1973年のパシフィック・リーグプレーオフ
1973年のパシフィック・リーグプレーオフは、1973年10月にプロ野球パシフィック・リーグの前期優勝チームと後期優勝チームの2球団で行われたプレーオフである。本年は2シーズン制が導入された最初の年であり、前期優勝の野村克也選手兼任監督率いる南海ホークスと後期優勝の西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスとの対決となり、3勝2敗で南海が勝利し、パ・リーグ優勝を決めた。 概要両者の直接対決の成績は、南海が優勝した前期は南海の8勝5敗だったが、前年までリーグ2連覇の阪急が優勝した後期は一転して阪急の12勝0敗1分と南海は1勝もできなかった。また南海は後期の勝率が五割を切っており(.484)、通年の勝率では阪急、ロッテ(前期2位・後期2位)に次ぐ3位まで落ちこんでいた。 そのため戦前の予想では後期に復調した地力に勝る阪急の有利は揺るがないとする意見が圧倒的だったが、南海・野村監督は報道陣に対し「後期の汚名は必ずプレーオフですすぐ[1]」と強く決意を語ってプレーオフに臨んだ。 試合結果
第1戦10月19日 大阪 観衆13800人
(急)●米田(1敗)、戸田-岡田、種茂 阪急が福本豊の先頭打者本塁打で先制、2回にも岡田幸喜の本塁打で追加点を挙げたが、その裏、南海は四球、エラーにつけ込み、藤原満、相羽欣厚のタイムリーで逆転。西岡三四郎から佐藤道郎、村上雅則とつなぎ、最後は江本孟紀が締めくくった。 第2戦10月20日 大阪 観衆19700人
(急)○山田(1勝)、竹村 - 岡田 1回裏、門田博光が阪急の先発山田久志から先制本塁打を放つが、阪急は南海の守備の乱れをついて逆転。3回には住友平が2ランを放ち、4回には井上修、山田の連続タイムリーで山内新一をKO。5回には住友の2打席連続本塁打が飛び出し、阪急の一方的ペースと思われた。しかし南海も6回門田博の2本目の本塁打、7回にはクラレンス・ジョーンズの代打3ランで追い上げた。8回にも代わった竹村一義から1点を奪い、2点差まで詰め寄るが、点差をつめたのもここまでだった。 第3戦10月22日 西宮 観衆8500人
(南)○江本(1勝)-野村 初回に野村、ジョーンズの連続本塁打で先制した南海は、3回にもジョーンズの2打席連続本塁打で突き放し、試合を優位に進めた。阪急は8回、加藤秀司の2点タイムリーで追い上げたが、江本がしのぎ切り、完投勝利。 第4戦10月23日 西宮 観衆13500人
(南)●西岡(1敗)、村上雅、松原、中山-野村 阪急が初回、2回で7点を挙げ、南海先発の西岡をKO、あっけなく試合を決めた。その後も攻撃の手を緩めず、6回には大橋穣の3ラン、8回にも住友の本塁打などで3点を挙げ、大量13点を奪った。大橋は計6打点の活躍。米田は3回の佐野嘉幸の本塁打による1点に抑え、完投。 第5戦10月24日 西宮 観衆17000人
(南)山内、○佐藤(2勝)、江本-野村 南海・山内、阪急・山田の息詰まる投手戦。阪急はリードオフマンの福本が3出塁3盗塁と再三チャンスを作ったが得点できず。均衡を破ったのは9回表2死無走者からのウィリー・スミスの本塁打だった。山田は次打者のベテラン・広瀬叔功にも連続本塁打を浴び、結局この2点目が重くのしかかることになった。9回裏の阪急もやはり2死から代打・当銀秀崇がここまで好救援の佐藤から本塁打を放ち1点差に詰め寄るが、南海はここで江本を投入。代打・高井保弘から三振を奪って後続を絶ち、7年ぶりのパ・リーグ優勝を決めた。これが南海ホークスとして最後の優勝となった。 表彰選手テレビ・ラジオ放送テレビ中継
ラジオ中継
脚注出典
関連項目
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