1956年のF1世界選手権(1956ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第7回大会である[1]。1月22日のアルゼンチンで開幕し、9月2日のイタリアにおける最終戦まで全8戦で争われた。ファン・マヌエル・ファンジオが3連覇、自身4度目のタイトルを獲得した。
シーズン概要
メルセデス・ベンツが撤退し、ファンジオはタイトルと共にフェラーリに移籍した。フェラーリはランチア・D50を入手し、ファンジオ、エウジェニオ・カステロッティ、ルイジ・ムッソ、ピーター・コリンズのラインナップで強力なチームを作り上げた。開幕戦でファンジオは自身の車が故障した後、ムッソの車を借りてこのレースに勝利した。コリンズと、ファンジオのメルセデス時代のチームメイトでありマセラティをドライブするスターリング・モスが、ファンジオのタイトル防衛に立ちはだかり、それぞれ2勝を挙げた。シーズン序盤、イギリスのコンノート、ヴァンウォール、BRMもそのポテンシャルを示した。
最終戦、ファンジオはコリンズと、マセラティを駆るジャン・ベーラに対して8ポイントの差を付けてリードしていた。コリンズ及びベーラがファステストラップで優勝しない限り、ファンジオのタイトルは確実なものとなっていた。ファンジオとベーラがリタイアし、ムッソは自分の車をファンジオに貸し与えることを望まなかったため、コリンズにとってタイトル獲得のチャンスが与えられた。しかしながらコリンズは、ファンジオに自らの車を貸し与え、最終戦を2位、シーズンランキング3位で終えた。
開催地及び勝者
エントリーリスト
チーム
|
コンストラクター
|
シャシー
|
エンジン
|
タイヤ
|
ドライバー
|
出場ラウンド
|
オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
P
|
スターリング・モス
|
1-2, 4-8
|
ジャン・ベーラ
|
1-2, 4-8
|
カルロス・メンディテギー
|
1
|
チコ・ランディ
|
1
|
ジェリーノ・ジェリーニ
|
1
|
フロイラン・ゴンザレス
|
1
|
チェーザレ・ペルディーサ
|
2, 4-7
|
パコ・ゴディア
|
4-8
|
ピエロ・タルッフィ
|
5
|
ウンベルト・マグリオーリ
|
7-8
|
ルイジ・ヴィッロレージ
|
8
|
ヨアキム・ボニエ
|
8
|
ルイジ・ピオッティ
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
P
|
ルイジ・ピオッティ
|
1, 7-8
|
ルイジ・ヴィッロレージ
|
5-7
|
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
P
|
マイク・ホーソーン
|
1, 4 2, 6
|
BRM
|
P25
|
BRM L4
|
D
|
トニー・ブルックス
|
2, 4-6
|
ロン・フロックハート
|
6
|
アルベルト・ウリア
|
マセラティ
|
A6GCM
|
マセラティ L6
|
P
|
アルベルト・ウリア
|
1
|
オスカル・ゴンザレス
|
1
|
エキップ・ゴルディーニ
|
ゴルディーニ
|
T16 T32
|
ゴルディーニ L6 ゴルディーニ L4 ゴルディーニ L8
|
E
|
ロベール・マンヅォン
|
1-2, 5-8
|
エリー・バイヨル
|
1-2
|
アンドレ・ピレット
|
2, 5, 7
|
ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス
|
2, 5-6, 8
|
アンドレ・ミロー
|
7
|
アンドレ・シモン
|
8
|
スクーデリア・フェラーリ
|
フェラーリ
|
D50 555
|
フェラーリ V8 フェラーリ L4
|
E
P
|
ファン・マヌエル・ファンジオ
|
1-2, 4-8
|
エウジェニオ・カステロッティ
|
1-2, 4-8
|
ルイジ・ムッソ
|
1-2, 7-8
|
ピーター・コリンズ
|
1-2, 4-8
|
オリヴィエ・ジャンドビアン
|
1, 5-6
|
ポール・フレール
|
4
|
アンドレ・ピレット
|
4
|
アルフォンソ・デ・ポルターゴ
|
5-8
|
ヴォルフガング・フォン・トリップス
|
8
|
エキュリー・ロジェ
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
P
|
ルイ・ロジェ
|
2, 4-8
|
ヴァンダーヴェル・プロダクツ・リミテッド
|
ヴァンウォール
|
VW2
|
ヴァンウォール L4
|
P
|
モーリス・トランティニアン
|
2, 4, 6, 8
|
ハリー・シェル
|
2, 4-6, 8
|
マイク・ホーソーン
|
5
|
コーリン・チャップマン
|
5
|
フロイラン・ゴンザレス
|
6
|
ピエロ・タルッフィ
|
8
|
グールズ・ガレージ
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
D
|
ホレース・グールド
|
2, 4-8
|
スクーデリア・セントロ・スッド
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
P
|
ルイ・シロン
|
2
|
ルイジ・ヴィッロレージ
|
4
|
オットリーノ・フォロンテリオ
|
6
|
ハリー・シェル
|
7
|
トゥーロ・デ・グラッフェンリート
|
8
|
フェラーリ
|
500
|
フェラーリ L4
|
ジョルジオ・スカルラッティ
|
2, 7
|
ピエロ・スコッティ
|
コンノート
|
B
|
アルタL4
|
P
|
ピエロ・スコッティ
|
4-5
|
オートモビルズ・ブガッティ
|
ブガッティ
|
T251
|
ブガッティ L8
|
E
|
モーリス・トランティニアン
|
5
|
アンドレ・シモン
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
P
|
アンドレ・シモン
|
5
|
スクーデリア・ガステラ
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
P
|
ウンベルト・マグリオーリ
|
6
|
ジェリーノ・ジェリーニ
|
8
|
コンノート・エンジニアリング
|
コンノート
|
B
|
アルタL4
|
P
A
|
アーチー・スコット=ブラウン
|
6, 8
|
デズモンド・ティタリントン
|
6
|
ジャック・フェアーマン
|
6, 8
|
マイク・オリバー
|
6
|
レス・レストン
|
8
|
ロン・フロックハート
|
8
|
ボブ・ジェラード
|
クーパー
|
T23
|
ブリストル L6
|
D
|
ボブ・ジェラード
|
6
|
ギルビー・エンジニアリング
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
D
|
ロイ・サルヴァドーリ
|
6-8
|
ブルース・ハルフォード
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
D
|
ブルース・ハルフォード
|
6-8
|
ジャック・ブラバム
|
マセラティ
|
250F
|
マセラティ L6
|
D
|
ジャック・ブラバム
|
6
|
エメリソン・カーズ
|
エメリソン
|
56
|
アルタL4
|
D
|
ポール・エメリー
|
6
|
オットリーノ・フォロンテリオ
|
マセラティ
|
A6GCM
|
マセラティ L6
|
P
|
オットリーノ・フォロンテリオ
|
7
|
1956年のドライバーズランキング
ポイントは1位から順に5位まで 8-6-4-3-2 が与えられた。ファステストラップを記録したドライバーにもポイントが与えられた。ベスト5戦がポイントランキングに数えられた。
|
色 |
結果
|
金色 |
勝者
|
銀色 |
2位
|
銅色 |
3位
|
緑 |
ポイント獲得
|
青
|
完走
|
† 完走扱い(全周回数の90%以上走行)
|
規定周回数不足(NC)
|
紫 |
リタイア(Ret)
|
赤
|
予選不通過(DNQ)
|
予備予選不通過(DNPQ)
|
黒 |
失格(DSQ)
|
白
|
スタートせず(DNS)
|
レース中止(C)
|
水色
|
プラクティスのみ(PO)
|
金曜日テストドライバー(TD) 2003年以降
|
空欄
|
プラクティス出走せず(DNP)
|
除外 (EX)
|
到着せず (DNA)
|
欠場 (WD)
|
|
- 斜体:ファステストラップ (1ポイントが与えられた。同タイムのドライバーがいた場合平等に割り当てられた。)
- 太字:ポールポジション
- †:順位は同じ車両を使用したドライバーに配分された。
- ベスト5戦のみがポイントランキングに数えられた。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
ノンタイトル戦結果
参照
- ^ FIA Yearbook, 1974, page 119
外部リンク
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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