河村孝 (政治家)
河村 孝(かわむら たかし、1954年(昭和29年)1月13日[1] - )は、日本の政治家。東京都三鷹市長(2期)。財団法人三鷹市芸術文化振興財団(現・公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団)元理事長[2]。公益財団法人三鷹国際交流協会元理事長[2]。 来歴静岡県静岡市生まれ。早稲田大学商学部を卒業して、1977年(昭和52年)4月、三鷹市役所に入庁[3]。教育委員会体育課に配属される。大学時代に空手を始めた河村は(三段)、市役所に空手部を創設した[3]。 若手職員4人で、朝日新聞社の懸賞論文に応募し「最優秀賞」を獲得[3]。この受賞をきっかけに勉強会「超都市化問題研究会」を開催する[3]。最盛期には約300人の会員を数えた。初代代表をつとめる[3]。 2003年(平成15年)7月、助役(後に副市長)に就任[3]。3期12年間、清原慶子の市政を支える。 清原から後継指名を受けた河村は2015年(平成27年)2月、任期満了に伴う市長選への出馬表明を行った。しかし告示日直前の同年4月、脳の病気に倒れ断念[4]。この年の市長選は清原が立候補し、元市議の岩田康男を破り4期目の当選を果たした。 次の市長選を巡っては、健康を回復した河村のほか清原も出馬に意欲を見せ、共に自由民主党三鷹総支部に推薦願を出した。同支部や市議会の自民党会派は2018年(平成30年)12月から一本化に向けた調整を続けたが、2019年(平成31年)1月下旬の会合でも決着はつかなかった。2月6日、清原が先に出馬の意向を表明した[5]。2月10日、自民党は自主投票を決定。2月14日、河村は正式に立候補を表明した[6]。 保守分裂となった4月の市長選で河村は清原を小差で破り初当選した。当選後、市長選最大の争点となった市役所本庁舎・議場棟などの建て替え計画について「白紙にする。6月市議会で予算の減額補正をし、立ち止まる姿勢を明確にしたい」と述べた[7]。4月30日、市長就任。 ※当日有権者数:152,059人 最終投票率:48.60%(前回比:+1.77pts)
脚注
外部リンク
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