1982年のパシフィック・リーグプレーオフ
1982年のパシフィック・リーグプレーオフは、1982年10月にプロ野球パシフィック・リーグの前期優勝チームと後期優勝チームの2球団で行われたプレーオフである。本年をもって前後期制によるプレーオフ制度は廃止された。 概要この年のパシフィック・リーグのプレーオフは前期優勝の西武ライオンズと後期優勝の日本ハムファイターズとの間で争われた。本年をもって前後期制によるプレーオフ制度は廃止され、翌年以降はシーズン上位2位によるプレーオフ制度に移行されたが、実施されることがなかった。 第1戦西武の先発は1980年まで日本ハムに在籍していた高橋直樹、一方の日本ハムはプレーオフ1ヶ月前に右手小指を骨折し、プレーオフは絶望と見られていた西武キラーの工藤幹夫の先発で始まった。8回表までは両軍無得点で進んだが8回裏、西武は7回途中から登板の江夏豊を攻め、一死満塁のチャンスを掴んだ。ここで代打・大田卓司が中前に2点適時打を放ち、均衡を破った。さらに続く石毛宏典も左前にタイムリーを放ち、江夏をノックアウト。この回さらに3点を加えた西武が6-0で初戦を物にした。 第2戦西武は1回裏、田淵幸一の適時打で先制、しかし日本ハムは6回表クルーズの適時打で同点に追いつき、7回表には古屋英夫の本塁打で勝ち越しに成功した。しかし西武は前日に続いて8回裏に江夏を捕らえ、大田の適時打で3-2と逆転、9回は森繁和が抑えて逃げ切り、リーグ優勝に王手をかけた。松沼雅之をリリーフした新人19歳の工藤公康が勝利投手となった。 第3戦後楽園に舞台を移した第3戦、もう後がない日本ハムは第1戦先発の工藤が先発、4回表まで両軍無得点で進んだが4回裏にクルーズの適時打で日本ハムが先制した。西武も5回表に石毛の適時打で同点に追いつくが5回裏に島田誠が勝ち越し二塁打を放ち2-1。工藤はこのリードを守りきって完投勝利をおさめたが、試合後は握手を左手で行うなど、負傷した右手は限界だった。 第4戦2回表、西武はテリーの本塁打で先制したが、3回裏日本ハムはクルーズの二点本塁打で逆転した。さらにソレイタも本塁打を放ち4-1とした。しかし西武は4回表に1点を返すと5回にもテリーが満塁本塁打を放ち一気に逆転、6回にも黒田正宏の本塁打で1点を加えた。西武は7回裏に古屋の本塁打で1点を返されたものの7-5で逃げ切り、西武ライオンズとして初、西鉄時代から通算して19年ぶり6度目のリーグ優勝を果たした。 結果
第1戦
勝-東尾(1勝)、敗-江夏(1敗) 第2戦10月10日(日)西武ライオンズ球場
勝-工藤公康(1勝)、セーブ-森繁(1S)、敗-江夏(2敗)
第3戦
勝-工藤幹夫(1勝)、敗-杉本(1敗) 第4戦10月14日(木)後楽園球場
勝-東尾(2勝)、セーブ-小林(1S)敗-高橋一三
表彰選手
テレビ・ラジオ放送
ラジオ中継
関連項目
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