国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん、英語: National Museum of Japanese History, 略称:れきはく、歴博)は、千葉県佐倉市の佐倉城趾にある、日本の歴史、民俗学、考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。国立の研究機関かつ教育機関で、人間文化研究機構が運営している。展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件[1]。建物は芦原義信の設計で、第24回BCS賞を受賞した[2]。
概要
古文書、古記録、絵図といった歴史資料、考古資料、民俗資料等約9千点の資料を展示し、更に約22万点の収蔵資料を保存している[1]。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とし、常設展示は日本列島に人類が暮らし始めた数万年前から高度経済成長後の1970年代までの日本の歴史と文化についてが中心である。
大学における学術研究の発展及び資料の公開等一般公衆に対する教育活動のための大学共同利用機関として1981年(昭和56年)4月14日に設置され[3]、調査研究の成果を展示する博物館としての一般公開は2年後の1983年(昭和58年)3月から始まった[4]。
また、大学院生の教育機関でもある。1999年(平成11年)度から総合研究大学院大学の文化科学研究科日本歴史研究専攻博士後期課程を担当し学生の教育も行っている[5]。
博物館の設計は芦原建築設計事務所が行っており、第24回BCS賞を受賞している[2]。敷地面積129,496m2、延床面積35,548m2、建築面積17,124m2。周辺は佐倉城址公園として整備され、佐倉連隊当時に平削・埋立された遺構の一部(馬出し、空堀、土塁等)が復元されている[6]。
設立の経緯
日本には明治時代から東京、京都、奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館(後の東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館)が存在したが、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見は早くからあった。歴史学者の黒板勝美は既に昭和戦前に国立歴史博物館の必要性を訴えていた。しかし、国立の歴史系博物館の設置構想が具体化するのは第二次世界大戦後のことであった。
1966年(昭和41年)、日本国政府は「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定し[4]、以後、学識経験者らによって建設地、展示内容などが検討され始めた。1971年(昭和46年)には文化庁内に博物館設置のための基本構想委員会が置かれ[4]、1978年(昭和53年)には同じく文化庁内に国立歴史民俗博物館設立準備室が設置されて、ようやく開館へ向けての準備が本格化した。同準備室の室長は歴史学者で東京大学名誉教授の井上光貞であった[4]。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とすること、博物館は大学共同利用機関とし、調査研究機能を充実することといった歴博の基本コンセプトは、井上の発想によるところが大きい[6]。建設地は、江戸時代には佐倉藩の藩庁が置かれており、明治年間には陸軍佐倉連隊の施設が置かれていた歴史ある地として佐倉城址の一角に決定し、敷地一帯の発掘調査と整備が行われた[6]。
国の機関としての国立歴史民俗博物館は1981年(昭和56年)に発足し、井上光貞が初代館長となった。ただし、博物館としての一般公開が始まるのは2年後の1983年(昭和58年)3月のことである[4]。初代館長であり、歴博の設置準備において終始指導的立場にあった井上は一般公開開始直前の同年2月に急逝し、東京大学文学部教授の土田直鎮が第2代館長となった[4]。
2004年(平成16年)4月1日の国立大学の法人化と同様に国文学研究資料館、国際日本文化研究センター、総合地球環境学研究所、国立民族学博物館等と連携して大学共同利用機関法人人間文化研究機構を創設した[4]。設置の法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項、並びに第5条。
歴代館長
- 井上光貞(1981年4月 - 1983年3月)
- 土田直鎮(1983年4月 - 1993年1月)
- 石井進(1993年3月 - 1997年9月)
- 佐原真(1997年9月 - 2001年8月)
- 宮地正人(2001年9月 - 2005年8月)
- 平川南(2006年4月 - 2014年3月)
- 久留島浩(2014年4月 - 2020年3月)
- 西谷大(2020年4月 - 現職)
組織と理念
歴博は開館当初から国立大学共同利用機関として位置付けられた。歴史資料の展示公開を行うことが重要な業務だが、歴博は展示施設であるとともに考古学、歴史学、民俗学の研究機関でもあり、他の研究機関や大学と共同で研究を推進し、調査研究の基盤のもとに展示を行うことが重視された。
歴博は組織上も研究を重視し、開館当初は情報資料研究部、歴史研究部、考古研究部、民俗研究部が置かれた。このうち情報資料研究部は展示資料の材質、技法、保存修復、博物館運営におけるコンピュータの活用、展示手法の研究などを行う部門である。各研究部はそれぞれ4から6の部門に分かれ、それぞれの部門に教授、助教授、助手[注釈 1]が配置された。2004年に歴博が大学共同利用機関法人人間文化研究機構の所管になるとともに、研究組織の改組が行われ[4]、新設の「研究部」のもとに情報資料研究系、歴史研究系、考古研究系、民俗研究系が置かれた。
展示
歴博の展示は歴史教科書的な概論的なものになることを避け[注釈 2]、各時代ごとにその時代を象徴するようないくつかの事物[注釈 3]を取り上げたテーマ展示が主体となっている[注釈 4]。展示室は常設展示の第1 - 第6展示室と、企画展示室に分かれている。常設展示は対象を高校生以上と想定。ジオラマを含む復元模型やレプリカを多用しているのが特色である[7]。日本の文化財には、脆弱な素材である紙、木、繊維などから構成されているものが多いため、歴博の常設展示においては土器・石器のような長期展示可能なものを除いて、実物資料の代わりに実物とほとんど見分けのつかない精巧なレプリカが多用されている。常設展示されていない実物資料は企画展示で公開される場合[注釈 5]がある。
2019年現在[update]の総合展示[8]:
- 第1展示室 先史・古代(旧石器時代-奈良時代)
- 第2展示室 中世(平安時代-安土桃山時代)
- 第3展示室 近世(江戸時代)
- 国際社会のなかの近世日本 / 都市の時代 / ひとともののながれ / 村から見える「近代」/ 絵図・地図にみる近世 / 寺子屋「れきはく」(体験コーナー)
- 第4展示室 民俗(列島の民俗文化)
- 「民俗」へのまなざし / おそれと祈り / くらしと技
- 第5展示室 近代(明治時代-昭和初期)
- 第6展示室 現代(戦争-高度経済成長)
収蔵品
歴博の収蔵品は「収集資料」と「製作資料」とに大別される。「収集資料」は実物資料であり、古文書、古記録、絵図などの歴史資料、考古資料、民俗資料などが主なものである。「製作資料」は、建造物の模型、古墳・町並み・集落などの復元模型、考古資料など各種遺物の模造(レプリカ)などがある。
収集資料(実物資料)については、開館時に文化庁から歴博へ管理換えになったものが大部分を占めている。なお、2004年をもって博物館が国有施設から独立行政法人へ移行したことにより、文化庁買上げ品(国有財産)の移管は停止している。
収蔵品中には個人のコレクションが一括して収蔵されたものがあり、特色あるコレクションとしては以下のものが挙げられる。
- 田中忠三郎が発掘した縄文遺跡の考古学資料約1万点、および民俗資料を含む約2万点
- 野村正治郎収集近世衣装コレクション(小袖、宮廷衣装、櫛、髪飾りなど111件)-1973-74年度文化庁買上げ
- 秋岡武次郎収集古地図コレクション(111件)-1975年文化庁買上げ
- 紀州徳川家旧蔵雅楽器類(214件)-1972年文化庁買上げ
- 上田綱治郎収集甲冑武具コレクション
- 田中教忠収集古典籍類
- 高松宮家伝来禁裏本(1981件)
- 館蔵装身具(1200件:野村正治郎コレクション、 星野平次郎袋・櫛・笄コレクション、 牧野義一印籠コレクション 、徳川實枝子所用髪飾具 )
国宝
古文書
書跡・典籍
重要文化財
絵画
彫刻
- 木造地蔵菩薩立像 建武元年(1334年)康成作在銘
- 附:像内納入品(地蔵菩薩印仏(4種)一括、地蔵菩薩印仏包紙1紙、願文・結縁交名等6通、毛髪・切爪包3包)
工芸品
- 黒韋威肩白腹巻 大袖付(くろかわおどしかたじろはらまき[注釈 7])
- 色々威腹巻 大袖付
- 色々威腹巻 大袖付
- 太刀 無銘伝国行
- 白繻子地(しろしゅすじ)紅梅文様描絵小袖 酒井抱一画
- 黒綸子地桐唐草入大葉文様小袖
- 黒紅綸子地菊水文様小袖 - 2017年度指定[9][10]。
歴史資料
- 大久保利通関係資料
- 書状類2620点、文書・記録類231点、書跡類128点、遺品類74点
書跡・典籍
日本文学
古筆・宸翰類
歴史、伝記、法制等
- 寛平御遺誡 寛元三年書写校合奥書(田中教忠旧蔵)
- 江都督納言願文集 巻第三、第六残闕 2帖(田中教忠旧蔵)
- 扶桑略記 巻第四(東洋文庫旧蔵)
- 醍醐雑事記 巻第一残巻(田中教忠旧蔵)
- 本朝世紀(自康保四年五月二十七日至安和元年五月十六日)(田中教忠旧蔵)
- 大織冠伝
- 別聚符宣抄
- 弁官補任
- 律 巻第三(衛禁・職制律)(東洋文庫旧蔵)
- 令義解 巻第一(官位令)(東洋文庫旧蔵)
- 延喜式 巻第五十
仏典
漢籍
古文書
書状類
日記類
その他古文書・古記録類
考古資料
研究成果
刊行物
- 論文集:『国立歴史民俗博物館研究報告』[11]
- 雑誌:『REKIHAKU』[12]
- 2020年、歴史系総合誌『歴博』からリニューアル[13]。
メディア
研究成果および歴博の紹介が各メディアに取り上げられている[14][15]。
- テレビ
- ラジオ
- 新聞
- 『朝日中高生新聞』2016年3月20日7面 - 「青春スクロール 私の母校」にて研究および坂本稔(教授)が紹介
- 『読売新聞』夕刊2016年6月8日10面 - 企画展示「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」に関連した研究成果が紹介
- 『読売新聞』夕刊2016年10月8日5面 - 弥生時代年代研究に関連した藤尾慎一郎(副館長)の記事が掲載
- 『読売新聞』2017年4月5日21面(文化面) - 縄文時代研究に関連した工藤雄一郎(准教授)・山田康弘(教授)のコメントが掲載
- 『毎日新聞』2018年8月29日11面(オピニオン面11面) - 縄文時代研究に関連した山田康弘(教授)のコラムが掲載
- 『読売新聞』2018年9月12日13面(文化面13面) - 研究紹介
- 雑誌
- 生活の友社『美術の窓』2016年9月号 - 「視点」(79-80頁)で企画展示「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」に関連して日高薫(教授)のコラムが掲載
- マガジンハウス『クロワッサン』2017年9月特大号 - 「本を読んで、会いたくなって。」(68頁)で歴博編集の書籍「さらにわかった!縄文人の植物利用」に関連して工藤雄一郎(准教授)のインタビューが掲載
- 綜合ユニコム『月刊フューネラルビジネス』2017年6月号 - 「特集 あらためて問う。『葬儀』の意義」(24-29頁)で山田慎也(准教授)のコラムが掲載
- 産経新聞出版『ソナエ』2017年6月号 - 「これまで、そして今後」(32-33頁)で山田慎也(准教授)のコラムが掲載
- NHKサービスセンター『ラジオ深夜便』2018年2月号 - 「放送ベストセレクション歴史に親しむ」(16-24頁)で青山宏夫(教授)の解説「古い地図や写真から、土地の物語を読み解く」が紹介
- インターネット
- J-CASTニュース - 第1展示室関連書籍が紹介
- J-CASTニュース BOOKウォッチ - 第1展示室関連書籍「ここが変わる! 日本の考古学 先史・古代史研究の最前線」が紹介
- NHK NEWS WEB - 歴博の共同研究に関連した分析が紹介
- NHK NEWS WEB - 歴博の共同研究「負ミュオンによる歴史資料の非破壊内部元素組成分析」に関連して、山梨県立博物館所蔵「甲州金」の負ミュオンを使った分析が紹介
- CINRA.NET - 鈴木卓治教授のインタビューが掲載
- CINRA.NET - 企画展示「デジタルで楽しむ歴史資料」に関連して鈴木卓治(教授)のインタビューが掲載
- ナショナルジオグラフィック日本版 - 歴博および山田慎也(准教授)を紹介
- ナショナルジオグラフィック日本版 - 「研究室に行ってみた。国立歴史民俗博物館 日本の葬儀と死生観」で歴博および山田慎也(准教授)のインタビューが掲載
事件
弥生時代開始時期繰り上げ説
2003年(平成15年)5月、博物館の研究チームが、弥生時代の開始時期を定説より約500年早い紀元前1000年頃との研究成果を発表した。しかし、博物館が用いた炭素14による放射性炭素年代測定は年輪による推定法と比べても数十年以上古く推定され、また土器に海産物の塩分が付着した場合には海洋リザーバー効果により100年以上古く推定されることがわかった。[要出典]その後の同年12月、四国地方における弥生時代の開始時期は紀元前810年 - 前600年頃と発表している。現代[いつ?]でも弥生時代の始まりには諸説があり、紀元前600年から同800年頃頃とするものが多い。また、箸墓古墳周囲の出土物の年代推定の発表についても議論が続いている。[要出典]
施設
館内にはレストラン、ミュージアムショップ、休憩所が併設している。
所在地
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千葉県佐倉市城内町117
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定休日/休業日
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月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月27日 - 1月4日)
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駐車場
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あり
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施設オプション
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トイレ設備あり
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レストランさくら
- 3月 - 9月10:00 - 16:00(閉店16:30)、10月 - 2月10:00 - 15:30(閉店16:00)、食事提供は11:00から
- 古代米を使用した創作料理が楽しめる。
ミュージアムショップ
- 展示図録や歴博の刊行物、歴史に関した書籍の他に、歴博オリジナルグッズや、全国にある130以上の博物館で発行された約880冊の博物館図録なども取り扱っている[16]。
休憩所(芝生広場)
- 館に隣接した芝生広場近くに250席の「休憩所」、食事可
バリアフリー
館内はバリアフリー化されており、設備的には段差や傾斜などがほぼ解消され、車椅子での利用が十分に配慮されている[17]。
障害者等用駐車スペース(2台)、男女共用車いす用トイレ:1・2階(3箇所)、男女共用多目的トイレ:1階(2箇所)。ベビーベッド、大人用ベッド、オストメイト対応設備有。おむつ交換室(男性使用可)、授乳室(男性使用可)。エレベーター(奥行き135センチメートル以上、幅136センチメートル以上)、障害者対応エレベーター(3箇所)。車いすでの飲食可能、常備車いす(15台)、常備ベビーカー(4台)、AED設置、休憩用いす、拡大鏡等[18]。
くらしの植物苑
くらしの植物苑(くらしのしょくぶつえん)は、博物館の南東に位置する旧佐倉城の一角に開設された植物園である。
江戸時代に栄えた武家屋敷の庭先から山野にいたる景観を主としており、生活文化を支えてきた植物を系統的に植栽し、その理解をより深めることを目的としている。以下の6つの地区に分けて植栽されている[19]。
また、年に4回、サクラソウ、アサガオ、キク、サザンカの特別企画も実施している[20]。
開園時間
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9:30 - 16:30(入苑は16:00まで)
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休園日
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- 毎週月曜日(祝日の場合は翌日が休苑)
- 年末年始(12月27日 - 1月4日)
※悪天候の際は安全のため臨時休苑有
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入園料
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- 個人(大学生以上):100円
- 団体(20名以上):50円
※小・中学生、高校生は入苑無料 ※障がい者手帳等保持者は介助者と共に入園無料 ※2019年4月29日(月)、9月14日(土)、11月3日(日)は無料入園日
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交通
公共交通機関
- 路線バス
- ちばグリーンバス
- JR東日本「佐倉駅」、京成電鉄「京成佐倉駅」より「国立博物館入口」または「国立歴史民俗博物館」下車
- 神門線(第三工業団地系統):田町車庫 - 国立博物館入口 - 国立歴史民俗博物館 - 京成佐倉駅(京成本線) - 神門 - 工団中央 - 第三工業団地
- 神門線(馬渡坂上・西御門系統):田町車庫 - 国立博物館入口 - 国立歴史民俗博物館 - 京成佐倉駅 - 神門 - 馬渡坂上 - 並木 - 坂戸 - 西御門
- 臼井線(四街道方面):京成佐倉駅 - 国立博物館入口 - 田町車庫 - 聖隷佐倉市民病院 - 臼井駅(京成本線) - 千代田団地入口 - 四街道駅(JR総武本線)
- 臼井線(四街道方面):JR佐倉駅 - 国立博物館入口 - 田町車庫 - 聖隷佐倉市民病院 - 臼井駅 - 千代田団地入口 - 四街道駅
- 臼井線(志津方面):京成佐倉駅 - 国立博物館入口 - 田町車庫 - 聖隷佐倉市民病院 - 臼井駅 - 東邦大佐倉病院 - 志津駅南口(京成本線)
- 本佐倉線:田町車庫 - 国立博物館入口 - 京成佐倉駅 - 酒々井町役場 - 京成酒々井駅(京成本線)
- 白銀ニュータウン線:田町車庫 - 国立博物館入口 - 京成佐倉駅 - 佐倉高校 - 高岡 - 白銀ニュータウン
- 高速バス
- ちばグリーンバス(マイタウン・ダイレクトバス)
- JR東日本東京駅八重洲口(京成高速バス3番のりば)より「国立歴史民俗博物館」行の高速バス約1時間30分「国立歴史民俗博物館」下車
- 佐倉ICルート:東雲車庫 - 東京駅八重洲口 ⇔ 大作1丁目 - 第三工業団地中央 - 第三工業団地入口 - 高速岩富 - 川村記念美術館(開館日のみ経由) - 第二工業団地入口 - 城郵便局 - 宮小路町 - 佐倉市役所 - 国立歴史民俗博物館
自動車
脚注
注釈
- ^ 現在は助教。
- ^ 国立博物館であるため、展示が国定教科書のような内容になることを避けるため。
- ^ 弥生時代であれば「稲作」、古墳時代であれば「前方後円墳」など。
- ^ そのため、徳川家康、豊臣秀吉といった歴史上の人物については取り上げていない。
- ^ 『洛中洛外図屏風甲本』の原本は例年秋に公開されている。
- ^ 「艶詞」を「こいことば」と読む説もある。
- ^ 「腹巻」は鎧の一種。
- ^ 『中右記部類』の第七と巻第十九は旧所蔵者が異なり、別個に重要文化財に指定されている。
出典
関連項目
外部リンク