春田純一
春田 純一(はるた じゅんいち、1955年3月17日[1] - )は、日本の俳優。本名および旧芸名は 福岡県北九州市出身[2][3]。身長175cm、体重69kg、血液型AB型[4]。 来歴『キイハンター』を観て千葉真一に憧れ[3][5]、入学した高校を数か月で退学して上京[5]。1970年1月に千葉が創設したばかりのジャパンアクションクラブ(JAC)に[6]、ゼロ期生として入団[注釈 1]。同年、入団した仲間には蒲原敏明・金田治・酒井努・山岡淳二・大葉健二・西本良治郎などがいた[6]。とにかく練習がきつくて、最初はついていけなかったと述懐している[8]。 初期はスタントマン・スーツアクターとして、千葉真一の主演作品で擬斗の相手や、特撮番組などに出演。1975年の『仁義の墓場』では渡哲也のボディダブルとして15メートルのダイビングを担当したが、当時では最も高い記録であった[5]。千葉から芸名を春田 純一と命名され、1978年の『柳生一族の陰謀』の裏柳生衆・ハヤテで俳優のデビューを果たす[3]。同作と1980年の『服部半蔵 影の軍団』では伊賀忍者・喜平次と、忍者役でそれぞれレギュラー出演し、千葉と共にアクロバッティクな殺陣を披露している。 1982年の『大戦隊ゴーグルファイブ』でスーパー戦隊シリーズ初のブラック戦士であるゴーグルブラック・黒田官平役を演じた[3]。その次回作の『科学戦隊ダイナマン』でもダイナブラック・星川竜役を演じた[3]。『ダイナマン』では前作とイメージを変えることを意識したという[9][3]。春田の起用について、鈴木武幸は春田のアクションを評価していたことを挙げており、人気が出たことから『ダイナマン』でも続投することになったと証言している[10]。 JACに所属しながら特撮・アクションのみならずつかこうへい劇団にも参加し、アクションスターから性格俳優へと転向、舞台・映画・テレビドラマに多数出演している。スタントマン時代からのシャープな動きは今[いつ?]でも健在。1996年に当時のJACメンバーが普通の演劇を演じるために作った演劇ユニット「スケアクロウズ」の中心人物でもある。 2003年、30年以上所属したジャパンアクションエンタープライズ[注釈 2]から、グランパパプロダクションへ移籍。2019年にはグランパパプロダクションから独立し、個人事務所・オフィスライスフィールド(春田純一事務所)を設立した。 人物俳優業だけでなく、神戸三宮シアターエートーの名誉アンバサダーも務める[11]。 趣味は、スキー・体操[4]。特技は、乗馬、アクション、九州弁[4]。 エピソード元々は俳優志望ではなく、スタントマンとして俳優を影で支えることに信念を持ち、初期は芝居をすることも恥ずかしくて嫌だと思っていた[3]。しかし、次第にスタントマンが激しいアクションを演じても俳優ばかりが脚光を浴びることに疑問を感じ、アクションと芝居の両方をこなせる俳優を目指すようになった[3]。 1985年から1986年に放送された『電撃戦隊チェンジマン』の剣飛竜 / チェンジドラゴン役の選考は難航し、適任者が見つからない場合は春田を起用する案もあった[12]。これはチェンジマンが軍隊に所属していることから、変身前でも激しいアクションが要求されることによるものである[13][注釈 3]。 スーパー戦隊シリーズには2008年の『炎神戦隊ゴーオンジャー BUNBUN!BANBAN!劇場BANG!!』で24年ぶりに出演。3年後の2011年の『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』では28年ぶりに黒田官平役を演じた。同作には同じく春田が演じたダイナブラックも変身後の姿のみ登場しており、パンフレット掲載のインタビューでは「どうせなら星川竜もやりたかったけど、観る方が混乱しちゃうか(笑)」と語っている。 出演テレビ作品テレビ映画春田三三夫名義
春田純一名義
テレビドラマ春田三三夫名義(ドラマ)春田純一名義(ドラマ)
情報・バラエティ
映画春田三三夫名義(映画)
春田純一名義(映画)
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脚注注釈出典
参考文献
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