南豊島郡(みなみとしまぐん)は、東京府にあった郡。
郡域
消滅時の郡域は、概ね渋谷区および新宿区の一部(旧淀橋区の区域である戸塚町、西早稲田、戸山、大久保、歌舞伎町、西新宿以西および新宿の一部)にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、豊島郡のうち後の当郡域および隣接する区域の支配は以下の通り。幕府領は代官・松村忠四郎(長為)支配所が管轄した。●は村内に寺社領が存在。×は町地(町奉行支配地)と代官支配地の両方が存在。全域が町地である内藤新宿各町は掲載されていない。(14町27村)[1]
知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領
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11町 14村
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×芝町(芝各町の代官支配分か)、×金杉町(芝金杉各町の代官支配分か)、×麻布町(麻布各町の代官支配分か)、下豊沢村、下渋谷村野崎組(下渋谷村のうち)、下渋谷村本組(同前)、下渋谷村上知(同前)、原宿村、千駄ヶ谷村、×小石川金杉町、×麻布今井町(今井村とも。のちの麻布今井町とは別)、×麻布谷町、×麻布市兵衛町、×飯倉町(飯倉町在方分)、×麻布桜田町(飛地)、×渋谷宮益町、×竜土町、●大久保新田(戸塚村のうち)、上渋谷村上知(上渋谷村のうち)、●代々木村、●角筈村、大久保砂利取場跡新田(東大久保砂利取場跡新田)、上落合村、上豊沢村、中豊沢村
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旗本領
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4村
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●下渋谷村、中渋谷村、●下落合村、葛ヶ谷村
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幕府領、旗本領
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1村
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幡ヶ谷村
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幕府領、旗本領、伊賀者給地
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1村
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●上渋谷村
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幕府領、伊賀者給地
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1村
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穏田村
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幕府領、明屋敷番伊賀者給地
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1村
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原宿村伊賀者上知(原宿村のうち)
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幕府領、旗本領、鉄砲玉薬組同心給地
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1村
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戸塚村
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幕府領、鉄砲玉薬組同心給地
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1村
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諏訪村
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鉄砲玉薬組同心給地
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2村
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東大久保村、●西大久保村
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鉄砲玉薬組恩給地
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1村
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源兵衛村
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その他
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寺社領
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4町 6村
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千駄ヶ谷町、千駄ヶ谷八幡町(詳細不明)、×麻布本村、×神田橋御門外三河町続(三河町の寺社領分か)、柏木村、×牛込破損町、牛込村、早稲田村、中里村、下戸塚村
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- 慶応4年
- 明治元年
- 11月5日(1868年12月18日) - 町地および隣接する区域(おおむね後の芝区、麻布区、牛込区域)が東京府(第1次)に編入。
- 以上の再編により、後の当郡域および隣接する区域が下表の管轄となる(村名は幕末時点のもの)。
知行
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村数
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村名
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政府管轄地
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東京府
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15町 15村
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芝町、金杉町、麻布町、下豊沢村、下渋谷村野崎組、下渋谷村本組、下渋谷村上知、下渋谷村、千駄ヶ谷村、小石川金杉町、麻布今井町、麻布谷町、麻布市兵衛町、飯倉町、麻布桜田町、渋谷宮益町、竜土町、神田橋御門外三河町続、中渋谷村、原宿村、戸塚村、大久保新田、千駄ヶ谷町、千駄ヶ谷八幡町、麻布本村、牛込破損町、牛込村、早稲田村、中里村
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武蔵知県事(古賀)
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18村
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原宿村伊賀者上知、源兵衛村、上渋谷村、上渋谷村上知、代々木村、角筈村、幡ヶ谷村、大久保砂利取場跡新田(東大久保砂利取場跡新田)、諏訪村、上落合村、東大久保村、西大久保村、下落合村、葛ヶ谷村、穏田村、上豊沢村、中豊沢村、柏木村
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- 明治初年 - 竜土町が麻布竜土町・麻布材木町・麻布六本木町・三田古川町に分割。(17町27村)
- 明治2年(25町27村)
- 1月 - 山田政則知県事が宮原忠英に交代。
- 1月13日(1869年2月23日) - 古賀、宮原両知県事の管轄区域にそれぞれ品川県、大宮県(県庁は東京府馬喰町)を設置。
- 9月29日(1869年11月2日) - 県庁が浦和に置かれ、大宮県が浦和県に改称。
- 小石川金杉町が小石川水道町に、麻布桜田町飛地が麻布笄町にそれぞれ改称。
- 内藤新宿のうち、内藤新宿下町が内藤新宿一丁目に、内藤新宿仲町が内藤新宿二丁目に、内藤新宿上町が内藤新宿三丁目にそれぞれ改称。
- 四谷の一部より内藤新宿北町・内藤新宿南町・内藤新宿番衆町が、内藤新宿の一部より内藤新宿北裏町・内藤新宿添地町がそれぞれ起立。
- 明治4年
- 明治5年(27町26村)
- 千駄ヶ谷町の一部より千駄ヶ谷西信濃町・千駄ヶ谷甲賀町・千駄ヶ谷一丁目・千駄ヶ谷二丁目・千駄ヶ谷三丁目・千駄ヶ谷仲町一丁目・千駄ヶ谷仲町二丁目が分立(千駄ヶ谷町1町として数える)。
- 麻布今井町が赤坂檜町、赤坂新坂町として分立。
- 1873年(明治6年) - 東大久保砂利取場跡新田が東大久保村に編入。(27町25村)
- 1874年(明治7年)(29町24村)
- 2月18日 - 中豊沢村が中渋谷村に編入。
- 東大久保村の一部より東大久保町が、西大久保村の一部より大久保百人町がそれぞれ起立。
郡発足以降の沿革
- 1878年(明治11年)
- 11月2日 - 郡区町村編制法の東京府での施行により、豊島郡のうち12町25村の区域をもって南豊島郡が発足。郡役所を内藤新宿二丁目に設置。また、東京15区の設置により、以下の区域が各区に編入。
- 神田区 ← 三河町
- 芝区 ← 芝町、金杉町
- 麻布区 ← 麻布町、麻布本村、麻布谷町、麻布市兵衛町、飯倉町、麻布笄町、麻布竜土町、麻布材木町、麻布六本木町、三田古川町
- 赤坂区 ← 赤坂檜町、赤坂新坂町、渋谷宮益町
- 四谷区 ← 千駄ヶ谷西信濃町、千駄ヶ谷甲賀町、千駄ヶ谷一丁目、千駄ヶ谷二丁目、千駄ヶ谷三丁目、千駄ヶ谷仲町一丁目、千駄ヶ谷仲町二丁目
- 牛込区 ← 牛込破損町
- 小石川区 ← 小石川水道町
- 1879年(明治12年)
- 4月22日 - 上豊沢村、下豊沢村がそれぞれ上渋谷村、下渋谷村に編入。(12町23村)
- 東大久保町が東大久保村に編入。(11町23村)
- 中里村が早稲田村に編入。(11町22村)
- 四谷区の一部(千駄ヶ谷西信濃町・千駄ヶ谷甲賀町・千駄ヶ谷一丁目・千駄ヶ谷二丁目・千駄ヶ谷三丁目・千駄ヶ谷仲町一丁目・千駄ヶ谷仲町二丁目)が千駄ヶ谷村に編入。(10町22村)
- 1880年(明治13年) - 下戸塚村の一部が牛込区に編入。(10町22村)
- 1885年(明治18年) - 牛込村が早稲田村に編入。(10町21村)
- 1889年(明治22年)5月1日
- 市制施行により東京市が発足。以下の区域が編入。
- 四谷区 ← 千駄ヶ谷村の一部(旧千駄ヶ谷7町の内、千駄ヶ谷二、三丁目及び千駄ヶ谷仲町一、二丁目を除く区域)
- 牛込区 ← 早稲田村
- 町村制施行により以下の町村が発足。(2町6村)
- 内藤新宿町 ← 内藤新宿一丁目、内藤新宿二丁目、内藤新宿三丁目、内藤新宿北町、内藤新宿番衆町、内藤新宿北裏町、内藤新宿南町、内藤新宿添地町[大部分](現新宿区)
- 千駄ヶ谷村 ← 千駄ヶ谷村[大部分]、穏田村、原宿村[大部分](現渋谷区)
- 渋谷村 ← 上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村[大部分]、麻布区の一部[渋谷下広尾町、渋谷広尾町、渋谷神原町および麻布広尾町、渋谷上広尾町の各一部)、赤坂区の一部(青山南町七丁目、青山北町七丁目、渋谷宮益町](現渋谷区)
- 代々幡村 ← 幡ヶ谷村、代々木村(現渋谷区)
- 淀橋町 ← 柏木村、角筈村、内藤新宿添地町[飛地](現新宿区)
- 大久保村 ← 東大久保村、西大久保村[大部分]、大久保百人町、諏訪村[飛地](現新宿区)
- 戸塚村 ← 戸塚村、下戸塚村、源兵衛村、諏訪村[大部分]、西大久保村[飛地]、北豊島郡高田村[飛地](現新宿区)
- 落合村 ← 上落合村、下落合村[大部分]、葛ヶ谷村(現新宿区)
- 下渋谷村の一部は麻布区へ編入。
- 下落合村の一部が高田村へ、飛地が北豊島郡長崎村へそれぞれ編入。
- 原宿村の飛地の内北半分が赤坂区へ、南半分が麻布区へ分割編入。
- 1891年(明治24年)3月18日 - 内藤新宿町の一部(大字内藤新宿一丁目の一部及び大字添地町の一部)を東京市四谷区に編入。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 南豊島郡・東多摩郡の区域をもって豊多摩郡が発足。同日南豊島郡廃止。
行政
- 歴代郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
本橋寛成 |
明治11年(1878年)11月2日 |
明治14年(1881年)4月26日 |
前第8大区長[2]
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2 |
梅田義信 |
明治14年(1881年)4月26日 |
明治16年(1883年)7月11日 |
前・東多摩郡長 この代より、東多摩郡との連合
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3 |
江連堯則 |
明治16年(1883年)7月11日 |
明治19年(1886年)8月25日 |
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4 |
益田包義 |
明治19年(1886年)8月25日 |
明治23年(1890年)11月7日 |
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5 |
藤井一虎 |
明治23年(1890年)11月7日 |
明治29年(1896年)4月1日 |
東多摩郡との合併により南豊島郡廃止
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郡役所
はじめ内藤新宿二丁目にあり、1889年12月に淀橋町大字柏木291に移転。
脚注
- ^ 下表では、一部の町で「麻布」「渋谷」の冠称を補っている。また、1村の中で複数の名称を持つ町村や、複数の町村名が併記されている村は1村として数え、「○○村のうち」、「詳細不明」を除いて数える。
- ^ 東京府豊多摩郡誌 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
参考文献
関連項目