金足(かなあし)は秋田県秋田市にある地域名。郵便番号は010-0112他。金足岩瀬、金足浦山、金足追分、金足大清水、金足片田、金足黒川、金足小泉、金足下刈、金足高岡、金足鳰崎、金足堀内、金足吉田で構成される。
名称は馬踏川の別名である「金足川」(金見沢)に由来する。
歴史
金足村(かなあしむら)は、秋田県南秋田郡にあった村。現在の秋田市および潟上市の各一部にあたる。
- 出羽国秋田郡焼岡村(たけおか)として成立したとされる[4]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、南秋田郡岩瀬村・片田村・吉田村・小泉村・鳰崎村・高岡村・黒川村・下刈村・八丁目村・浦山村・乱橋村・堀内村が合併して金足村が発足。旧12村は大字となる。村役場は岩瀬前山に設置[5]。
- 県が作成した新町村区画の原案では、片田村・吉田村・小泉村・鳰崎村・高岡村・黒川村が「上金足村」、岩瀬村・下刈村・八丁目村・浦山村・乱橋村・堀内村が「下金足村」になるというものだったが、12ヶ村が連名で金足村1村への合併を主張し、県に認められた[6]。
- 1892年(明治25年) - 村役場を村域中央にあたる浦山へ新築移転[5]。
- 1902年(明治35年)10月21日 - 下刈字海老穴に奥羽北線の追分駅が開業。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 乱橋の全域と八丁目の一部が南秋田郡昭和町(現・潟上市)に、残りの地区が秋田市に編入され、金足村は廃止される[5]。
- 昭和町へ編入された2大字はそのまま昭和町の大字へ移行(潟上市発足時に「昭和」を冠称)[5]。
- 秋田市へ編入された10大字は、「金足」を冠した上で秋田市の大字へ移行[5]。八丁目のうち秋田市へ編入された地区には金足大清水を新設[5]。また、下刈のうち字海老穴を分割して金足追分を新設[5]。都合、秋田市の金足地区として12大字になる。
油田
1914年(大正3年)、黒川油田の五号井から大量の原油が噴出、日産2000キロリットルの日本記録となった[7]。これを発見した出光商会(現・出光興産)の親会社である日本石油(現・ENEOS)の株価は連日ストップ高になったという[8]。
施設
教育
廃止
ギャラリー
-
秋田県立博物館
-
小泉潟公園
-
追分郵便局
-
JA新あきた追分支店
-
追分駅
-
秋田市立金足西小学校
-
金足西小学校前庭にある歌碑
著名出身者
脚注
参考文献
- 「角川日本地名辞典 5 秋田県」角川日本地名大辞典編纂委員会、1980年
- 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市史編集委員会、秋田市、2004年
- 「出光佐三 反骨の言魂」水木楊、PHPビジネス新書、2013年
関連項目
外部リンク
|
---|
※地域区分(秋田市の人口・世帯で使用されているもの)ごとに分割し、更にその中で冠称を同じくする町・字をまとめた。 平成の大合併で編入された旧2町は昭和の大合併における旧々町村の単位でまとめた。 |
|
| |
|
|
|
|
|
|
カテゴリ |