敦煌郡敦煌郡(燉煌郡、とんこう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。漢代から唐代にかけて、現在の甘粛省敦煌市一帯に設置された。 概要紀元前111年(前漢の元鼎6年)、酒泉郡の西部を分離して、敦煌郡が置かれた。敦煌郡は涼州に属し、敦煌・冥安・效穀・淵泉・広至・龍勒の6県を管轄した。王莽のとき、敦徳郡と改称された[1]。 後漢が建てられると、敦煌郡の称にもどされた。敦煌郡は敦煌・冥安・效穀・淵泉・広至・龍勒の6県を管轄した[2]。 晋のとき、敦煌郡は昌蒲・敦煌・龍勒・陽関・效穀・広至・宜禾・冥安・淵泉・伊吾・新郷・乾斉の12県を管轄した[3]。 北魏のとき、敦煌鎮が置かれた。孝明帝のとき、瓜州が置かれた。 583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、敦煌郡は瓜州と改められた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、瓜州は敦煌郡と改称された。敦煌・常楽・玉門の3県を管轄した[4]。 619年(武徳2年)、敦煌郡は唐の瓜州と改められた。622年(武徳5年)、西沙州と改称された。633年(貞観7年)、沙州と改称された。742年(天宝元年)、沙州は敦煌郡と改称された。758年(乾元元年)、敦煌郡は沙州と改称され、敦煌郡の呼称は姿を消した[5]。 脚注 |