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1974年のパシフィック・リーグプレーオフ

1974年のパシフィック・リーグプレーオフ
ゲームデータ
優勝 ロッテオリオンズ
4年ぶりのリーグ優勝
MVP 村田兆治
優勝チーム監督 金田正一
進出 1974年の日本シリーズ
プレーオフ
開催日程 10月5日 - 9日
球場 阪急西宮球場(第1-2戦)
県営宮城球場(第3戦)
勝利チーム ロッテオリオンズ
対戦相手 阪急ブレーブス
勝敗 3勝
前期・後期優勝チーム
前期優勝 阪急ブレーブス36勝23敗6分 勝率 .600
後期優勝 ロッテオリオンズ38勝23敗4分 勝率 .615
 < 19731975 > 
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1974年のパシフィック・リーグプレーオフは、1974年10月にプロ野球パシフィック・リーグの前期優勝チームと後期優勝チームの2球団で行われたプレーオフである。

概要

前期優勝の上田利治監督率いる阪急ブレーブスと後期優勝の金田正一監督率いるロッテオリオンズとの対戦で行われ、ロッテが3連勝で阪急を破り4年ぶり、前身の毎日・大毎時代を含め4度目のリーグ優勝を果たした。

試合結果

1974年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月5日(土) 第1戦 ロッテオリオンズ 3 - 2 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
10月6日(日) 第2戦 ロッテオリオンズ 8 - 3 阪急ブレーブス
10月7日(月) 移動日
10月8日(火) 第3戦 雨天中止 県営宮城球場
10月9日(水) 阪急ブレーブス 0 - 4 ロッテオリオンズ
年間優勝:ロッテオリオンズ

第1戦

10月5日 西宮 観衆20000人

ロッテ 1 1 0 1 0 0 0 0 0 3
阪急 0 0 0 1 0 0 1 0 0 2

(ロ)木樽八木沢三井、○水谷(1勝)、S村田(1S)、-村上
(急)●足立(1敗)、戸田オースチン竹村中沢種茂

ロッテは初回、得津高宏の適時打で先制。2回と4回には有藤通世が連続適時打で追加点を挙げた。阪急も4回に長池徳二、7回に福本豊の適時打で1点差に追い上げたが、8回2死から登板した村田兆治が1人の走者も許さずぴしゃりと抑え、ロッテが先勝した。

第2戦

10月6日 西宮 観衆32000人

ロッテ 5 0 1 1 0 0 1 0 0 8
阪急 0 0 0 1 0 0 2 0 0 3

(ロ)○金田留(1勝)、成田-村上
(急)●水谷(1敗)、戸田、宮本、竹村-中沢
本塁打
(ロ)山崎1号ソロ(3回戸田)

初回、ロッテが5安打を集中して5点を先制。3回には山崎裕之のソロ本塁打、4回もやはり山崎のタイムリーで追加点。阪急は4回に長池の本塁打、7回に住友平中沢伸二の連続タイムリーで3点を返したものの序盤の失点が大きすぎた。

第3戦

10月9日 宮城 観衆20000人

阪急 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ロッテ 0 0 2 0 0 0 0 2 X 4

(急)●米田(1敗)、山田-種茂、河村
(ロ)○村田(1勝)-村上
本塁打
(ロ)得津1号2ラン(8回山田)

ロッテは3回、エラーと死球で作ったチャンスで、得津のセカンドゴロの間に村田が生還して先制。さらにジム・ラフィーバーのタイムリーで加点。8回、得津の2ランでダメ押しした。村田は阪急打線に付け入るすきを与えず3安打完封。ロッテが3連勝でパ・リーグ優勝を決めた。

なお、リーグ優勝したロッテは当時宮城球場を暫定本拠地としプレーオフは同球場で行われたが、日本シリーズは施設上の問題から後楽園球場で行われた。

翌年度からパ・リーグは指名打者制を導入したため、パ・リーグチーム同士の対戦で、両チーム共に9人制が使われた試合はこの試合で最後となった[1][2]

表彰選手

テレビ・ラジオ放送

テレビ中継

解説吉田義男 ゲスト解説:西本幸雄 
  • 第2戦:10月6日
    • 関西テレビ≪フジテレビ系列≫
解説:吉田義男
実況:金子勝彦(12ch) 解説:大島信雄(12ch)、森徹(12ch)
※宮城県では東京12chの純系列局はないため、在仙局による番組販売(当時3局)による放送のみ(どの局が放送したかは不明)。
番組販売扱いで毎日放送(当時NETテレビ系列)・中国放送TBS系列)などにネットされた。 

ラジオ中継

脚注

  1. ^ 片方のチームがDHを使わなかった事例は複数例存在する。指名打者を使用しなかった事例も参照。
  2. ^ パ・リーグに指名打者制が導入されても、日本シリーズでは1985年を除いた86年までの全試合で引き続き9人制が用いられた。 1987年からはパ・リーグ主催試合は指名打者制になった。

関連項目

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