宝塚大劇場
宝塚大劇場(たからづかだいげきじょう)は、兵庫県宝塚市栄町にある劇場。宝塚歌劇団の本拠地であり、各組によるミュージカル公演で毎年100万人以上の観客を動員する。そのほか音楽コンサートも定期・不定期に開催。1階席と2階席があり、座席数は2,550。小劇場「宝塚バウホール」(座席数526)を併設する。 劇場の管理と舞台装置などの製作を行っているのは、阪急電鉄系列の株式会社宝塚舞台である。 大劇場を指して、あるいはその周辺地域を含めて「ムラ」とも呼ばれる[1][2][3]。 宝塚大劇場(初代)1924年開場。座席数3,500。宝塚歌劇の創設当初に公演を行っていた『パラダイス劇場』(プールを改造したもので火事により焼失)に代わり、1992年まで多くの作品が上演された。 竣工当初は歌舞伎座や南座などの歌舞伎劇場と同じような花道が設置されていたが、『銀橋』の新設に伴い撤去され、銀橋と舞台袖の道に、花道の役割が当てられるようになった。 1927年9月1日に日本で最初のレビュー『モン・パリ~吾が巴里よ!~』を上演して以降、レビュー作品を次々と上演して黄金時代を迎えた。 1935年1月25日に火事に見舞われたが、小林一三の英断によって早急に復興されて、同年4月に再開した。天津乙女、三浦時子、橘薫、小夜福子、葦原邦子、草笛美子、美空暁子、春日野八千代、神代錦、霧立のぼる、轟夕起子等の多くのスターがこの時代を彩った。 しかし、戦局の悪化につれて戦争を意識した作品が多くなり、1944年『勧進帳/翼の決戦』を最後に大劇場は閉鎖、海軍に接収された(宝塚海軍航空隊)。 1945年、日本の敗戦でアメリカ軍に接収されたが、後に返還され、1946年『カルメン/春のをどり(愛の夢)』で再開。春日野八千代、故里明美、乙羽信子、越路吹雪、淡島千景、久慈あさみ、南悠子などのスターが戦争で傷ついた人々の心を癒した。その後1950年代から1960年代にかけては、『虞美人』、『シャンゴ』、『ジャワの踊り子』、『華麗なる千拍子』、『ウエスト・サイド物語』『マイ・フェア・レディ』など数々の代表作を上演し、寿美花代、高千穂ひづる、有馬稲子、明石照子、新珠三千代、八千草薫、淀かほる、浜木綿子、那智わたるなどのスターが活躍する。 1958年4月1日、花組が公演していた『宝塚春のおどり/花の中の子供たち』の上演中に、代役で出演していた月組の香月弘美が死亡するという事故が発生した。 1974年に『ベルサイユのばら』、1977年に『風と共に去りぬ』が上演され、初風諄、榛名由梨、汀夏子、鳳蘭、安奈淳、松あきら、上原まり、瀬戸内美八、順みつきなどのスターが彩りを添える。 1980年代には麻実れい、峰さを理、高汐巴、大地真央、黒木瞳、剣幸などのスターを輩出した大劇場であったが、60年以上の歳月で老朽化。1990年10月から同じ敷地内に新しい設備の整った新大劇場が建設され[4]、1992年11月の杜けあきさよなら公演『忠臣蔵』を最後に68年の幕を閉じた。また、劇団員以外に最年少で旧劇場を踏んだのは、当時小学生のタカラジェンヌ志望の女の子であり、千秋楽に杜けあきに花束を贈呈した際のことである。 宝塚歌劇以外では、ヘルベルト・フォン・カラヤンとNHK交響楽団の演奏会(1954年)やNHKイタリア歌劇団の上演(1956年、1959年)、ヴィレッジ・シンガーズ・ショー(1968年)、越路吹雪リサイタル(1975年)なども行われた。ほか、毎年1月にアマチュアトップコンサートが開催される。 宝塚大劇場(2代目)1992年9月28日竣工[4]、1993年1月1日開場[4]。座席数2,550。南ヨーロッパ風の外観を持つ[4]。初代と異なる点として、
などが挙げられる。 杮(こけら)落とし公演は紫苑ゆう率いる星組の『宝寿頌/Parfum de Paris』。初期には安寿ミラ、一路真輝、天海祐希が活躍。 1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、盆を支える柱が折れるなど大きな被害を受ける。安寿ミラの退団公演などが全日程中止に追い込まれるも、3月には復興を果たし『国境のない地図』で再開された。翌1996年、ウィーンミュージカル『エリザベート』が日本初演で大成功を収める。 1998年に宙組が発足し、東京宝塚劇場建て替え工事期間中の仮設劇場TAKARAZUKA1000days劇場の開場時から宝塚、東京共に通年公演が実施され、公演形態にも変化が生じた。 2004年末には銀橋のカーブを緩やかにして1階最前列中央の客席を27席増やす改修工事を実施。2005年から、客席数は2,550席となった。2009年より、1階最前列を0列から1列に改称し、合わせて席のグレードの見直しを行った。 2011年3月30日には、映画「阪急電車 片道15分の奇跡」の試写会が上演された。大劇場で映画イベントが開かれるのは、大劇場創設以来初めてとなる[5]。 2014年4月に宝塚歌劇団が創立100周年を迎えるにあたり、宝塚市は同大劇場周辺の町名を「歌劇町」に変更する方針を掲げていたが、住民からの反発が強く、変更を断念している[6]。 併設施設宝塚大劇場の建物の中には、宝塚バウホール以外に下記の施設が併設されている。キャトルレーヴを除くすべての施設は劇場の休演日には定休日となる。
その他
銀橋オーケストラピットと観客席の間に、左右の袖花道をつなぐエプロンステージが設けられており、銀橋と呼ばれる。 交通アクセス周辺情報脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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