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ペッツ・ワトレー

ペッツ・ワトレー
ペッツ・ワトレーの画像
1983年
プロフィール
リングネーム ピストル・ペッツ・ワトレー
シャスカ・ワトレー
ウィリー・B・ハート
本名 Pezavan Whatley
ニックネーム 黒い銃弾
身長 178cm - 182cm
体重 111kg - 115kg
誕生日 1951年1月10日
死亡日 (2005-01-18) 2005年1月18日(54歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テネシー州の旗 テネシー州
ハミルトン郡チャタヌーガ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ソウル・ワインゲロフ
デビュー 1975年
引退 1995年
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"ピストル" ペッツ・ワトレー"Pistol" Pez Whatley1951年1月10日 - 2005年1月18日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州チャタヌーガ出身のアフリカ系アメリカ人

より原音に近い表記は「ペッツ・ワトー」だが、本項では来日時の呼称など、日本で定着している表記を使用する。

来歴

ハイスクール時代はレスリングで活躍し、チャタヌーガ初の黒人チャンピオンとなった[1]テネシー大学チャタヌーガ校卒業後の1975年、ソウル・ワインゲロフ[2]のコーチを受け、地元テネシー州メンフィスNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)にてデビュー。

テネシーでは巨漢レイ・キャンディとのベビーフェイスの凸凹黒人コンビで活動、1977年に悪徳マネージャーパーシー・プリングル3世率いるサモアンズ(ワイルド・サモアンズとは別チーム)とミッドアメリカ・タッグ王座を争った[3]

1977年8月末には、スタン・ハンセンブラックジャック・マリガンザ・ハングマンロディ・パイパーソニー・キングらが同時参加した新日本プロレスの『闘魂シリーズ』に初来日[4]ストロング小林長州力星野勘太郎永源遙木戸修らとシングルマッチで対戦したが、キャリア不足もあって白星は木村健吾からの1勝のみという戦績で終わった[5]

以降もテネシーを主戦場に、1978年1月14日にはラニー・ポッフォを新パートナーにジプシー・ジョー&リロイ・ロチェスターからミッドアメリカ・タッグ王座を奪取[3]。同地区の英雄的存在となったジェリー・ローラーともタッグを組み[6]デビッド・シュルツデニス・コンドリーダッチ・マンテルバズ・タイラーフィル・ヒッカーソンなどと抗争を展開した。

1980年代初頭はラニーやランディ・サベージの父アンジェロ・ポッフォが旗揚げしたケンタッキー州レキシントンの独立団体ICW(International Championship Wrestling)で活動。後にNWA世界ヘビー級王者となるロニー・ガービンと抗争した。ICW崩壊後は古巣のメンフィスに戻り、スキップ・ヤングと組んでココ・ウェア&ノーベル・オースチンのプリティ・ヤング・シングスと黒人タッグ抗争を展開[7]1984年からはエディ・グラハム主宰のNWAフロリダ地区に参戦、8月25日にジム・ナイドハート、9月22日にケビン・サリバンを破り、南部ヘビー級王座を2回獲得した[8]

リック・ルードにタイトルを奪われた1985年からは、NWAミッドアトランティック地区のジム・クロケット・プロモーションズに移籍。ジミー・バリアントとのコンビで人気を博したが、彼を称えたバリアントの "the best black athlete in professional wrestling" というコメントを黒人差別発言と曲解し、 1986年にバリアントと仲間割れしてヒールに転向[1]シャスカ・ワトレーShaska Whatley)に改名してヒール・ユニットのポール・ジョーンズ・アーミーに加入し、バロン・フォン・ラシクコンガ・ザ・バーバリアンと共闘した[9]

1987年より、タイガー・コンウェイ・ジュニアと黒人タッグチームのジャイブ・トーンズThe Jive Tones)を結成[10]ブラッド・アームストロング&ティム・ホーナーのライトニング・エクスプレスと抗争し、マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービンファビュラス・フリーバーズロード・ウォリアーズとも対戦した[10]

1989年8月にはアブドーラ・ザ・ブッチャーが外国人エースを務めた全日本プロレスの『サマー・アクション・シリーズII』に、コンウェイ・ジュニアとのジャイブ・トーンズとして来日。サミー・デイヴィス・ジュニアなど往年の黒人エンターテイナーをイメージした陽気なパフォーマンスで前座戦線を盛り上げる一方、ブッチャーとトリオを組んでの6人タッグマッチで天龍同盟とも対戦した[11]

ジャイブ・トーンズ解散後、1990年代初頭にはジョバーとしてWWFに出場[12][13]ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンではタグボート・トーマスと対戦している[14]。地元のテネシーでは1991年ウィリー・B・ハートWillie B. Hert)を名乗り、CWAの後継団体USWAでローラーやバンバン・ビガロと対戦した[15]

シュートの隠語である「ピストル」の異名通りのシューターとされており[1]1992年2月にはUWFインターナショナルに「ペーズ・ワットレー」の表記で来日、安生洋二中野龍雄と対戦した[16]。その後はWCWにてジョバーを務め、1995年の引退後はプロレスラー養成所WCWパワープラント」のトレーナーとなって若手選手の指導・育成に携わった[1]

2003年心臓発作を起こし、心臓移植手術を待っていたが、手術を受けることなく2005年1月18日に故郷チャタヌーガの病院にて死去[1][17]。54歳没。

没後の2021年WWE殿堂のレガシー部門に迎えられた[18]

得意技

獲得タイトル

NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
NWAミッドアメリカ
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
WWE

脚注

  1. ^ a b c d e "Pistol" Pez Whatley dead at 54”. Slam Wrestling (2005年1月19日). 2010年9月30日閲覧。
  2. ^ Saul Weingeroff”. Online World of Wrestling. 2010年9月30日閲覧。
  3. ^ a b c NWA Mid-America Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月30日閲覧。
  4. ^ NJPW 1977 Toukon Series”. Puroresu.com. 2016年1月24日閲覧。
  5. ^ The NJPW matches fought by Pez Whatley in 1977”. Wrestlingdata.com. 2024年10月22日閲覧。
  6. ^ The USWA matches fought by Pez Whatley in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年10月2日閲覧。
  7. ^ Skip Young, master of the dropkick dead at 59”. Slam Wrestling (2010年12月8日). 2010年12月11日閲覧。
  8. ^ a b NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月30日閲覧。
  9. ^ The WCW matches fought by Pez Whatley in 1986 (3)”. Wrestlingdata.com. 2016年1月24日閲覧。
  10. ^ a b Tag Team "The Jive Tones"”. Wrestlingdata.com. 2014年10月2日閲覧。
  11. ^ The AJPW matches fought by Pez Whatley in 1989”. Wrestlingdata.com. 2016年1月24日閲覧。
  12. ^ The WWE matches fought by Pez Whatley in 1990”. Wrestlingdata.com. 2014年10月2日閲覧。
  13. ^ The WWE matches fought by Pez Whatley in 1991”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  14. ^ WWF on MSG Network”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  15. ^ The USWA matches fought by Pez Whatley in 1991”. Wrestlingdata.com. 2022年2月26日閲覧。
  16. ^ The UWFi matches fought by Pez Whatley in 1992”. Wrestlingdata.com. 2019年8月27日閲覧。
  17. ^ "Pistol" Pez Whatley”. Online World of Wrestling. 2010年9月30日閲覧。
  18. ^ a b WWE Hall of Fame 2020 & 2021 Legacy Wing Inductions”. ITN WWE (2021年5月7日). 2021年8月5日閲覧。
  19. ^ NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月2日閲覧。
  20. ^ ICW United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月2日閲覧。
  21. ^ ICW United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月2日閲覧。

外部リンク

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