野久保直樹
野久保 直樹(のくぼ なおき、1981年5月14日 - )は、日本の俳優、タレント。静岡県磐田市出身。株式会社ブレークポイントがマネージメント業務を担当[4]。身長175 cm。 略歴興誠高等学校卒業後に芸能界を目指し上京、専門学校に進む[5]。後にワタナベエンターテインメント所属となり、2004年8月、前月に行われた同事務所主催の「第1回D-BOYSオーディション」受賞者たちと共に、若手男優集団D-BOYSの新規加入選考を兼ねた「集中稽古」に参加した。10月にテレビドラマ『マザー&ラヴァー』に出演。 2005年1月より『H2〜君といた日々』に出演、同年末以降の公式プロフィールでは事実上本作をデビュー作品としている。以降もテレビドラマ出演は続くが俳優として知名度を上げることはなく、バラエティ番組での活動が中心となった。 2006年7月、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』内「芸能界潜水選手権」コーナーに出演。同年9月放送の同番組2時間スペシャルにおいては、「ダイナミック・アプネア・フィン無し[6]」で安田大サーカス・団長の115mを抜き、当時の潜水日本記録である116mを樹立した[7][8]。これ以降も数度『Qさま!!』のこのコーナーに出演した。 2006年11月29日、クイズバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』に初出演。2007年夏頃から常連出演者となり、珍解答を連発した事により「おバカタレント」としてブレイク。さらに当時、番組上で同じく「おバカタレント」として人気だった共演者のつるの剛士、上地雄輔とともにユニット・羞恥心を結成し、2008年4月に「羞恥心」でCDデビュー。CDはオリコン初登場2位を記録し、個人としても映画や連続ドラマ出演、単独でのバラエティ番組出演など活動の場を拡げた。 翌2009年1月の羞恥心活動休止後も舞台の主演等で活動するが、同年4月の事務所独立騒動(後述)により活動が激減。同年7月25日・26日放送の『FNSの日26時間テレビ 2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!』のエンディングにおいて、総合司会の島田紳助から野久保が当面の間、芸能活動を休止する事が発表された[9]。これ以降、野久保は一時的に表から姿を消し、同時に『ヘキサゴンII』も降板。そのまま最終回まで出演はなかった。(2010年2月に放送された総集編ではヘキサゴン初登場時のVTRが流れた。) 2010年4月1日にワタナベエンターテインメント公式サイトからプロフィールとブログが削除され、同事務所を離籍したことが明らかとなった。その数日後、劇団たいしゅう小説家のホームページで舞台『キマズゲ〜愛のことば〜』に出演することが告知され、本作品で芸能活動復帰となった。 同年6月、劇団たいしゅう小説家から派生した俳優集団「愛のかたまり」(2011年に「ai-kata」と改名)に参加し、個人でもTwitterを開始し、集団が業務提携をしている(株)ブレークポイントにファンレター受付業務などを委託する。「ai-kata」では舞台公演のほか、ファンクラブの結成やイベントでも活動するようになる。 2011年11月26日に幕張メッセにて開催された『クイズ!ヘキサゴンII』最後のライブ『ヘキサゴンファミリーコンサート 2011 WE LIVE ヘキサゴン』にサプライズで出演。羞恥心が一日限りで再結成され、同時に解散が発表された。 2012年1月、同年4月から上演される舞台『銀河英雄伝説 第二章 自由惑星同盟篇』の制作発表記者会見に出席し、「3年ぶりに公の場に登場」と扱われた[10]。同年9月、TOKYO MX『男子ing!!』で3年半ぶりにテレビドラマに出演。 2020年3月からロサンゼルスに拠点を移し、俳優として活動[11]。2024年に帰国。 人物小学生の頃から野球をはじめ、将来はプロ野球選手を志していた[12]。中学校時代にはシニアリーグの「浜松シニア」に所属し、チームメイトだった1年先輩の後藤武敏らと共に全国大会で準優勝している。2年生の時には明治神宮野球場でホームランを打つ経験をしている[12]。 興誠高等学校3年生の時にはキャプテンも務めており、中日ドラゴンズのドラフト候補リストに名が挙がっていた[12]。高校の2学年先輩に小田智之と、林昌樹がいる。 安室奈美恵のファンで、学生の頃にファンクラブに入っていたことがある[13]。 過去に多数のオーディションを受けたエピソードを語っている。本人が語ったオーディション例としては、浜崎あゆみのライヴダンサー・オーディションやCHEMISTRYを輩出した『ASAYAN 男子ヴォーカリストオーディション』など[14]。戦隊ヒーローへの憧れも強く、『爆竜戦隊アバレンジャー』や『魔法戦隊マジレンジャー』のオーディションへ参加したことがあるが、採用には至らなかった[15]。 かつては視力が悪かったが、2006年9月にレーシックを受けて視力を回復している[16]。 「羞恥心」でブレイクした頃、テレビ情報誌『TV Bros.』の読者投稿ページで「ネタ扱いされる芸能人」のひとりとなった。内容は「人気番組の出演者で人気ユニットの一員なのに目立たなくて地味(でも人は良さそう)」という旨のもので、投稿には「がんばれ、のっく!」というタイトルが付けられた。この縁で、2008年9月、2010年5月と表紙及びインタビューで同誌に登場している。 芸能界では高橋光臣[15]や向井理[18]などが、互いに特に親しい友人であると公言している。 事務所独立騒動2009年1月26日付ブログコメント欄での「荒らし行為」のため、続けて更新されていたブログを一旦停止し、2月11日よりコメント欄を閉鎖して再開[19]。その後は順調に更新されていたが、3月30日の更新を最後にブログの更新が止まった[20]。 同年4月20日、新たにアメーバブログにてブログ『フルカウント Never Give Upな人生』を開設。直後から6000件近くのコメントが寄せられた。その記事には所属事務所(ワタナベエンターテインメント)からの独立を匂わすような記述があり、翌21日にはインターネットでも独立のニュースが多数掲載された[20]。しかし開設されたブログは同日中に閉鎖となり、同時に独立に関するニュースもネット上から全て削除された[9]。同日に出席した映画『バーン・アフター・リーディング』のPRイベントでも、記者からの野久保に対する質問は急遽中止、野久保も独立に関するコメントは一切語らなかった[21]。 その後、ワタナベエンターテインメントは「野久保との契約は、現在も続いている」と、独立に関しての報道を全面否定[9]。ブログに関しては「野久保が事前の連絡をせず開設したものであり、午後5時に閉鎖した」と発表した[22]。 この影響もあり、2009年7月末から2010年3月末まで芸能活動を休止。活動復帰後にその時期のことを「この先の役者人生において大事な時だったし、後悔もしてないし、大切な時間でした」と語っている[23]。 出演テレビドラマ
配信ドラマ
映画
オリジナルビデオ
舞台
その他テレビ番組
インターネット
CM
ラジオ番組
NHK紅白歌合戦出場歴
作品書籍
参加ユニット
脚注
外部リンク
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