奥村展征
奥村 展征(おくむら のぶゆき、1995年5月26日 - )は、滋賀県湖南市出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)。コーチ。 経歴プロ入り前小学校1年生の時に「三雲東スポーツ少年団」で野球を始め、甲西中学校時代には「リトルシニア草津パンサーズ」に所属していた[1][2]。中学校の同級生に西村凌がいる[3]。 中学卒業を機に地元の滋賀県を離れ、日本大学山形高校へ進学。1年生の春から正二塁手に起用された[2]。主将を務めた3年夏[1]には、1学年後輩の中野拓夢と二遊間を組み、第95回全国選手権大会に出場すると準決勝にまで進出[4][5]。自身は全4試合で4番・遊撃手で先発出場、11打数3安打3打点・打率.273という通算成績を残した[6][7][8][9]ほか、日大三高との2回戦では本塁打を打っている。さらに、大会後の8月に開かれた第26回18Uワールドカップにも日本代表の一員として出場する[10]と対台湾戦とチェコ戦で適時打を記録[11][12]。日大山形高校の選手として最後に出場した東京国体では、対前橋育英戦で迎えた高校最後の打席で本塁打を打った[13]。 2013年10月24日に行われたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから4位指名を受け[14]、契約金4000万円、年俸540万円(金額は推定)という条件で[15]入団。背番号は91。 巨人時代ルーキーイヤーとなる2014年シーズンには、7月17日のフレッシュオールスターゲーム(長崎ビッグNスタジアム)にイースタン・リーグ選抜の一員とし、途中出場[16]。同リーグ公式戦には86試合に出場。主に二塁を守りながら[17]打率.212・2本塁打・20打点という成績を残した[18]。 ヤクルト時代2015年1月、国内FA権で東京ヤクルトスワローズから巨人へ移籍した相川亮二の人的補償選手としてヤクルトへ移籍。背番号は56[19][20]。NPBのFA制度で人的補償措置の対象になった選手としては最年少(19歳)で、この措置によるプロ2年目での移籍はNPB史上最短(当時)[注 1]であった[22]。奥村自身は、移籍の一報を自主トレーニング先の熊本県内で知らされたという[23]。 移籍1年目の2015年シーズンには、東北楽天ゴールデンイーグルスとのイースタン・リーグ公式戦(天童市スポーツセンター野球場)を控えていた4月26日に腰痛を発症。この試合に出場後は立位や着座姿勢にも支障を来すほど腰痛が悪化したため、以降は二軍を含めて公式戦出場の機会がなかった。病院で検査を繰り返しても正式な診断名が出ないほどの重症だった[23]。イースタン・リーグ公式戦には26試合へ出場し、打率.211・0本塁打・4打点という成績であった[24]。 2016年シーズンは、7月9日の対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)9回裏に中島彰吾の代打として一軍公式戦初出場[25]。8月20日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では「7番・二塁手」として初めてスタメンに起用された。一軍公式戦には4試合の出場で無安打に終わった。 2017年シーズンは、7月11日の対巨人戦(東京ドーム)2回表の第1打席で菅野智之から一軍公式戦初安打を記録[26]。7月13日のフレッシュオールスターゲーム(静岡県草薙総合運動場硬式野球場)には、イースタン・リーグ選抜の一員として自身2度目の出場を果たしている[27]。後半戦以降一軍に定着し、一軍公式戦では通算で44試合に出場。打率.239・4打点・1盗塁を記録した。シーズン終了後には台湾で開かれたアジアウインターベースボールリーグで、NPBイースタン選抜の一員として出場[28]。遊撃手としての出場が主であった。 2018年シーズンは、プロ入り初の開幕一軍を果たす。「7番・二塁手」としてスタメンに起用された10月4日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では、同点の9回表二死で迎えた打席でラファエル・ドリスから一軍公式戦初本塁打を記録。この本塁打でチームを勝利へ導くとともに、チームとしては6年ぶりの阪神戦シーズン勝ち越しを確定させた[29]。一軍公式戦では主に代打で起用されたが、前年を下回る32試合の出場で、通算打率も.220にとどまった[30]。イースタン・リーグ公式戦では、75試合の出場で打率.281・9本塁打(チーム2位タイ)を記録[31]。シーズン終了後の11月には、翌2019年から背番号を00に変更することが発表された[32]。 2019年シーズンは、西浦直亨の故障や廣岡大志の不振の影響で主に遊撃手として出場。自己最多の74試合に出場したが打率は.199にとどまった。 2020年シーズンは、1月22日に高校時代の同級生と結婚したことを発表[33]。しかし、シーズン開幕前の春季キャンプ中に下半身のコンディション不良を訴え途中離脱。3月12日に右膝の手術を受けた[34]。11月1日の北海道日本ハムファイターズとのイースタン・リーグ公式戦(ファイターズ鎌ケ谷スタジアム)で実戦復帰した[35]ものの、2015年以来5年ぶりとなる一軍出場なしに終わり、イースタン・リーグ公式戦にも前述の1試合のみの出場に留まった。 2021年シーズンは16試合の出場に留まり、打率は1割を切った。 2022年は、43試合に出場。少ない出番ながら、同点適時打を放つなど随所で輝きをみせた[36]。 2023年は、3試合に出場し4打数2安打の成績で、10月31日に球団から戦力外通告を受け[37]、11月10日に自身のInstagramで現役引退を表明した[38]。 現役引退後2023年11月13日、2024年から東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍内野守備走塁コーチを務めることが発表された[39]。背番号は92。 選手としての特徴・人物
詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲
代表歴
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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