岸本 聡子(きしもと さとこ、1974年7月15日 - )は、日本の政治家。東京都杉並区長(1期)。
来歴
東京都大田区生まれ。中学・高校時代は神奈川県横浜市都筑区で暮らした[1][2]。
1992年6月、リオ・デ・ジャネイロで開かれた地球サミットに関心を持ち、以来環境運動に参加する[注 1]。
1993年3月、神奈川県立川和高等学校卒業。同年4月、日本大学文理学部社会学科に入学。環境社会学を学んだ[1]。また、4年間、空手(沖縄剛柔流)サークルに所属した[2]。
1996年4月、大学4年生のときに国際青年環境NGO「A SEED JAPAN」の代表に就任[5]。同年8月10日、野外テクノコンサート「RAINBOW 2000」が富士山2合目の日本ランドHOWゆうえんち(現・ぐりんぱ)で開催。「A SEED JAPAN」は徹夜で行われたコンサートのごみ回収を計画し、多数のボランティアとともに実施した。ごみ回収の模様は毎日新聞に写真付きの記事で報じられ、岸本の名前も掲載された[6]。
1997年3月、日本大学を卒業。同年4月、「A SEED JAPAN」の代表を退くが[5]、手取り6万円の給料で専従スタッフとなる[7][1]。同年12月1日から11日にかけて国立京都国際会館で「地球温暖化防止京都会議」が開催。会議に参加した「A SEED JAPAN」は「未来世代地球憲章」を発表した。モーリス・ストロングやミハイル・ゴルバチョフが国連での採択を目指していた「地球憲章」にも反映させたいと岸本はメディアの取材に答えた[8]。
1998年、ヨーロッパで開かれた地球温暖化防止関連のイベントで、のちに夫になるオランダ人の男性と知り合う[7][9]。2001年、男性とのあいだに男児を出産。3か月後にオランダのアムステルダムに移住[1]。
2003年、国際政策シンクタンクNGO「トランスナショナル研究所」に就職。家族で日本に移住することを検討し、2005年頃に婚姻届けを出した。日本への帰国は取りやめになり、数年後、次男を出産[9]。2008年、ベルギーに移住[1]。
外国の水道事業の再公営化を紹介する日本語の書籍を、2018年から2020年にかけて2冊刊行した(共著含む)。
2022年杉並区長選挙
2022年1月30日、児童館統廃合やJR駅周辺の道路拡幅事業などの田中良杉並区長の区政運営に批判的な区民らが、市民団体「住民思いの杉並区長をつくる会」を結成した[10][11]。同年2月9日、田中は、任期満了に伴う区長選挙への4選出馬を表明[12]。「住民思いの杉並区長をつくる会」では毎週ボランティア会議が行われたが、候補者はなかなか決まらなかった[13]。
同年3月、岸本は一時帰国。滞在中の3月24日に京都府知事選挙が告示されると、翌日京都に入り、連日にわたり元京都教職員組合書記長の梶川憲の応援演説を行った[14][15][16]。同月末、「住民思いの杉並区長をつくる会」メンバーで、NPO法人アジア太平洋資料センター共同代表の内田聖子が、旧知の間柄であった岸本に白羽の矢を立て、4月10日に岸本の擁立が決定した[17][18][13][注 2]。「住民思いの杉並区長をつくる会」は西荻窪のアパート[19]の手配から家具の準備まで行い、「何も心配しないで帰国してください」とメッセージを送った[20]。
同年4月4日、田中区政に批判的な大泉泰政、浅井邦夫、渡辺友貴、井原太一、大和田伸、今井洋、脇坂達也、吉田愛、井口かづ子の9人の区議会議員は最大会派「杉並区議会自由民主党」(15人)から脱会し、新会派「自由民主党杉並区議団」を結成した[21][22][23][24]。4月23日、岸本はベルギーのルーヴェンから日本に帰国した[25][26][20]。5月28日、区議の田中裕太郎[注 3]が出馬を表明[28]。
同年6月2日、田中良は区内で決起集会を開くが、自民区議の半数以上が姿を見せなかった。自由民主党杉並総支部長の石原伸晃[29]が不始末を詫びた[30]。岸本陣営の選対本部長を務めた内田聖子は、4月の自民会派の分裂が選挙の結果に大きな影響を与えたとのちに語っている[13]。6月4日、阿佐谷北2丁目に選挙事務所を開設した[20][31]。
同年6月12日、杉並区長選挙が告示。岸本は立憲民主党、日本共産党、れいわ新選組、社民党、杉並・生活者ネットワーク、緑の党グリーンズジャパン、新社会党などの推薦を得て立候補し[10]、現職の田中良は自民党、公明党の支援と連合東京の推薦を得て立候補した[18][33][34]。候補者は田中裕太郎を加えて計3名。6月19日に投票、20日に開票が行われ、田中良と田中裕太郎の間で保守票が分散した結果、岸本が次点の田中良を187票差の接戦の末破り、初当選を果たした[35][36]。投票率は前回より5.5ポイント増の37.52%。東京新聞は「投票率のアップに伴い組織票の割合が下がり、無党派層の票が選挙結果を動かしたとみられる」と報じた[37][18]。杉並区では初めての女性区長となった。7月11日に区長へ就任[38]。
※当日有権者数:472,619人 最終投票率:37.52%(前回比:5.5pts)
人物・区政
- 2022年8月15日、西荻窪で行われた安倍晋三元首相の国葬反対デモに「国葬の撤回」と書かれたプラカードを掲げて参加した[39]。同年9月13日、区長就任後初めて開かれた区議会の代表質問で、自由民主党杉並区議団幹事長の大泉泰政はこのことを取り上げ「岸本区長はどのようなお考えで、デモに参加されたのか」と質問した。岸本は「まず私は国葬については疑問を感じている。区長としての紹介やスピーチ、写真などを辞退した上で、一人の市民として自分の意志を表現するため、参加した」「国葬に対しては、区民の中にも多様な意見があり、反対が総意だとは考えていない。そうした中では公務外であったとしても配慮すべき点があったと考えている」と答弁した[39]。
- 2022年9月12日、岸本は区議会における所信表明演説で「杉並区版パートナーシップ制度の年度内の条例化を目指して準備を進める」と述べた[40]。2023年2月9日、性的少数者(LGBTなど)の関係を公的に認めるパートナーシップ制度を盛り込んだ性の多様性推進条例案を区議会に提出した。3月15日、同議案は議長を除く賛成29、反対14、欠席3で可決された[41][42][注 4]。4月1日に施行され[43]、岸本は同日付の『広報すぎなみ』の裏表紙に長文のコメントを寄せ、「これまで生きづらさを感じてきた性的マイノリティーのカップルを地域社会が祝福し、支えるための制度として運用するとともに、ここを出発点として、多様なご意見等を把握しながら制度を育ててまいります」と述べた[40]。
- 2023年2月10日、区議会定例会の代表質問で、杉並区議会自由民主党幹事長の小川宗次郎が「公約実現に向けて区役所を牽引してきた前区長と比較すると見劣りすると言わざるを得ない」「リーダーとしての資質に不安を感ずるのは私たちだけではないと考える」などと岸本を批判。区議会での対立が鮮明化した[44][45]。初当選のときから過半数を占める反岸本勢力を突き崩すため、岸本は同年4月の区議選に向けて、「環境先進都市」や多様性ある社会の実現、「対話と参加」による自治など7項目の「政策合意書」に賛同する候補を支援するという作戦に出た[44]。区長選で岸本を支えた住民団体は「区長は変わった。次は議会」を合言葉に、岸本に賛同する立候補予定者を一堂に集めて街頭演説する「合同街宣」を繰り返し開催した。4月16日、選挙が告示され、定数48に対し69人が立候補した。岸本は19人の候補者を支援し[46][47][48][注 5]、そのうち15人が女性だった[44]。同日から投票前日の22日までの1週間、公務時間外に自転車や電車でかけつけ、応援する候補への支持を呼びかけた。また、独自の行動として1人で連日街頭に立ち「投票に行こう」と呼び掛けた[44][50]。4月23日投票、24日開票。女性が24人当選し、男性の23人を上回った(山名奏子は性別を公表しなかった)[51]。投票率は43.66%で、前回と比べて4.19ポイント上昇した。自民党は改選前の16議席を9議席に減らし、全員当選が目標だった公明党は落選者を出すなど、岸本の行動が波乱を起こす結果となった[44][50]。
著書
- 単著
- 共著
出演
映画
脚注
注釈
- ^ 辻元清美の証言より[3]。当時、ピースボートなどの活動をしていた辻元は地球サミットにNGOの一員として参加[4]。二人は同サミットを通じて知り合った。
- ^ 内田聖子も、水道事業民営化の反対の立場から、2019年に『日本の水道をどうする!?―民営化か公共の再生か』を出版している。
- ^ 田中裕太郎は2012年8月に尖閣諸島の魚釣島に上陸し、日本の国旗を掲げた人物として知られる[25][27]。
- ^ 2023年3月15日、本会議において、上程された各議案の採決が行われた。議員数は欠員1の計47人。議長を除く「性の多様性が尊重される地域社会を実現するための取組の推進に関する条例」議案の採決の内訳は下記のとおり。田中良に反旗を翻して結成された自由民主党杉並区議団は内部で対応がわかれた。井原太一、吉田愛は当該議案の採決のみ欠席し、松尾百合はこの日の議会自体を欠席した。
賛成29 |
自由民主党杉並区議団 |
大泉泰政、大和田伸、今井洋、浅井邦夫、井口かづ子 |
5
|
公明党 |
島田敏光、中村康弘、山本弘子、北明範、川原口宏之、大槻城一、渡辺富士雄 |
7
|
日本共産党杉並区議団 |
富田琢、金子健太郎、野垣暁子、酒井正江、山田耕平、樟山美紀 |
6
|
立憲民主党・無所属クラブ |
太田哲二、山本明美、樋脇岳、川野孝章 |
4
|
いのち・平和クラブ |
奥田雅子、新城節子、結柴誠一、曽根文子 |
4
|
共に生きる杉並 |
木梨盛祥 |
1
|
杉並を耕す会 |
奥山妙子 |
1
|
無所属 |
堀部康 |
1
|
反対14 |
自由民主党杉並区議団 |
渡辺友貴 |
1
|
杉並区議会自由民主党 |
小川宗次郎、大熊昌巳、矢口泰之、國﨑隆志、松浦威明、安斉昭 |
6
|
自民・無所属・維新クラブ |
藤本直也、岩田生真、松本光博、小林優美 |
4
|
都政を革新する会 |
洞口朋子 |
1
|
正理の会 |
佐々木千夏 |
1
|
自民党 |
逸見純一 |
1
|
欠席3 |
自由民主党杉並区議団 |
井原太一、吉田愛 |
2
|
杉並わくわく会議 |
松尾百合 |
1
|
- ^ 17人の候補者が自身の選挙公報に、岸本から推薦または応援を受けている旨を記載した。
出典
参考文献
外部リンク
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官選 |
旧杉並区長 |
- 魚井重太郎1932.10.1-1934.6.30
- 増田穆1934.6.30-1938.5.9
- 広田伝蔵1938.5.9-1939.6.20
- 田中直次1939.6.20-1943.6.30
- 山根幸八1943.7.1-1945.12.24
- 高橋寛1945.12.24-1946.11.22
- 区長心得 中西龍
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公選 |
杉並区長 |
- 新居格1947.4.5-1948.4.9
- 高木敏雄1948.5.23-1956.5
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区長選任制 |
杉並区長 |
- 高木敏雄1956.6-1957.10.28
- 加藤豊三1957.12.27-1961.12.26
- 菊地喜一郎1962.5.17-1975.4.26
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公選 |
杉並区長 |
- 菊地喜一郎1975.4.27-1983.4.26
- 松田良吉1983.4.27-1995.4.26
- 本橋保正1995.4.27-1999.4.26
- 山田宏1999.4.27-2010.5.31
- 田中良2010.7.11-2022.7.10
- 岸本聡子2022.7.11-
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