キリストの鞭打ち (カラヴァッジョ)
『キリストの鞭打ち』(キリストのむちうち、イタリア語 : Flagellazione di Cristo)は、現在ナポリのカポディモンテ美術館にあるイタリアのバロック期の画家カラヴァッジョによる絵画である[1]。1607年の制作で、1610年に描き直された可能性がある。同じ時期のカラヴァッジョによる別の「鞭打ち」である『柱に繋がれたキリスト』と区別される必要がある。 概要「キリストの鞭打ち」は、宗教芸術、そして現代の宗教的実践においてもずっと人気のある主題であり、教会は信者がキリストの受難を経験する手段として自己に対する鞭打ちを行うことを奨励していた。カラヴァッジョは当作品を描くにあたり、ローマのモントリオにあるサン・ピエトロ教会のセバスティアーノ・デル・ピオンボによる有名なフレスコ画を念頭に置いていたであろう。カラヴァッジョは、彫塑的人物が浅い舞台に提示されているかに見えるように、画面の空間を大幅に縮小することで、ピオンボの構図を作り直した。しかし、カラヴァッジョはピオンボの鞭打ちの感覚を一種の嗜虐的な舞踏のようなものとして保持しており、人物たちはカンヴァス全体にリズミカルに配置されている。カラヴァッジョの絵画は、鋭く観察された現実感を場面にもたらしている。キリストの身体は垂れ下がっているが、それは優雅に見えるように、ということからではなく、右側の拷問者がキリストの膝の後ろを蹴っている一方で、左側の人物が拳でキリストの髪をしっかりと掴んでいるからである。 非常に劇的で、革新的なナポリの一連の祭壇画 (『慈悲の七つの行い』、この『キリストの鞭打ち』、および関連している『柱に繋がれたキリスト』は、すべてカラヴァッジョがナポリに到着して二、三か月で仕上げられた) は、即座にカラヴァッジョをナポリで最も話題となった画家たらしめた。そして、サンタンナ・デイ・ロンバルディ教会(「ロンバルディアの聖アンナ」という意味で、カラヴァッジョはもともとロンバルディア出身)がカラヴァッジョ派画家たちの中心となり、彼らはカラヴァッジョの様式で描いた。それらの画家たちの中には、カルロ・セリットやバッティステッロ・カラッチョロのようなナポリ生まれの画家たちだけでなく、後にカラヴァッジョ様式を北ヨーロッパに広める役割を果たしたルイ・フィンソン、アブラハム・ヴィンク、ヘンドリック・デ・ソマーのようなフランドルの画家たちも含まれていた。 歴史伝記作家のジャン・ピエトロ・ベッローリ(1672)によると、この作品は、ナポリのサン・ドメニコ・マッジョーレ教会の礼拝堂のためにスペイン副王の顧問であったトンマーゾ・ディ・フランキスにより注文された。ディ・フランキスの一家は、カラヴァッジョがすでに『慈悲の七つの行い』を描いていたピオ・モンテ・デッラ・ミセリコルディア教会の信徒会と繋がりがあった。 当初、ディ・フランキスらしき人物が画面右側に描かれていたが、後に塗りつぶされた[2]。カポディモンテ美術館には、1972年に移された。 参考文献
脚注
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