ブッチ・ミラー
ブッチ・ミラー(Butch Miller、本名:Robert Miller、1944年10月21日 - 2023年4月3日)は、ニュージーランド・ウェリントン出身のプロレスラー[1][2]。 相棒ルーク・ウィリアムスとのタッグチーム(ザ・ブッシュワッカーズ、ザ・シープハーダーズ、ザ・キウィズ)での活動で知られる[3]。 来歴1964年、スティーブ・リッカードらが運営していたNWAニュージーランド(後のオールスター・プロレスリング)にてデビュー[4]。本名のボブ・ミラー(Bob Miller)をリングネームに、ブルーノ・ベッカーとのコンビで活動した[3]。以降、リングネームを度々変更し、1973年1月には「オーストラリア・マットに突如出現した謎の覆面レスラー」という触れ込みで、マスクマンのザ・タイガー(The Tiger)に変身して新日本プロレスに初来日[5]。同月27日、福岡市九電記念体育館において、アントニオ猪木とシングルマッチで対戦した[6]。 ニック・カーター(Nick Carter)の名義で北米にも進出し、1973年にはスチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにて、同郷のスウィート・ウィリアムことルーク・ウィリアムスとザ・キウィズ(The Kiwis)を結成。1974年9月には揃って国際プロレスに参戦し、9月16日に館山にてラッシャー木村&グレート草津のIWA世界タッグ王座に挑戦[3]。10月3日には岡山にて、バロン・フォン・ラシクと組んで木村&草津に再挑戦している[7]。シリーズ中は木村、草津、アニマル浜口との金網デスマッチも行われた[8]。 1979年5月、リングネームをボブ・ミラーに戻してウィリアムスと共に全日本プロレスに来日[9][10]。同年よりチーム名をザ・シープハーダーズ(The Sheepherders)に改め、ヒールのタッグチームとして各地を転戦。自身のリングネームもブッチ・ミラー(Butch Miller)に定着させた[2]。プエルトリコのWWCではアブドーラ・ザ・ブッチャーとも共闘している[11]。 1981年下期より一時的にコンビを解消し、単独でニュージーランドに帰国していたが、1983年11月からはウィリアムスとのシープハーダーズを再結成[2]。以後、各テリトリーのタッグ王座を再三奪取して、日本では「タッグ泥棒」なる異名を付けられた[3]。1987年2月には新日本プロレスに来日[12]、IWGPタッグ王座の決定リーグ戦に出場している[5]。 →詳細は「ザ・ブッシュワッカーズ」を参照
1988年末、チーム名をブッチ&ルークのザ・ブッシュワッカーズ(The Bushwhackers)に変更し、ルークとは従兄弟同士という設定でWWFに登場。WWFではコミック・リリーフを担当するベビーフェイスのベテラン・チームとして売り出され、そのコミカルなキャラクターで子供ファンの人気を集めた[3]。1990年12月には、当時WWFと提携していたSWSに来日している[13]。以降、WWFには1996年まで長期間に渡って在籍し、退団後もブッシュワッカーズ名義でルークと共にインディー団体を転戦した。 2001年4月1日に開催された『レッスルマニアX-Seven』のギミック・バトルロイヤルに出場後、同年9月に引退して母国のニュージーランドに帰国。2008年6月11日のWWEのオークランド公演では、同じくニュージーランド出身であるWWEプロデューサーのトニー・ガレアと共にMVPのトーク・コーナー「VIPラウンジ」に登場、ヒールのホスト役MVPを蹴散らし、往年の「ブッシュワッカー・ウォーク」を披露して現地の観客の喝采を浴びた。ニュージーランドでは首都ウェリントンのプロレス団体KPW(キーウィ・プロ・レスリング)のコミッショナーを務めつつ、レスリング・ウェブサイト "NZPWI" のコラムニストとしても活動した[14]。 2015年、ルークとのザ・ブッシュワッカーズでWWE殿堂に迎えられた(インダクターは、かつてNWAフロリダ地区で彼らのマネージャーを務めていたジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス)[15]。式典では杖をつきながらも、往時と変わらぬパフォーマンスを見せて会場を沸かせた[16]。 2023年4月3日、相棒ルーク・ウィリアムスの家族からのSNS投稿により、死去が報じられた[17]。78歳没[4]。 獲得タイトル
脚注
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