阪東自動車
阪東自動車株式会社(ばんどうじどうしゃ、英文社名:BANDO BUS inc.)は、千葉県我孫子市に本社を置くバス事業者である[1]。元は独立系のバス事業者として設立されたが、1958年(昭和33年)に東武鉄道の傘下入りした[2][3]。略称は阪東バス。東武グループのバス事業再編により、現在は東武鉄道系列の朝日自動車グループに属している。 我孫子市および柏市内で乗合バス・特定バス事業を営むほか、千葉県全域と茨城県内一部を営業区域として貸切バス事業を行う[1]。また我孫子市から委託を受け、我孫子市民バス「あびバス」の運行も行っている[5]。 概要1949年11月15日設立[1][2][3]、同年12月28日営業開始[1]。当時の印旛郡本埜村、六合村、宗像村(いずれも現在は印西市)と当時の国鉄の鉄道駅を接続すべく設立された。1958年2月、東武鉄道の傘下入り[1][2][3]し、東武グループの一員となる。乗合バスの運行エリアは年を追うごとに西側にシフトしており、現在は印西市からは撤退し主に我孫子市・柏市の2市となっている。 2002年に東武バスが設立され、東武鉄道直営であったバス事業が分社化された[6]。それに引き続き2003年には東武鉄道グループのバス事業者の再編および株式移管が行われ、同グループのバス・タクシー事業者である朝日自動車が地方バス事業者の統括事業者となり、阪東自動車は同社の統括する朝日自動車グループ運行事業者の一つに位置付けられるようになった。 乗合バスのほか、特定バス事業として、天王台駅 - NEC我孫子事業所(我孫子市日の出)間のメールバス、我孫子駅 - 電力中央研究所(我孫子市並木)間の職員輸送チャーターバスを運行している。 2004年に公式ウェブサイトを開設し2008年5月26日にリニューアルした。バス共通カードは従来導入していなかったが、我孫子市の助成により2009年3月7日よりPASMO・Suicaが導入された。 当初は東武バスからの継承路線含め系統番号は一切導入されておらず、公式路線図に示されている数字のみの系統番号は社内管理用であり、方向幕やバス停ポール等には一切表示されていなかった。その後、2016年4月11日より柏駅発着系統で、2017年5月15日より北柏駅発着系統と布佐駅発着系統で、系統番号の使用を開始した。この際に導入された系統番号は東京バス協会方式の漢字+数字2桁のものであった。そして2021年5月31日より、あけぼの山公園入口周辺の系統改廃に伴い同系統では国土交通省のガイドラインに沿った系統番号が付された。他の路線については2021年でも系統番号は使用されていない。 柏駅東口発着系統は休日日中に限り歩行者天国実施のため柏駅入口発着としていたが、2013年1月20日より休日も柏駅東口発着に変更され、歩行者天国実施中はサンサン通り経由で運行される。また柏駅東口発着系統では、柏まつり開催日には柏駅前ロータリーに入らず臨時バス停発着となるため、2016年の系統番号導入後は「柏××」系統ではなく「祭××」系統に変更して運行される。 本社・営業所
月極駐車場月極駐車場を営業している[7]
沿革創業1949年11月15日[1][2][3]、地元により、本埜村、六合村、宗像村と国鉄成田線の木下駅を接続すべく設立され、村営バス的要素が強い形で、同年12月28日[1]より路線の運行を開始した。創業当時の区間は、木下駅 - 小林駅 - 瀬戸 - 京成佐倉駅 - 国鉄佐倉駅、および木下駅 - 竜腹寺 - 大廻(おおば)- 岩戸である[注釈 1]。前者の区間は全く新しいものであるが、後者の区間はもともと京成電鉄が1943年に買収して路線免許を保有していたものを引き継ぐ形となっている。 東武グループへ1958年2月に東武鉄道の傘下入りした[1][2][3]。これに伴い、本社も木下(現:印西市)から東武鉄道本社があった東京都墨田区押上へ移転し、木下の旧本社を木下営業所とした。東武鉄道直営当時の東武バスが運行していた木下駅 - 我孫子駅間を引き継ぎ、さらに、西の国立田中療養所(現・市立病院[要説明])まで延長を行った。こうして1962年までに下表の路線が整備された。これ以降、阪東自動車は営業の主体が我孫子市側に移っていき、隣接する東武鉄道バスとの路線調整を何度も行うこととなる。
団地路線の拡大1968年(昭和43年)4月に我孫子営業所を東我孫子に新設し、乗合バス・貸切バスの営業所とした[1]。これに伴い、木下営業所を木下出張所とした。翌1969年には湖北駅南側に湖北台団地ができ、同駅からの循環バス[注釈 2]の運行を開始した。さらに1970年4月には路線を延長し、湖北駅 - (役場前[注釈 3]または第一小学校)- 我孫子駅入口 - (第一小学校または役場前)- 東我孫子車庫[注釈 4]という路線となり、湖北台団地と我孫子駅がつながった。1969年1月23日には柏駅西口 - 船戸木戸が開通している。このとき東武グループでは初めての整理券発券機を搭載したワンマン車両が投入された。従来は我孫子から田中側へ至る路線しかなかったが、この線の開通により柏駅方面へも手を広げるようになった。 阪東自動車が以上のような状況だった中、東武鉄道の我孫子へのバスは、1936年に買収した栄自動車から引き継いだ柏駅 - 我孫子駅線を引き続き運行していた。1968年には東武により、我孫子駅 - 並塚 -(手賀大橋)- 岩井 - 手賀線が開通したが、わずか3年で廃止となっている。東武鉄道の我孫子市内のバスは以上の2路線だけであった。 1971年4月20日に常磐線各駅停車と営団地下鉄千代田線が相互乗り入れを開始し、綾瀬駅 - 我孫子駅間が複々線として使用開始されると同時に天王台駅が開業した。これにより上野駅方面の電車は快速(常磐快速線)となって都心へのアクセスが向上し、柏駅・我孫子駅周辺が通勤圏として急速に注目され始めた。阪東自動車が天王台駅に乗り入れたことで常磐線へのアクセスが飛躍的に便利になった。ただし天王台駅に乗り入れ後も同駅非経由の便もあったようである。こうした経緯により、1971年頃までには阪東自動車は我孫子市内のバス営業をほぼ独占的に行うようになり、同市内を重点的に運行することがしばらく続いた。 運行エリアの広域化前述の1970年代初頭までのバス路線網の拡張は、柏 - 我孫子 - 湖北 - 木下という、おおむね国道6号と国道356号に沿ったものであった。1970年代後半になると、これとは全く独立した地域にも路線が新設されるようになる。 まず、1978年に柏駅東口 - 大津ヶ丘団地線の運行が始まる。柏駅東口のバス路線は、1955年前後に新京成電鉄が少数便乗り入れていたことを除けば、東武鉄道が独占的に路線を巡らせていたが、この路線の新設で2社の乗り入れとなった。このことは、のちに東武鉄道のバス路線再編で柏駅東口発着路線のいくつかが阪東へ移管される布石となった。 その後、1986年に布佐駅南口 - スポーツセンター前線の開通、および、つくし野循環線の三井団地への経路延長、1987年の北柏駅 - 慈恵医大柏病院線、および、天王台駅北口 - 川村学園女子大学線の開通と、ローカル路線が様々な場所に新設されていった。これらの路線はいずれも運行頻度が高く、同社の路線網は鉄道路線と並行する輸送から、同業他社と同じように鉄道駅を南北に結ぶ垂直輸送へと変化していった。 印旛地区からの撤退我孫子営業所が受け持つ我孫子市と沼南町(現:柏市)の路線が急速に発展したのに比べ、東側の木下出張所が受け持つ印旛地区の路線はほとんど発展しなかった。当地区では中央部で千葉ニュータウンの造成が決定し、当初の計画では住宅が多数建設される予定となり新路線ができる可能性もあった。ところがその後に千葉ニュータウン自体が計画縮小となり、また計画変更後の造成も進まず人口も予定通り増えなかった。さらに国鉄成田線の増発が進んだことで、我孫子 - 木下間の通し運行といった長距離輸送の需要も少なくなってきた。 阪東自動車ではこのため、印旛地区のバス路線を整理することとした。まず昭和末期[注釈 5]に師戸 - 鎌刈 - 遠蓮間が廃止された。佐倉線についても乗客が少なかったため、平成初頭[注釈 6]に京成佐倉駅 - JR佐倉駅間の廃止が先んじて行われ、1994年3月には残りの木下駅 - 京成佐倉駅、瀬戸三ッ角 - 竜腹寺、仲の台 - 六合小学校、飯野入口 - 湖畔荘も廃止された。路線廃止地域のうち仲の台では、付近に学校がなかったため小学生の通学のための路線バスが必要だったが、1990年に印西市立平賀小学校が開校する少し前に、京成電鉄(現:ちばグリーンバス)が京成酒々井駅からバス路線(学園台線)を新設したことで役目を終えた。 1994年3月の佐倉線廃止に伴い木下出張所は廃止され、印旛地区で唯一残った臼井線は東我孫子車庫へ移管された。東我孫子車庫への回送のため、木下から西側は木下駅入口 - 布佐駅南口線を運行し東我孫子車庫と間接的に接続するようするよう経路変更された。また同時に木下駅停留所も廃止され駅への乗り入れを終了し、臼井線用の代替停留所として国道上に「木下駅入口」停留所が設けられた。 臼井線は印旛沼より南側では乗客が比較的多くラッシュ時を中心に折返便も運行されていたが、1997年[注釈 7]に廃止された。これに伴い出入庫線同然であった木下駅入口 - 布佐駅南口線も廃止され、阪東自動車の路線網の東端は布佐駅南口となり、阪東自動車は創業の地であった印旛地区から撤退した。 また1990年代初頭には、北総鉄道印西牧の原駅の開業、日本医科大学千葉北総病院の開業もあったため、これらを経由する便も開通した。木下を出て印西牧の原駅へ乗り入れ、その後に国道へ入り、印旛村役場・日本医大千葉北総病院を経由し、鎌刈付近の新道を通って渡辺商店(岩戸付近)で合流する、という複雑なルートを取っていた。しかしこのルートは1往復しか運行されず利便性にはほとんど寄与しなかった。臼井線の廃止によりこのルートも1997年に廃止された。なお、岩戸 - 印旛中学校間は東洋バスも走っていたが、東洋バスの路線も1999年に廃止されている。 1998年4月1日に、佐倉交通による臼井駅 - 八幡台団地線と、大成交通による臼井駅 - 印西牧の原駅線が運行開始された。2000年の印旛日本医大駅開業に伴い、印西市がコミュニティバス「印西市ふれあいバス」として印旛日本医大駅を発着する路線を整備した。印西市ふれあいバスはちばレインボーバスに運行委託しているが、阪東自動車がかつて印旛地区で運行していた路線網を代替する形となっている。 東武との路線再編阪東自動車は創業の地である印旛地区から撤退する一方で、我孫子市、柏市、沼南町(2005年3月28日に柏市へ合併)で路線を拡張していったが、東武鉄道のバス路線との間で路線再編がいくつか行われた。 まず最初に行われたのが三井団地における路線再編である。三井団地は柏市布施新町にあり、東端は我孫子市との市境である。全域が柏市であるため、まず1976年に東武鉄道が柏駅西口・北柏駅 - 三井団地での運行を開始した(のち北柏駅発着便は廃止)。布施新町は我孫子駅にも近かったため、阪東は当初、我孫子駅から布施新町に隣接する久寺家地区までの路線を運行していたが、数度の路線変更ののち、1986年に三井団地停留所まで達した。その結果、布施新町地区から鉄道駅に出るには我孫子駅の方が便利になった。一方で、阪東は柏駅西口から根戸を経由して船戸木戸までの路線を有していたが、この区間は東武鉄道が頻繁にバスを運行しており、阪東としての独自区間が全くなかったため必然性は高くなかった。 以上の事情から、1998年4月1日に阪東は我孫子駅北口 - 三井団地線を布施新町全域まで延長し増便を行った。これに伴い、東武鉄道は柏駅西口 - 三井団地線と布施線を存続したものの大幅減便を行った。一方、船戸木戸方面については全便を東武鉄道が運行することとし、阪東は柏駅西口 - 船戸木戸線の運行を取りやめた。変則的な路線交換と言えるが、これにより阪東は北柏駅入口 - 柏駅西口に路線を持たなくなった。 東武鉄道は1980年代から地方バス路線の再編を進め、1990年代には地方路線の系列会社への移管を進めてきた。それでもバス事業の経営改善には至らなかったため、2000年代にはバス事業の抜本的な改革を行い、2002年に東武バス株式会社を設立し東武鉄道直営のバス事業を分社化した。 →詳細は「東武バス § 年表」を参照
2002年2月28日には東武鉄道グループの貸切バス専業会社キング観光バス(千葉県船橋市)が貸切事業を廃止の上、阪東自動車に吸収合併され、阪東自動車がキング観光バスの従業員を引き受けている。 また、東武鉄道が運行していた柏駅東口 - 戸張線と、北柏駅 - パークシティ守谷線が、2002年4月1日付で阪東自動車へ移管された(北柏駅 - パークシティ守谷線は2005年10月31日で撤退)。これと同時に、当該系統でのバス共通カードの利用が、一切不可となった。翌2003年、阪東自動車は朝日自動車グループの運行事業者と位置づけられ、現在に至る。 ニュー東豊との競合と深夜帯の運行拡大→「ニュー東豊」も参照
従来は我孫子市内のバス路線は阪東自動車の独占状態であったが、2000年代に行われたバス事業の規制緩和により、我孫子市内のタクシー会社ニュー東豊が、2006年9月より阪東が運行しない深夜帯に参入、同年10月には日中帯にも参入し、天王台駅 - 川村学園・湖北駅間で競合するようになった。 阪東では夜間の運行は駅発22時 - 23時台までであったが、これに対抗して2008年5月26日からは、我孫子駅、天王台駅発23時 - 24時台が積極的に運行されるようになった。また深夜運賃の増額はせず価格面でも対抗した。さらに同年10月1日からは、柏駅東口 - 大津ヶ丘団地間でも23時 - 24時発のバスが運行されるようになった。これに合わせて柏駅入口バス停が休日用の柏駅入口バス停側に移動し、平日の柏駅東口発全便が渋滞の多い旧水戸街道経由から柏郵便局経由に経路変更された(柏駅東口着便については経路変更なし)。その後、新たに2009年3月2日からは、NEC日本電気前[注釈 8] - 湖北駅南口線が平日のみ運行開始された。 なお、ニュー東豊の深夜バスは2008年10月24日、一般路線バスについても2009年2月18日をもって運行を終了している。 年表
路線前述のとおり、系統番号は漢字またはアルファベット+数字2桁の番号以外は旅客向けには案内されない。 布佐天王台線
阪東にはもともと我孫子駅 - 木下駅線があったが、布佐スポーツ線が開通した際に布佐消防署から分岐して布佐駅南口に乗り入れるようになったのがこの線(元の系統番号は「布73」(布佐駅~天王台駅)および「46」(湖北駅~天王台駅)である。木下駅への乗り入れをとりやめた現在、布佐駅南口は阪東の最東端の停留所となっている。 開通当初は我孫子駅からの直通が多く、1時間に1本程度あったが、湖北我孫子線等と同様に我孫子 - 湖北・新木・布佐というバスの利用はほとんどないため、2019年10月19日以降は全便が天王台駅での折り返しである。並行する成田線の運行頻度より少ないため、独自区間の乗客は少なく、徐々に減便されている。我孫子駅発着で布佐駅南口と結ぶ布佐我孫子線(1)は2013年5月10日をもって、東我孫子車庫発着で布佐駅南口と結ぶ布佐車庫線(布74)は2019年10月18日をもって廃止された。布73は東我孫子経由天王台駅発着だったが2019年10月19日よりNEC日本電気前経由天王台駅北口発着に変更[12]。 2024年9月2日より、阪東の一般路線(布73)としては廃止となり、我孫子市からの委託路線「我孫子市布佐ルート実証運行バス」としての運行に変更された[13]。利用者数低迷からの措置であり、平日のみの運行となった[14]。実証運行期間は半年で、以降は乗客からのアンケートなどをもとに今後の運行計画を決めるとのことである。また、NEC湖北駅北口線は、湖北駅北口のロータリー整備事業の完成に伴い、2013年5月11日にNEC湖北線をNEC日本電気前から天王台駅北口まで延伸するとともに一部を布佐線と同じ経路に変更する形で当路線が新設された。社内番号はNEC湖北線の46を引き継いだ。主に成田線を利用するNEC通勤者や布佐線の岡戸坂上 - 角川商店前までの利用者の利便性向上を目的として開設され、同日より布佐線も湖北駅北口へ乗り入れていた。平日のみの運行で、かつては朝夕10便の運行であったがダイヤ改正ごとに減便され、2024年3月時点で朝の天王台駅方向1便・湖北駅方向2便のみの運行となっていたが、実証運行バスへの移行によりこの系統は廃止された。 布佐スポーツ線、布佐新木線
阪東で最も東側を走る路線で、布佐駅から新木駅の間を成田線の南側に沿って走る。平和不動産による宅地開発の先行していた布佐駅南口 - スポーツセンター前が1986年10月1日に先に開通し、その後新木駅南側土地区画整理の進展に合わせて新木駅側に到達したのは2002年3月11日である。また朝夕の2便、新木スポーツセンター線(6)が新木駅南口 - スポーツセンター前700mの営業路線として存在したが2013年5月11日のダイヤ改正で消滅した。 車庫我孫子線
我孫子駅から東側に至る路線は、もともと我孫子駅 - 木下駅を筆頭に我孫子駅 - 湖北駅南口、我孫子駅 - 布佐駅西口といった東我孫子以東に直通するものが比較的多くあった。しかし、現在は天王台駅をまたいで乗車する乗客がほとんどなく、天王台我孫子線(10)も廃止されたため我孫子駅発着便は(20、21を除いて)ほとんどが東我孫子車庫で折り返しとなっている。我孫子駅入口 - 並塚間は市役所経由(8)と第一小学校経由(7)の2ルートがあった。第一小学校経由(7)は2011年に廃止された(手賀沼花火大会開催時等の迂回運行はある)。一部便が博物館線(9)として運行されていた時期もあったが、2021年に休止した。 2022年4月25日に、従来の公園坂通りを経由するルートから、新たに開通した都市計画道路手賀沼公園・久寺家線を経由するルートとなった。それに伴い手賀沼公園坂上バス停が新設された[15]。 北口あけぼの線、あけぼの山線
2021年5月31日より11(現・AK31)、12(現・AK32)の一部の便があけぼの山農業公園へ延伸(開園日のみ)された[16]。 我孫子駅北口から真北のつくし野地区に向かい、柏市と我孫子市の境の三井団地停留所、布施新町地区を通り、柏市布施のあけぼの山公園入口まで至る路線である。つくし野付近については、我孫子ビレジを経由するものと、つくし野入口を経由するものがあるが、前者の方が本数が多い。 この線はもともと我孫子駅北東部のみを通る路線だったものが、幾度かの路線変更を経て西側にシフトして今に至っている。最初の路線は、開通年月日こそ不明であるが、我孫子駅(南口)から寿一丁目、久寺家道を経由して二階堂高校に至る線である[注釈 9]。 その後、つくし野地区の街開きにより、二階堂高校線は我孫子駅(南口)- あきにれ並木通り - 中央学院大学 - 我孫子駅(南口)にルートを変更し、つくし野循環線となった。1976年には布施新町の三井団地が街開きし、これは東武により路線が運行された。当初は柏駅西口と北柏駅の双方から路線が出ていた(北柏発着便はのちに廃止)。 1986年3月1日に、つくし野循環線を三井団地停留所まで延長された。循環線の停留所を廃止せずに延長したため、南まわりのつくし野入口経由便と北まわりの中央学院大学経由便の2ルートとなった。ただし後者の本数は非常に少なく、後に廃止されている。 1999年4月1日に、我孫子駅北口にバスターミナルが整備されたことに伴い、阪東の線は同ターミナルを始発とし、大部分の便が三井団地方面により短いルートとなる我孫子ビレジ経由となった。三井団地よりさらに西の布施新町地区を経由してあけぼの山公園入口停留所まで延長された。また、本数も5割増しになった。このルート延伸により東武の並行路線である、柏駅西口 - 布施弁天・三井団地線は大幅に減便された。2014年8月には更に減便され、布施弁天・三井団地行きともに東武バスの路線は1日5往復にとどまることになった。 2021年5月31日よりAK33、AK34(我孫子駅北口 - あけぼの山農業公園)を新設すると同時に土休日最終便のみ運行されていた13が廃止された[16]。
湖北我孫子線、車庫湖北線、天王台湖北線
湖北駅という鉄道駅の目の前に位置する湖北台団地であるが、湖北駅が所属するJR成田線我孫子支線が便利とは言えない路線のため、湖北台団地からJR常磐線の天王台駅までのアクセスを主目的とする路線である。湖北駅〜天王台駅・東我孫子車庫間を運行する系統がメインで、天王台駅をまたいでの利用が少ないこともあって我孫子駅まで足を伸ばす便の本数は多くない。湖北駅付近は湖北台団地を一巡りする外回り(けやき通り経由)と、短絡ルートをとる内回り(湖北台八丁目経由)との2経路がある。外回りの方が乗客が多く、本数に圧倒的な差がある。 かつては17の区間便といえる14や、20を第一小学校経由にした19も存在したが、すでに廃止されている。 直行スクール
月曜日 - 土曜日のうち開校日のみ運行。 川村学園線、大和団地線、天王台NEC線
天王台駅北口を発車し、途中で常磐線と交差して川村学園に至る。大部分の便が川村学園での折返便である。朝や夜間はNEC日本電気前止めの便が運行されるようになり、我孫子事業所の正門前で折り返す便もある。川村学園とNECの事業所への通学・通勤需要が大きく、またその手前には新住宅も多数あるということで、朝夕の運行本数が大変多い。 北柏慈恵線、車庫慈恵線北柏慈恵線は北柏駅と慈恵医大柏病院との間の運行で、距離が近いために途中バス停は設置されていない。車庫慈恵線は東我孫子車庫〜北柏駅〜慈恵医大柏病院間の通し運行で、出庫担当が3便、入庫担当が2便、それぞれ設定されている。途中、我孫子駅前の通りを通るものの、同駅には乗り入れない。また、東我孫子車庫を発着する系統としては現在唯一となる第一小学校経由である。 柏大津線、柏車庫線
柏駅東口を発着するようになった最初の路線で、ほとんどの区間が国道16号線上にある。16号線を走るようになったのは、旧道に東武が路線を有しており、これと乗客を分離するための措置というのもあるが、結果的には高速に走行することができるようになり、利便性が高くなっている。2006年より、国土交通省千葉国道事務所「道路見える化計画」により、16号線区間の停留所においてバス停車帯が整備されてきている。 2013年1月19日までは29(現・柏54)、30(現・柏55)は柏駅東口発サンサン通り経由ではなく柏駅入口発だった。上下線で経路が異なり、大津ヶ丘団地方面行きは葉山回り、柏駅東口行きは東上町回りで運行される。 出入庫線は当初より東我孫子車庫発着大津ヶ丘団地経由で運行されており、のちに入庫の一部が41(現・柏55)として沼南庁舎バス乗継場止まりで運行されるようになった。しかしいずれも運行本数は多くないうえ、入出庫車両の運用であるため、ダイヤがいびつである。大津ヶ丘団地発では、大津ヶ丘団地 - 大津ヶ丘1丁目間は初乗り区間で整理券は不要だが、東我孫子車庫発のバスでは途中区間になるため整理券を取らなくてはならないので注意が必要。沼南庁舎バス乗継場は、時間帯によって庁舎構内乗入れ便(「沼南庁舎バス乗継場内」バス停)と非乗入れ便(「沼南庁舎バス乗継場外」バス停)がある。東我孫子車庫 - 大津ヶ丘団地間の折返便はない。 柏戸張線
戸張線は柏駅の真東の戸張に至る路線である。朝夕には日本体育大学柏高等学校に向かう学生の利用が多い。独自区間の道路が狭隘なのが特徴である。終点の戸張停留所は三叉路上に設けられており、停留所を柏駅方からみて時計回りに転回し、折り返す。また、終点のひとつ前、「日体大柏高校入口」バス停と戸張は数十メートルしか離れていない。東武鉄道により1965年に開設されたが、2002年4月1日より阪東が引き継いで運行している。阪東に移管したことにより、バス共通カードが使用できなくなったが、その見返りとして運賃が値下げされた。なお、東武時代の戸張線は系統番号が柏21と付与されていたが阪東自動車移管時に引き継がれず、他の路線と同様に2016年4月11日までは系統番号は案内されていなかった。 36(現・柏53)は2013年1月19日までは柏駅東口発サンサン通り経由ではなく柏駅入口発だった。 柏慈恵線、柏ウェルネス線
2003年10月1日に柏ふるさと大橋の途中から橋下の柏下地区へ下る市道が開通したことに伴い、同年10月11日から柏駅東口と慈恵医大柏病院を結ぶ路線として開通した。柏下地区には同病院の他に、柏市民文化会館、柏市中央体育館、柏健康管理センター、柏保健センター、柏市保健勤労会館、柏ふるさと公園等、公共施設が多数並んでいる。これらの施設に市の中心駅である柏駅から直接行けるようになった。 2008年10月1日より往復とも葉山経由から東上町経由に変更となり、31(現・柏54)、32(現・柏55)、33、34のバス停として上り方向(柏駅東口・柏駅入口方面)のみだった桜台と東上町に下り方向(慈恵医大柏病院方面)のポールも新設された。2010年5月10日より日中はこの系統を振り替える形で48(現・柏52)、49に移行したが現在は平日のみに縮小され、休日運行の49は40(現・柏51)に統合された。当初は区間便の設定はなかったが、のちに朝の出庫便として50(現・柏51)が柏ふるさと公園入口発で設定されている。 40(現・柏51)は2013年1月19日までは柏駅東口発サンサン通り経由ではなく柏駅入口発だった。 柏ウェルネス線は、2010年5月10日より39(現・柏51)、40(現・柏51)の主に日中帯の便が、柏市健康福祉センター(ウェルネス柏)まで延長され新設された。途中に柏市民文化会館前バス停が設置。2015年1月13日のダイヤ改正でウェルネス柏行は平日の一部の便のみとなり、土休日はすべての便が慈恵医大柏病院止まりとなり、土休日のウェルネス柏行は廃止された。 湖南台線
手賀大橋南側に位置する手賀の杜プラザと我孫子駅を結ぶ路線で、2005年7月1日に開通した。通称は手賀の杜線。我孫子駅を発着する系統では現在唯一の第一小学校経由である。手賀の杜プラザ付近にはもともと東武が走っていたが、この路線の開通時点では特に変化が無かった。 2007年6月18日には手賀の杜ニュータウンまで延伸した。終点の手賀の杜ニュータウンバス停は、東武バスの小野塚台バス停と隣接しており、東武の方は柏駅東口発着である。この路線の開通により8と重複する市役所バス停は上下両車線どちらの停留所にも我孫子駅行きのバスが発着することとなった。また、並塚バス停は市役所側のポールには停車せず、第一小学校側のポールにのみ停車する。2010年7月26日より、我孫子駅発23時 - 24時台が積極的に運行されるようになった。運賃の深夜上乗せはない。 南青山線、南青山循環線
南青山循環線は、2006年2月に新設された。途中狭い道を通ることから、小型のバスを使用していたが、開設以来住宅が増えず朝夕の一部時間帯を除いて青山入口=南青山西の区間利用者が極端に少なく狭隘区間を通る青山西屋敷経由を2015年9月7日廃止し、南青山西経由だけにして午前中は中型車を乗り入れ、午後からは小型車で運行するようになった。 →「§ 川村学園線、大和団地線」も参照
コミュニティバス永らく、コミュニティバスは我孫子市(あびバス)のみを担当していたが、2023年11月20日からは柏市のコミュニティバスである「かしわコミュニティバス(ワニバース) 市役所ルート」を運行開始した[17]。 →「あびバス」および「かしわコミュニティバス」を参照
廃止系統→社内番号付与前の廃止路線については「§ 沿革」を参照
廃止日は当該ダイヤ改正日で表記。最終運行は毎日運行の場合その前日となる。
NEC湖北駅北口線
布佐天王台線(布73)、現在の布佐ルート実証運行バスの区間便。2024年9月2日の実証運行バス化に合わせて廃止された。 車両一般路線車は創業以来、日野自動車製の車両が主流であり、日野製シャーシに富士重工業の車体を架装した「日野富士」と呼ばれる車両を好んで導入していたが、2009年に全廃された。最後の導入は1996年式のKC-HT2MMCA(現在は全廃)で、富士重工業はその2年後に日野シャーシへのバスボディ架装を終了している。 阪東自動車で廃車された「日野富士」の中には、地方の事業者へ譲渡され熊本バスなど2018年現在も現役の車両もある。熊本バスには同じく阪東から移籍した日野純正車体車も在籍し、独特なスタイルで存在感を発揮している[22]。 昭和の終わり頃までは、千葉県内の東武バス(当時は東武鉄道直営)と同じく前後扉(後乗り・前降り)を多く採用していた。後に前中扉の車両が主力になり、着色ガラスのメトロ窓に中扉4枚折戸という阪東自動車独自スタイルの車両が多く在籍した。ノンステップバスは2000年~投入が開始され、初期に当たるいすゞ・キュービックノンステップでは、東武バスが導入したことで「東武面」と呼ばれる前面2枚窓(ジャーニーKタイプ)を採用した。また、関東地区のバス事業者の中で最初に冷房化100%を達成した[要出典]。阪東自動車独自の特徴として、後面にも前面並の大型行き先表示を設置していることが挙げられる。 車両メーカーは東武系列のバス事業者では珍しく、日野・いすゞ・日産ディーゼル・三菱ふそうの国内4メーカーの車両を揃えている。UDトラックスがバス製造事業から撤退するまでは、大型車ではスペースランナーRAを主力とし継続して導入しており、その仕様(トルコンAT、着色ガラス)とともに東武系列としては珍しい車種選択を行っている。 一般路線車の車体色は、以前は東武の旧塗色(ブルーとクリームのツートンカラー)に似たカラーリングであったが、ワンステップバス導入を契機に[いつ?]現在の独自カラーを採用した。 コミュニティバス専用の小型車については「あびバス」を参照。 脚注注釈出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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