坂本裕哉
坂本 裕哉(さかもと ゆうや、1997年7月28日 - )は、福岡県福岡市西区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 概要プロ入り前小学4年時から中学生時代までは、軟式野球でプレー[3]。中学生時代に、九州大会での優勝を経験した。 福岡大大濠高校で硬式野球部へ入部すると、1年時の秋からエース格で活躍[3]。春夏の甲子園とは縁がなかった[3]が、3年夏の全国高等学校野球選手権福岡大会初戦では、6イニングを投げ10奪三振を記録した。同部の1学年後輩に浜地真澄が[4]、2学年後輩に三浦銀二・古賀悠斗がいる。 高校卒業後に進学した立命館大学文学部日本史学専攻に入学[5]。硬式野球部に入部し、2年時の春から関西学生野球のリーグ戦で活躍[3]。4年時の春季リーグ戦では、5勝、防御率0.84という好成績でMVPと最優秀投手賞を受賞したほか、ベストナインに選ばれた[6]。また3年時と4年時には、チームが春季リーグ戦で優勝し、全日本大学野球選手権大会に進出。3年時の第67回大会では、国際武道大学との2回戦に先発で登板した[7]。翌年の第68回大会では東海大学との1回戦で先発し、7回2失点と好投(チームは3-4で初戦敗退)[8]。大会後には侍ジャパン大学代表選考合宿に追加招集された[9]。在学中は、リーグ戦通算31試合の登板で16勝8敗、防御率1.99を記録。2学年先輩に自身と同じ左投手の東克樹、1学年先輩に辰己涼介がいる。 2019年のNPBドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから2巡目で指名[10]。契約金7150万円、年俸1265万円(金額は推定)という条件で入団したことによって、前年(2018年)から在籍している東と再びチームメイトになった。背番号は20[11]。 DeNA時代2020年は、同期入団の新人選手では外野手の蝦名達夫とともに、春季キャンプを一軍スタート[12]。オープン戦以降も好投を続けたため、東の入団1年目と同じく、開幕ローテーション入りを果たす[13]。この年、新型コロナウイルス感染拡大の影響でプロ野球開幕が6月19日となり[14]、6月25日の中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で一軍初登板初先発[15]。奇しくも中日の新人・岡野祐一郎との先発デビュー対決になった試合で、5回まで中日打線をノーヒットに抑えるなど6回無失点と好投[16]。セントラル・リーグの新人投手一番乗りとなるプロ初勝利を挙げた[17]。大学からDeNAに直接入団した新人の左投手による一軍公式戦初登板での勝利は、前身の球団を含めても坂本が初めてである[18]。しかし、6回表二死一・二塁からの暴投で本塁へのベースカバーに入った際に右足首を負傷。6回表までは投げ切ったものの、試合後に右足首の捻挫が判明したため、翌26日に出場選手登録を抹消された[19]。9月8日の対阪神タイガース戦(横浜)から一軍に復帰して[20]からは、レギュラーシーズン終了まで先発ローテーションに定着。通算では10試合の登板(全て先発)で、防御率5.67ながら4勝1敗を記録した。 2021年は、前年から一転して、春季キャンプから二軍で調整していた。一軍の公式戦には、4月16日の対読売ジャイアンツ戦(横浜)でシーズン初登板、5回を10安打3失点で黒星を喫した[21]。しかし、1週間後(同月23日)の対阪神戦(阪神甲子園球場)でも先発を任されると、開幕から首位を走る阪神打線を相手に6回を3被安打1失点と好投。2つの引き分けをはさんで10にまで伸びていたチームの連敗ストップに貢献したほか、自身にも白星が付いた[22]。同30日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)にも先発したが、2回に村上宗隆の打球が左肩付近を直撃しわずか13球で緊急降板、翌日に登録抹消となった[23]。5月28日に再び登録されて以降は先発ローテーションを任され、最終的には16試合に先発し、阪神からは3勝を挙げたものの、4勝6敗、防御率5.25、投球回は70.1回で1試合あたり僅か4.4回に終わるなど、不本意な成績でシーズンを終えた[24]。 2022年は、オープン戦で無失点登板を続け開幕ローテーション入りを果たす[25]。シーズン初先発となった3月27日の広島東洋カープ戦(横浜)では7回4失点で勝敗つかず、4月21日の阪神戦(横浜)と4月27日の巨人戦(横浜)で続けて満塁本塁打を打たれるなどして二軍に降格した[26][27]。シーズン終盤は先発から外れ救援も務めたが、15試合の登板で0勝5敗、防御率6.19と結果が残せなかったシーズンとなった[28]。 2023年は、ロングリリーフとして開幕一軍登録を勝ち取るも、登板機会に恵まれず4月23日に登録を抹消[29]。その後も中継ぎとして一軍へ昇格してはすぐに降格する、という日々が続いた。7月29日に抹消されて以降は二軍で先発として好投を続け、9月5日の広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)でシーズン初先発[30]を果たすも4回2失点で降板。9月27日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)で再び先発も4回3失点で降板した[31]。最終的に13試合の登板で0勝1敗、防御率5.76と2年連続の未勝利に終わり、シーズン終了後には300万円ダウンの推定年俸2000万円で契約を更改した[32]。 2024年は、春季キャンプで左肩を痛めたため、開幕を二軍で迎える[33]。5月8日に一軍に昇格し、同日のヤクルト戦(横浜)で5回一死満塁の場面で登板し併殺打に抑え、シーズン初登板をチームのピンチを救う無失点で抑えた[34]。ビハインドの場面での起用から、回跨ぎや火消しをこなすようになり、試合展開によってはリードの場面でも任されるなど、昇格後は抹消されずチーム唯一のリリーフ左腕としてブルペンを支えた[33]。シーズンでは全て救援で48試合に登板し、1勝1敗13ホールド、防御率2.20の成績を挙げた[35]。12月6日、1700万円増となる推定年俸3700万円で契約を更改した[35]。 選手としての特徴・人物最速151 km/hのストレートを投げ込む[36]。変化球はスライダー、カットボール、カーブ、シュート、チェンジアップと多彩[37]。 チェンジアップはカウントを取る球、空振りを取るフォークボールのような球の2種類を操る[38]。 左腕投手であるが、対左打者の方が被打率が高い[39][40]。 座右の銘は「磨穿鉄硯」(強い意志を持ち続けて、それを達成するまで変えない)で、グラブにこの言葉を刺繍している[41]。 立命館大学とDeNAでチームメイトになった東克樹とは、大学時代に一時、硬式野球部合宿所内の同じ部屋で生活[42]。DeNAへの入団1年目の春先には、当時左肘のトミー・ジョン手術を受けたばかりの東から、技術面やメンタルの保ち方などで助言を受けていたという[43]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲
脚注
関連項目外部リンク
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