渡辺浩司 (野球)
渡辺 浩司(わたなべ ひろし、本名:渡辺 浩〈読み同じ〉、1963年8月9日 - )は、新潟県白根市(現:新潟市南区)出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 来歴・人物プロ入り前白根市立大鷲中学校(校舎移転と校区再編を経て、現在の新潟市立白根北中学校)から、新潟商業高に進んだが、入学時には野球部が1年間の対外試合禁止処分を受けていたため、1年時は実戦に臨む機会がなかった。2年時からレギュラーとなり、3年時は副将を務めたが、夏の県大会は3回戦で敗退した。 高校卒業後は、社会人野球のニチエー(現:バイタルネット)へ進むことが決まっていたが、知人などの仲介で日本ハムファイターズの入団テストを受けたところ合格し、1981年秋にドラフト外で入団した。 日本ハム時代入団6年目の1987年に一軍初出場を果たすも、長年一軍と二軍を往復する生活が続いたが、プロ14年目の1995年、正二塁手の白井一幸が開幕3試合目に故障して長期離脱したのを機に二塁定着。序盤は3割を記録するなど好調を見せ、同年6月に行われた地元新潟での対近鉄バファローズ2連戦では2安打1犠飛と2連勝に貢献した。7月7日の西武ライオンズ戦(東京ドーム)では西崎幸広のノーヒットノーラン達成の際、最後の打者の二ゴロを処理した。後半はやや失速したものの、この年は116試合に出場し、14年目にして初めて規定打席に到達した。当時チームを率いていた上田利治監督は、渡辺の活躍ぶりを「14年目の新人王」と絶賛するなど、プロ14年目での一軍・レギュラー定着が大きく報道されることも多かった。 その後は金子誠ら若手の台頭もあり、1997年を最後に現役を引退した[1]。 通算156安打、通算6本塁打は、共に新潟県出身者の中では最多となっている。[要出典] 引退後引退後はコーチを8シーズンにわたって歴任。1998年の二軍打撃コーチ補佐を皮切りに、1999年には二軍打撃コーチ、2002年からは一軍に昇格して打撃コーチを務め、4シーズン務め上げたが、2005年にチームは深刻な打撃不振に陥ったため、引責する形で同年限りで契約解除となりコーチを退任した。 退任後はフロント入りし、2006年に新設されたスコアラー部署に配属され、プロスカウトに転身。2008年から2011年までは自軍に帯同するチーフプロスカウトを務めた。 2012年、7シーズンぶりに一軍打撃コーチとして復帰を果たした。2013年、チーム打率リーグ最下位・得点5位と低迷し、同年10月29日にチーム統轄本部プロスカウトへの就任が発表された[2]。 2020年11月30日、北海道日本ハムファイターズ二軍打撃コーチに就任することが発表された[3]。 2022年7月20日からは、新庄剛志監督(BIGBOSS)と、監督代行を務めた山田勝彦一軍ヘッドコーチの相次ぐ新型コロナウイルス感染に伴い、木田優夫二軍監督が一軍の監督代行となったことから、二軍監督代行を務めた[4]。7月25日に新庄の復帰が発表され、渡辺の二軍代行監督も解除された[5]。2023年10月31日に契約満了により退任することが発表された[6]。 2024年からは、日本ハムのプロスカウトに再び復帰した[7]。 この年限りで日本ハムを退団し、2025年からは楽天の一軍打撃コーチを務める。 詳細情報年度別打撃成績
記録
背番号
登録名
脚注
関連書籍
関連項目外部リンク
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