岩崎う大
岩崎 う大(いわさき うだい、本名:岩崎 宇内(読み同じ)、1978年9月18日 - )は、日本のお笑いタレント、脚本家、放送作家。漫画家。お笑いコンビ「かもめんたる」のメンバー。 東京都西東京市出身、湘南育ち(幼稚園から小学校5年生まで)、帰国子女(中学校3年生から高校卒業までオーストラリアで過ごす)。身長165cm、体重55kg、血液型AB型。B:84 cm、W:73 cm、H:89 cm、靴のサイズ26.5 cm。 略歴子供の頃からお笑いが好きで、『ドリフ』『加トちゃんケンちゃん』『とんねるずのみなさんのおかげです』を観て育ち、小学6年生の時に観た『ダウンタウンのごっつええ感じ』の松本人志が作るコントに衝撃を受けた[1]。それまでテレビから面白さを届けてもらい受動的に笑っていたのが、視聴者の方から手を伸ばさないと掴めない笑いに変わった[1]。中学3年の夏から高校卒業までオーストラリアで過ごす。日本の食品屋で時々、日本人店主セレクトの日本のお笑い番組のビデオをレンタルしたり日本の漫画を読んだり、『天才たけしの元気が出るテレビ』のコーナー「高校生お笑い甲子園」に影響され、人前で披露することはなかったが、漫才のネタを書いて弟とテープに録音したりしていた[1]。 『ボキャブラ天国』(フジテレビ)ブームでお笑い芸人への間口が広がっていた時代で、1995年にNSCが東京でも開校されたことで入学し芸人になろうと考えたが、親から大学進学を勧められ、自分に才能がなかったらどうしようと不安がよぎったため、大学へ進学する[2]。 1998年に帰国子女枠で受験し、早稲田大学に入学。入学式前日に観た番組『ブレイクもの!』(フジテレビ)に出演したコンビ・ハイデハイデが「コントグループWAGE(早稲田大学)」所属ということに興味を持ち、入学式の帰りにハイデハイデの2人(森ハヤシ〈後のWAGEのリーダー・森迅史〉・井手〈比左士〉)に勧誘を受け、WAGEに入部する[2]。ちなみに、岩崎が小島よしおをグループに誘ったといわれている[3]。 WAGEは創設当初からコントグループで、約10人の演者がコントに応じてユニットを組んだりハイデハイデのようにコンビを組んだりしていた[4]。大学のサークルとしてのWAGEは渋谷のライブハウス「SHIBUYA TAKE OFF 7」を月一で借りてライブを行ったり、プロの芸人の審査員のいる校外のライブに出たり活動をしていた[4]。 サークル入部当初からプロになることを口にしており、当時組んでいたコンビでホリプロのネタ見せに参加したが、箸にも棒にもかからずこのままでは芸人にはなれないとショックを受け、外で勝負したいという気持ちもあり、大学3年時にWAGEを離れ、東京NSCに入学[5]。在学中は佐藤大(現グランジ)とのコンビ「ツユクサ」を組んでいた。NSC卒業の時期に、アミューズがお笑い部門を立ち上げ、『ギャグ大学』というアミューズの大会で結果を残した学生芸人を所属させるという動きがあり、WAGEがそこで結果を残し始めていたので、吉本を離れWAGEに戻る[5]。大学4年時にはサークルの幹事長を務めていた。2001年に5人組のコントグループ「WAGE」としてアミューズからデビュー。 WAGEのメンバーとして2005年まで活動。WAGE時代はリーダーの森と岩崎でネタを作成しており、テレビや大会向けにシステマチックな森のネタが多く採用されるようになり、う大は自分の思うお笑いができない時期が続いた。一緒にナンパする仲だった森との関係がプロになったことでシビアになっていったという[6]。グループ休止後、2007年6月に単独のコントライブを行うなど、ピン芸人としてライブハウスを中心に活動。その後、同じWAGEのメンバーだった槙尾ユウスケと演劇ユニット「劇団イワサキマキオを結成する。 2010年10月にコンビ名を「かもめんたる」、芸名を本名から「岩崎う大」に改名する。 2015年に第3子の女児が誕生[7]。 2020年12月、文章投稿サイト「note」での『キングオブコント』の寸評が話題になったことから、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)の特別企画として、岩崎が審査員を務める『キングオブう大』を開催された[8]。キングオブコント準決勝進出者を中心としたメンバーのネタを批評し、ザ・マミィやコットンは『キングオブう大』出場後に準優勝、サルゴリラは出場後に優勝した。 2020年は劇団かもめんたるの第8回公演である『GOOD PETS FOR THE GOD』で第64回岸田國士戯曲賞候補に、2021年は第9回公演『君とならどんな夕暮れも怖くない』で第65回の同賞候補に2年連続で選出された。 2023年、芸歴5年目以下の芸人を対象とした賞レース・『UNDER5 AWARD』[9]、『ABCお笑いグランプリ』[10]の決勝戦の審査員に選出される。 人物コント、演劇、テレビドラマの脚本など、話作りを得意としており[11]、天才[12] [13] [14]、鬼才[15]、変態[16]と称され、手掛けるコントや演劇、漫画などは同業者やその業界の関係者からの評価が高い[17] [18] [19]。 YouTubeやnoteでは『キングオブコント』や『M-1グランプリ』、『R-1グランプリ』、『THE W』などの賞レースのネタを批評し、テレビでは『しくじり先生』(テレビ朝日系)内の企画「キングオブう大」で『キングオブコント』や『THE W』の準決勝進出5組のネタを評価するなど、昨今、高度化しているお笑いの伝わりにくい部分を理論的に補填し視聴者に伝えるという”芸人を批評する芸人”という稀有な存在となっている[20]。バラエティ番組ではお笑い以外の演技指導をしたり[21][22]、役者発掘育成型のオーディション番組で講師として出演したり[23]演出家としての一面も見せる。 千原ジュニア(千原兄弟)は、お笑いの作り方として「理詰めは小さくまとまってしまいがち。感覚的なものは爆発的な強さもあるが大けがの危険性もはらんでいる」と前提においた上で、う大の作るお笑いを「理論をフリにしたりしながら、感覚でいってってる」と評価している[15]。また、劇団かもめんたるの舞台を観賞した際は絶賛し、う大を「もっと評価されるべき」「(世間の)評価はだいぶ低いと思う」とも語った。岩尾望(フットボールアワー)は舞台を観賞した上で、「いわば、う大は狂った世界を描くわけだが平日の昼間から観客がそれを見てゲラゲラ笑っている」「こんなことを2時間かけて見せる子が、よく4分にコントをまとめて『キングオブコント』で優勝したよな」と語った[24]。 著作の漫画作品『マイデリケートゾーン』(小学館)は、コントでも出来ないようなぶっ飛んだ世界観、常人が思いもつかない発想、妄想[25]のエロに取り憑かれた人たちの物語の短編が並ぶ[26]。今作についてう大は、自分の作風を全開にして描いたという[27]。かもめんたるのファンを公言する漫画家・諫山創は「天才の頭の中を覗き見てしまった」と評価している[14]。 一番好きな映画は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985/スウェーデン)[11] 。 父は弁護士で、母はかもめんたるのコント「言葉売り」でう大が演じる中年女性のモデルになった人物[28]。 妻はムードメーカーで、台本やエッセイの相談をするなど、う大の一番の理解者だという[29]。森田哲矢(さらば青春の光)からは「尖っている」と称されている。二男一女で、子供からは「うだい」と下の名前で呼ばれている。長男が一番う大に感性が近い[29]。 【以下、サンミュージックGETホームページより】
出演コンビでの出演は、かもめんたるの項を参照。 バラエティ
テレビドラマ
映画
舞台
CM
PV
ネット配信
オリジナルビデオラジオドラマ脚本作品テレビドラマ
オリジナルビデオ
映画
配信ドラマテレビアニメWebアニメ
演劇
番組構成
監督作品PV書籍単著
共著
漫画
脚注
外部リンク
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