かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年〈昭和14年〉1月12日[1] [2]- 2017年〈平成29年〉3月1日[3])は、日本のミュージシャン、俳優。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)千代田区出身[4]。血液型はB型。
父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元・歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。
経歴
生い立ち
日系アメリカ人でジャズ・ミュージシャンの父ティーブ・釜萢の影響で、代々木上原で育った幼少時からアメリカ直輸入の音楽と英語、ファッションに親しむ[5]。なお、ティーブ・釜萢はほとんど日本語を話せなかった。
青山学院中等部卒業、青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー[6][7]。その後青山学院高等部卒業。青山学院大学中退。
デビューと六本木野獣会
ミッキー・カーチスらとともにロカビリーや歌謡曲などのジャンルに取り組み、グループ「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」の一員として日劇ウェスタンカーニバルに出演した。テイチクレコードにてレコードも多数吹き込む。
また、かまやつは田辺靖雄を中心にした六本木野獣会のメンバーだった。メンバーには峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、福澤幸雄らがいた。多いときは、最大30人前後で構成された。野獣会といってもワイルドな集団ではなく、富裕層の子女が多かった。
釜萢ヒロシ名義で『檻の中の野郎たち』(東宝映画)に出演したこともある[8]。
さまざまな盛場へ出向くことや、ロカビリー歌手時代の映画出演の際の東宝や日活の撮影所での交流などで、時代に名を残すスターたちと出会う。これらの活動から、音楽評論家の松村雄策はかまやつを日本初のロック・ミュージシャンと位置づけている。
ザ・スパイダース
「ザ・スパイダース」にゲストボーカルで参加した後、正式メンバーとしてヴォーカルおよびリズムギターを担当、代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などを作曲した。1970年9月の最終シングル「エレクトリックおばあちゃん」は、かまやつの作曲である[9]。
当時から晩年までかまやつは遅刻魔として有名で、デビューシングル「フリフリ」のジャケット撮影時も遅刻したため、彼の姿は写っていない。また、堺正章は「あるとき、かまやつの遅刻に気付いてアパートに電話をしたが、出た相手に『かまやつさんは出発しました』と言われた。電話を切った後でその相手こそがかまやつだったと気付いた」というエピソードを語っている。
ほかにもかまやつは、印象的なステージダンスやステージの服装関連といったザ・スパイダースの音楽的なアイディアマンとしてグループの中心人物だった。また、当時のトップレーサーである福澤幸雄や式場壮吉らと親交があり、ファッションリーダー的存在であった。紳士服メーカー「エドワーズ」企画部長でもあった福澤からは衣装提供などを受けた。
ソロ活動(1970年以降)
1970年2月25日に初の本格的なソロ・アルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』を発売。このアルバムは、当時は世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な方法で制作された[注 1]。また、音楽的にもさまざまなジャンルを融合した実験的な作品であった。その反面、1970年4月に発売されたソロシングル「どうにかなるさ」は、もともとザ・タイガースの岸部修三(現・一徳)と岸部シロー兄弟のデュオアルバム『Sally & Shiro』のために書き下ろされた曲のセルフカバーであったが、カントリーシンガーとしてのルーツに回帰する意向も反映された。1970年代初頭のフォークブームに触発され[10]、主導権を奪ったフォークシンガーの吉田拓郎に接近し[10][11]、吉田作品の「シンシア」[12][13]、「我が良き友よ」などを歌う[6][10][14][15]。「我が良き友よ」は90万枚を超えるセールスを記録し代表曲とした[11][14][16]。1975年のフォーライフ・レコード設立の際も参加を希望したが、契約の問題などで参加できなかった[10]。また「ウォッカ・コリンズ」へのゲスト出演や、タワー・オブ・パワーが演奏を務めた「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を発表[注 2]。ウォッカ・コリンズのリード・シンガー、アラン・メリル、ザ・テンプターズのドラマーだった大口広司や、作詞家の安井かずみらとともにイタリアンレストラン「キャンティ」常連組の一人であった。
テレビアニメ作品『はじめ人間ギャートルズ』のエンディングテーマとなった「やつらの足音のバラード」[注 3]もよく知られ、2004年にはスガシカオによってカバーされている。
空虚なヒット歌手の座に居心地の悪さを感じたかまやつは、1970年代後半からはライブを中心としたマイペースな活動を展開した[11]。フュージョン、シティ・ポップ、ニュー・ウェイヴ等、音楽のトレンドに敏感に反応したアルバムも数枚リリース[11]。1980年代以降は、若い世代のミュージシャンたちとコラボ企画で交流を深めていった[11]。当時の音楽活動について「1975年ころから僕自身、当時のポップ・シーンに手がつけられなくなって探ってました。レコードが出せるようになるまで10年かかりました」と述べている[10]。
1978年、母が膵臓癌で死去[17]。
音楽活動のかたわら、テレビドラマ『時間ですよ』や映画『戦国自衛隊』といった映像作品にも出演している。1977年2月、朝日放送『ハロー・ヤング』の司会を務め、これに出場したレイジーの才能を見出してデビューの誘いをかけた。その後、デビューしたレイジーに楽曲提供もしている。しかし、本来ハードロック志向だったレイジーが所属事務所の意向でベイ・シティ・ローラーズのようなアイドル路線でデビューさせられたことは予想外だったようで、のちに「レイジーをあのような形でデビューさせたことを後悔している」と述べている[18]。
1990年代初頭のアシッド・ジャズブームで、前述した「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が再評価され、1994年にバックミュージシャンにブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジェームス・テイラー、D.C.リーなどを起用してロンドンでレコーディングした「Gauloise」を、小山田圭吾が主宰するレコードレーベル・トラットリアから発表する。このアルバムで新たに若い層のリスナーを獲得し、その後もCORNELIUS(コーネリアス)、カヒミ・カリイのアルバムやコンサートに参加する。
2002年には小西康陽プロデュースのアルバム「我が名はムッシュ」を発売する[19]。松任谷由実、小山田圭吾、ミッキー・カーチスなどがコメントを寄せ、堺正章との共演曲などが話題を呼んだ。
バンド活動
1986年に日本を代表するスタジオ・ミュージシャン達を集めたバンド「One Night Stand Brothers」(ギター:今剛、ベース:高水健司、ドラム:島村英二、キーボード:小島良喜、ボーカル・ギター:ムッシュかまやつ)を結成したり、アラン・メリル(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「I Love Rock'n'Roll」の作者として知られる)、大口ひろし、ルイズルイス加部と再結成した「ウォッカ・コリンズ」(Vodka Collins) の活動もある。
そして、1999年には堺正章・井上堯之とともに「ソン・フィルトル」を結成し、シングル「Yei Yei」をリリースした。
2006年ごろからはザ・ブルーズパワーへの客演を行っていたが、2009年9月2日に発売されたブルーズ・ザ・ブッチャー(ザ・ブルーズパワーの後身バンド、メンバーは永井ホトケ隆、沼澤尚、中條卓、KOTEZ)の「Rockin' with Monsieur」に参加し、ブルースやブリティッシュビートのカバーを手がけている。
晩年の活動
BS朝日『SHAKE THE MUSIC』のメインMCを担当したほか、多数の音楽番組やCMに出演。プロ野球・東京ヤクルトスワローズの青木宣親外野手の応援歌に「バン・バン・バン」が使われていた[注 4](2006年度から変更)ほか、北海道日本ハムファイターズの応援団が同チームの得点時にかまやつ作曲の「I'm A 北海道 Man(お〜い、北海道)」(オリジナルは三橋美智也)を演奏するのが恒例となっている。
テレビ番組出演時に「ボクは、君たち(若い)世代と話ができなくなったらおしまい」と言っていたことからもうかがえるが、時代の最先端の音楽に取り組みながら、若手ミュージシャンとも積極的に共演した。彼は松任谷由実、伊藤銀次、THE ALFEE、Char、小西康陽、小山田圭吾、カヒミ・カリィ、曽我部恵一らのミュージシャンたちから敬愛されていた。
2009年2月18日には、井上順、今井美樹、甲斐名都、堺正章、THE ALFEE、TAROかまやつ、トータス松本、秦基博、一青窈、布袋寅泰、Micro、森山直太朗、森山良子などのゲスト・ミュージシャンとのコラボレイトによるアニバーサリー・アルバム『1939〜MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)』を発表した。
2012年10月3日には、THE BOHEMIANSとコラボし、ザ・スパイダースの名曲をカバーするミニアルバム『THE SPIDER BEAT』を「THE BOHEMIANS avec ムッシュかまやつ」名義で発表した。
2013年以降は、KenKen、山岸竜之介とのユニット LIFE IS GROOVE としての活動もある[20]。
2016年9月6日、9月10日に出演予定だったイベントを欠席することと肝臓がんであることが所属事務所から発表された[21]。
10月に退院後はいとこの森山良子宅で療養しながら通院治療を行っていた。同年12月8日には、堺正章の70歳記念ライブに訪れた[22]。当初は客席後方で観ていたが、堺の呼びかけに応じて登壇。堺と2人で『サマー・ガール』を歌った。がん公表後初の公の場での姿であったが、このときがかまやつ最後の公の場での歌唱となった[23]。
2017年3月1日18時5分、膵癌のため東京都内の病院で死去[24]。78歳没。妻も同年2月に亡くなっていたが、かまやつは最期まで妻の死を知らないままだったという。なお、妻の告別式の時点でかまやつの状況も思わしくなく、意識混濁状態であった[25]。
キリスト教徒だったため密葬は世田谷区の頌栄教会で行われたが[25]、墓所は東京都港区元麻布にある賢崇寺。釜萢家の墓はかつて東京・小平にあったが2018年4月に賢崇寺へと改葬されたことが息子のTAROを通して公表された[26]。麻布十番の近くにしたのは人が集まる所が好きだったかまやつの希望を叶えたものだという[26]。
エピソード
家系、縁戚
父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎は、フジテレビ勤務のサラリーマン時代に、2005年5月25日に『風のわだち』でメジャーデビューしたアーティストであり、2011年に退職した後はより本格的に音楽活動を行っている。また、叔母(母の妹)はジャズシンガーの浅田陽子。浅田陽子の夫で義理の叔父が、ジャズトランペッターの森山久。従妹はフォーク歌手の森山良子。従姪は元歌手の森山奈歩(おぎやはぎの小木博明の妻)、従甥はシンガーソングライターの森山直太朗という芸能一家である。
作品
シングル
テイチク時代/かまやつヒロシ名義
- 殺し屋のテーマ c/w 皆殺しの歌(テイチク NS-207、1960年2月。) *コーラスはハニー・ナイツ
- おおキャロル/恋の片道切符(テイチク NS-210、1960年3月) *コーラスはクリスタル・シスターズ
- 悲しいインディアン/悲しき16才(テイチク NS-235、1960年5月) *バックはザ・サンダーバード
- カラーに口紅/朝日のようにさわやかに(テイチク NS-265、1960年7月) *バックはザ・サンダーバード
- 月影のナポリ/ティーンエイジ・ブギ(テイチク NS-302、1960年9月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 赤鼻のトナカイ/サンタ・クロースがやってくる(テイチク NS-317、1960年10月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 結婚してチョ/殺したいほど好きなんだ(テイチク NS-331、1960年12月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 遥かなるアラモ/恋の汽車ポッポ(テイチク NS-335、1961年1月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 凸凹ブルース/こんがらがっちゃった(テイチク NS-351、1961年2月) *バックはテイチク・アンサンブル
- 消えゆくインディアン/オー・オー・ロジー(テイチク NS-354、1961年2月) *バックはワゴン・エース
- G.I.ブルース/ウッド・イル・ハート(テイチク NS-358、1961年2月) *バックはワゴン・ウェスト
- チョイチョイ節/誘惑してミナ(テイチク NS-359、1961年2月) *バックは秋本薫とシックス・ナイツ
- 青春突撃一中隊/ヨサホイ数え唄(テイチク NS-382、1961年4月) *バックはテイチク・アンサンブル
- マージャン必勝法/清水港の三太郎(テイチク NS-428、1961年7月) *バックはテイチク・アンサンブル
- ぶらぶら天国/ズンドコ人生(テイチク NS-435、1961年7月) *バックはチャーリィ脇野とゲイ・ポップス
- どなたでござんす/江戸っ子風来坊(テイチク NS-457、1961年9月)
- 裏町上等兵/ファイヤ囲んで(テイチク NS-468、1961年10月)
- 弥次さん喜多さん(duet 夏洋一)(テイチク SN-4、1961年10月) *B面は夏洋一「東京の雨」
- 嘆きのブルース/かえり船(テイチク NS-481、1961年11月)
スパイダーズ以降ソロ時代(シングル)
- どうにかなるさ/つめたい部屋のブルース(1970年4月5日、フィリップス、FS-1121)※オリコン50位
- 気らくなものさ/脱走列車(1971年5月、フィリップス、FS-1198)
- 四つ葉のクローバー/喫茶店で聞いた会話(1971年11月25日、フィリップス、FS-1226)※A面コーラスにガロが参加。
- のんびりいくさ/ブレイン・フード・ママ(頭の体操)(1972年6月、ヴァーティゴ、FX-6)※B面英語詞。
- 青春挽歌/幼きものの手をひいて(1972年11月、ヴァーティゴ、FX-9)
- 人生は旅だよ/乱れたら(1973年6月)
- 近頃のネコ/乱れたら(1973年10月21日、ヴァーティゴ、FX-15)
- シンシア/竜飛崎(1974年7月、CBSソニー、SOLB-156OD)※よしだたくろうとかまやつひろし名義
- 我が良き友よ/ゴロワーズを吸ったことがあるかい(1975年2月5日、EXPRESS、ETP-20098)※オリコン1位
- 海のうた [沖縄海洋博覧会住友館イメージソング]
- 水無し川/親父よ(1975年11月5日、EXPRESS、ETP-20194)
- 汽笛一声夕陽が沈む/三人組(1976年5月5日、EXPRESS、ETP-20257)
- サテンドレスのセブンティーン/サマー・ラブ・アゲイン(1977年6月25日 TRIO 3B-116)
- つづけ青春たちよ/ありの大統領(1977年10月21日 TRIO 3C-102)※テレビアニメ『まんが偉人物語』(TBS系列)前期テーマ曲
- マイ・オールド・ギブソン/12時の賛歌(1978年5月、トリオレコード、3B-130)
- 青春どんづまり/あの時君は若かった(LIVE)(1978年10月、トリオレコード、SB-144)
- 時を呼び停めて(1980年6月1日)※森山良子 かまやつひろし名義
- 旅の歌/また逢う日まで(1981年2月、東芝EMI、ETP-17118)
- あの時君は若かった/ノー・ノー・ボーイ(1981年11月、東芝EMI、ETP-17255)
- なんとなくソクラテス/モノラル・グラフィティー(1982年9月、東芝EMI、ETP-17407)※テレビドラマ『アイコ16歳』(TBS系列)主題歌
- エリマキトカゲの真実/襟巻きと影(1984年6月、ワーナー・パイオニア、L-1677)
- ゴロワーズを吸ったことがあるかい/我が良き友よ(1985年5月10日)
- ワンナイト・スタンド・ブラザース/欠陥BOY × 欠陥GIRL(1986年9月5日、ポリドール、7DX1463)
- ノー・ノー・ボーイ/ノー・ノー・ボーイ(リプリーズversion)(1988年6月21日、フォーライフ、SAM-95)
- キスの下手な男/Bitter For My Taste(1989年9月21日、フォーライフ)
- すてきな僕ら/BLUEでできた僕たちの楽園(1990年12月21日、フォーライフ、FLDF-09129)
- 雨の小径で恋をして/Kの週末(1991年5月21日、フォーライフ、FLDF-09140)
- やつらの足音のバラード/ALLORA…(1994年9月2日、フォーライフ、FLDF-1527)
- ノー・ノー・ボーイ/ヒノエ・ウマ・ノ・オンナ(2000年9月21日、トライエム、MECI-11001)※マーク・キャス with かまやつひろし名義
アルバム
かまやつヒロシ名義
- かまやつヒロシの俺の歌を聞いてくれ(テイチク NL-1131、1960年)
スパイダーズ以降ソロ時代(アルバム)
- ムッシュー/かまやつひろしの世界(1970年2月25日、テイチク)
- どうにかなるさ アルバムNo.2(1971年5月、PHILIPS、FX-8014)
- ファーザー&マッド・サン (1971年)※ティーブ釜萢との競演盤
- 釜田質店 (1973年、VERTIGO、FX-8611)
- あゝ、我が良き友よ(1975年4月、東芝EMI・Express、ETP-72033)
- ムッシュ・ファースト・ライヴ (1978年、TRIO)
- WALK AGAIN (1978年6月、TRIO、3B-1012)
- スタジオ・ムッシュ(1978年9月、TRIO、3B-1024)
- パイナップルの彼方へ(1979年、TRIO、3B-1027)
- ONE NIGHT STAND BROTHERS(1986年、What's Up? Group、CDは2003年)※ムッシュかまやつ ONE NIGHT STAND BROTHERS 名義
- THE SPIDERS COVER'S (1989年、フォーライフ)
- In and Out(1990年、フォーライフ)
- Fragrance(1991年、フォーライフ)
- pittoresque(1991年、フォーライフ)
- Gauloise(1994年、Trattoria)
- 我が名はムッシュ(2002年、*********(readymade) records,tokyo)
- Classics(2002年、BMG)
- 1939〜MONSIEUR(2009年、avex io)
- ザ・スパイダース・カバーズ(2010年)
- THE SPIDER BEAT(2012年)※「THE BOHEMIANS avec ムッシュかまやつ」名義。THE BOHEMIANSとコラボレーションしてスパイダーズ時代の曲をカバーした。
- 雷門Project(2016年)※「雷門Project」名義。井上日徳と1986年頃に制作しつつも未発表だったアルバムを再レコーディングし、インディーズから発売。遺作。
提供楽曲
CM(楽曲提供も含む)
アニメーション
- OVA『DOWN LOAD 南無阿弥陀仏は愛の詩』(1992年)劇中音楽および下記挿入歌
- OUT OF BORDER
- WEATHER REPORT BLUES
- DETHMAIL BLUES
- RTB (OVA『戦闘妖精雪風』エンディングテーマ)
- さみしいさみしい (2001年) 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム収録のカオナシのイメージソング
- The IJIN-DEN 天才の法則 (作曲、2003年、アニメ『妄想科学シリーズ ワンダバスタイル』オープニングテーマ)
出演
映画
テレビドラマ
コンサート
その他
書籍
著作
関連書籍
関連人物
- ザ・スパイダース - 所属していたグループ・サウンズ。
- グループサウンズ仲間
- キャンティ族 - 東京都港区麻布台(六本木)にある1960年開店の老舗イタリア料理店に集っていた仲間。
- ミュージシャン
- 内田裕也 - ロック歌手、俳優。
- 松任谷由実 - 「荒井由実」時代のデビューシングル「返事はいらない」のプロデュースを行う[6]。TBS「セブンスターショー」(1976年3月14日放映)では共演し、互いに曲を贈りあった。その時、かまやつは松任谷(当時は荒井由実)へ「楽しいバス旅行」、松任谷からかまやつへ「中央フリーウェイ」が贈られた。なお、1999年に行われたかまやつの還暦祝いでは、松任谷が仲居頭を務めた。2017年5月2日のお別れの会では井上順と一緒に発起人を務め、会場内で「中央フリーウェイ」を追悼唱で捧げた。
- 吉田拓郎 - 元々は六本木界隈での飲み仲間[6][32]。その後「シンシア」、「我が良き友よ」などの楽曲提供を受け、大ヒットとなる。テレビやライブなどで度々共演することがある[14][15]。
- 南こうせつ - テレビなどで度々共演することがある。
- レイジー - かまやつが見い出しデビューさせた。
- ガロ - かまやつのバックバンドを経て、ミッキー・カーチスのプロデュースでデビューした。かまやつの「四葉のクローバ一」のレコーディングに参加、及びカヴァーしている。またメンバーの日高富明と堀内護より、楽曲提供を受けている。
- THE ALFEE - ガロの弟分。売れなかった頃にかまやつのバックバンドとして全国を回っていた[33]。
- 渚のオールスターズ - 複数のミュージシャンで結成されたバンドおよびそのプロジェクト。結成時からのメンバー。
- 俳優仲間
- 赤木圭一郎 - 赤木がゴーカートで事故死する日に、順番でかまやつがそのゴーカートに乗る可能性もあったと、著書で書いている。
関連項目
脚注
注釈
- ^ 山口隆対談集『叱り叱られ』(幻冬舎 2008.2)にある、かまやつとの対談によると、「キース・ジャレットが世界で1番目、ボクが2番目、ポール・マッカートニーが3番目」と発言している。
- ^ 「我が良き友よ」のB面、1990年代に入ってから再評価を受けた。
- ^ 作詞は漫画の原作者園山俊二。実際のオリジナル歌手はちのはじめ(若子内悦郎の変名)だが、かまやつもセルフカバーしている。
- ^ 当時AOKIのCMソングとして使用されていたため。
- ^ 「ビートたけしの学問ノススメ」の釜田先生の扮装で登場。
- ^ 「時間ですよ」シリーズの釜田の扮装で登場。
- ^ 月1回放送。番組末期はかまやつ本人は病気療養のため出演できず、もともとアシスタントを務めていた椎名由紀が1人で番組進行する形となり、最終回は死後の放送となった
出典
外部リンク
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メンバー | |
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シングル | |
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コンパクト盤 | |
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アルバム |
ザ・スパイダース・アルバムNo.1 - ザ・スパイダース・アルバムNo.2 - スパイダース'67/ザ・スパイダース・アルバムNo.3 - ゴー!スパイダース、フライ!サベージ - 風が泣いている/ザ・スパイダース・アルバムNo.4 - ザ・スパイダース・ストーリー - ザ・スパイダース・アルバムNo.5 - 明治百年、すぱいだーす七年 - スパイダース'69 - ロックン・ロール・ルネッサンス
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出演映画 | |
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出演テレビ番組 | |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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高見沢俊彦 (ボーカル、エレクトリック・ギター) – 坂崎幸之助 (ボーカル、アコースティック・ギター) – 桜井賢 (ボーカル、エレクトリックベース) 三宅康夫 (ボーカル、ギター、脱退) サポートメンバー(ドラム):- 富岡義弘 - 相沢美彦 - そうる透 - 長谷川浩二 - 吉田太郎 サポートメンバー(キーボード):遠藤誠一 - 山石敬之 - 菊地圭介 - 杉山卓夫 - ただすけ |
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コラボレート |
1.LOVE AGAIN (加山雄三 featuring THE ALFEE) - 2.座・ロンリーハーツ親父バンド (加山雄三とザ・ヤンチャーズ) - 3.Forever with you~永遠の愛の歌~ (加山雄三&The Rock Chippers)
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1.アルフィーが選ぶマイベスト20 - 2.BEST HITアルフィー 全曲集 - 3.ALFEE ベスト20 - 4.14 Best Hits ALFEE - 5.THE ALFEE單曲全集一 - 6.THE ALFEE單曲全集二 - 7.THE ALFEE單曲特集 - 8.ベスト・ヒット ALFEE RED盤 - 9.ベスト・ヒット ALFEE BLUE盤
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The KanLeKeeZ | |
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参加作品 |
60 CANDLES - 坂本九/トリビュートアルバム - We Love Mickey -Happy 70th Anniversary- - さだまさしトリビュート さだのうた - 若大将50年! - 今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO - 北斗の拳 35th Anniversary Album “伝承”
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配信 |
1.12月 - 2.五線譜を飛行機にして - 3.みんなおんなじ - 4.罪の味 - 5.糧 - 6.人間の森 - 7.さくら(二〇一九) - 8.ありがとうはこっちの言葉 - 9.最悪な春 - 10.すぐそこにNEW DAYS - 11.落日 -12.遠くへ行きたい - 13.カク云ウボクモ
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関連項目 | |
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