濱津隆之
濱津 隆之(はまつ たかゆき、1981年8月25日[2][3] - )は、日本の俳優。埼玉県川口市出身[4][5]。東京都在住[6]。アニモプロデュース所属[3]。 経歴昔から人を笑わせることが好きで、中学時代は卓球部に所属しながら友人とコントの真似事をよくやっていた[6]。高校時代は弓道を経験[6]。東洋学園大学(千葉・流山キャンパス)[5]に在籍した4年間は学園祭のステージ上で行う企画を考える[6]学園祭運営局企画班に所属[4][7]。当日のステージでは司会進行を務めたり、ゲストに呼んだテツandトモやエスパー伊東などといったお笑い芸人のパフォーマンスを目の当たりにした[4][6]。卒業まで進路は特に考えていなかったが[6]、漠然と音楽か芸能の道で食べていきたい思いもあり、大学卒業後はこれらの経験からお笑いの道を進むことに決める[4][5]。 大学卒業後は居酒屋で1年間アルバイトして資金を貯め[4]、2005年に吉本興業のタレント養成所・NSC東京校に11期生として入所[8]。同期の木場光勇とお笑いコンビ「はまつとコバ」を結成。濱津はボケを担当し「変な人と出くわして困る人」といった内容のコントを行っていた[4]。NSC東京校在学中は講師の永峰明の選抜クラス(集中講義を受けるクラス)に在籍[9]。同期のシソンヌ・じろうによると、垢抜けない見た目の濱津とかっこいい見た目の木場のコンビのバランスが良いと評価されていたという[9]。同期の中ではトップクラスの成績だったようで[10]、お笑いライブにも幾度か出演していた[11]。しかし、音楽への興味も捨てきれず、NSC東京卒業後は濱津から一方的なコンビ解散を申し入れ[10]、1年を待たずして芸人を辞めてしまう[4][7][12][13]。 芸人から身を引いたあとはヒップホップのかっこよさに衝撃を受け[6]、DJへの転身を決意。DJを目指したきっかけとして、大学時代にブレイクダンスの練習で負傷した際にダンサーの後ろでレコードを回すDJの存在を知ったことから[14]であるが、この時点で濱津はクラブに訪れた経験はなかった[4]。DJ募集中のクラブイベントへいくつか連絡を取り、DJ.HAMAONE(ハマワン)という名前で活動を開始[4]。しかし、DJだけで暮らしていくことは難しく趣味の域を脱することができないと自覚し、DJ活動は次第に行わなくなる[注 1][4][12][13]。 芸能か音楽の世界にのみ興味があったため、DJ活動を辞める決意はするも一般企業への就職などは考えていなかった。芸人時代のコントの楽しさが頭をよぎるも、それでも一度挫折した芸人に再び戻るのは間違っているとの思いから、自分は役を演じることが好きなのではないかと認識し[4][5]、30歳を手前にした2011年より役者活動を開始する[15]。大手のエキストラ会社に登録し、その会社が運営する養成所へ通い、俳優としても名前を登録[5]。エキストラ等の仕事をこなしていたが、31歳の頃に養成所で知り合った先輩に誘われコメディの舞台に初出演[4]。これをきっかけにエキストラ会社を辞め[5][16]、役者を募集中の劇団を自ら探しながら、小劇場の舞台を中心に出演するフリーの役者として活動[4]。主に「ウンゲツィーファ」(元:栗☆兎ズ)や「野鳩」(2016年に解散)、「MCR」などの劇団の舞台に出演。特に「野鳩」では解散公演にも出演し[17][18]、同劇団の中心人物であった水谷圭一に誘われ、メンバー不定の演劇ユニット「ミズタニー」の一員としてテアトロコントにも幾度か出演している[19][20]。後述の映像作品でのヒット後は、それまで役者活動の主体だった舞台での出演から遠ざかっていたが、2020年3月に舞台に復帰する際も「ミズタニー」の公演での出演となった[21][22]。 映像作品は過去に短編映画や学生映画に数本出演した程度だったが、2017年頃から舞台のみならず映像の世界にも意識を広げて活動するよう視野を広げ始める[2]。2015年に出演した監督&俳優養成スクール・ENBUゼミナールの舞台『アジェについて』で演出を務めた今泉力哉監督が参加する、同じくENBUゼミナールの映画製作企画・シネマプロジェクト第6弾(2016年)のオーディションは都合が合わず断念[4]。翌年の同企画第7弾に今泉の参加はなかったものの、「今後の自分を変えるきっかけになれば」「何かしら今後につながれば」という動機でオーディションに参加[12][23]。このオーディションで上田慎一郎監督より選抜され、映像作品の経験は浅いものの映画『カメラを止めるな!』の主演・日暮隆之役に抜擢[24]、穏やかな様と普段は演じない狂気に満ちた様を演じ分けた[25][26]。同映画は2017年11月のケイズシネマ(新宿)でのイベント上映ののち、2018年6月より劇場公開が行われたが、当初ケイズシネマとシネマ・ロサ(池袋)の2館での上映が340館以上に拡大するというインディーズ映画としては異例のヒットを記録した[27]。主演を務めた濱津の演技も評価され、選出時点で事務所無所属ながら第42回日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞する快挙を果たす[28]。その他には第28回東京スポーツ映画大賞では「無名の俳優がこの映画を歴史に残した」という好評から主演男優賞にノミネート[29](受賞はならず)、第28回日本映画批評家大賞では新人男優賞(南俊子賞)を受賞した[30][31]。 上記映画のヒット後もしばらくフリーランスでの活動期間が続いたが[32]、2019年2月よりアニモプロデュースに所属することが発表された[5]。所属した理由は「これは何かのご縁だな」という直感が働いたからであり、それがなければフリーランスのまま活動を続けるつもりだったという[33]。以降は映画のみならず、テレビドラマ出演の機会が増え始める。中でも同年7月から放送の日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』(TBS)ではキーパーソンとなる役を熱演し、インターネット上に称賛の声が躍った[34][35]。 2019年10月19日公開のアニメ映画『映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』で声優に初挑戦。宇宙人ハンター集団の1人で、屈強な体を武器に戦うメカ星人を演じた[36]。 2019年11月16日深夜放送の『〜ゲキテキ復活!〜何年ぶり?』(テレビ朝日)で、木場光勇とのお笑いコンビ「はまつとコバ」のコントネタを披露し、一夜限りだが約13年ぶりのコンビ復活となった[37]。 2020年1月より放送のドラマ25『絶メシロード』(テレビ東京)で、地上波連続ドラマ初主演[38]。車中泊をしながら実在する古い個人飲食店を巡る、しがない中年サラリーマン役を演じた[39][40]。ドラマの宣伝を兼ねて、2019年12月発売の車中泊レジャー専門誌『CarNeru(カーネル)』Vol.44 2020冬号の表紙を飾っている[41]。同ドラマは引き続き濱津を主演としてシリーズ化し、2022年8月からはシーズン2が放送[42]。 2022年9月より放送の5分間のミニ番組『ローモバチャレンジTV』(千葉テレビ)にて、番組MCに初挑戦[43][44]。同年11月には情報番組『スッキリ』の木曜日コーナー「SHOWCASE」の11月度マンスリーMCに抜擢され、俳優からは初めての起用となった[45]。 2023年5月3日に顔面神経麻痺を発症し、左顔面が動かなくなったため[46]、急遽、芸能活動を休止する。当時レギュラーキャストとして出演していた金曜ドラマ『ペンディングトレイン』は物語途中で辞退したため、不自然に登場しなくなる形になった[47]。8月中に同症状に関する通院が終了、10月時点では8割程度の状態まで回復しており、活動にも復帰している[48]。 人物・エピソード役者としての特徴・外見映画『カメラを止めるな!』出演以前はヒゲを剃っていることも多かったが、出演以降にヒゲを褒められる機会が多かったことから、役者をやる上でヒゲを生やした風貌を基本形にしているとインタビューで語っている[33]。しかし、他方ではそれ以降も時折剃りたくなることもあるようで[6]、役柄に応じヒゲを剃った姿での出演も増えている。同映画出演当時は歯並びの悪さも特徴的であり、麺類を噛み千切るのが困難だと濱津本人が語るほど[49]。歯科医の診断によると器具のみの矯正は不可能で、手術を要する重症とされた歯並びだった[49]。2019年、器具以外の手段で矯正を始め[6]、徐々に歯並びが改善され、フェイスラインもややシャープになっているが、3年半経った2023年現在は歯の裏側に器具をつけての矯正中である[50]。 30代後半の時点で、大きな子供をもつ40代程度の父親役といった実年齢以上の役に起用されることがあった。濱津自身はそうしたキャスティングをされるまで老け顔だという自覚はなかったという[51]。 映画監督の上田慎一郎は濱津の役者としての魅力について、口や目がもごもごと動き常に「顔がアクションしている」点や、テイクを重ねるごとにニュアンスの変わる不安定な芝居をするが、その濱津本人がそのまま出ている芝居っ気のない点を挙げている[52]。一方で、舞台で幾度か共演しているミズタニーの水谷圭一からは「ちゃんと整えれば同じ演技を何度でも出来る」とも評価されている[53]。濱津自身は「演技力がある」と実感したことは一度もないと語る[5]。当初は役所広司に憧れ[54]二枚目を目指すべきかと勘違いしていたが全くうまくいかず、無様でも自分らしさを大事にしようと考えを改めた[4]。役者として上手く演じることは諦め、自身の素を演技に持ち込み、役を自らのキャラクターに近付けて演じることで[5]、自身の良さが出ると感じている[6]。実際、力んだ演技よりも、普段通りの自分で挑んだ際に演技のワークショップでは評判が良かったという[7]。2021年公開の映画『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』では実在するスポーツ選手・原田雅彦役に抜擢[注 2]。監督の飯塚健には原田本人に似せた演技を要求され、実在人物という正解のある役を演じるプレッシャーと責任感は、他作品とは比にならなかったという。濱津は当時の原田の報道映像やインタビュー記事、自叙伝などを研究し役作りに励み、インタビュー内容もほぼ丸暗記した状態で撮影に臨んだ。同作主演の田中圭(西方仁也役)は「濱津さんの完コピぶりがすごい…!」と絶賛し、原田本人も「私、原田雅彦を演じていただき大変光栄です」「僭越ながら、濱津さまの演技により『西方との友情』や『チームとの絆』が素晴らしいものになっていると感じました」と謝意を示すなど、実在人物という難役の演技が評価された[55][56]。 2017年に参加したシネマプロジェクトでは、監督の上田は当初どんな映画を撮影するか未確定だった。最終的に『カメラを止めるな!』へ至った決め手は、濱津のプロジェクト参加が大きく[52]、濱津の「情けない感じ」が「頑張っている様子が滑稽で愛らしいキャラクター」を演じられると上田が見定めたことによる[24]。また、困り顔の良さも主役に起用した理由に挙げている[57]。 滑舌が悪いとされるが[58]、アニメ映画『映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』での声優初挑戦の際、濱津と同じくゲスト声優を務めた片桐仁から、アフレコで緊張していたその声がロボットの役にうまくはまっていたと、声質も評価されている[59]。 私生活・性格姉と兄がおり[4][60]、姉は「濱津節」名義でイラストレーターとしての活動を過去に行っていた[61][6]。2019年1月の東洋経済オンラインのインタビュー記事にて、両親は寛容で学生時代は特に成績のことなど指摘されなかったと語ったいるが、実際は「めたくそ言われました。学力0なので」と同年11月発売の『TV bros.』で述懐している[6]。芸人もDJも諦め役者を志した際も「人様に迷惑をかけなければ」とだけ言葉をかけられ、それ以外は自由だったと同インタビューで答えていたが[4]、それしか言いようがなかったんだと思うと『TV bros.』で補足している[6]。 2019年現在、一人暮らし[6]の独身であり[62][63]、大学時代から恋人はいない[4]。一人暮らしを始めてからは必要最低限のものだけで生活しており、不要なものは即捨てるという、いわゆるミニマリストである[64]。台本や写真等も処分しており、写真のデータも満足すると消去してしまうため、トーク番組等で過去の写真の用意を依頼されたときには「ないです」とすっぱり言っている[65]。 人を笑わせることや人前で何かをやることを好むため当初は芸人を目指すが、根は朴訥で人見知りな性格である[13]。少年時代はリトルリーグで補欠に甘んじ、勉強嫌いなど[6]決して目立つタイプではなかったが、仲間内ではお笑い担当であったという[4]。『カメラを止めるな!』で共演した真魚は、ほとんど話さない濱津を暗い人間だと思い込み、元芸人であることに驚いている[12]。なお、NSC東京校への入学時、進路として大雑把に芸能関係としていたが、お笑いに特別強い興味を抱いていたわけではなかった。NSC同期での座談会企画に参加した際には在学中の記憶がほとんどないという主旨の発言もしている。しかし、NSCでの様々なレッスンの経験が役者の道に進めた一因だと語っている[9]。 お笑い芸人、DJから役者という変遷を辿っているが「人前に立つ仕事がしたい」という思いは大学時代から変わっていない[4]。インタビューでは「生きることって、諦めることだと思うんです」と語っている。本当に叶えたいことを叶えるために諦めず挑戦するよりも、お笑い芸人やDJを諦めたように、心に従って諦めや削ぎ落とし、取捨選択する生き方が濱津自身の性に合っているという[7]。この「諦める」という考えは前述の演技のポリシーにも該当する。様々なものを諦めた上で遠回りして役者という仕事に辿り着いた経緯から、最初から役者になろうと決めて活躍できる人を羨ましくなることも多いという[33]。アルバイト等を含め、様々な経験を経て役者活動を行っているが、これらの経験は技術的な面では役になっていないと語っている[50]。 あまり話さず大人しくしている方だと自ら語る[60]。謙虚な人柄で[66]取材などを受ける際は非常に低姿勢で、インタビュー記事では「性善説の正しさを確信してしまうような“いい人オーラ”を放っている」「公務員のよう」「平凡な男」などと表現されたこともある[4][5]。映像制作ユニットのINDIEZは濱津の印象について「会って2秒でトリコになる」「嫌いになる人がいない。あの空気を纏える人は稀有」と表現している[67]。ウェブドラマで共演した俳優の神尾楓珠は「一見、気難しそうな感じがするんですけど、話をすると緩くて、ゆっくりした空気が流れるんです。濱津さんがいるだけで現場も和やかになりました」と共演を喜ぶコメントを出した[68]。テレビドラマで妻役を演じた女優の酒井若菜は「濱津さんの愛くるしさに癒やされ続けた撮影でした」と撮影を振り返っている[40]。 『カメラを止めるな!』の舞台挨拶の際、主演と自己紹介したところ周りから突っ込まれ、以降は主演であるとの発言は控えていた[6]。第28回日本映画批評家大賞の新人男優賞を同映画の主演として受賞した。授賞式の際には「文字通りみんなで作った、みんなの映画。主演と紹介されましたが、あの映画は誰がどうではなく、みんなで横一線で取り組んで撮った映画なので、みんなの代表として、ここに今、立たせてもらっている気持ちです」とコメントした[31]。 2018年の10月頃までアルバイトを続けながら役者活動を行っていた[7][33][69]。アルバイト以外出来ることはなかったため、役者活動開始時も金銭面で困窮することはなかった[4]。当初は漫画喫茶の厨房で働くも、『カメラを止めるな!』出演後もヒゲは剃りたくなかったため、ヒゲを許容してくれるアルバイトを探した結果、ラブホテルの風呂場清掃員として従事した[33][62][70]。昼は赤羽、深夜が渋谷と、ラブホテルのアルバイトを掛け持ちした結果、この時期は痩せてしまった[6]。 『カメラを止めるな!』の富川国際ファンタスティック映画祭(韓国)出品の際に初の海外渡航を経験[71]。その後はAsian Pop-Up Cinema season7に参加するため、濱津一人でシカゴにも赴いている[6][72]。 「経歴」節で前述の通り、2023年に顔面神経麻痺を発症し、一時活動を休止していた。発症から通院終了までの記録を自身のnoteにしたため[46]、麻痺の改善のために自身が試みたこともまとめている[73]。発症から約4か月で8割程度まで回復したが、体や顔が疲れたり冷えすぎたりすると今でも麻痺が発症した箇所は動きが鈍くなってしまう[73]。また、改善のために鍼灸院にも通ったが、鍼灸やマッサージは保険適用外であるため、懐が底をついてしまったという[48]。 趣味・嗜好休日は基本的に一人で外出し平凡に過ごす[33]。これが理想というわけではなく、単に友人がいないとのこと[6]。 趣味は音楽鑑賞[3]。中学生の頃から1960年代〜1970年代のソウル、ファンク、R&Bなどを聴いていた[4][5]。『カメラを止めるな!』のファンブックでは、ア・トライブ・コールド・クエストやジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリンなど1980年代〜1990年代のソウル、ヒップホップ系の洋楽を好むと記載があるが[70]、『TV Bros.』2020年1月号では、今現在も最も好きなのは1960年代頃のブラックミュージック、ヒップホップ(特にオールドスクール、ミドルスクール)であると語っている[6]。DJ時代にはア・トライブ・コールド・クエストの「Can I Kick It?」やノーティー・バイ・ネイチャーの「O.P.P.」などを頻繁にかけていたという[14]。その他、映画鑑賞[74]や小説も嗜む[33]。お気に入りの小説としてジャック・リッチーの短編集『クライム・マシン』を挙げている[75]。 大学時代にはテレビ番組『スーパーチャンプル』などでダンスを見ることが楽しみで、大学の後輩からブレイクダンスを教わるも、学園祭のラジオ体操の練習時[6]ヘルニアで[76]腰を痛め断念している[14][33]。短編映画『カメラを止めるな!リモート大作戦!』のエンドロールでは切れのある踊りを披露しており、濱津自ら「ダンスは得意な方なんで」「リズム感あるんで」と話している[77]。 ホラー映画にカテゴライズされることもある『カメラを止めるな!』で一躍注目を集めたが、濱津自身はホラー作品全般が苦手である[78]。特にスプラッターの類い[6]。 さまぁ〜ずやタモリが出演するテレビ番組[注 3]をよく録画しており、さまぁ〜ずが司会を務めるテレビ朝日『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』出演時、三村マサカズから名前を呼ばれた際に感動したという[33]。TBSラジオ『JUNKサタデー エレ片のコント太郎』のリスナーである。2019年2月、エレ片のコントライブにおけるアフタートークイベントのゲストとして招待されている[79]。 好きな食べ物はたくあんとご飯[13]、海苔弁当[70]、微糖の缶コーヒー[33]、ハンバーグ[6]。2019年1月、日本テレビ『有吉ゼミ』の「ゴルゴVS激辛グルメ」のコーナー出演時、プリッキーヌやカイエンペッパーなどがふんだんに使われた激辛オムライスを制限時間内に完食している[80]。だが、辛い食べ物に強いというわけではなく、「食べ物は残しちゃダメ」という一点で食べきった[6]。アルバイト経験から自炊はするが、料理は得意ではないという[50]。 「面白いことやってるな」と感じる数少ない演劇として「ミズタニー」「ウンゲツィーファ」の2つの劇団を挙げている[6]。 SUZURIなどで自身のデザインするグッズ「すてる手帳」を販売している[81][82]。 出演映画
短編映画
テレビドラマ
再現ドラマ等
ウェブドラマ
テレビ番組
インターネットテレビ
舞台
劇場アニメ
オリジナルビデオ
CM・広告
PV・MV
その他
脚注注釈
出典
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