橋本達弥
橋本 達弥(はしもと たつや、2000年7月18日 - )は、兵庫県神戸市出身[2]のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 経歴プロ入り前神戸市立木津小学校1年時に野球を始め、神戸市立桜が丘中学校では軟式野球部に所属し、投手と内野手を務めていた[2]。子どもの頃からプロ野球選手になることが夢だったが、中学の時点で線が細く体が小さかったこともあり夢を断念し、県内トップの公立進学校である兵庫県立長田高等学校に進学する[3]。公立高校のため練習時間は限られていたが[4]、2年生から本格的に投手を始めると、常時140キロ台を投げるようになる[5]。3年夏の兵庫県大会ではベスト8に進出するが、準々決勝で小園海斗擁する報徳学園と対戦し0-1で敗退[4]。しかし、同大会で最速147キロを記録するなど好投を見せ、プロからも注目されるようになる[6]。 より高いレベルを求め、大学は慶應義塾大学環境情報学部に進学[3]。入学前の2月からキャンプに参加していたが、3月に胃腸炎のような症状と体調不良が続き、国指定の難病である「IgA腎症」と診断され入院生活を送る[7]。一時は体重も13kg減少したが、5月に大学に戻りリハビリを経て、大学2年の8月に行われた春季リーグ戦[注 1]でデビューを飾る[7]。抑え投手を任されるようになった3年春の第70回全日本大学野球選手権記念大会では胴上げ投手となり、34年ぶりの優勝に貢献した[8]。4年春のリーグ戦では防御率1.53で最優秀防御率賞のタイトルを獲得[9]。侍ジャパン大学代表にも選ばれ、7月にオランダで行われたハーレムベースボールウィークにも出場した[4]。大学の同期には萩尾匡也がいた[10]。 2022年10月20日、ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズから5位指名を受ける[11]。11月21日、横浜市内のホテルにて交渉を行い、契約金3500万円、年俸780万円(金額は推定)で入団に合意した[12]。背番号は35。同大学から直接横浜にプロ入りするのは山下大輔以来49年ぶり、また、長田高校の卒業生としては初のプロ野球選手となる[13]。 DeNA時代2023年は二軍公式戦(イースタン・リーグ)32試合(33イニング)に登板し、4勝3敗、防御率3.00という成績を残したものの[14]、一軍デビューを果たすことなくシーズンを終えた。 2024年は開幕からイースタン・リーグで登板し、5試合で防御率5.79を記録するも5月17日を最後に登板がなく、その後6月20日に球団より右肩の神経剥離術を行ったことが発表された[15][16]。11月15日に育成契約への移行が発表された[17]。背番号は035に変更となる[18]。 選手としての特徴最速152 km/hの直球とフォークボールを武器に、大学時代は抑え投手として活躍した[12]。フォークを投げるようになったのは高校2年からで、公立高校が強豪校に勝つためには、相手がマシンでは練習できないボールを磨こうと考え、投げるようになった[19]。 詳細情報背番号
代表歴脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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