福西崇史 |
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YouTube |
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チャンネル |
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活動期間 |
2020年3月7日 - |
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ジャンル |
サッカー |
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登録者数 |
約2.16万人 |
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総再生回数 |
約241万回 |
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チャンネル登録者数・総再生回数は 000000002020-07-16-00002020年7月16日時点。 | テンプレートを表示 |
福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロサッカー選手、スポーツ科学者、サッカー指導者、NHKサッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。元日本代表。サムデイ所属。学位は修士(スポーツ科学)(早稲田大学・2023年)[5]。
日韓、ドイツワールドカップ日本代表メンバー。
来歴
新居浜市立神郷小学校、新居浜市立川東中学校、新居浜工業高校卒業。
プロ入り以前
小学校4年生の時、地元のサッカースクールでサッカーを始めた[6]。また、中学生の頃までは並行して器械体操に取り組んでおり、ここで養われたバランス感覚[7][8] や跳躍力、柔軟性が後にサッカーに活かされることになっていると自身で分析している[9]。
1992年、高校へ進学。当時のポジションはフォワード(FW)だった[10]。高校3年時の1994年に、高校総体に1度出場したものの結果を残せず、世代別代表にも選出されていなかったが[11]、総体県予選の準決勝で、対戦校(南宇和)の選手を視察しに訪れていた[12]ジュビロ磐田の石井知幸スカウトが福西に目を留めたことをきっかけに、プロ入りの機会を掴む[9]。
現役時代
1995年、高校卒業後ジュビロ磐田に入団。FWでの出場機会を得られずにいたところ[13]、ハンス・オフト監督からボランチでのプレーを勧められコンバートを決めた[14]。同ポジションのドゥンガの熱血指導を受けつつ[15][10]、同年8月には早くもトップデビュー。スピードや運動量を不得手とする福西にとって[16]、足の遅さをポジショニングや判断の良さで補うドゥンガのプレーは格好の手本となり[16]、以後、主軸選手として、磐田の黄金期を支えた[7]。一方で、プロフェッショナルファウルを厭わない[8]激しいプレーを身上としたため[11]、審判からは警戒されることになった[11]。
2000年に就任したハジェヴスキー監督は、福西をリベロに配し、しばしば守備システムのバランスを崩してしまっていたが、福西自身の守備センスはこのポジションの経験によって磨かれた。
2005年のJ1開幕戦、対横浜F・マリノス戦(日産スタジアム)では試合終了間際に決勝点を挙げたが[17]、競り合いの中で福西の右手にボールが当たってからの[注 1]ゴールだったことから神の手ゴールとして報じられた[20]。
2006年末に翌シーズンに向けての契約交渉に臨んだ際、若手をまとめるリーダーとしての役割を十分には果たせていなかったという評価から減俸提示を受け[21][1]、加えて、黄金期の磐田のサッカーを理想とし「リアクションではないサッカーがしたい」福西と[22]、アジウソン監督との戦術面での相違[1]が重なったことから交渉が決裂し磐田退団を決意。名古屋グランパス、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原・千葉、FC東京からオファーを受け争奪となった[21]。
2007年、FC東京へ完全移籍[23][24]。同年の選手編成発表[25] 以後の移籍だったため背番号に空きが無く[15]、馴染みの無い37番を付けることになった(23番は梶山陽平が着用)。自身にとって初めての移籍であり、フィットするまでには多少の時間を要したが、結果としてオフ・ザ・ボールの動きの量を高めることになり、プレーの幅を広げた[26]。梶山との併用もあり[27] ボランチだけでなくトップ下でも力を発揮[28]。技術や経験、精神面での貢献は評価されていたものの、高年俸がネックとなり[28]、1シーズン限りで退団した。
首都圏でのプレーを希望し[29]、2008年より東京ヴェルディへ完全移籍[30][31]。ここでも主力として起用されたが、クラブの経営悪化の煽りを受け[32] 1年での契約非更新が発表された。その後行われたJ1第34節川崎フロンターレ戦(味の素スタジアム)では、前半26分、川崎側のコーナーキックのこぼれ球をクリアした際に福西の左腕が寺田周平に当たってしまい、これが主審の岡田正義に乱暴な行為とみなされ一発退場となった。その後福西は処分[注 2]を受け[34][35] これが東京Vでのラストプレーとなり[36]、クラブはJ2降格を喫した[10]。
現役続行に意欲を持ち[37]、地元愛媛県のJ2・愛媛FCからオファーを受けたものの、条件面での不一致や[37] J1へのこだわりから[10] 合意には至らず、現役を引退した。
日本代表
2002年、日韓ワールドカップのメンバーに選出され、第2戦のロシア戦に出場[38]。短時間の出場ながら[38]、愛媛県出身者としては初のワールドカップ出場であり、大会終了後には同県から「文化・スポーツ賞」を贈られた[39]。
ジーコ監督率いる日本代表チームでは、稲本潤一の負傷離脱をきっかけに激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り[40]、危機察知力と競り合いの強さを発揮[9]。中盤のバランサーとして[41] 重用された。ボランチの一角には中田英寿が定着したが、果敢にボールを奪いに行くことを要求する中田と、中盤のスペース管理を優先する福西との間で[16]ぶつかる場面もあった[42]。
2006年、2度目となるドイツワールドカップでは2試合に先発出場した[4]。ジーコの後任を担ったイビチャ・オシムはこの時の日本代表について、中盤での守備を担う選手が不足しているとして「水を運ぶ選手も必要だ。福西1人で水が運べるのか」と評している[43]。福西自身は後年、磐田と代表とでは意識的にプレーを変え、ボール奪取やバランスを取る役割をこなしていたと語る[36]。
現役引退後
2009年1月に現役引退を表明[1]。ドイツワールドカップ日本代表では中田英寿に次いで2人目の引退となった。
5月、JFAアンバサダーに就任[44]。同年末には、公式戦500試合出場を達成した選手として[45] Jリーグから功労選手賞として表彰された。
2009年はスカパー!のサッカー中継に解説者として出演し、NHKのJリーグタイムにもゲスト解説者扱いでたびたび出演した。2010年元日のNHKの天皇杯中継に出演し、2010年より木村和司の後任としてNHKの解説者として活動することが発表された。2012年ロンドンオリンピックではジャパンコンソーシアムの解説者として男女サッカーを担当。
2013年、A級ジェネラルコーチライセンスを受講、2014年に取得[46]。
2014年3月にオーストラリアで行われたAFCアジアカップ2015の組み合わせ抽選会にドロワーとして参加した。
2016年3月、Jリーグの特任理事に就任[47]。同年11月、JFA公認S級コーチの資格を取得した[48]。
南葛SC
2018年8月22日、東京都社会人サッカーリーグ1部の南葛SCへの入団が発表され、現役復帰を果たした[49]。同年12月24日、南葛SCの監督に就任すると発表された[50]。
2019年11月、退任が発表された[51]。
退任後
「サッカースクールSKY」での指導を行っている[52]。
人物
家族
- 息子が2人。家族をとても大切にしており、本人も「趣味は家族サービス」と公言している[53]。
嗜好
交友関係
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
1995 |
磐田 |
- |
J |
10 |
1 |
- |
0 |
0 |
10 |
1
|
1996 |
27 |
2 |
10 |
0 |
1 |
1 |
38 |
3
|
1997 |
23 |
21 |
4 |
6 |
1 |
3 |
1 |
30 |
6
|
1998 |
22 |
2 |
5 |
1 |
3 |
0 |
30 |
3
|
1999 |
J1 |
27 |
10 |
3 |
1 |
0 |
0 |
30 |
11
|
2000 |
27 |
5 |
4 |
0 |
3 |
0 |
34 |
5
|
2001 |
29 |
4 |
7 |
0 |
2 |
0 |
38 |
4
|
2002 |
28 |
5 |
1 |
0 |
3 |
0 |
32 |
5
|
2003 |
26 |
5 |
8 |
0 |
0 |
0 |
34 |
5
|
2004 |
26 |
6 |
0 |
0 |
5 |
0 |
31 |
6
|
2005 |
23 |
2 |
1 |
0 |
2 |
1 |
26 |
3
|
2006 |
26 |
7 |
1 |
0 |
3 |
1 |
30 |
8
|
2007 |
FC東京 |
37 |
28 |
6 |
6 |
1 |
0 |
0 |
34 |
7
|
2008 |
東京V |
23 |
29 |
3 |
5 |
0 |
1 |
0 |
35 |
3
|
2018 |
南葛SC |
33 |
東京都1部 |
- |
- |
- |
0 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
349 |
62 |
57 |
4 |
26 |
4 |
432 |
70
|
総通算
|
349 |
62 |
57 |
4 |
26 |
4 |
432 |
70
|
その他の公式戦
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2003年
- 2004年
- 2018年
- その他の国際公式戦
- 出場歴
代表歴
出場大会など
- 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会
- 2002年 FIFAワールドカップ 韓国・日本大会
- 2003年 東アジア選手権 日本大会
- 2004年 AFCアジアカップ 中国大会
- 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ ドイツ大会
- 2005年 東アジア選手権 韓国大会
- 2006年 FIFAワールドカップ ドイツ大会
試合数
- 国際Aマッチ 64試合 7得点 (1999年 - 2006年)[53][4]
出場
ゴール
指導歴
個人タイトル
- その他
出演
書籍
著書
関連書籍
DVD
- 福西崇史DVDバイオグラフィー (2006年5月26日)
- 23ボランチ (2010年10月24日)
- 福西崇史のサッカー上達法「PROGRESS METHOD」
ゲームソフト
脚注
- 注釈
- ^ 当時のルールでは、ボールを意図的に手で扱った場合にはファウルとなるが、福西からはボールの軌跡が見えておらず、競り合ってバランスを崩していたので、この場合には当たらないとされた[18][19]。
- ^ 当時東京Vの監督だった柱谷哲二によると、その後、この試合で主審を務めた岡田正義からこの判定は誤審だったとの謝罪があったという[33]。
- 出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、 福西崇史に関連するカテゴリがあります。
- 福西崇史の「考えるサッカー」公式ブログ
- 福西崇史 𝐓𝐚𝐤𝐚𝐬𝐡𝐢 𝐅𝐮𝐤𝐮𝐧𝐢𝐬𝐡𝐢 (@fukunishi_t) - X(旧Twitter)(2017年5月 - )
- 福西崇史 Takashi Fukunishi (@takashi_fukunishi) - Instagram
- 公式プロフィール - サムデイ
- 福西 崇史 サッカースクールSKY
- 【公式】福西崇史福ちゃんねる - YouTubeチャンネル
- 福西崇史 - National-Football-Teams.com (英語)
- 福西崇史 - Soccerway.com (英語)
- 福西崇史 - FootballDatabase.eu (英語)
- 福西崇史 - WorldFootball.net (英語)
- 福西崇史 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 福西崇史 - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- 福西崇史 - FIFA主催大会成績 (英語)
- 福西崇史 - J.League Data Siteによる選手データ
- 福西崇史 - playmakerstats.com (英語)
- プロフィール (2006年) - ウェイバックマシン(2006年12月12日アーカイブ分) - ジュビロ磐田
- プロフィール (2007年) - ウェイバックマシン(2007年12月26日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2008年) - ウェイバックマシン(2008年12月19日アーカイブ分) - 東京ヴェルディ
- 連載 福西崇史 ビルドアップ - 朝日新聞デジタル
- 連載 福西崇史 親子で一緒に学べる!! プチトレ - サカママ
- 有名人スポーツワンポイント講座 - JS日本の学校 (2010年1月)
- 福西崇史が語る「ジュビロ黄金期の真実」 (1/3) , (2/3) , (3/3) - スポルティーバ (2013年10月13日)
- 福西崇史が回想する06年W杯「ヒデとの口論はただの意見交換。マスコミが喧嘩って書いただけ」(1/6) , (2/6) , (3/6) , (4/6) , (5/6) , (6/6) - フットボールチャンネル (2014年6月11日)
- 元日本代表MF・福西崇史のもっと楽しめるサッカー観戦 5つの秘策 初級者編 (1/3) , (2/3) , (3/3) - All About FOOTBALL
- 元日本代表MF・福西崇史のもっと楽しめるサッカー観戦 5つの秘策 中級者編 (1/3) , (2/3) , (3/3) - All About FOOTBALL
タイトル・受賞歴 |
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J1 |
1990年代 |
- 93: サントス, 本田泰人, ラモス瑠偉
- 94: 柱谷哲二, 北澤豪, ラモス瑠偉, ベッチーニョ
- 95: 柱谷哲二, ビスマルク
- 96: ジョルジーニョ, 前園真聖, 山口素弘, 名波浩
- 97: ビスマルク, 中田英寿, 山口素弘, 名波浩
- 98: 小野伸二, 奥大介, 藤田俊哉, 名波浩, ドゥンガ
- 99: 中村俊輔, アレックス, 伊東輝悦, 澤登正朗, 福西崇史
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2000年代 |
- 00: 明神智和, 中村俊輔, 稲本潤一, 森島寛晃
- 01: 小笠原満男, 福西崇史, 藤田俊哉, 服部年宏, 中田浩二
- 02: 小笠原満男, 福西崇史, 藤田俊哉, 名波浩
- 03: 小笠原満男, 福西崇史, 奥大介, 遠藤保仁
- 04: 小笠原満男, 長谷部誠, 奥大介, 遠藤保仁
- 05: 小笠原満男, 阿部勇樹, フェルナンジーニョ, 遠藤保仁, 古橋達弥
- 06: 鈴木啓太, 阿部勇樹, 中村憲剛, 谷口博之, 遠藤保仁
- 07: 阿部勇樹, 鈴木啓太, ポンテ, 中村憲剛, 遠藤保仁
- 08: 中村憲剛, 小川佳純, 遠藤保仁
- 09: 小笠原満男, 石川直宏, 中村憲剛, 遠藤保仁
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2010年代 |
- 10: 中村憲剛, マルシオ・リシャルデス, 藤本淳吾, ダニルソン, 遠藤保仁
- 11: ジョルジ・ワグネル, レアンドロ・ドミンゲス, 藤本淳吾, 遠藤保仁, 清武弘嗣
- 12: レアンドロ・ドミンゲス, 遠藤保仁, 青山敏弘, 髙萩洋次郎
- 13: 中村俊輔, 山口螢, 柿谷曜一朗, 青山敏弘
- 14: 柴崎岳, 武藤嘉紀, レオ・シルバ, 遠藤保仁
- 15: 金崎夢生, 遠藤保仁, 青山敏弘
- 16: 阿部勇樹, 柏木陽介, 中村憲剛, 齋藤学
- 17: 中村憲剛, 井手口陽介, 山口蛍
- 18: チャナティップ, 家長昭博, 大島僚太, 中村憲剛
- 19: 橋本拳人, 喜田拓也, アンドレス・イニエスタ
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2020年代 |
- 20: 家長昭博, 田中碧, 守田英正, 三笘薫
- 21: 家長昭博, 脇坂泰斗, アンドレス・イニエスタ, 稲垣祥
- 22: 家長昭博, 水沼宏太, 脇坂泰斗
- 23: 伊藤敦樹, 脇坂泰斗, 山口蛍
- 24: マテウス・サヴィオ
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J2 |
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J3 |
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ベストイレブン(GK - DF - MF - FW) - JCB |
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※記述のない年は該当者なし | 1990年代 | |
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2000年代 |
- 00: 松永成立
- 01: ストイコビッチ
- 02: サントス
- 03: 井原正巳, 福田正博, 北澤豪
- 05: ビスマルク
- 06: 相馬直樹, 小島伸幸, 澤登正朗
- 07: 本田泰人, アマラオ, 城彰二
- 08: 秋田豊, 名良橋晃, 黒崎久志, 山口素弘
- 09: 小村徳男, 加藤望, 名波浩, 福西崇史, 森岡隆三, 森島寛晃
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2010年代 |
- 11: 三浦淳宏, 松田直樹
- 12: 藤田俊哉, 田中誠
- 13: 中山雅史, 土肥洋一, 服部公太
- 14: 伊藤宏樹, 岡野雅行, ジュニーニョ, 服部年宏, 波戸康広, 山田暢久, 吉田孝行, ルーカス
- 15: 宮本恒靖, 柳沢敦, 中田浩二, 新井場徹, 藤本主税
- 16: 山口智, 鈴木啓太
- 17: 市川大祐, 大島秀夫
- 18: 石原克哉, 加地亮, 坂田大輔, 土屋征夫, 羽生直剛
- 19: 小笠原満男, 川口能活, 中澤佑二, 楢﨑正剛, 播戸竜二, 巻誠一郎, 森﨑和幸, アレックス
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2020年代 |
- 20: 佐藤勇人, 那須大亮, 明神智和
- 21: 大黒将志, 佐藤寿人, 清水健太, 曽ヶ端準, 徳永悠平, 中村憲剛, 前田遼一
- 22: 青木剛, 阿部勇樹, 石原直樹, 大久保嘉人, 角田誠, 小林祐三, 高橋義希, 田中達也, 田中マルクス闘莉王, 田中佑昌, 玉田圭司, 谷澤達也
- 23: 上里一将, 大谷秀和, 駒野友一, 田中隼磨, 鄭大世, 富田晋伍, 中村俊輔, 橋本英郎, 藤本淳吾, 槙野智章, 水本裕貴, 本山雅志, 赤嶺真吾
- 24: 遠藤保仁, 柏木陽介, 柴﨑晃誠, 林卓人, 南雄太, 梁勇基, 渡邉千真
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Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞) |
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