中川虎大
中川 虎大(なかがわ こお、1999年10月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 経歴プロ入り前5歳から「野崎少年野球」で軟式野球を始め[2]、和歌山市立貴志南小学校時代には、捕手として貴志南野球団でプレー。小学6年時には、スポーツ少年団の全国大会で準優勝を経験した[3]。 和歌山市立貴志中学校への進学後は和歌山シニアへ入団したが、1年時に右肘を痛めた。手術を経て復帰した後は「4番・三塁手」としてレギュラーに定着していたが、2年時の冬に「遊びたくなった」という理由で退団し、一時は野球と距離を置いていた[2]。しかし、3年時の7月に、全国高等学校野球選手権和歌山大会の決勝(智弁和歌山高校対和歌山市立和歌山高等学校)を観戦し、同試合で市立和歌山が延長12回の末にサヨナラ勝利で全国大会出場を決めたシーンに遭遇したことから、野球熱が再燃したという[4]。 実母の従兄弟に和歌山県立箕島高等学校OBの木村竹志(「石井毅」として在学中の1979年にエースとして甲子園球場の全国大会で春夏連覇を達成)がいる縁で、3年時の秋から木村が理事長を務めるNPO法人の野球教室に参加[2]。中学卒業後は同校へ進学した[3]。入学の直後に自身の希望で投手に転向する[4]と、2年時の秋から主将を務めるとともに、エースの座を確保[3]。さらに、2年時のトレーニングによってストレートの球速が短期間で149km/hにまで達し[4]、NPB球団のスカウトから注目されるようになった。しかし、投球の安定感に課題があったことから、3年夏の選手権和歌山大会には背番号10の救援投手として登板[5]。在学中には全国大会と無縁であったが、3年時の秋には、プロ志望届を日本学生野球協会に提出した[6]。 2017年10月26日に行われたドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから育成ドラフト1位で指名を受け、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した[7]。背番号は104。 DeNA時代2018年は、イースタン・リーグ公式戦17試合に登板。5勝5敗、防御率5.00という成績を残した。 2019年は、イースタン・リーグの開幕から、二軍の先発ローテーションに定着。前半戦は13試合に登板し、リーグトップの8勝(3敗)、防御率2.00という好成績を残した。7月11日のフレッシュオールスターゲーム(楽天生命パーク宮城)にも、同リーグ選抜チームの2番手投手として2回表から登板。2イニングを投げて2点を失いながらも、2三振を奪った[8]。7月14日には、支配下選手契約へ移行し、背番号を93に変更することが発表された[9][10]。7月28日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、先発投手として一軍公式戦デビューを果たした[11][12]。一軍公式戦全体では3試合の登板(1試合に先発)で0勝1敗だったが、イースタン・リーグ公式戦では規定投球回に到達し、リーグ唯一の2桁勝利(11勝)とリーグトップの防御率(2.25)を記録した。 2020年は、開幕前の練習試合では一軍に帯同したが、巨人戦で2回を2失点、四死球5など制球難から開幕ローテ争いから外れるも[13]、二軍での好投が認められ7月4日のヤクルト戦で初先発を果たしたが、3回4失点で降板した[14]。同16日の中日戦では、わずか1回1失点で降板し、二軍降格となった[15]。降格した二軍戦で負傷交代し戦線を離れるも、9月に復帰し、11月に再び一軍に昇格。同4日の中日戦で二番手として登板し、2回無失点に抑え、さらにプロ初安打を放つなどの活躍を残した。シーズンオフには20万円増の年俸470万円でサインした。 2021年は、開幕二軍スタートとなったが、怪我や不調など先発不足なチーム事情のため4月後半に一軍昇格を果たした。6月2日のソフトバンク戦では、自身最長の6回を投げ1失点と好投するも勝ちがつかなかった[16]。最終的には7試合の登板(5試合に先発)で白星を掴むことができず、後半戦は一軍出場がなかった。シーズンオフには190万円増の推定年俸660万円で契約を更改した[17]。また、背番号が64に変更されることが発表された[18]。 2022年は、開幕は二軍で迎え、交流戦期間中の6月9日に一軍昇格となり、中継ぎとして待機していたが登板機会がないまま登録抹消となる[19]。8月1日に開催された大学・社会人選抜 対 U-23 NPB選抜にて、U-23 NPB選抜のメンバーに選出[20]、2点リードの9回に登板し、3人で締めセーブを記録する[21]。その後、一軍昇格し8月14日のヤクルト戦がシーズン初登板となり2回を無失点に抑える[22]。その後もビハインドの場面で中継ぎとして好投を続けたが[23]、9月23日、チームが2位に位置した中での首位ヤクルトとの直接対決で、7点リードの9回を任されると、ホセ・オスナから3点本塁打を打たれて1イニング持たずに降板し、登録抹消されシーズンを終えた[24]。イースタン・リーグ公式戦では32試合に登板し、2勝1敗8セーブ、防御率2.86という成績だった。シーズン終了後の10月31日、横浜市内の病院にて右肘クリーニング手術を行ったことを発表した[25]。 2023年は、6月5日に一軍へシーズン初登録され、4試合に登板した後6月29日に登録を抹消された[26]。シーズン終盤の9月1日に再び一軍へ登録[27]されて以降は最後までチームに帯同し続け、最終的に9試合の登板で防御率2.53の成績を収めた。シーズン終了後の11月14日、高校1年時から8年間交際を続けていた女性と前年9月に婚姻届を提出していたことを発表した[28]。 2024年は、4月26日に一軍へ同年初登録された[29]。6月1日の北海道日本ハムファイターズとの交流戦、同点の8回に4番手で登板して三者凡退に抑えると、次の回でチームが勝ち越したため、プロ初勝利を記録した[30]。一時は勝ちパターンを任されるなど、自己最多の31試合に登板して、1勝3敗10ホールド、防御率3.19を記録していたが[31]、8月12日の広島東洋カープ戦での登板で1回2失点で降板後に右肘の違和感を訴え、翌8月13日に登録抹消となった[32]。8月27日には右肘のクリーニング手術を受けたことが発表された[33]。11月29日、760万円増となる推定年俸1520万円で契約を更改した[31]。 選手としての特徴最速157km/hのストレートとフォークが武器[28][34]。その他にスライダー、カットボール、ナックルカーブなどの変化球を投げ分ける[35][36]。 人物虎大と書いて「こお」と読む名前は、工藤公康のファンであった実母が「公康」の「公(こう)」を名前の読みに入れ、阪神タイガースのファンである実父が、阪神のチーム名をモチーフにした「虎」の字を入れたが、姓名判断で「う」と読ませる(運勢の)良い漢字が見当たらなかったため、読み方は「こお」とした[2]。 4歳下の実弟である大雅も母校である箕島高校に進学しており、最速143km/hの左腕投手。3年生のときの2021年には「プロ注目」とも報じられたが、「(プロは)現状では無理なので、大学で力をつけて目指す」と[37]、関西国際大学に進学している[38]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号登場曲脚注
関連項目外部リンク
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