1979年のパシフィック・リーグプレーオフ
1979年のパシフィック・リーグプレーオフは、1979年10月にプロ野球パシフィック・リーグの前期優勝チームと後期優勝チームの2球団で行われたプレーオフである。前年は阪急ブレーブスが前期・後期とも制したため、プレーオフの実施は2年ぶりとなった。 概要前期優勝の西本幸雄監督率いる近鉄バファローズと後期優勝の梶本隆夫監督率いる阪急ブレーブスとの対決となった。この年は前期が優勝近鉄・2位阪急、後期が優勝阪急・2位近鉄であり、まさに雌雄を決する天王山となったが、近鉄が3連勝で球団創立30年目の初優勝を果たした。阪急と同様、西本監督が弱小球団を一から育て上げて勝ち取った優勝だった。梶本は西本が阪急監督時代に選手を務めており、「師弟対決」でもあった。 近鉄は当時、本拠地の藤井寺球場にナイター設備がなく、日本生命球場も収容人数が約20,500人と両球場とも施設上の問題があったことから、南海の専用球場であった大阪球場を間借りして開催した。[1] 試合結果
第1戦10月13日 大阪 観衆25000人
(急)●山田(1敗)-中沢、笹本 近鉄は4回、永尾泰憲の三塁打と梨田昌崇の犠牲フライで2点先制。5回チャーリー・マニエルのタイムリー、7回小川亨の本塁打で着実に加点。近鉄先発の井本隆は7回まで無失点の好投。8回1点を失い、なおも1死満塁のピンチを迎えるが、ここで井本をリリーフした山口哲治が島谷金二を併殺打に仕留めピンチをしのぎ、近鉄が逃げ切った。 第2戦10月14日 大阪 観衆32000人
(急)●白石(1敗)、山口、永本-中沢、笹本 1-1で迎えた5回、小川が2試合連続の本塁打で近鉄が勝ち越し。さらに有田修三が3ランを放ち、点差を広げた。阪急は8回、高井保弘の2点タイムリーで追い上げたが、昨日に続き山口が好リリーフ。その裏、平野光泰がダメ押しの2ランを放ち、近鉄が連勝した。 第3戦10月16日 西宮 観衆22000人
(近)村田、○山口(1勝)-有田修、梨田 近鉄は3回に無死1、3塁から永尾泰憲の併殺打の間に3塁走者が生還し先制するが、阪急は6回裏に福本豊のソロ本塁打で同点。試合はプレーオフ史上初の延長戦へ突入。10回表、近鉄は梨田の安打、投手稲葉光雄の野選などで1死満塁のチャンスをつかむと、阪急は力投の稲葉から山田に交代。2死後、小川の強い当たりをショート井上修がはじき、この間に梨田が生還し勝ち越し。7回途中から登板し3連投となった山口はその裏、2死2塁のピンチを迎えるが、最後は簑田浩二を空振り三振に仕留め、近鉄がストレートで初優勝を決めた。近鉄ナインはその後日生球場に移動し、ファン公開の形で祝勝会をおこなった。 表彰選手テレビ・ラジオ放送テレビ中継
ラジオ中継脚注関連項目
|