代表する遺跡として、南種子町広田遺跡(国の史跡)が著名であり、貝製品を中心とする広田遺跡の出土品は、国の重要文化財に指定されている。
8世紀になると、種子島は、律令国家の支配下におかれる(朝貢の記録自体は、『日本書紀』に7世紀末から見られる)。大宝2年(702年)に令制国として隣の屋久島も含めて多禰国(たねのくに)が置かれ、島北部に能満郡、南部に熊毛郡が設けられた。中央より国司が任じられ多禰国司として二島を支配した。
しかし多禰国は平安時代前期の天長元年(824年)に廃止され、能満郡は熊毛郡に統合し大隅国に編入された。鎌倉時代には見和氏、肥後氏が支配し、室町時代以降には肥後氏の支族種子島氏がこの地を治めた。日本の南方に向けた入り口として古来より栄え、南蛮からの鉄砲伝来が行われた。火縄銃の製作が始められた場所でもあったため、国産の火縄銃は種子島と呼ばれていた。琉球王国との交易も行われており、元禄11年(1698年)領内の農民の救済作として、当時の領主種子島久基が琉球国王尚貞より甘藷一篭を譲り受け、家老西村時乗に命じ領民に栽培させた。これが九州、本州にさらに伝わっていく。
佐藤信淵は薩摩藩重臣にあてた『薩摩経緯記』の中で種子島の島民気質を喜界島、屋久島の住民と同様に「豊かになろうと心がける気持ちが弱く、産業に励む者は希」と評価した[2]。
現代
東側に海以外が無いという特徴から、東向きに打ち上げる人工衛星に有利なため種子島宇宙センターを中心とする宇宙開発の関連の施設が多く建てられ、日本における宇宙開発の一翼を担っている。最近では多くのサーファーが移住し、マリンスポーツ等も盛んに行われている。戦前より県内外からの移住者が多く、その出身元も多様である。島の内陸部にある十六番や二十番という地名は、開拓番号がそのまま集落名になったものである。
地勢
- 面積444.30 km2(国土地理院データによる[3])
- 神奈川県横浜市とほぼ同じ広さで、全国有人離島第5位(架橋離島除く)
- 人口29,282人
- 人口の大半は各市町の市街地に集中しており、特に西之表市は市街地のある西海岸側と、反対の東海岸側との人口差が大きい。
- 南北57.2 km・東西5 - 12 km・海岸線延長186 km・最高点282.4 m(回峯)
- 地下に極小規模の油田がある。採算性はない。
- 古来から砂鉄の産出に恵まれていた。
- 島ほぼ全域が農業・水産業に適している事から食料自給率(カロリーベース)が大変高く、1市2町全てで100 %を越えている。特に中種子町は832 %(県内1位・2005年)と、群を抜いて高い[4]。
小島・岩礁
国土地理院地図(抄)。陸繋した浜辺や海礁上の小岩、無名の岩を除く。
- 西小島 - 西之表市国上、喜志鹿崎沖。
- 西小島 - 西之表市国上、大原崎沖
- えぼし瀬、田ノ脇鼻南小島、高瀬 - 西之表市現和沖。
- アブソコ鼻 - 西之表市安城沖。
- 黒瀬 - 中種子町増田沖。
- ムラ瀬 - 中種子町油久沖。
- 黒瀬、障ヶ瀬、千倉岩屋、竹島、高島、浜島、大横瀬(浜島の東隣)、ノリ瀬 - 南種子町平山、浜田沖。
- 吉信崎、大瀬、アカ瀬 - 南種子町茎永、大崎沖。
- ゴウナ、ハシガ瀬、オオ島、ウマノリ瀬、大竹崎、黒瀬- 南種子町茎永、竹崎の南東沖。
- 小島、カセ島、カワソエノ鼻、エボシガタ- 南種子町茎永、竹崎の南方沖。
気候
- 年間平均気温19 ℃・最高気温33 ℃前後・最低気温1 ℃前後・年間降水量2,000 - 2,500 mm
- 冬季の日照時間は短い。冬の平均気温も12℃前後と温暖で、冬型になっても気温が高いので雨となることが多く、雪が降ることは非常に稀である。
- 夏 - 秋季にかけては台風の影響をとても受けやすい所である。
種子島特別地域気象観測所(西之表市西之表、標高25m)の気候
|
月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
|
最高気温記録 °C (°F)
|
24.4 (75.9)
|
25.6 (78.1)
|
26.9 (80.4)
|
28.1 (82.6)
|
30.6 (87.1)
|
32.7 (90.9)
|
34.9 (94.8)
|
35.9 (96.6)
|
34.1 (93.4)
|
31.3 (88.3)
|
28.8 (83.8)
|
27.2 (81)
|
35.9 (96.6)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
14.2 (57.6)
|
15.2 (59.4)
|
17.6 (63.7)
|
21.0 (69.8)
|
24.1 (75.4)
|
26.8 (80.2)
|
30.4 (86.7)
|
31.0 (87.8)
|
29.1 (84.4)
|
25.1 (77.2)
|
21.1 (70)
|
16.7 (62.1)
|
22.7 (72.9)
|
日平均気温 °C (°F)
|
11.7 (53.1)
|
12.3 (54.1)
|
14.5 (58.1)
|
17.8 (64)
|
21.2 (70.2)
|
24.0 (75.2)
|
27.5 (81.5)
|
28.1 (82.6)
|
26.2 (79.2)
|
22.3 (72.1)
|
18.1 (64.6)
|
13.8 (56.8)
|
19.8 (67.6)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
8.5 (47.3)
|
9.0 (48.2)
|
11.1 (52)
|
14.5 (58.1)
|
18.1 (64.6)
|
21.3 (70.3)
|
25.1 (77.2)
|
25.7 (78.3)
|
23.6 (74.5)
|
19.5 (67.1)
|
14.9 (58.8)
|
10.5 (50.9)
|
16.8 (62.2)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
0.0 (32)
|
−0.6 (30.9)
|
2.1 (35.8)
|
4.5 (40.1)
|
10.0 (50)
|
15.2 (59.4)
|
17.5 (63.5)
|
20.6 (69.1)
|
14.9 (58.8)
|
10.3 (50.5)
|
4.5 (40.1)
|
2.6 (36.7)
|
−0.6 (30.9)
|
降水量 mm (inch)
|
96.5 (3.799)
|
122.5 (4.823)
|
160.4 (6.315)
|
198.0 (7.795)
|
233.3 (9.185)
|
556.4 (21.906)
|
261.7 (10.303)
|
188.7 (7.429)
|
293.2 (11.543)
|
194.5 (7.657)
|
134.8 (5.307)
|
92.7 (3.65)
|
2,532.5 (99.705)
|
平均降水日数 (≥0.5 mm)
|
11.3
|
11.5
|
14.0
|
12.3
|
12.3
|
18.3
|
10.7
|
12.4
|
12.5
|
10.3
|
10.1
|
10.0
|
145.8
|
% 湿度
|
65
|
66
|
69
|
71
|
76
|
84
|
83
|
81
|
79
|
73
|
69
|
65
|
73
|
平均月間日照時間
|
107.1
|
114.9
|
140.1
|
163.1
|
158.5
|
114.7
|
222.7
|
222.8
|
166.6
|
157.9
|
129.7
|
119.4
|
1,822
|
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1948年-現在)[5][6]
|
自治体
種子島を構成する1市2町は揃って、1986年(昭和61年)10月18日に大阪府堺市と友好都市提携を結んだ。いわゆる「鉄砲つながり」で、「堺まつり」、「種子島鉄砲まつり」に相互参加している。
行政機関
国の機関
独立行政法人
県の機関
- 熊毛支庁(西之表市)
- 西之表保健所(西之表市)
- 熊毛教育事務所(西之表市)
- 鹿児島県農業試験場熊毛支場(西之表市)
- 西之表農業改良普及所(西之表市)
- 鹿児島中央家畜保健衛生所熊毛支所(中種子町)
- 種子島警察署(西之表市)
市町の機関
- 西之表市役所
- 中種子町役場
- 南種子町役場
- 熊毛地区消防組合
- 西之表消防署
- 中種子分遣所
- 南種子分遣所
郵便局
- 無集配局 --- 西之表市4局・中種子町3局・南種子町5局
- 簡易郵便局 --- 西之表市6局・中種子町4局・南種子町3局
島内の郵便物やゆうパックはカーフェリーに郵便車ごと載せて鹿児島市との間を往復している。
学校
西之表市
中種子町
- 小学校
- 中種子町立星原小学校
- 中種子町立納官小学校
- 中種子町立増田小学校
- 中種子町立野間小学校
- 中種子町立油久小学校
- 中種子町立南界小学校
- 中種子町立岩岡小学校
- 中学校
- 中種子町立中種子中学校
- 中種子町立野間中学校(中種子中学校へ統合)
- 中種子町立星原中学校(中種子中学校へ統合)
- 中種子町立増田中学校(中種子中学校へ統合)
- 中種子町立南界中学校(中種子中学校へ統合)
- 養護学校
- 鹿児島県立中種子養護学校
- 高等学校
- 鹿児島県立種子島中央高等学校
- 大学
- 玉川大学学術研究所種子島施設
- その他学校
- 熊毛姶良自動車学校
南種子町
- 小学校
- 南種子町立中平小学校
- 南種子町立茎南小学校
- 南種子町立西野小学校
- 南種子町立大川小学校
- 南種子町立島間小学校
- 南種子町立平山小学校
- 南種子町立花峰小学校
- 南種子町立長谷小学校
- 中学校
- 南種子町立南種子中学校
- 南種子町立中平中学校(南種子中学校へ統合)
- 南種子町立島間中学校(南種子中学校へ統合)
- 南種子町立茎南中学校(南種子中学校へ統合)
- 南種子町立西野中学校(南種子中学校へ統合)
- 南種子町立平山中学校(南種子中学校へ統合)
交通
種子島 - 鹿児島間には高速船、フェリー、航空機がそれぞれ運航され、1日あたりの総輸送人員は片道約3,000人に及ぶ。
航路の詳細や運航時刻などは、各社の項目または公式サイトなどを参照。
海港
航路
大きく分けて客船航路は、西之表市の西之表港区、南種子町の島間港区の2港に分けられる。
- 主に鹿児島航路トッピー、ロケット、プリンセスわかさ、はいびすかす(早朝5時 - 10時、屋久島宮之浦港を往復した後、11時頃 - 22時、鹿児島谷山港区を往復)、新種子島丸、新さつまが使用
- 主に屋久島・宮之浦行きのフェリー太陽が使用。
鹿児島への航路はいわさきグループ(鹿児島商船など)および市丸グループ(コスモライン)、共同フェリー運輸(ただし貨物船でドライバー11名のみ)が就航しており、屋久島への航路は両グループに加え屋久島町が就航している。高速船については前記2社が競合していたが、2009年10月から一部の便において両グループの共同運航(コードシェア)が開始[8]されたのち、2012年4月からは両グループの共同運航会社である種子屋久高速船に全便が移管された。
- 高速船
ボーイング929(ジェットフォイル)による運航。
- 2012年3月31日までは、鹿児島商船の「トッピー」および、コスモライン「ロケット」(2005年7月29日就航)がそれぞれ運航され競合していた。
- フェリー
- はいびすかす(鹿児島商船・新屋敷商事)
- プリンセスわかさ(コスモライン)
- フェリー太陽(屋久島町)
- 貨物フェリー
RO-RO船
-
ジェットフォイル「トッピー」(M)
-
ジェットフォイル「ロケット」(M)
-
フェリー「プリンセスわかさ」(KW)
-
フェリー「はいびすかす」(M)
-
屋久島町営船「フェリー太陽」(M)
-
共同フェリー「新さつま」(kw)
-
共同フェリー「新種子島丸」(kw)
- 【凡例】(M) : 屋久島・宮之浦港、(K) : 鹿児島港、(KW) : 鹿児島湾内
かつて運航されていた主な航路
- フェリー出島(九州商船)※2004年12月11日撤退
航空
屋久島空港との間に日本内外航空による定期便が運航(1977年=昭和52年10月1日開設)されていたが、1983年(昭和58年)4月1日に運休された。同年6月24日から同路線を引き継ぐ形で公共施設地図航空によるチャーター便が運航開始されたが、1986年(昭和61年)3月10日に運休、同年5月22日から、日本産業航空(後の朝日航空)によるチャーター便が運航開始されたが、1990年(平成2年)3月10日に運休、翌年1991年(平成3年)3月10日に廃止、その後も日本コンチネンタル空輸などによるチャーター便が運航されたが、やがて運休・廃止となった。定期便のほか、不定期でフジドリームエアラインズによる国内線チャーター便が、旅行代理店主催のツアー向けに運航されている[9][10]。
バス
長年にわたりいわさきグループ(種子島交通→2004年合併により種子島・屋久島交通)が島内の路線バスを運行していたが、2009年に撤退し、以後は島内の貸切バス運行や、コミュニティバスの受託運行を行っている。
2004年からは大和バスが、一般路線バスと種子島空港への空港連絡バスを運行してきたが、2020年にバス事業を有限会社和人組へ譲渡、同社バス事業部が一般路線バスと空港連絡バスを運行している。
後述のコミュニティバスを含め日曜・祝日は全便運休となる。従って日曜と祝日は種子島全域でバスが運行されない。
コミュニティバス
3市町ともそれぞれ独自のコミュニティバスを運行している。
道路
国道
- 沖縄県の日本復帰に伴い、1975年(昭和50年)県道18号西之表南種子線[14]が国道に昇格。現在の西之表南種子線は東海岸側を通る県道75号となっている。
県道
- 鹿児島県道75号 西之表南種子線(旧県道225号・226号(一部区間除く)・228号線(一部区間除く))[14]
- 鹿児島県道76号 野間十三番西之表線(旧県道224号線)[14]
- 鹿児島県道581号 伊関国上西之表港線
- 鹿児島県道583号 新種子島空港線
- 鹿児島県道586号 茎永上中線
- 鹿児島県道588号 野間島間港線(旧県道229号線)[14]
- 鹿児島県道589号 種子島空港線
- 鹿児島県道591号 国上安納線
- 近年改良が進み、比較的走りやすくなった。特に県道76号は拡張・直線化が進み、国道の補完道路としての役割が大きい。
産業
鉄の製錬と鍛冶製品の生産が古くから行われてきた。その技術はポルトガル伝来の鉄砲の生産に引き継がれ、その時代が過ぎると鋏や包丁などの日用品、そして農具の生産へと移っていった。鍛冶製品の中でも、鋏(種子鋏)は切れ味、耐久性、デザインなどに優れ、全国的にもその名が行き渡っていたが、後継者がおらず衰退している[15]。
観光
- お祭り
- ロケット祭り(南種子町)8月
- よいらーいき祭り(中種子町)8月
- 種子島鉄砲まつり(西之表市)8月
- 農林漁業祭(中種子町)11月
- 文化施設
- 神社仏閣
- 自然
- 温泉
- 鉄砲伝来関連
- 鉄砲伝来紀功碑 - 島の最南端にある門倉岬に建てられた記念碑。岬下の小浦(前之浜)にポルトガル人が来航。
- 種子島時堯銅像 - 時堯の城があった榕城中学校(廃校)横に建立。
- 赤尾木湾 - 現・西之表港。時尭の指示で漂着船が前之浜から引き船され、ポルトガル人らは約半年滞在した。
- 八板金兵衛清定銅像 - 西之表市池田
- 若狭 (八板清定女)の墓 - 西之表市田屋敷
- 種子島鉄砲鍛冶屋敷跡 - 西之表市東町。金兵衛が住んでいた黒山尻と呼ばれた地域。玉川沿いに最盛期には60軒の鍛冶屋があった。
- 篠川小四郎秀重屋敷跡 - 時尭から火薬研究を命じられた家臣・篠川の屋敷跡地。西之表市松畠。
- 種子島開発総合センター(鉄砲館)- 国内外の旧式銃約100丁展示
出身者
財界
学術
芸術
運動
芸能
その他
縁のある人物
その他
島名の読み方
- 種子島は「種子」の二文字で「たね」と読み、「が」は漢字表記上は記載しない。そのため、仮名を振る場合、「が」は子と島の間に置く。
地上波放送
- 種子島のテレビ放送開始は比較的早く、1957年(昭和32年)には既に南種子中継局が建てられている。だが、当初は島内全ての地域が良好に受信出来た訳ではなく、特に西之表市の東海岸側は受信が困難であった。その後、西之表市に種子島中継局が建てられると、島内の視聴環境は飛躍的に改善した。
- なお南種子中継局は、トカラ列島や奄美群島に電波を中継する重要な役割も果たしている。
- 地上デジタル放送については、南種子中継局が2008年(平成20年)4月から、種子島中継局が同年12月から開始されている。
通信
- 固定電話
- 西日本電信電話(NTT西日本)
- 市外局番・0997(鹿児島地区および県内各離島への通話は、特例により隣接扱い)
- 島外および携帯電話で種子島地方の気象情報等を聞く際には、市外局番は0997ではなく09972となる。
- 携帯電話
- インターネット
- ISDN・ADSL --- 全域で利用可能
- フレッツ光 --- 中種子町、南種子町の全域および西之表市の一部地域(市内局番22・23・24・25・28の一部)
種子島が登場する作品
アニメ
マンガ
ゲーム
関連文献
- 司馬遼太郎『熊野・古座街道・種子島みち』街道をゆく8.
小説
その他
脚注
注釈
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(17.7),1982(19.8)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(20.8),1982(22.5)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(33),1982(31.4)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(7.8),1982(6.2)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(14.9),1982(17.3)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(-0.6),1982(0.9)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(26.2),1982(26.5)」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1950(<0℃(最低)1.25℃(最低)10,<0℃(最高)0,≧25℃(最高)90,≧30℃(最高)24,≧35℃(最高)0|),1982(<0℃(最低)0.25℃(最低)22,<0℃(最高)0,≧25℃(最高)137,≧30℃(最高)27,≧35℃(最高))0」
- ^ 以下の数値は資料不足値の為未記載「1982(74),2008(71)」
- ^ ジェイエアの機材・乗務員による運航。
- ^ かつては大阪(伊丹空港)との定期便(昭和50年2月開設)があったが、現在は夏期及び冬期の季節運航となっている。
- ^ 日本エアコミューターの機材・乗務員による運航。
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
種子島に関連するカテゴリがあります。