前田利建
前田 利建(まえだ としたつ、1908年(明治41年)3月17日[1] - 1989年(平成元年)9月19日[1][2])は、日本の宮内官僚、華族(侯爵)[2]。旧加賀藩前田家第17代当主[1]。 経歴第16代当主・前田利為の長男で、母は渼子(前田利嗣長女)[1]。父の戦死に伴い1943年(昭和18年)1月15日、家督を継承し侯爵を襲爵[1]。同日、貴族院侯爵議員に就任し[3]、火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。 1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部を卒業した[2]。1936年(昭和11年)宮内省に入省し式部官兼主猟官に就任[2]。以後、兼内大臣秘書官、帝室博物館嘱託、臨時内大臣府御用掛なども務めた[2]。 1947年(昭和22年)10月29日、金沢市に昭和天皇の戦後巡幸が行われた際には、前田家の成巽閣が宿泊所となった。翌朝、昭和天皇に拝謁[4]。 式部官時代、1960年(昭和35年)2月29日の浩宮徳仁親王(現・第126代天皇)および1965年(昭和40年)12月6日の礼宮文仁親王(現・皇嗣)の「浴湯の儀」において、浅野長武(東京国立博物館長)とともに鳴弦の儀を執り行った[5]。墓所は野田山墓地。 親族脚注注釈出典参考文献
関連項目
|