川又堅碁
川又 堅碁(かわまた けんご、1989年10月14日 - )は、愛媛県西条市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アスルクラロ沼津所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 クラブ経歴愛媛FC愛媛県立小松高校在学中の2006年、地元の愛媛FCに特別指定選手に登録される。同年、J2リーグ第41節水戸ホーリーホック戦で現役高校生ながらもJリーグデビューを果たし、第42節モンテディオ山形戦では田中俊也のゴールをアシストした。 アルビレックス新潟高校卒業後はアルビレックス新潟に入団し、2010年はブラジルのサンパウロ州2部リーグに所属するカタンドゥヴェンセに半年間の期限付き移籍。2011年はリーグ戦こそ23試合に出場して無得点に終わったが、シーズンを通して試合出場を重ね、ヤマザキナビスコカップ準々決勝・名古屋グランパス戦でプロ初ゴールを決めた。 2012年はファジアーノ岡山に期限付き移籍。得点ランキングで2位となる18得点を挙げた。 2013年に新潟へ復帰。第9節の清水エスパルス戦でJ1初得点を決めると、第11節のサガン鳥栖戦では、プロ入り初となるハットトリックを達成。第30節の湘南ベルマーレ戦では、ザッケローニ代表監督が視察する前で[4] 2度目のハットトリックを達成。 同試合でリーグ20点目を決めたが、これは前年J2所属の日本人選手としては初である[5]。最終的にリーグ2位となる23ゴールを記録し、Jリーグアウォーズでは優秀選手賞を受賞。新潟の選手としては2010年のマルシオ・リシャルデス以来、日本人選手では初のベストイレブンにも選出された[6]。 2014年も新潟でプレーを続けたが、W杯による中断明け以降はベンチ外要員となった。 名古屋グランパス2014年8月、名古屋グランパスへ完全移籍[7]。2015年は、レギュラーとして33試合に出場し、3月には自身初の日本代表にも選出された。 2016年は、新加入のシモビッチの活躍で出場機会が減り、17試合5得点と思うような結果が出ず、チームもクラブ史上初のJ2降格となった。シーズン終了後に新GMや新監督が決まっていない状況で契約更改交渉を行う事になり、約4割の大幅減俸での単年契約でオファーを受けた[8]。 ジュビロ磐田2017年シーズンより名古屋からジュビロ磐田へ完全移籍する事が発表された[9]。3月11日、第3節の大宮アルディージャ戦で移籍後初得点を決めた。昨シーズンまで在籍したジェイが昨季14得点に対して川又は昨季5得点しか決めておらず、名波浩監督の元にも「『点を取っていないFWを獲ってどうするんだ』という声が自分まで届いてきた」と批判的な声もあったが、「外国人FWを獲らないということは、川又に対する『お前が年間を通して出続けなければいけないんだぞ』『そういう覚悟を持って、練習から常に全力でやれよ』という無言のメッセージでもあります」、「興梠慎三、佐藤寿人、前田遼一とか、多くのストライカーが30歳あたりから改めて点を取り出している。それを考えれば、27歳はまだ若い。にもかかわらず、外国人FWを獲ってしまえば、その可能性にフタをしてしまうことになりかねない」と川又を信頼し[10]、第24節のヴィッセル神戸戦で自身4シーズンぶりの2桁得点を記録した[11]。最終的には、昨季のジェイと同じシーズン14得点を挙げた。 2018シーズンは、第5節の浦和レッズ戦でシーズン初得点を記録[12]。第10節のV・ファーレン長崎、第11節のセレッソ大阪戦、第13節の柏レイソル戦で得点を挙げ、チームを暫定5位へ押し上げた[13]。10月30日、ルヴァンカップ王者の湘南ベルマーレとの試合では前半34分に決勝点を挙げ、チーム7戦ぶりの勝利と自身初のJ1リーグ2年連続2桁得点を達成[14][15]。11月3日、J1第32節・サンフレッチェ広島戦で得点を挙げたが、後半27分に負傷交代[16]。12月1日、J1第34節の川崎フロンターレ戦で先発復帰した[17] が、得点は挙げられず、チームは16位に転落。J1参入プレーオフに回った[18]。プレーオフでは、足の調子が良くなかった[19] ことから、ベンチスタートとなった。自身の出場は最後まで無かったが、先制点を挙げた小川航基について「代わりに航基がしっかり決めてくれたから。最高です」と喜んだ[20]。 2019年シーズン、開幕戦の松本山雅FCとの試合は怪我の影響で後半途中出場となったが、同点ゴールを決めてプロ12年目で初となる開幕戦でのゴールを挙げた[21]。第2節から第4節まで先発でフル出場を果たすも、怪我で離脱[22]。4月28日、第9節の札幌戦で途中出場から復帰を果たすも、後半74分にCKの際に勢い余って右肘をゴールポストにぶつけて途中交代となってしまった[23]。後日、右肩関節脱臼と発表され、一時は腕が動かず、日常生活にも支障をきたすほどの大怪我となり、長期離脱となった[24]。第26節の川崎戦で復帰を果たすも、得点は開幕戦で決めた1得点のみで、チームもJ2降格となった。シーズン終了後の12月9日に、自身初の契約満了により契約しないという「0円提示」を受けて、3年間在籍した磐田を退団する事が発表された[25]。 ジェフユナイテッド千葉磐田退団後は、移籍先が決まらず2020年1月13日から始まったジェフユナイテッド市原・千葉の沖縄キャンプに練習生として参加[26]。そこでのアピールが実り、同月24日に千葉へ完全移籍で加入すると発表された[27]。2023年1月5日をもって退団が正式決定。 アスルクラロ沼津足の手術の影響もあり、千葉退団後は所属先が決まっていなかったが、2023年8月3日、アスルクラロ沼津に加入が決まった[28]。同年10月8日に行われたJ3リーグ 30節 FC岐阜戦にて移籍後初ゴールを決めた。 日本代表2015年3月、負傷の小林悠に代わって日本代表に招集され、27日のチュニジア戦でA代表デビューを果たし、31日のウズベキスタン戦で初ゴールを記録。 2017年12月4日、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017に挑む日本代表メンバーに2年4ヶ月ぶりに追加招集された[29]。 2018年10月8日、FW浅野拓磨の怪我による不参加に伴い、キリンチャレンジカップ2018のパナマ戦・ウルグアイ戦に追加召集された[30]。10月12日、パナマ戦に南野拓実と交代で66分から出場し、85分には自身A代表2点目となる追加点を挙げたと見られたが、オウンゴールに訂正された[31][32]。 エピソード
所属クラブ
個人成績
タイトル個人
代表歴出場大会
試合数
出場
ゴール
脚注
関連項目
外部リンク
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